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「小さきもの」/kiral32




「お姉ちゃんどうしよう」
 咲が部活を終えて家に帰ってくると、出迎えたみのりの第一声はこれだった。顔も泣きそうになっている。咲は持っていた部活用バッグをすぐ置くと、みのりの肩をゆっくりつかんで、
「どうしたの?」
 となるべく深刻にならないような声で尋ねた。こんなみのりを見ていると咲自身も慌ててしまいそうだったが、ぐっとこらえる。

「コロネが帰ってこないの。もう帰ってきていいのに……」
 え? と咲は拍子抜けしたような声を上げて、みのりを見た。外は確かに、日がだいぶ傾いてきている。とはいえ、コロネがこのくらいの時間まで出かけていることはそこまで珍しくもない。咲は部活用バッグを持ち直すと、
「もうすぐ帰ってくるんじゃない? お腹減るし」
 と答え、みのりの脇を通って家の中へと入っていく。咲の後からついてきたみのりは、
「帰ってこないかも」
 と訴える。咲はぴたりと立ち止まってくるりとみのりを振り返った。

「……何かあったの?」

 * * *

 PANPAKAパンは今日のパンを売り切ってしまって、咲とみのりの両親ももう家に戻ってきている。今日はカレーらしく、リビングにはもうおいしい匂いが充満していた。咲はみのりの説明を聞きながらリビングへと入ってきたのだが、どうもみのりの説明が要領を得ない。

「雑誌のせいって、どういうこと?」
 咲がもう一度説明を促すと、だから、とみのりは咲に雑誌を見せた。いつもみのりが読んでいる小学生向けの学習雑誌である。
 今月号の目玉は「飼っているワンちゃん&ネコちゃんにおしゃれさせよう!」というものだったらしく、首輪のデコレーションのアイディアが何ページかにわたって特集されている。

 モデルになっている犬も猫もかわいらしい種類のものが多く、咲は雑誌を見ながら
 ――コロネにはあまり縁のなさそうな特集だけど……
 と思っていた。
「それで、これをコロネに試してみたの」
 とみのりが見せたページには、「かわいいリボンでペットといやしのひととき!」と書いてある。首輪の代わりにピンクのリボンをまいた猫が、小学生の女の子に抱かれている写真は確かに可愛い。可愛いがコロネに似合うかと言われると……、
「そしたら、コロネが気に入らなかったみたいで出ていっちゃって」
 咲がリボンをまいたコロネの姿を想像できないでいるうちにみのりの説明は進む。

「それで、そのまま帰ってこないの。怒って家出しちゃったのかも。どうしよう……」
 泣きそうなみのりの声に、咲はやれやれと思った。仮にコロネが怒って家出したのだとしても、リボンのことでずっと家に戻らなくなるほど怒るとは思えない。今夜のうちには帰ってくるような気がするが、本気で心配している様子のみのりを見ると、

「じゃあ、一緒に探しに行こうか」
 と言わざるを得なかった。

 とは、いうものの。
 コロネはPANPAKAパンの看板猫だが、いつも店先で寝ているというわけではない。気が向くと夕凪町のあちこちに散歩に行くらしく、行動範囲は結構広いのである。特にコロネがよく行くのがトネリコの森で――あの中から猫一匹を見つけ出すのは至難の技だ。海でコロネを見たという話はこれまで聞いたことがないので、海の方は優先順位は低そうだが。
 咲はみのりと一緒に家を出ると、まず舞と満と薫にコロネを探すように頼み込んだ。手分けして探した方が、という舞のアイディアで、
「じゃあ私とみのりはトネリコの森を探すよ。舞と満と薫は、町の方を探してくれる?」
 と咲が決める。舞と満、薫はうんと頷いて、学校のあたり、海に近い辺り、PANPAKAパンに近い辺りと分担を決めてから、
「でも、咲。どう考えてもトネリコの森の方が探すの大変でしょ? 町だったら人にも聞けるけど」
 と満が視線を咲に向けた。

「うん、だからさ、一通り探し終わったら悪いんだけどトネリコの森に集まってもらえない?」
 ぱんと手を合わせて咲が頼むと、「了解」と満も薫も舞も笑って、それから一同はそれぞれの決められた場所へと別れていった。長く伸びた五人の影がそれぞれの方向へと散らばる。


