【Tomorrow~アナザーはなの物語・序章~】/りとるぶたー
私は何もできない。
勉強も運動も得意じゃないし、転入先でも友達なんてできなかった。
心機一転で前髪をオシャレにカットしようとしても、変に切りすぎちゃったせいですれ違った美人に笑われた。あの時は本当に恥ずかしかった。今でも恥ずかしいし、早く髪の毛伸びないかなって思ってる。
何をやっても失敗ばかり。こんなカッコ悪い私のままじゃ、将来何者にもなれないのだろう。
イケてる大人のお姉さんなんて、きっと夢のまた夢だ――
「――のさん、野乃さん」
「えっ?」
「問題、当てられてるよ」
隣の席の薬師寺さんが、私の肩を小さく揺する。
慌てて黒板の方を見遣ると、数学の先生が苦笑しながら改めて私を指した。
「野乃さん。この問題の答え、わかる?」
「あ……えっと、3でしょうか……」
「うーん、惜しい。じゃあ○○さん、どうかな?」
次に当てられた子は、見事正解を導き出す。
私の出した答えはまるっきり的外れで、全然惜しくなんてなかった。
また、間違えた。
私は間違えてばかり。自分がどんどん理想から遠ざかっていくのが、嫌でもわかる。
私はため息を吐いて、なんとなく外に目を移した。
ガラス越しに聞こえるくぐもった雨の音が、私の心をしっとりと柔らかく包み込む。
もう梅雨だ。
私がこのラヴェニール学園に転入してから、特に何か良いことも大きな変化もなく2か月が過ぎた。
*****
帰り道。
傘をさして一人っきりで歩きながら、ちょっと前に落ち込んでいた時にママがくれた励ましの言葉を思い出す。
――はなの未来は、無限大!
この言葉をくれた当時は本当にどん底まで落ち込んでて、もうどこにもこの状況を抜け出す道なんてないんだって思い込んでいたから本当に元気が出た。転校しようって決めることもできた。
だけど……。
「無限大って言ったってなぁ~。無限の選択肢の中でもどんどん悪い道を選んで行っている気がするよ~、めちょっく……」
今思い起こしたら、余計落ち込んでしまった。
ごめんね、ママ。ずっと応援してくれてるのに、この2か月間全然上手く行ってない……。
最初はちょっとくらい失敗しても、「フレフレ私、頑張るぞ」って立ち直れた。
でもここまでめちょっくな失敗続きだと、さすがに自信なくしちゃう。
せめて友達の一人くらいできていたら、心持ちも違ったんだろうなぁ。
「はぁ……」
大粒の雨がボタボタと傘にぶつかり、何本もの小川のようになってビニール製の坂を流れ落ちていく。
教室で雨の音を聞いた時は落ち着いたのに、今は降り方も音も激しくて、なんだか雨に攻撃されているみたいで嫌だ。
「いやいや、落ち込みっぱなしじゃだめだよ私! まだ2か月だよ?」
無理矢理気持ちを上向きにしようと、私は立ち止まって空を見上げた……んだけど。
「……変な色~」
一面の曇り空が、不自然なセピア色に染まっていた。
夕陽のオレンジ色を分厚い雲が乱反射してるから、人工的にインクを落としたみたいな変な色になっているらしい。前に同じ天気になった時に、たまたま近くにいた薬師寺さんが教えてくれた。
だけど、こんなときにこんな天気にならなくても。
せめて普通の灰色の曇り空だったら、まだ良かったのに。いや、一番気分がすっきりするのは勿論青空だけどさ。
「うぅ~。明るい未来、やってくる気がしない……でもこんな弱音ばっかりじゃ、なりたい野乃はながもっと遠くに逃げてっちゃうよー」
俯きたくなる気持ちを抑えて、私はもう一度一面セピア色の変な空を見つめる。
「でも、どうしたらいいんだろう。私、何もできないのに、どうすればイケてる大人のお姉さんになれるんだろう?」
そうボヤいて、私はまた歩き出した――その時だった。
「……あれ?」
急に、曇り空がセピアから普通の灰色に染まり変わった。
おかしいと思って、私は視線を空から街並みにもどす。
「空だけじゃない! 世界が全部白黒になってる!?」
驚いて、思わず傘から手を離してしまった。でも私の体が濡れることはない。
それは傘がそのまま空中で止まっているからだって、すぐにわかった。
しかもいつの間にか傘は、周囲の景色と同じモノクロカラーになっている。
「噓ぉーっ!?」
驚いて一歩後ずさろうとすると、体が何かに阻まれた。
無数の雨粒までもが全て空中で止まって透明な壁のようになってしまっている。
これでは傘が無くても濡れない代わりに、ここから一歩も動けない。
「だ、誰かいないの……? 助けを呼ばなきゃ……」
身動きの取れない私は仕方なく、その場で首を動かして辺りを見回してみた。
だけど周りの通行人もみんなピタリと動かなくなってしまっている。
「なんで? まるで、時間が止まったみたい……」
私一人だけ静止画の世界に放り込まれたみたいだ。
何の音もしない。誰の声も、聞こえない。
「え……どうして、急に? 何これ? どうしよう。誰か助けて、これじゃおうちに帰れないよ――」
――ドーンッ!!
