「やる気の秘訣」/kiral32




「なんで私が……」
薫は思わずつぶやいた。目の前の机の上にはスケッチブックから切り離した一枚が葉書大に切って置いてある。
紙の上には鉛筆で、人が立っているらしい姿が簡単に描かれている。とはいえこれはあくまで構図を決めるための線で、
人物がどんな表情で描かれていることになるのか、この線だけでは分からない。
薫にはこの絵の完成像が今のところぼんやりと思い描けていた。これは、笑顔の咲になる予定なのだ。
薫がなぜ咲の絵を描くことになっているかと言えば、言い出したのは満なのである。

 * * *

近頃はすっかり寒くなってきた。
プリキュアとしてダークフォールとの戦いを終えた咲たちは四人で中三になり、趣味に勉強にと打ち込んできた。
秋にはソフト部の地区大会が開催され、大会後に三年生は引退。
見事に悲願の優勝をつかみ取った咲はすぐに受験勉強を猛然と始める――はずだったのだが。
中三になってからの約半年間、時間があればソフトボールのことばかり考える生活をしていた咲にとって、
急に勉強に切り替えるのはなかなかの難題だった。
志望校は清海高校。これは絶対にゆずれない。舞と満、薫の三人で同じ高校に行くのが今の咲の目標である。

というわけで、咲は最近、毎日のように満に家に来てもらっては勉強をみてもらっているのだった。
中間、期末のテストの時にも満に勉強を教えてもらっていたから、中学で習う内容の一通りは身についている
はずである……が、忘れていることもやはり多い。

「うーん」
昨夜、満が帰ってから咲が解いた数学の問題の丸付けをしながら満が首をひねる。
「え、そんなに間違ってた!?」
と咲は慌てるが、満は「ちがうちがう」と手を振る。
「間違ってるのはこの一問だけ。でも咲、私が帰ってから勉強のスピード落ちなかった? この章の問題は
 昨日までで終わっちゃうと思ったんだけど」
「面目ない」
咲は苦笑いで頭をかく。
「満が帰って、夜勉強しているとどうしても他のこと考えちゃって中々進まない時があるんだよね……」
「え?」
満は意外そうな表情を浮かべた。
「私と一緒に勉強しているとき、全然そんなことないじゃない」
「そりゃ、満が見ててくれたら他のことしようなんて思わないよ……」
満はますます不思議そうな顔になる。
「誰かが一緒にいたらずっと勉強できるの?」
「そりゃね。誰かの目の前で勉強さぼるのは気が引けるし」
「私がずっといてもいいけど……さすがに咲のお母さんに心配されそうよね」
満と薫はダークフォールとの戦いが終わって以降、夕凪町で二人で暮らしている。
薫にちゃんと説明さえすれば、咲の家に満が何日か泊まり込んでもさほど問題はない。

とはいっても、大人たちは満と薫のことを「保護者が留守がちなお家の子」と思っているわけで――なおこれは
満たちが積極的に嘘をついたわけではなく、周りの大人の誤解を曖昧なままにしているのである――、
満が日向家に入りびたって何日も泊っていたらさすがにおかしいと思われてしまうだろう。

「みのりちゃんは? 夜はみのりちゃんに見ててもらうとか」
「妹に勉強を見ててもらうのもなあ。みのりはみのりで、夜に宿題したりいろいろあるし」
「そっか」
満は誰も座っていないみのりの机を見た。咲が受験勉強を始めてからというもの、
満と咲が一緒に勉強しているときにはみのりはこの部屋には入らないことになっている。
みのりはついつい構ってもらいたくなるし、咲は咲で気が散ってしまうからだ。

満と一緒に薫が来たこともあった。その日はみのりと薫が遊んでいて、静かにしていたつもりでも
その声が咲たちの勉強する部屋の中まで聞こえてしまっていてこれも咲の気が散った。
そんなわけで薫は最近、日向家には来ないようにしている。
みのりにとって、薫が来ないのは残念なのだが――受験当日まで、日向家は咲の勉強を第一に優先するように
なっている。
この状態からさらに、咲が夜に勉強するときに集中力を切らさないようみのりに見ていてもらうというのは
いくらなんでもやりすぎだろう。

