空と春(後編)/ゾンリー




「おはよう!」
「おっはよーカグヤちゃん」
「おはよー、カグヤちゃん」
「おはよう。カグヤちゃん」
 三者三様の「おはよう」を受けながら三人の輪の中へ。転校初日から三日。少しずつこの町の生活にも慣れてきた私は、学校生活を満喫していた。
「そういえば今日理科の小テストじゃなかった?」
「ひなたちゃん、この前補習受けてたよね……」
「ふっふっふ、今回はちゃーんと復習してきたから完璧! なんなら勝負してもいいよ~?」
 にやり顔のひなたちゃんに、心の底から驚いたような表情ののどかちゃんとちゆちゃん。
「そう言うってことは、随分と自信があるようね」
「ふわぁ、負けないよ!」
「私も私も! 理科は得意なんだ」
 四人で笑いあってると、校門はすぐそこに。けれど歩調を遅らせる必要なんてどこにもない。
「えーじゃあさ、一番点数低かった人が一番高い人のお願い一個聞く罰ゲームってのは?」
「自分の首絞めることになっても知らないわよ……?」
「ふふっ、面白そう!」

   •

 そして。
「どおぉぉぉぉしてぇぇぇぇぇぇぇ……!」
 ひなたちゃんが九十二点、のどかちゃんとちゆちゃんが横並びで九十六点。そしてなんと、私が全問正解の百点! ということで……。
「ほらひなた、言わんこっちゃない」
 崩れ落ちるひなたちゃんを苦笑交じりのちゆちゃんがなだめる。
「カグヤちゃん、お願いはどうする?」
「うーん、そうだなぁ……」
 几帳面に間違った箇所の修正を終えたのどかちゃんに言われて、迷う。
「うぅどうか神様カグヤ様優しいの、優しいので願いしますぅ」
「アハハ……あ、こういうのはどう? 『カグヤっち』呼び……なんて……」
 言ってて自分で恥ずかしくなっちゃった。まるでステージの上で眩いライトに照らされているかのように、顔が熱くなる。

 直後、テスト用紙を放り投げたひなたちゃんに抱きつかれた。

「もちろんだよ! 『カグヤっち』」
「じゃあ……私も、カグヤ」
「?」
 ちゆちゃんにも呼び捨てにされて、思わず目を見開く。やっと、みんなと一緒の目線に立てた気がして、目が潤んだ。
「わーごめんカグヤっち、痛かった?」
「ううん、なんだか嬉しくって……」
「じゃあ私も呼び方変えてみようかな? カ、カグ……んー、カグヤん?」
 珍しくおどけるのどかちゃん。三人同時に吹き出して、腹を抱える。しかものどかちゃんはいたって真面目だから、余計に面白くって。
「ちょっとのどかっち! なにカグヤんって?!」
「もぅのどか笑わせないでよー」
「えー、いいと思ったんだけどなぁー」
「アハハハ、カグヤんなんて初めて呼ばれたよ」

 その後も、私の呼び方についてはしゃいでると、教室の人気がなくなってることに気づいた。
「あれ、次移動教室じゃなかったっけ?」
「あわっ、いつの間に」
「よしじゃあ行こ、カグヤん」
「それ採用なの??」
「いやぁ冗談冗談」

   •

 こっちに来てからもうすぐ一週間をむかえる、金曜日。お母さんの調査の方も順調みたいで、「追加調査だー」って夜遅くまで帰ってこないこともしばしば。
 今日も学校から帰るとスマホにお母さんからのメッセージ。
『すまない、今日も遅くなりそうだ』
 寂しい……って思わないわけじゃ無いけど、私とお母さんの夢のためだもん。そのためなら、この位我慢できる。
「とは言うものの……今日はりりちゃん、お母さんとお出かけだって言ってたよね」
 独り言が狭い部屋に物悲しく響く。気丈に振る舞ってはいても、胸の下あたりが沈んだように重くなった。
『?♪』
 不意の着信音にはっと視線を戻す。リズム良く震えるスマホの画面に表示されていた名前は、ちゆちゃん。
「もしもし」
『あ、カグヤ? ちょっといいかしら』――