「きゃあっ!?」
パニックで頭が真っ白になっている私の耳を、突然大きな爆発音がつんざいた。
私は半泣きになって、音の発生源に体を向ける。
「オシマイダー!!」
「ぎゃあああああ、怪物ーっ!!」
私の身長の5倍はありそうな、ずんぐりとした巨大な怪物。
たったの百メートルくらいしか離れていないところで、その怪物は咆哮を上げていた。
「……夢、だよね? あはは、私いつの間に授業中に寝ちゃって……そんなわけないか。私、絶対バッチリ起きてるもん……」
現実逃避しようと力なく笑い飛ばして、私は地面にへたり込む。
夢にしてはいやにリアルだ。とてもリアルに、どうにもならない絶望感が私を襲う。
そう。まるで、前の学校で私が独りぼっちになっていたときのように――
前の学校、シャインヒル学園では、私はチアリーディング部に所属していた。
応援することで誰かの力になるのが楽しかったから、部活動は本当に充実していた。
だけどある日、トラブルが起きた。
私の友達だったエリちゃんが次の大会のセンターに選ばれて、それを妬んだチームメイトがエリちゃんに意地悪をした。
そんなのカッコ悪いって思って私は意地悪を止めに行ったんだけど、そうしたら私は独りぼっちにされてしまった。皆にも、エリちゃんにも。
私のしたことはお節介だったのかなって、今でも後悔してる。
私が余計なことをしたから、エリちゃんに嫌われちゃったのかもしれない。部内の雰囲気が余計にギスギスしてしまったのかもしれない。
転校が決まる直前、優しい人たちが、これはいじめなんだって私に言った。あなたは悪くないんだよって言ってくれた。
でも本当にそうなんだろうか。エリちゃんが意地悪されていたあの時、もっと上手に丸く収めるやり方があったんじゃないかな。
私があの時間違えてなかったなんて、本当に言い切れるのかな。
だって私はいつも間違えてばかりだから。何かが上手にできたためしなんて無いに等しいんだから。
「あぁ……私なんにもできないから、世界から追い出されちゃったのかな。お前は要らない子だ、って」
力が抜けて立ち上がることもできずに、私は怪物をぼんやりと見つめた。
私を見つけたのだろうか。怪物は、固まった雨や街路樹をなぎ倒しながらズンズンとゆっくり私の方に向かってくる。
私はこれからどうなるんだろう。踏みつぶされるのかな。炎か何かを吐かれちゃうのかな。
もうここで終わりなのかな。
私は、めっちゃイケてる大人のお姉さんになれないのかな。
「……やだ」
それだけは、嫌だ!
私は何もできないって思っているし、失敗ばっかりでどんどん理想から遠ざかっているとも思ってる。
だけど、だからって夢をこんなところで終わらせたくなんかない!
「私の夢は! 今の私と違って、なんでもできるイケてる人! もう大切な友達を嫌な気持ちにさせない、人を幸せにできる人! そして――」
ママの励ましの言葉が、はっきりと耳に頭によみがえる。
――大丈夫、はなは間違ってない! もう、我慢しなくていい!
――はなの未来は、無限大!
「大好きな人からの期待を、応援を裏切らない! 力をくれた皆に笑顔をお返しできる人ッ!」
間違ってるかどうかの私の判断なんて、二の次だ。
私のことを心から愛してくれて、信じてくれている人がいるんだ!
応援してくれている人がいるんだ!