「要するに、勉強しているときに気が散らないようにしたらいいのよね? 
 気が散っても、また勉強するやる気が出るように」
満が確認する。咲はうんうんと頷いた。
「満、何かいい手知ってるの?」
「この前テレビで見た番組では、受験生の子が机の前に『打倒○○校』みたいな紙を貼ってたわよ。
 勉強につかれた時はこれを見て気合を入れなおします、みたいなこと言ってたけど。咲も貼ってみる?
 『打倒清海高校』」
「な、なんかもうちょっとこう……楽しくなる感じのがいいな……」
「楽しく?」
「こう、楽しいことを思い浮かべて勉強に集中できるようになるとか……」
「咲はどうして清海高校に行きたいの?」
急に進路指導みたいになってきた、と咲は思った。
「そりゃ、和也さんや泉田先輩の行ってる学校だし。舞だって第一志望だし、満も薫も絶対受かるでしょ?
 私一人だけ違う学校なんて嫌だよ」
「……私は咲が別の学校受けるならそこを受けるけど?」
「ふぇっ!?」
咲は思わず変な声をあげてしまった。満は、何を驚いているのかときょとんとした表情を浮かべている。
「私も薫も高校のこと、よく知らないもの。咲が一緒に清海高校に行こうって言ったから志望校にしているだけで。
 咲と一緒の学校なんだったら、どこでも」
「いいいいや、でもさ、舞は絶対清海高校だと思うし、やっぱりみんなで清海に行こうよ。ね、満」
良く分からないけどとにかく咲は清海高校というところが一番いいのね、というところまで満は理解できた。
何で清海高校がいいのかと言ったら、たぶん舞が清海高校志望だからというところが大きくて……と
考えを進めていったところで、一つアイディアがひらめく。

「机の上に舞の写真を飾ってみたら?」
「えっ?」
「ほら、勉強をするやる気が落ちても、舞の写真見て一緒に高校行こうって思ったら頑張れるんじゃない?」
咲は自分の机の上に舞の写真が置いてあるところを想像してみた。思わずにまにまと笑顔を浮かべてしまう。
満は咲のそんな表情を見て、「だったら良さそうな舞の写真を探して……」と言ったが、

「うーん、写真もいいけど舞がモデルの絵もいいな……」
という咲の呟きに満の動きがぴたりと止まる。
「絵!? さすがに今、舞に描いてって言うのは……」
舞は咲ほどではないものの、やはり清海高校合格のために勉強に打ち込んでいるのだ。
咲の頼み、しかも絵とあれば勉強時間をいくらでも削って絵を描きそうな気もするので余計に頼むわけにはいかない。

「うん、そうだよね!」
咲はうっかり呟いたことを打ち消すかのように大きな声で返事をした。
「今の忘れて。えーと、舞の写真写真……」
と咲が写真を探して引き出しを開きかけるのを「ちょっと待って」と満が止める。
「ん?」
「薫の絵でもいいなら、薫に頼むけど。どう?」
「薫? え、本当に?」
薫はダークフォールとの戦いが終わってからと舞やみのりと一緒によく絵を描くようになり、美術部にも参加した。
その甲斐あってか、舞ほどではないにしてもかなり絵がうまくなっているのだ。

「え、でも薫に頼むのも悪くない?」
「いいのよ。最近はみのりちゃんとも遊べなくて暇みたいだから」
清海高校の受験生でそんなに余裕があるのは満と薫くらいだよ、と咲は思ったが口には出さず、
満から薫に頼んでもらうことにした。

 * * *

数日後。薫ははがき大の絵に描いた舞の絵を学校に持って行った。満から話を聞いたときは面食らったものの、
自分なりに頑張って舞の絵を仕上げたつもりだ。これを見た咲が、勉強を頑張ろうと思えるように。
応援の気持ちを込めて描いた。

昼休み、いつものように4人が集まってお弁当を食べる時間。薫はお弁当を広げる前に「はい」と
封筒に入れた舞の絵を咲に渡した。咲は封筒の中を見て、
「ありがとう薫!」
と、ぱっと表情を明るくする。

なになに? と舞も咲の持っている絵を見て、
「私の絵……?」
と困惑の表情を浮かべた。
「うん、舞と一緒に高校行こうと思ったら勉強頑張れると思って薫に描いてもらったんだ!」
と咲が答える。舞はまだ戸惑っているようだったが、机の上に飾るつもりだという咲の説明を聞いて
何となく理解したようで、

「ねえ、薫さん」
と薫をまっすぐに見る。
「私にも咲の絵を描いてくれない?」
「え?」
薫は意外そうな表情を浮かべた。
「舞のスケッチブックには咲の絵が何枚でもあるじゃない」
戸惑ってそう答えると、「そうね」と舞は答えて、
「でも、薫さんに描いてもらった方が受験勉強を頑張れそうな気がするの」と続ける。

「描いたら? 薫」
と満は薫の背中を軽くたたいた。
「4人で一緒の学校に行くために」
と付け加えると、咲も舞も軽く頷いた。
窓の外では冷たい秋風が木の葉を散らしている。
薫は3人に見つめられて、咲の絵を描くことを承諾したのだった。

-完-
最終更新:2022年04月18日 22:29