   •

 着信から十数分後。夕暮れに染まるアスファルトを駆け抜けて、上がった息が白く寒空に溶けていく。
「ちゆちゃん!」
「カグヤ!」
 出迎えてくれたちゆちゃん。私は、旅館沢泉に来ていた。
「今日はよろしくお願いしますっ」

   •

『ご迷惑じゃなければなんだけど……今からウチに来ない?』
「えっいいの?」
『じつはお客様にお出しする予定の料理が余ってしまって。せっかくだし、温泉も紹介したかったし……どうかしら?』
「行きたい行きたい? 丁度ね、今日お母さん夜遅くなるっていうから困ってたの」
 足をブラブラさせながら、耳にあてたスマホに神経を集中させる。

『それなら……泊まりに来ない?』

   •

 ついさっきの通話を反芻しながら、旅館の裏口を通ってちゆちゃんの部屋に。取り急ぎまとめた着替えを入れたショルダーバッグを一旦置いたところで、お盆を持ったちゆちゃんが戻ってきた。
「ありがとう、助かっちゃった」
「こちらこそ。それに、一度は泊ってほしかったし。まあ……客室じゃないのだけれど」
「ぜんっぜん! わぁ畳懐かしい~!」
 井草の感覚を味わいながら、住んでいた家の寝室を思い出す。暖房で温められた畳はぽかぽかで、夜なのに日向ぼっこしてるみたい。
「お腹空いたでしょ? ついでにいろいろ貰ってきたから、あったかいうちに食べましょ」
 お盆にかけられた布巾を外すと、まるで旅館で出てきそうな料理の数々。実際旅館なんだけどね。
「おいしそう……!」
「カグヤはいつもどうしてるの? 遅くなるってことは我修院博士お忙しいんでしょう?」
 並ぶ料理はどれもお客さんに出す予定だったものだからか、見てるだけで美味しさが伝わってくるようだった。
「うん。だからいつも隣に住んでる子と一緒に食べてるんだ。その子も親の帰りが遅くてね、りりちゃんっていうんだけ」
「りりちゃん?」
 食い気味に身を乗り出してきたちゆちゃん。その珍しく驚いた表情に圧倒されながらも、「知ってるの?」と聞き返す。興奮したように話そうとする彼女を、空気を読まない私のお腹の音が遮った。
「わーごめんごめん、続けて?」
 顔を真っ赤にして話の続きを催促する私。それにツボったちゆちゃんは、ひとしきり爆笑した後、お櫃からホカホカのご飯をお茶碗に盛り付けてくれた。
「うぅーありがと……いただきます」
 一番気になっていたお刺身を一口。さっくりとした脂身と、ねっとりとした甘みのある赤身がコクのある醤油と最高にマッチして、無意識にご飯へ手か伸びる。続いて、茄子の天ぷら! サクッと小気味い音を立てた途端に感じるみずみずしさ。岩塩が優しいお茄子の甘さを引き立てて、これまた最高。
「すごい……こんなにおいしいの初めて!」
「ふふっ、よかった」
「そうだ、話のつづき! ちゆちゃんってりりちゃんと知り合いだったの?」
 一旦お箸を止めて続きを催促。ちゆちゃんは温かい緑茶を啜ると、「少し前の出来事なんだけどね」と前置きしてことの顛末を話してくれた。

   •

「そんなことがあったんだね……」
「ヒーリングガーデンに帰る前までは、私もペギタンを連れて時々行ってたんだけど……最近行けていなかったから」
「うん、ちゃんと学校のことも話してくれるし、今日だって、お母さんとお出かけするんだ?って楽しそうだったから、大丈夫だと思うよ」
 安堵したような表情のちゆちゃん。私は最後のお味噌汁を飲み干して、「ごちそうさまでした」と手を合わせた。