「私は、そうなりたい! 私のせいで誰かの笑顔をくもらせたくない! 大好きな人には幸せでいてほしいよ!!」
空に向かって叫ぶように、私は思いの丈をぶちまける。
すると傘に色が戻って地面に落ち、私のすぐ近くで降っていた雨が勢いを取り戻した。
激しい雨が私の体を打ち付ける。だけどひるむわけにはいかない。
私が自分の気持ちを口に出したら周りが動き出したんだ、この調子で家に帰ることができるかもしれない。
怪物はゆっくりだけど、それでも私に迫ってきてる。負けられない。私はイケてるお姉さんになりたいんだから。
私は怪物を真っ直ぐに見据えて、今までのネガティブな自分を打ち払うように叫んだ。
「こんなところで諦められない! そんなの――私のなりたい、野乃はなじゃないッ!!」
――ぶわりと、私の心から何かが湧き上がってくるのを感じた。
体から放たれた不思議な白い光が、力の塊になって怪物を後退させる。
「オ、オシマイ!?」
「あぁ、凄い。凄く素敵な気持ち。それになんだか、とっても……!」
だけど狼狽える怪物の様子なんかまるで私の目に入っていなくって、代わりに大きな高揚感に押し上げられるように私は言葉を紡いだ。
「心が、溢れる――!」
私の胸から一つの光が勢いよく飛び出す。
間もなくその光は、白いハート形の宝石を形作った。
直感で、この宝石を手に取ると何かが大きく変わるんだってわかった。
「――行くよ、私」
だけど私は一瞬だってためらわずに、その白い宝石を手に取った。
その次の瞬間――私の姿は、いつもの野乃はなから大きく異なるものに変化していた。
頭のてっぺんで一つ結びにした、淡いピンクの超ロングヘア。
まるで女神様を思わせる、お花と羽の意匠があしらわれた前開きのロングドレス。
そして、大人のお姉さん風にセットされた、私の理想そのままの超イケてる前髪!
「私……変身、したの? よくわかんないけど、めっちゃイケてる!」
顔を輝かせる私の目の前で、あのハート形の白い宝石が淡い光を放ちながら浮遊する。
その宝石は形を変えて、一振りのロングソードになった。
私はその剣を手に取ると、迷わず天に突き上げた。
剣が切っ先から七色の光を放ち、それが頭上の雲に乱反射する。
跳ね返された光が地上のあちらこちらにあたって、全てのものが色と動きを取り戻した。
周りの人たちが怪物に気付いてパニックに陥りだす。
「な、なんだあれは!」
「キャーッ! 化け物―!」
「け、警察に……! いや、自衛隊か? 自衛隊に繋がる番号って何番だっけ?」
「――大丈夫だよ!」
私は高く高く跳躍して、混乱している人たちに届くように力強く声をかける。根拠はわからないけど、絶対大丈夫だという自信が確かに私の中にあった。
そして私は空中で大きく剣を振りかぶり、気合いを込めて怪物を切りつけた。
「てやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!」
「オシ……!」
キラキラした光が辺りを舞う。
その光を受けて、怪物は明らかに弱っているように見えた。
地上にいる皆は慌てるのも忘れて、ぽかんと私たちを見ていた。
だけど次第に、さっき混乱していたときとは全然違う声が上がりだした。
「……頑張れーっ!」
「女の子ー、その怪物を倒してくれー!」
「め、女神さまじゃ! ありがたや……!」
「がんばえー、がんばえー!!」
凄まじい熱量のエール。見ず知らずの人たちだけど、聞いているだけでとても力が湧いてくる。
「行け―!」
「頑張れー! ヒーロー!!」
もう、ここでおしまいになっちゃう気なんて、少しだってしなかった。
「うん、ありがとう! 私、頑張るね!」
応援って、なんて凄い力を持っているんだろう。
その力を笑顔や幸せに変えることが、私にできるなら――私はとことん頑張る。
今までに出会った大好きな人だけじゃなくて、今出会った私に力をくれる人たちのためにも。これから出会う人のためにも。
突然変身しちゃってびっくりしたけど、でもこの姿で皆のために戦えば私の理想に近づける気がするから。
「たぁぁっ!!」
私はこの剣を振るうよ。
これがやっと見つけた、私にできることだから!
貰った応援を笑顔や幸せに変えて、こんな怖い怪物から皆を守って、明るい明日に連れていきたいから!
私は皆を怖いものから助けて、未来へ導くヒーローになる!
最終更新:2023年04月17日 21:42