「空木に撫子色浮かべて」/ゾンリー




 柔らかい毛布のぬくもりを感じながら、私は目を覚ました。腕を枕にして突っ伏していたからか、麻痺してるのかどうにも腕の感覚が薄い。大きく伸びをして感覚を取り戻していると、とある人物と目が合った。
「あら、お姫様のお目覚めね」
「おはようございます……ふあぁ」
 静かに食器を片付けるこの人こそ、のどかちゃんのお母さん――花寺やすこさんだ。
「……早起きなんですね」
「慣れているだけよ。まだみんな起きるまで時間あるでしょうし、寝ててもいいのよ?」
「ううん、手伝います」
 やくそく通り開かれた私のお誕生日会。楽しい楽しいパーティーは夜遅くまで続き、私もお母さんものどかちゃんたち皆も、いつの間にか眠っていたらしい。
 ……その反動で、部屋はひどい有様なんだけどね。
「じゃあ、こっちのゴミを纏めてもらえるかしら」
 手渡されたコンビニエンスストアのレジ袋に、次々とお菓子の空き袋やらを入れていく。
「手際がいいわね。お家でもよくお手伝いしてたの?」
「お母さん、研究に夢中になるとすぐ散らかしちゃうから」
 そう言って苦笑しながら、セレブ堂シュークリームの空き箱を畳む。「箱は潰してから捨てる」お片付けの常識だ。
 散らかったゴミを纏めれば、随分と部屋がすっきりした。
「……このくらいだったら、みんなが起きてからでも大丈夫そうね。そうだ、ちょっとお散歩にでも付き合ってくれないかしら? 朝ごはんも買いに行かないといけないし」
 優しく微笑みかけるおばさま。私はお母さんがまだ熟睡しているのを確認して、大きく頷いた。時刻はまだ午前六時半前。設えられたメモ紙を置手紙にして、私たちはホテルの一室を後にした。

 高く、まだ日が昇りきらない白んだ空。海沿いの公園を私たちは歩く。吹きすさぶ、強いくらいの潮風が寝ぼけ頭に心地よい刺激になっていた。
「この時間でも、やっぱり人はそこそこいるのね」
 公園には散歩に来た人くらいしか見当たらないけど、少し遠くに目をやれば、スーツ姿のサラリーマンが何人も歩いているのが確認できた。
「うん、そろそろ通勤ラッシュ……私も学校に行くときぎゅうぎゅうに押されて、もう大変で」
「あら、すこやか市にくればそんなこと無くなるわよ?」
「ホント? 行ってみたいなぁ……!」
「大歓迎。いつでもいらっしゃい」
 未だ見ぬのどかな風景に想いを馳せながら、それでも愛しいこの街を港越しに眺める。ゆめアールの大規模実験が終了して一日。街はいつもの風景を取り戻していた。
「……この前は、大変だったわね」
 手すりに体重を預け、おばさまが静かに問いかける。おばさまは、私が夢の力の精霊――人間じゃないことを知らない。それなのに心配してくれたのが嬉しくて、でもお母さんの想いが伝わって無いっぽいのが悔しくて、私は息を漏らした。
「うん、ちょっとだけ。でも、私はお母さんの研究を応援する。これからも、ずっと」
 欄干に佇んでいたカモメが一羽、群れを見つけて羽ばたいていく。目で追った先にある太陽が眩しくて、染みた。
「そう……よね」
「だから、また東京に遊びに来てください! その時はもっとすごいゆめアールを見せますから!」
 これはお誘いと、自分への決意。研究を絶対に成功させて、お母さんのイメージアップを実現する。名付けて「お母さんキラキラ大作戦」! ……ちょっとダサいかな? まあいっか。
 私の熱量に押されたのか、おばさまの表情に笑顔が戻る。私は朝の空気を目いっぱい吸い込むと、それに負けじと大きく口角を上げた。
「そろそろ戻りましょうか。のどかたちもそろそろ起きるんじゃないかしら」
「朝ごはんも買わないと、ですね!」
 少し短くなったシェルピンクの髪を揺らしながら、市街地を歩く。港沿いの公園から数分、私行きつけのパン屋さんにたどり着いた。
「ここのサンドイッチ、すごく美味しいんですっ」
 ショーケースに並んだ、色とりどりの断面。まだ目が覚めて間もないのに、どんどん食欲がわいてくる。
「確かに、すごく美味しそう! カグヤちゃんはどれが好き?」
「えーっと、たまごも好きだし……あ、この海老カツもプリプリで美味しいんですよ! のどかちゃん好きそう……ひなたちゃんはこの照り焼きチキンとか?」
 そんな調子で夢中でショーケースを覗いていると、店内で流れるラジオが七時を告げると同時に、私のお腹が盛大に鳴った。
「……ぅ」
「うふふ。それじゃあさっきのやつと……これとこれ、あとこれもお願いします」
「あいよっ!」
 袋いっぱいに入ったサンドイッチを受け取って、再びホテルへと向かう。
「あらほんと、急に人が増えてきたわね」
 行き交うスーツ姿の人、人、人。駅の近くを通るときには、まったり横並びでーなんて言ってられないくらいに混んでいて。
「私のクジラさんで行きます?」
「あら、そんなことしたら目立っちゃうわよ?」
「あ……そっか」
 この人混みの中を空飛ぶクジラで一飛び。きっとすごく盛り上がるんだろうけど、それで騒ぎになったらもっと混み合っちゃうもんね。
「さ、そろそろうちの眠り姫達はお目覚めかしら」
 自動販売機であったかいカフェオレを七本(!)買ってから、エレベーターで上がっていく。数十分ぶりにホテルの部屋へ戻ると、ちょうどのどかちゃん達が目を覚ましたところだった。
「んぁれ? カグヤちゃん起きてたんだ……ふわぁ」
「おはよっ、のどかちゃん」
「んー……おあよーみんなーおやすみー」
「ほら、ひなた二度寝しないの。おはようございますカグヤちゃん、おばさま」
「二人とも、随分と早起きされたんですね」
 ひなたちゃん、ちゆちゃん、ひなたちゃん、アスミちゃんも、続けて起き上がる。
「あとは……」
 黒いポロシャツ姿でコクンコクンと船を漕ぐ、私のお母さん。
「おかーさんっ、みんな起きてるよ!」
「ん? あ、ああもちろん起きてるぞ……はうあっ!」
 目覚まし代わりに、熱々の缶をおでこにピタリ。その様子がおかしくって、みんな一斉に笑い出す。
「カグヤぁ……」
「えへへ、目が覚めたでしょ?」
「覚めたには覚めたが……むぅ」
 どこか不満そうなお母さんの手を引っ張って、大量のサンドイッチが並ぶテーブルへ。
「さあ、好きなものを取って頂戴」
「あったしこれー! 照り焼きチキン!」
「お、カグヤちゃんの予想通り」
「うそマジ? エスパーじゃん!」
「じゃあカグヤはこれか? 人参たっぷりサラダ」
「た、食べれるもん!」
 強がってみたけど、やっぱり別のにしておけばよかったと一口で後悔。お母さんめ、仕返しのつもりだ。

 そういえば、と置きっぱなしの置手紙を手に取る私。大きな窓からはさっきまで散歩していた公園が遠くに見えた。流れる水は変わることなく煌めいていて、空木に小さな撫子色の花が咲いている。

(うん、生きてるって感じ!)

 いつの間にか横にいたおばさまと笑い合う。
 私の心には、今日もすこやかな風がそよいでいた。
最終更新:2021年05月29日 21:53