ひとり旅/makiray




「遅ーい」
「って言うか、えれなが早すぎるんじゃない? まだ 15 分もある」
「まさか、行かなかった?」
「行ったよ」
 駅前の広場。夕日を背負って、噴水の縁に腰かけている天宮えれなは涼しい顔で答える。
 夏木りんと緑川なおが顔を見合わせた。りんが、おそるおそる口を開く。
「…それで」
「んー…」

 二週間ほど前。
 授業に部活に家業の手伝いに弟妹の世話に、と忙しい三人だが、いつか一緒にサッカーをやりたい、と思い続けていた。ぼぼ奇跡と言ってもいいタイミングでスケジュールが合い、グラウンドを予約した。三人なので、サッカーでもフットサルでもない。片面だけを使い、それぞれのゴール数を競うルールとした。誰かがボールを得ればほかのふたりがディフェンスに向かう。はた目にはボールを追って走り回っているだけのようでもあったが、それで充分であった。
 休憩。
 芝の上にそのまま横たわリ、「疲れたー」「さっきのシュー卜はよかった」「あのタックルはきびしい」などと荒い息の中で言い合う。
「さ、後半戦、行こうか」
 リんとなおは立ち上がり砂を払ったが、えれなは起き上がらなかった。
「えれな?」
 上から覗き込む。なおがドリンクの冷たいポトルを頬にあてると、えれなはそれをじっと見ていた。
「どうしたの? 具合悪い?」
 手をついて、ゆっくり起き上がるえれな。
「そういうわけでもないんだけど」
 と答えはしたが、立ち上がる様子はなかった。
「最近、『やる気』が出てこなくって」
「やる気…?」

 学校にはきちんと行き、帰れば店の手伝いをし、家事をこなし、幼い弟や妹の面倒をみて、それが終わったら自分の勉強。
「なんでこんなにずっと頑張ってるんだろ、って思っちゃって。
 そしたら、すーっと、『やる気』が消えてった」
「でも、それって」
「なお」
 りんがとめる。なんで、とりんを見たなおも、その意図を察した。
 家業のある大家族、その長子なら当たり前のこと。だが、「当たり前」で済む話をしているのではないのだった。
「自分のことだけしたい、とか思った?」
「そういうわけでもない。特に、あれがしたい、ってこともないな」
 通訳になるって言ってたよね、という言葉をりんは飲み込んだ。学校の勉強と似たようなものだ。
「あたしもなるんだよねー、実は」
 いつの間にか、りんもなおも座っていた。
「なんであたしぱっかリ、とか、お前たちもやれ、とか」
「なおは、キレるほうなんだ」
「言っちゃう。
 けど、弟たちが『ごめんなさい』とか言いながらちょこまかって手伝おうとするの見てるとねー」
 そのとろけそうな表情で分かる。なおにとっては、弟たちや妹たちが「癒し」だ、ということだ。
「りんは?」
「のぞみに八つ当たりする」
「ひっどい」
 笑うなおと えれな。
「みんなとわーって騒いでると解消されるかな。
 逆にのぞみがイライラさせてくれることもあるんだけど…たまに、っていうか、しょっちゅう」
 ふふふ、と笑うとえれなは目を伏せた。
「えれな…」
「どっちもわかるよ。
 あたしだって、『お姉ちゃーん』って甘えられたら今のなおみたいにとろけちゃうし。
 ひかるやまどかと会うのはすっごく楽しいし」
 でもな、と言うとえれなは黙った。りんにもなおにも言葉がなかった。


 翌週。
「ちょっと、どういうつもリ?!」
 目を吊り上げて怒っている。そんなえれなを見たのは初めてで、リんも なおも内心では大いにビビっていた。
 あれからふたりで考えた。大事な家族も、大切な友人たちも、「今のえれな」を癒す決定打にはならないらしい。となると考えられるのは、ひとりきりの時間を持つこと。
 だが、家のことをするのは当たり前、しないと家も仕事も回らない、という環境でそれが難しいことはふたりともよく知っている。えれなに、そういう時間を作れ、と言ったところで実現はしない。
 であれば、無理やりそういう状況に追い込むしかない。
 なおとりんは、開店準備中の“SONRISA”にやってきて、「今日もサッカーするって約束したじゃん」と言い張り、父親にも了解を取ってえれなをバス停まで引きずり出した。
「説明して!」
「今日、ひとりで過ごしてみて」
「え?!」
「だから、今日は、家のこととか、学校のこととか忘れて、ひとりで過ごしてみて。知らない人ばっかりのところで」
「…何の話?」
 りんと なおのかわるがわるの説明でやっと、「『やる気』が出ない」と言ったことを心配してくれているのだ、ということがわかった。
 だからってこんな乱暴な、といつものえれななら反論したに違いない。だが、その手があったか、という声が心の中で聞こえた。それだけまいっている、ということは認めざるを得ないようだった。
(のってみようかな)
「じゃ、はい」
「…?」
 スケジュール表。まもなく来るバスに乗って40分、隣の町にあるショッピングモールに向かう、とある。だが。
「ここはよく行くとこだよ」
「みんなで、じゃない?」
 なおが言った。
 そうだった。家族全員でワゴン車に乗って、つまらなそうなふりをする弟をなだめ、迷子になりそうな妹を見張り、一番下の弟の手を放さないようにし、たくさんの荷物を抱えて。
(覗いてみたいお店があったんだっけ)
 その後は空白だった。自分で自由に決めろ、ということだ。そして、帰りは電車にしろ、と言う。駅でふたりと落ち合うことになっていた。
「その必要ある?」
「急に連れ出してすいませーん、とか言っておくと体裁がつくろえそうじゃない」
 なるほど。
 エンジンの音。バスが来た。
「わかった」
 いってくる」
「いってらっしゃい」
「よい旅を!」