   •

「おぉ~広い!」
 温泉特有の蒸気にあてられながら、裸足で平たい石畳の上を歩く。夜風が洗った後の身体に直撃して、私たちは足早に岩で囲まれた湯船に向かった。
「「あったか~い」」
 トロトロのお湯に四肢を揺蕩わせて、力を抜く。家のお風呂とは違う非日常感も、このリラクゼーション効果の前ではまるで無力で、私は岩に背中を預け、大きく息を吐いた。
「気持ちいぃ……毎日こんなお風呂入ってるの?」
「流石に家のお風呂と旅館の温泉は別よ。使ってるお湯は一緒だけどね」
 髪を下ろしたちゆちゃんと肩を触れ合わせながら、話題は東京の温泉施設について。
「向こうは、あんまり温泉旅館って無いわよね?」
「うん。温泉はあるけど、ホテルとか旅館になってるところはあんまり無いかな……スーパー銭湯とかって聞いたことない?」
「確かに! 旅館よりはそっちのイメージが大きいわね」
「でしょ! あーあ、近所にもこんな旅館できればいいのに」
 掬い上げたお湯を満点の星空に透かしてみる。手から零れ落ちる光が優しくて、私はもう一度お湯を顔に流した。

   •

「それじゃあ、電気消すわね」
「うん」
 ちゆちゃんが紐を引っ張るタイプの電気を消して、目を開けてるのに視界が真っ暗に染まる。それも暫くすると慣れてきて、ちゆちゃんのシルエットくらいなら判別できるようになった。
「……ありがと。今日は誘ってくれて」
「どうしたの? そんな改まって」
 寝返りをうつ私。お日様の匂いに包まれたお布団が、小さく擦れる音を立てた。
「私、こっちに来てから何かしてもらってばかりだなーって」
「そんなこと無いわよ」
「ううん。そして、私は何もお返しできてない……」
 小さな自嘲にも似たため息が、音もなく漏れ出す。
「……私は、カグヤが嬉しそうだったら、楽しそうだったらそれで十分なんだけどな」
「ちゆちゃん……」
「さ、もう寝ましょ? 朝は六時に起きてランニングの予定なんだけど……」
 ちゆちゃんからの提案。私はその小さな無力感のせいなのか、勢いで「私も行きたい!」と即答した。
「それじゃ決まりね。おやすみ」
「うん、おやすみ」
 その朝、ランニングで悲鳴を上げたのは言うまでもない……かな。

 それから数日後の放課後、土曜日じゃないけど、今日は午前授業(半ドン)の日。
「ひーなたちゃん」
「お、カグヤっちー」
 平光アニマルクリニック前に集まった二人。ちゆちゃんものどかちゃんも日直の仕事が残ってて、後から合流。
「いっよーしそれじゃあ~、ゆめぽーとに出発!」
「おーっ!」
 ひなたちゃんが教えてくれた「裏道」を進んでいけば、目的地まで十数分ほどらしい。かわいい花が咲き乱れるその道を進みながら、私は前を行くひなたちゃんに声をかけた。
「ねぇ」
「んー?」
「ひなたちゃんはさ、何かしてほしいこととか……ない?」
 ちょっとストレート過ぎたかな? と思いつつ、ひなたちゃんの返事を待つ。彼女は少し悩んだ後「特に無いかなー」って両手を伸ばした。
「って、急にどしたの?」
「あー、えっと」
 このままはぐらかしてしまいたい欲求をぐっと抑え、駆け寄って手をつなぐ。
「んーん、なんか、皆にお返ししたいなーって」
「何それめっちゃ偉いじゃん! よし、私も手伝う……てか手伝わせて!」
「もー、それじゃお返しの意味ないよ。でも、ありがと! ひなたちゃんが手伝ってくれるなら百人力! といっても、何すればいいか全く思いつかないんだけど……」
 二人して口を尖らせ、考える、考える、考える……。結局何も思いつかないままゆめぽーとに到着したところで、私たちはひとまず目の前のショッピングを楽しむことにした。
「いよーし、まずはこの店! カグヤっちはさ、どのブランドで買ったりする?」
「私、撮影でもらった物だったり、マネキンそのままだったりするから……実はあんまり詳しくないんだ、あはは」
「うっそマジー?」
「マジマジ。前に東京で買ってもらった服、すっごく可愛くて、ついそればっかり。アレンジとかできるのほんと凄いと思う!」
 そんな話をしながらも、既にひなたちゃんの腕には大量の洋服が。
「ほうほうほう、嬉しいことを言ってくれるねぇ。それじゃあ一皮むけますか!」
 それを言うなら「一肌脱ぐ」じゃないかな……なんてツッコミは手渡された洋服に塞がれて。私は言われるがままに試着室へと向かった。
「おまたせ!」
 勢いよく試着室のドアを開けて、くるっと一回転。まだまだ練習中のポージングを決めて、ひなたちゃんの反応を伺ってみた。
「いい! やっぱカグヤっち最高だよ!」
「ひなたちゃんのファッションセンス、流石だよ。デニムのフレアパンツで大人っぽさと脚を細長く見せていて、フリルの襟付きブラウスで可愛さも表現してる!」
「コメント百点! ……ってこれだああああああああああ! カグヤっちこれだよ!」
「え、どれどれ?」
「これだよこれ、ファッション! モデルやってるんだからファッションショーで決まりっしょ!」
 次々におしゃれな服を私にあてがいながらハイテンションのひなたちゃん。
(ファッションショー……かぁ)
 ずっとお仕事でやってきたけど、思えば誰かのために自分からなんてやったこと無かったな。私の中に、小さな好奇心が生まれた。
「それ、賛成、大賛成!」
「でしょ? じゃあいろいろ買わないとじゃない~?」
「これは買うしかないねぇ~」
 うわぁ、私もひなたちゃんもカメラに映せないような、悪の組織みたいな表情しちゃってるよきっと。