「コロネー、コロネー」
「コロネー!!」
 咲とみのりの声がトネリコの森に響く。本当ならここでも手分けしたほうがいいのだが、徐々に暗くなってくる森でみのりを一人にするのは心配で咲は一緒に探すことにした。トネリコの森は大空の樹を中心として丘のようになっているので、咲とみのりはふもとをぐるりと一周してからゆっくりと坂道を上っていく。
 みのりは先ほど舞や薫たちと会ったときには少し表情が明るくなっていたのだが、今、咲の隣ではまた泣きそうな顔に戻っていた。

「大丈夫だって、みのり」
 咲はみのりと手をつなぐ。みのりは咲を見上げた。
「そりゃ、コロネだって機嫌が悪い時はあるけどさ。コロネが来たばっかりの頃、いろいろしたけど家出なんてしたことなかったじゃない。今度だって大丈夫だよ」
「いろいろって?」
 きょとんとした表情でみのりは咲を見上げる。
「ほら、コロネが放っておいてほしい時に二人でぎゅうぎゅう抱っこしてすごい勢いで逃げてったことあったでしょ」
「……あったっけ、そんなこと?」
「みのり覚えてないんだ。まだ小さかったもんね。コロネもまだ可愛かったし……私とみのりで、コロネの取り合いみたいになってたことよくあったじゃない」
「う~ん」
 みのりは思い出そうとして思い出せないという表情を浮かべた。

「そうやって逃げ出した時だって、コロネはだいたい1時間もしないで戻ってきたから。リボン結んだくらいでコロネが家出するとは思えないんだよね」
「じゃあ、何で今日は戻ってきてないの?」
「何か用事でもある……とか」
 咲の答えはあまりに説得力がなく、みのりは諦めたようにまた「コロネー」と言いながら木の下を見て回っていた。

「咲!」
 舞、満と咲たちに合流して、最後に薫がトネリコの森にやって来た。
「コロネいた?」
 と咲は聞いてみるが、薫はいいえと首を振る。
「何人かにも聞いてみたけど、誰もコロネのことは見なかったって言ってたわ」
 やっぱり、と咲は思う。舞と満も同じようなことを言っていた。そうだとすると、やはりコロネはこのトネリコの森にいるのかもしれない。咲たちはふもとからもうずいぶん上がってきていた。一方で日は、もううすぐ地平線へと沈もうとしている。

 ――暗くなる前にはみのりと一緒に帰らないと。
 と、咲は思った。その前に、トネリコの森を一通りは見て回らないとみのりは納得しないだろう。ここまで来た中でもあちこちの木の下や藪の中を見て回ったけれど、コロネの姿も声もなかった。あと、コロネが行きそうな場所と言えば――、

「ねえ、咲。コロネ、大空の樹にいるんじゃないかしら」
 樹の影にコロネらしきものが見えたのでしゃがんでみたものの、枯れ葉が絡まっているだけだったのを見てがっかりして立ち上がりながら舞が言う。
「舞おねえちゃん、どうして?」
「何度かコロネを大空の樹の近くで見たことがあるの。お気に入りの場所みたいだったから」
「……じゃあ、みのり大空の樹に行ってみようかな」
「そうね、みのりちゃんと咲は一足先に大空の樹まで行ってみたら? 私たちは今のペースで探しながら上がっていくから」
 ――とにかく、みのりちゃんは暗くなるまでに家に帰るようにしないと。
 舞はそう思っていたので、一度大空の樹まで見て回ればみのりが納得できるだろうとそんな風に提案してみた。咲も舞の考えが分かったらしく、
「うん、ありがとう舞」
 と答えると、みのりの手を引っ張って駆けだすようにして大空の樹へと向かっていった。
 後に残された三人は、ほっと息をつく。咲から事情は聞いていたものの、
「コロネがみのりちゃんのリボンに怒って家出するとは思えないのよね」
 と満が呟く。うん、と薫も頷き、
「みのりちゃんは優しいから気にしすぎなのよ」
 と答える。舞も、そうね、と言いながら、
「ちょっと遠めの散歩してるだけかしら。それとも、何か帰れない事情があるとか?」
「事情って? ……泉の郷にでも行ってるとか?」
 冗談めかして満は言ったのだが、残りの二人は「あり得る」とおもっていた。フィーリア王女がふと、コロネに会いたいと思って泉の郷にコロネを呼んだとしても何の不思議もない。

