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『人魚の食感』8




 怒鳴りたくなる気持ちを必死で抑えて、ローラが静かな口調で訊ねてみる。

「あのね、みのり……、わたしが何度『おかしい』って言ったか、憶えてる?」
「ごめん。朝ごはんを抜いたせいで、脳を動かす糖分が足りてなくて、判断力に影響が出ていた。
 でも今は、ツボに入ってたジュースで糖分が補充できたから……」

「はああああ…」
 と、やるせない溜め息をついたローラが、諭すように言った。

「いい? 次からは、ちゃんと朝ごはん食べなきゃダメよ」
「うん。ごはんの大切さについて、あらためて考えさせられた」

 みのりの反省(?)にうなずき返したローラが、不意に視線の気配を感じて、店の奥へ通じるドアのほうを見た。
 ドアの鍵穴から、きょろきょろと二つの綺麗な目がこちらを覗いている。

「だめだわ。もう気付いちゃったわ。感度3000倍になる粉末を揉み込まないようね」
「当たり前ッスよ。お姉様の書きようがまずいッスよ。このドアのプレートに『いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でした』なんて間抜けなこと書くから、おかしいって思われちゃうんスよ」

「いや、それはまだ読んでないけど、ずっとおかしいって思ってたわよ!」

 叫び返したローラを無視して、ドアの向こうから好き勝手なコトを言ってくる。

「もうどうでもいいわよ。どうせ、わたしたちには指一本だって挿(い)れさせてくれないんだから」
「それはそうッスけど、あの子たちが入ってきてくれないと、またお姉様が拗ねて泣いちゃうッスよ?」
「仕方ないわね。呼びましょう。 ―― お嬢さんたち、早くいらっしゃい。お姉様はとっくにシャワーを浴びて準備万端ですわよ。さあ、無料風俗体験ツアーだと思って気軽に入ってらっしゃいな」
「お姉様チョロいんで、ここでハートをがっちり掴んでおいたら、いつでも都合のいい時にヤれる肉奴隷に出来て超便利ッスよ? とにかく早く入っていらっしゃいッス」

 軽い混乱を覚えたローラが、ドアを指差して、みのりに尋ねた。

「あの人たち、いったい何を言ってるの?」
「つまり、この店は、私たちが食べるんじゃなくて、訪れた女の子を甘いスイーツに例えて、お姉様って呼ばれてる人が、性的な意味で美味しく食べちゃう店だった…ってコト」

 みのりの説明を聞いてもさっぱり意味が分からないが、なんだかふつふつと怒りが湧いてきた。
 憤怒の表情で立ち上がったローラが、右肩を左手で押さえつつ、右腕をぐるぐると回す。

「これはもう、鉄拳制裁するしかないわね」

 みのりも無表情で立ち上がり、粘水がたっぷりと残っているツボを両手で肩の高さまで持ち上げた。

「暴力は悲しい。……しかし、もはや戦(いくさ)は避けられぬ」

 素っ裸の少女二人が、ドアの向こうの部屋へカチコミを仕掛けようとした瞬間 ―― 、

「くるるんっ!」

 ローラたちの背後でドアが開いた。
 二人が後ろを振り返ると、ドアノブにぶら下がったくるるんが「助っ人にきた!」と言わんばかりの表情で見返してきた。
 そして、その後ろからのっそりと姿を現したのは、拳銃を預かってくれる所にいたジャイアントパンダだった。
 ―― と、床にこぼれていた粘水にいきなり足を滑らせ、ジャイアントパンダがクルクル廻りながら、吸い込まれるように奥のドアに激突。重量であっさりと破壊して、その丸っこい体が奥へと消えた。

「あーっ、らんらんちゃん! またドアを壊して! 誰が修理すると思ってるの!」
「お姉様ッスね。いつものことッス」

 ジャイアントパンダに続き、くるるんも、粘水にまみれたマットの上をシャーッと滑って、ロケットのごとく奥の部屋へと突撃していった。

「くるるんっ!」
「え……、何、この生き物……。うわああああッ、カワイイーーーーッッ!」
「ちょ…っ、お姉様っ、早くこっち来るッス!」
「もーっ、かわいい女の子まだなのー?」
「今は女の子とかどうでもいいッスよ! それよりもこれ見るッス!」
「えっ、ええーっ、何これ、カワイイッ! ウーパールーパーの新種!?」
「目ン玉くさってるんスか? どう見ても前足の生えた白いツチノコッスよ!」
「えーっ、ツチノコなの!? 初めて見た! かわいいーーっ!」
「くるるんっ!」
「キャッ、またクルルンって言ったわ! カワイイッ!
 わたしもクルルンっ♪ クルルンっ♪ ―― ほらっ、お姉さまも一緒に!」
「わーい! クールルン♪ クールルン♪」
「くるるんっ! くるるんっ!」
「クルルンっ♪ クルルンっ♪ ……やっばーーっ! めっちゃ楽しいッスっっ!」

 どーすんの、これ? ―― と、ローラがげんなりした顔で奥の部屋を指差して、みのりに視線で尋ねた。
 とりあえずツボを下ろしたみのりが、名刀の刃のごとく冴え渡った判断力を示した。

「ほうっておこう。
 私たちは、あそこにあるシャワーでヌルヌルになった全身を綺麗にしてから、とっとと別のお店に行って、ちゃんとした食事をするべき」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 隙を見てくるるんを回収した二人は、結局、店を探すのが面倒になって、一番近くの適当な店に入った。メニューには人魚のスイーツしかなかったが、精神的に疲労していたローラは、何も文句を言わなかった。
 ……ちなみに、注文していたスイーツが運ばれてくると、ローラは腹に据えかねていた感情をぶつけるがごとく、それをバリバリムシャムシャと齧った。
 テーブルの対面に座っていたみのりが、思わず「サトゥルヌス…」とつぶやいた。

 ―― その後、もはや市役所に殴りこむ気も失せたローラは、まなつたちへのお土産として、途中で千円だけ人魚のスイーツを買って、みのりと一緒に帰ることにした。

「みのり、どう? 人魚のスイーツを食べて、スランプは解消された?」
「スランプはもう大丈夫。体の中に溜まってたものが全部洗い落とされたみたいにスッキリしてる。今は、自分が書くべきテーマがなんとなくだけど見えてきて、とにかく書きたい気分」

 隣を歩くみのりが、不意にローラのほうを向いてつぶやいた。

「……でも、人魚のスイーツじゃなくて、ローラのおかげ」

 その『おかげ』の意味を汲み取ったローラが、あわててあさっての方向に視線をそらした。
 思い出すと、カラダが変にムズムズしてくる。
 歩調を合わせるみのりが、初々しくうつむきながら尋ねてきた。

「ローラ、あの時、何をいおうとしてたの? ……私が『この店おかしい』って言う前」
「あー、あれね。人魚のおかわりはどう?って訊こうとしてたのよ。まあ、タイミング逃した上に色々ありすぎて、もうどうでもよくなっちゃったけど」

 きまりが悪そうに自分の髪をいじりつつ話したローラが、一応尋ねてみる。

「今さらだけど、おかわり……いる?」

 小さく、こくんっ、とうなずいたみのりが、ローラと手を繋いで、優しく指を絡めてきた。

「ローラは……おいしいから。おかわりほしい」

 そう言って、花が恥らうように微笑むみのりが可愛すぎて ―― 。
 ローラは心から思った。この人魚のカラダを毎日食べさせてあげたい、と。

(終)
最終更新:2022年06月08日 21:23