「おーい、ひなたちゃーん、カグヤちゃーん」
「おまたせー」


「お~っ、これはいいタイミングに来ましたなぁ? カグヤ殿」
「そうですなぁひなた殿」

「ど、どうしたの……?」
「この二人、意外と危険だったのかも……」
「「ふふふふふ……」」
 のどかちゃんとちゆちゃんも巻き込んで、一世一代の大ショッピング。言葉の通り端から端まで行ったり来たり、時折あまーいスイーツで休憩をはさみながらも、空が真っ赤に染まるまで私たちは洋服を私の体にあてがっていた。

   •

 もう残された時間は多くない。ファッションショーの準備は急ピッチで進んでいく。……まあ、今日は小テストの勉強会も兼ねてるんだけど。
「じゃあ次の問題、『ありきたりなさまを表す言葉。明治中期まで続いた句合が語源』」
「はい!」
「カグヤちゃん」
「月……月……並み?」
「せいかーい」
「やった!」
「ふふ、今日はこのくらいにしとこっか」
 国語の教科書を勢いよく閉じて、代わりに一冊のルーズリーフを開く。そこにはファッションショー兼お別れパーティの計画がびっしり。
「カグヤちゃん、お料理のほうはどう?」
「うーなんとか! りりちゃん先生様様だよ」
 そう、今回の料理はぜーんぶ私が作るんだ。りりちゃんに頼み込んで、絶賛修行中。
「あ、お母さんとお父さんに許可取れたよ~。家使ってもいいって」
「ありがと! じゃあ会場はのどかちゃん家で」
「そうだ、お客様からもらった花火あるんだけど、よかったらやらない?」
「いいね、やろうやろう!」――

   •

 準備と学校生活であっという間に時間は過ぎていき、とうとう修了式。
「えー、皆さんご存じの通り、我衆院さんは今日で東京に戻ります。それじゃあ……我衆院から一言お願いします」
「はい」
 これで最後だと木で出来た机をそっと撫でて、席を立つ。でも来週のパーティーがあるから、お別れって感じはあんまりしなくて。
「この中学校で過ごした二週間、絶対に忘れません! これから受験とか大変だと思うけど、体調に気を付けて頑張ってください! 私もまた遊びに来ますっ」
 湧き上がる拍手。円山先生も涙ぐんでるけど……だめだめ、まだ泣くような時じゃない。
「カグヤちゃん、また来週ね~」
「バイバーイ」
「うん、またね!」
 そう、本番は来週。でも今だけは、この学校との別れを惜しんでもいいよね。