「あと考えられるのは……。 誰かコロネのことを気に入った人がいてその家から出してもらえないとか」
 舞がいろいろ考えているのに向かって、薫は
「コロネは結構有名だから、あんまりそんなことする人いそうにないけど」
 と呟く。
「そうね、そうだとするとあとは……」
 あとは、という言葉の次を舞は続けなかった。

 ――事故。
 という言葉が舞の頭をよぎったのだが、縁起でもないと黙っていた。

「コロネー、コロネー」
 舞と満、薫は大空の樹へと近づいていく。咲とみのりの姿が大空の樹のすぐそばに見えた――と思ったら、二人は三人の方に振り返って「しー」と指を口に当てた。三人は顔を見合わせると、そっと咲たちに近づいていく。
 薄暗くなってきてよく見えなかったが、咲とみのりがしゃがんでいる先を目を凝らして見ると灌木の下に丸くなって寝ているコロネがいた。
「コロネじゃない」
 薫がささやく。みのりが巻いたというリボンは取れてしまったのか、どこにも見当たらなかった。
「このまま連れて帰ればいいんじゃないの?」
「ううん、薫お姉さん、それがね……」
 みのりが困ったような嬉しいような顔で首を振った。薫が不思議そうな表情を浮かべると、コロネが少し体を動かす。
 丸いコロネの身体の下に、白と黒の毛皮が見えた。コロネとは明らかに違う色の。
 薫と満にはそれが何なのか分からなかったが、舞は「あっ」と小さい声をあげた。
「子猫……」
 うん、と頷くみのりはやはり嬉しそうで、これからどうしようかとわくわくしているように見えた。
「コロネの子?」
 小さい声で満が咲に聞くと、
「ううん、コロネは手術してるからそのはずないよ」
 と咲が答える。咲はみのりと違って、完全に困っているように見えた。

「じゃあ、この子たちのお父さんやお母さんは?」
「分かんないんだ。ずっと、戻ってこなくて」
 舞の顔にちらりと不安そうな影がよぎった。
「このままだとこの子たち、ずっとミルク飲めないままじゃない?」
「うん。……そうなんだよ、舞。でもこの子たち連れて帰ったら、お母さんが帰ってきても子供と会えなくなっちゃう」
 ううん、と五人が小さく唸ったところで、突然コロネが鳴き始めた。何かを訴えているかのようにみゃあみゃあとひとしきり鳴く。
「連れて帰れっていってるのかなあ」
 咲は他の四人を振り返った。
「たぶん……コロネはミルク出せないし」
 舞の答えに合わせるように、咲はそっと手を伸ばして子猫をコロネの下から抱え上げる。四匹の子猫は皆暖かかったが、ほとんど動くこともなくだいぶ弱っているようだった。

「……うん。この子たち、家に連れて帰ってミルク飲ませるよ」
「じゃあコロネも」
 と、みのりが手を伸ばそうとするとコロネはみゃあと鳴いてさっとその手をよけた。
「え、コロネやっぱりリボンのこと怒ってるの?」
 みのりが焦る。違うと思うわ、と薫は言った。
「コロネはここで待つって言ってるんじゃない? この子たちのお母さんを」
 そうだ、というようにコロネはごろごろと喉を鳴らした。
「そうか、コロネがいればお母さんに説明してあげられるもんね」
 とみのりは納得したようだ。それから咲の手の中を見て、
「ねえお姉ちゃん、私にも一匹」
 と言う。
「……落っことしちゃわない?」
「大丈夫だもん」
 咲は四匹の中でまだ元気そうな一匹をみのりに渡してみた。みのりはそっと抱きかかえる。毛玉のような子猫を撫でてから――改めてコロネに目を向けた。