 駅前の広場。えれなが夕日を背負っている。
 りんが、おそるおそる口を開いた。
「…それで」
「んー…、戻ってきてないかな、『やる気』は」
 なおが頭をかいた。やはりそう簡単な話ではなかった。
「あ、はい、おみやげ」
 えれなは、バッグを開くとふたりの手に缶を押し付けた。
「ヤシの実のジュース…珍しいね」
「モールに輸入雑貨のお店があってさ」
「冷たい」
「おいしいよ」
「待って。これ、なんで冷えてるの?」
 なおが声を上げた。
「モールで買った、ってことは何時間も経ってるよね」
「コンビニで氷買って、一緒の袋に入れてきた」
 ほら、とバッグを開いて見せる。
「そんな気使って。
 そういうことしないようにって今日のひとり旅でしょ」
 今度はなおが怒っている。だがえれなは気にかけていない。
「だって、そうなんだもん」
「なにが」

「特別なことはしてないんだよ、あたし。
 全然、普通のこと」
「普通って」
「そういう風にしか考えられないんだよね」
「…」
 えれなが、自分の隣をポンポンとたたいた。右にりん、左になおが座る。
「なんにも無理はしてない。普通にそう。気がついたら、家族へのお土産も買いそうになってた」
 それじゃあたしたちの嘘がばれちゃうでしょうが、とりん。
「もうずっとこうなんだろうな、って」
 何も言えなくなったりんが缶を口に運ぶ。なおは缶をじっと見つめていた。三人の前をたくさんの人が通り過ぎていく。
「ひとつ思ったんだけどさ」
 やがてえれなが口を開いた。りんとなおが顔を上げる。
「ショッピングモールの後は何も決まってなかったじゃない。自分で考えろって。
 すっごい考えたよ。ベンチに座って、うんうん唸りながら。あたしは何がしたい? どうしたい? って」
 期待を込めてうなずくりん。
「今日はあったかいし、薄着の人も多いけど、あたしはどう? 一枚脱ぎたいくらい? 実は足元が涼しかったりしない? ちょうどいい? それは本当にそう? って。
 それなのかな、って思った」
「…。
 どれ?」
 こらえきれずになおが言った。
「自分がどう思ってるか、どう感じてるか、ってことを自分に聞く。こまっかいところまで突っ込んで聞いてみる、ってこと」
「うん」
「時々、自分に対しても『いい子』の返事してることはあるかもしれない、って気はするからね。
 最終的に我慢しなきゃいけないことはあるんだろうけど、本当は『嫌だな』って思ってる、ってことは認めた方がいいのかもしれない」
「そっか」
 なおとリんが視線を交わした。わずかにこわばった笑顔で。半歩、いや、その半分くらいは進めた、のだろうか。
「嘘の片棒担がされたりんとなおにお土産なんか買いたくないなぁ、とかさ」
「なによ、それ」
 なおが唇を尖らせた。りんは缶をえれなに押し付けた。
「返す返す」
「って、それ飲みかけじゃん」
「だって、嫌だって言うからさー」
「まぁ、不本意でもお土産だからさ、飲んでやってよ」
「はいはい。しょうがないから飲んであげるよ」
 りんは顔を上げて飲み干した。
「でもこれいいな。今度行ったとき箱で買ってこようかな」
「始まったよ」
「え、だって、これ、すごくおいしかったよね」
 ぽそ、と声がした。
「ん?」
「えれな、なに?」
「役に立ってよかった、って」
「また」
「そういうとこだよ、そういうとこ」
 ふふ、と笑うえれな。帰ろ帰ろ、と立ち上がる。
「にしてもジュースを箱ってさー」
「だって、一箱 24 本でしょ。うちでみんなが一本ずつ飲んだら四日持たないよ」
「壮絶だねー」
「でもなおが四本飲んだら」
「ひとりでも一週間もたないのか」
「飲まないってば」
 少女たちの一歩に長い影がついていく。この一歩は簡単なのにな、とえれなは思った。
(あたしは今、そこが不愉快)
 まずはそれを認めることにした。
最終更新:2022年04月22日 23:13