   •

「カグヤっち、こっちは準備OKだよ、どうぞ」
 トランシーバー代わりのスマホ通話越しにざわめきが伝わってくる。
「うん、こっちも大丈夫。どうぞ」
「よしじゃあカグヤっちのタイミングで行っちゃって!」
 通話終了のSEが耳元で鳴って、大きく深呼吸を一つ。みんなと隔てられた扉を開けて、私は勢いよく飛び出した。
「みんなー! 今日は……そして今日まで本当にありがとう! ひなたちゃんプロデュースの特別なファッションショー名付けて『すこやかコレクション』、いっくよー!」
 仲間内の歓声が妙に心地よくて、すぐにモデルの感覚を取り戻していく私。
「まずはこれ、ピンク色のギンガムチェックスカートに白いジャケット。これだけだと結構纏まりがないんだけど、中に着た深緑のシャツが一つにまとめているんだ!」
 控室で早着替えをしている裏で、私がつくったお料理が運ばれる。運んでくれるのは、私のお師匠りりちゃん先生。
「続いて~、桃色を基調としたお花柄のワンピース! ちょっと子供っぽいかなーとも思ったけど、流石ひなたちゃん、ハットを被れば意外にピッタリでしょ?」
 みんなのお父さんやお母さん、円山先生も思い思いのお酒を手にもって「おぉ~」と良いリアクション。
「どんどんいくよ、これは前開きの黄色いパーカーにボーダーシャツとデニム生地のショートパンツ。シュシュを使って元気はつらつなポニーテール風!」
「厚底サンダルとシースルースカートの組み合わせ! あえてシンプルなアクセサリーが透明感を引き立ててるんだよね~」
 その後もくるりくるりとカグヤ七変化。その度にみんなの驚く顔と瞳が私の目の前できらきらと輝きを放っていく。

「さあさあ、パーティはこれからだよ、楽しんでいってね!」

 お酒で顔を赤らめたお母さんの慈しむ表情に、私はとびっきりの笑顔ではにかんでみせた。

「いたいた」
 一人ベランダで黄昏ていると、のどかちゃんが乳酸菌飲料の注がれたグラスを両手に持ってこちらの方に。私は差し出された片方のグラスを受け取って、カチンと小さく打ち鳴らした。料理でお腹いっぱいのはずなのに、後を引かない爽やかな甘味が自然と喉の奥へ流れ込んでいく。
「……カグヤちゃん、今日はありがとう」
「ううん、私だけじゃないよ。ちゆちゃんにりりちゃん、ひなたちゃん、そしてのどかちゃん。みんなが居たから、今日のパーティーは成功した」
「でも、その中心になって動いてくれたのは……カグヤちゃん、貴女なんだよ」
 のどかちゃんの優しく包み込むような笑顔が夕日に照らされて、私の胸の中がじんわりと温かくなる。肩の力を抜いた私は、「ありがと」とのどかちゃんの方へ肩を寄せた。
「大人の皆さんは、すっかり出来上がっちゃったみたいだよ」
「ふふっ、お母さん久々のお酒で二日酔いにならないといいけど」
「うちも。でも、そういう機会じゃないと飲まないから」
「「ねー」」
 親ラブな私たちの思いを知ってか知らでか、お母さんとのどかちゃんの両親の楽しそうな会話が遠くで聞こえる。
「……私、みんなに恩返しできたかな?」
 オレンジ色に染まった芝生が、風に吹かれてサワサワとそよぐ。直後、真下からりりちゃんの大きな笑い声が聞こえてきて、私達は顔を見合わせて微笑んだ。
「ふふっ、聞くまでも無いんじゃない?」
「……うんっ」
 いつの間にかグラスの中身は二人とも空になっていて、ベランダからまっすぐ見える海岸線が、ゆっくりと淡い紫色に染まっていく。
「あ、一番星」
「えーどこどこ? あ、あった!」