「ねえ、コロネおいてって大丈夫かなあ。コロネだって帰らないと」
「うー……ん」
 咲は唸る。みのりの気持ちは分からないでもないが、コロネはもう立派な大人の猫である。本人もすることを理解しているのだろうし、特に心配はいらないと咲には思えた。

「大丈夫じゃないかな。ほら、コロネもう大人だからさ」
「えー」
「大丈夫よ、みのりちゃん」
 舞が軽くみのりの背をたたいた。
「猫の年だと、コロネはもう大人だもの。子猫たちのことをずっと守っていたりできるんだから、この子たちのお母さんを待つこともきっとちゃんとできるわ」
 まだ納得しきれていないみのりの顔を見て、薫がすっとみのりに近づくとそこで何ごとかを囁いた。みのりの顔は少し明るくなり、
「うん、じゃあ薫お姉さんお願いね!」
 と答える。
「あ、えーと薫? なんかまたみのりのために無理しようとしてない?」
「そんなことないわ。大丈夫」
 詳しい説明をしないところが怪しい。と咲は思ったが、とにかく今は子猫たちを連れて、暗くなった道を急いで帰るのを優先することにした。

 その夜。薫は満と二人で暮らしている家を出て、一人大空の樹へと向かっていた。今夜は満月である。雲一つない空のおかげで、トネリコの森にも月光が降り注いでいた。薫はふわりと浮き上がると、森の中を飛んでいく。と、後ろから突然
「薫!」
 と満の声がした。薫が後ろを振り返ると、満が
「こんなことだろうと思った」
 と薫を追い越して飛んでいく。二人は抜きつ抜かれつして大空の樹を目指していた。

「みのりちゃんがコロネのことを心配してるのよ」
「だから約束したのよね、夜コロネのこと見に来るって」
「聞こえてたの」
 非難がましく薫が言うのに、満は「あら」とすました顔で答える。
「この状況見れば誰だって分かるわよそのくらい」
「何でついてきたの」
「うーん?」
 満は自分でも分からないというように首をひねった。
「こんな夜中にコロネに会うのも悪くないからかしらね」
 ひゅう、と空気を切って二人は大空の樹へとたどり着いた。コロネは眠っていたようだったが、二人が着地した音に気づいたように目を開けて二人のことを見た。

「コロネ、お疲れさま」
 薫はそう言って辺りを見回す。あの四匹の子猫の母親らしい猫はいなかった。
「まだお母さん戻ってないのね」
 そう呟く。子猫たちを置いて母猫がこんなに長い間帰ってこないというのは、もしかすると――、夕方コロネを探していた時に舞が言っていた「帰れない事情」という言葉が薫の頭をよぎる。

 コロネは柔らかく鳴き声を上げた。俺は大人だから大丈夫だ、子供は早く家に帰って寝ておけ――とでも言っているように満と薫には聞こえた。

「はい、コロネ。薫はこういうところ気が利かないのよね」
 満は家から持ってきた煮干しをコロネに差し出す。薫がむっとした表情を浮かべる中、コロネは満足そうにそれを食べる。
 満は薫が不機嫌になったのを全く意に介さない様子で、
「お母さん、戻ってくるかしら?」
 と尋ねる。
「うん……」
 と薫は答えた。その可能性は、かなり低くなっているような気がする。せめて子猫たち四匹をちゃんと育てることができたら――、

「前、咲に聞いたことがあるんだけど。子猫を拾った場合、写真やイラストを使った張り紙をして飼ってくれる人を探すものらしいわ」
「そうなの」
「お母さんが戻ってきたとしても、お母さんもたぶん飼い猫じゃないだろうし。子猫たち四匹か、お母さんの分も含めて五匹分の貰い手を探すためのイラストを描くことになりそうね、薫」
「……そうね」
 みのりと一緒にイラストを描くことを想像しながら、薫は知らず知らずのうちに微笑を浮かべていた。そんな二人を見ながらコロネが唸るように声を上げる。
 雑談してるんだったら、早く帰れ――と言っているようだったので、満と薫はまた飛び上がって家へと帰ることにした。

 -完-
最終更新:2021年02月20日 21:09