 明るく浮かぶ光の粒。それは今日という特別な一日を祝福してるようで、同時にその終わりを告げているようで。
「いよいよ明日、かぁ……なーんか全然、そんな気しないんだよね」
「私もだよ。でも、同じ空の下で繋がってるから……なんて」
 照れたようにはにかむのどかちゃん。気づけば空は随分と暗さを増していき、部屋から洩れる明かりでようやく、彼女の表情が伺えるくらいの明るさになっていた。
「……なんて、ベタすぎたかな?」
「あ、のどかちゃん、ベタじゃなくて……」
「「月並み!」」
 キレイにハモって、同時に吹き出す。
「アッハハハ! ううん、でもその通りだよね。東京じゃ、こんなきれいな星は見えないかもだけど、同じ空の下にいる。それに、もう二度と会えないわけじゃないし」
「うん! また絶対、東京に行くね。やくそく」
 真っ暗な手元で数回指をぶつけながら、小指で指切りげんまん。
「そうだ、せっかくなら皆で色んな所に旅行行きたいな」
「ふわぁ~それもいいね! カグヤちゃんだったらどこに行きたい?」
「三重かなぁ? 実はね、シュークリームの生産量が日本一なんだって! のどかちゃんは?」
「えーとじゃあとびっきり飛んで……北海道とか沖縄とか! 一度飛行機乗ってみたいんだぁ」
 まだまだ冷えるベランダで肩を寄せ合いながらそんな話をしていると、階段をトントントントンと上ってくる音が。
「あー二人ともこんなところにいたー!」
「風邪ひいちゃうわよ?」
 音の主は、心配して私たちを捜しに来てくれたちゆちゃんとひなたちゃん。その手には、季節外れの花火セットが握られていた。
「わ、花火だ!」
「ふふ、今ね、みんなで旅行行きたいねーって話してたんだぁ。ちゆちゃんとひなたちゃんは何処に行きたい?」
 一階へと戻りながら、話を広げるのどかちゃん。意外なことに、二人とも即決だったみたいで。
「私は兵庫。温泉の有名どころは抑えておきたいもの」
「はいはいはいはい! 私はねー福岡! だって美味しいものいっぱいあるんでしょ~、行ってみたいよねぇ」

 旅行の話は尽きないけど、玄関ではみんなが蝋燭と水入りのバケツを用意してお待ちかね。
「カグヤお姉ちゃーん」
「はーい! みんな行こ」
「よっしゃ花火だー!」
 各々好きな色の花火を手に取って、火をつける。鮮やかな閃光とともに、火薬の匂いが鼻孔をくすぐった。
「ねぇ、次はこれやってみない?」
 私が取り出したのは花火の代表格、線香花火。カラフルな「こより」といった風体のそれを、私は三人に手渡した。
「じゃあ誰が一番長く残せるか勝負だ!」
「またー? 二連敗しても知らないわよ?」――

   •

 あの後、案の定二連敗を記したひなたちゃん。楽しい時間ほどあっという間に過ぎて行って、心地よい疲労感とともに迎えた、引っ越し当日。
「カグヤお姉ちゃん……ほんとに行っちゃうんだね」
「うん……ごめんね」
 通いなれたアパートの階段。その裏側で、りりちゃんの頭をそっと撫でる。
「ううん、大丈夫だもん!」
(本当に、強い子だなぁ)
 りりちゃんの目じりに浮かんだ水滴(なみだ)。私はそれを小指で拭って、ポケットから取り出した花のヘアピンを、そっと彼女の前髪に付けた。
「……!」
「よく似合ってるよ」
 スマホの内カメラでりりちゃんを映す。「なんだか自分じゃないみたい」とはしゃぐ姿に、一安心。
「それじゃ、行くね」

「待って!」

 そんな私を呼び止めたのは、りりちゃんでも、りりちゃんのお母さんでもなく……
「のどかちゃん! ちゆちゃんにひなたちゃんも!」
「よかったぁ間に合って」
 三人とも息が荒く、ここまで急いできたことが伺える。
「もー、ひなたが遅刻するから……」
「ほんっとゴメン! 作ってたら夢中になっちゃってさ」
「作る?」
 不思議そうに首を傾げる私に、ひなたちゃんは一冊のノートを差し出した。
「これ、私流のファッションアレンジまとめてみたんだ! 開けてみて」
 ページを開くと、昨日のファッションショーで着たコーディネートの解説が。蛍光ペンでアンダーバーが引かれてて、とってもわかりやすい。
「次は私。これ、よかったら車の中で食べて」
 ちゆちゃんから受け取ったのは、風呂敷に包まれたお弁当箱。中身を聞いたら「開けてからのお楽しみ」ってはぐらかされちゃった。
「私、ちゆちゃんみたいにお料理上手じゃないし、ひなたちゃんみたいにファッションセンスもないから……これ」
 のどかちゃんからは、淡い桃色のお花があしらわれたフォトフレーム。その中を見ると、写真の代わりに手紙が入っていた。
「は、恥ずかしいから車の中で読んでほしいな……」
「……うん。ありがとう」
 感情が高ぶって、うまく言葉が出てこない。本当はもっと、素敵なこと言えたらよかったのに。
「ねぇ、フォトフレームなんだから、みんなで写真撮らない?」
 そう提案した私は、お母さんにカメラを起動したスマホを渡して、皆のもとへ駆け寄る。
「ほら、もっと寄って寄って!」
 おしくらまんじゅう状態に固まった私たち。
 お母さんがスマホを構えると、全員でおそろいの横ピース! 図らずも全員っ被ったそのポーズにひとしきり大笑いして、ようやく踏ん切りがついた私は、大きなリュックを背負い車へと歩き出した。




「みんな……またね!」






 来た時よりも多くなった荷物に後部座席を占領されながら、自動車が緩やかな坂を上っていく。ずっと手を振ってくれていた皆もすぐに見えなくなって、カーオーディオから流れ出す懐メロがなんだかやけに胸に響いた。
 ちゆちゃんからもらったお弁当(豪華な天むすだった!)を二人で平らげて、きちんとお手拭きで手を拭いてからフォトフレームの手紙を取り出す。
『カグヤちゃんへ
 一緒に過ごしたこの三週間、良い思い出が多すぎて、いきなり何を書こうか迷っています。
 東京でカグヤちゃんに出会って、色んなことがあって。こうしてまた会えたことが何よりも嬉しかったです。ぎゅうぎゅうのベンチで一緒にお弁当食べたり、めいさんのカフェでプチパーティしたり、小テストの点数で勝負したり、ファッションショー開いてもらったり、ってほんとにキリがないくらい。だから、カグヤちゃんとのお別れは少し……ううん、とても寂しい。

 そうだ、このフォトフレーム、自分で作ってみたんだ。ダイヤモンドリリーっていうお花なんだけど、カグヤちゃんの髪の色とそっくりなんだ。花言葉は……自分で調べてみて!

 最後になっちゃったけど、体に気を付けて、元気で過ごしてね。カグヤちゃんの行く先が、希望と夢にあふれていますように。
花寺のどかより』


 彼女の声で再生されるその手紙に見つけた、三粒ほどの小さな水シミ。それを優しくなでていると、私の頬をツーっと何かがつたっていく感覚。それが涙だと分かった途端、目頭が熱くなった。

(おかしいな? ちゃんと笑顔でお別れできたのに。ちゃんと……またねって言えたのに)
 せっかくもらった手紙に、一つ、二つと新しいシミが増えていく。だんだんと潤んでいく視界に、太陽の光がやけに眩しく突き刺さって。

「……コンビニで、写真プリントアウトしていくとするか」
「うんっ……!」


 三週間ぶりの懐かしい制服に袖を通して、これまた懐かしい通学かばんを手に取る。
「お母さーん、私先行くね~」
 棚の上に置かれた、「また会う日を楽しみに」の花言葉を冠した花のフォトフレームに入れられた三週間前の写真。私はあの時の感覚を思い出しながら、使い古したローファーに履き替えた。
「行ってきまーす!」
 ドアを開けた途端に、歓迎するような陽光。それを体いっぱいに浴びながら、階段を下っていく。

 高く、どこまでも続く青空と、これからまた始まる青春。それらに想いを馳せながら、私は精一杯の握りこぶしを突き上げて、走り出した。

「生きてる……って感じー!」

 (終)
最終更新:2021年11月23日 23:20