せつなとラブの上の空/一六◆6/pMjwqUTk
静まり返った教室に、チョークと黒板が擦れるカッカッカッ……という音だけが響く。
四つ葉中学校二年の数学の授業。みんな一心にノートを取っている中、いち早く鉛筆を置いたせつなは、隣の席のラブに少し心配そうな視線を向けた。
ラブも鉛筆を手にしてはいるものの、ノートのページは真っ白だ。それどころか、ラブは黒板の方を見てすらいない。頬杖をついて窓の外を眺め、何やら嬉しそうにニマニマと頬を緩めている。
(もう、ラブったら。授業に全然集中してないじゃない)
ラブの肩をつついて注意しようと、せつなはそっと腕を伸ばす。だが肩に触れる寸前に、ハッとして手を引っ込めた。
「誰かぁ、この問題が解けるか~?」
板書を終えた先生が、そう言いながらこちらを振り返ったのだ。生徒たちをぐるりと見まわしてから、先生はラブに目を留め、呆れたように小さくため息をつく。
「よし。じゃあ、ももぞ……」
「先生! 私にやらせてください」
せつながすかさず手を挙げる。つい先日も、居なくなったシフォンを心配して気もそぞろだったラブを、せつながこうやって間一髪でフォローしたのだ。今日もそうするつもりだったのだが――何度も同じ手は通用しなかった。
「東は、次の応用問題を頼む。桃園! この問題、やってみろ」
「「え?」」
せつなとラブの声が揃う。そして次の瞬間、ラブは慌ててガタンと勢いよく立ち上がった。
「はい! わ、わわ、わかりません!」
「こら、解かずに即答するヤツがあるか」
先生の言葉に、教室から笑いが起きる。
「ここに書いてある例題と、同じ解き方だぞ? 授業をちゃんと聞いてたか?」
「ごめんなさい……」
すったもんだの末に何とか正解したラブは、宿題の上に教科書の練習問題を課題として追加され、トホホ……と肩を落として席に着いた。
☆
「どうしよ~。あんな量の宿題、絶対終わらないよぉ!」
放課後のドーナツ・カフェ。丸テーブルに突っ伏しているラブを、せつなが少し眉根を寄せた、困った顔で見守っている。美希は肩をすくめて呆れ顔。祈里は力のない苦笑いだ。
「授業も聞かずに、一体何やってたのよ」
美希にいつもの調子でツッコまれて、ラブがようやく顔を上げる。
「何もやってないよぉ。明日のパジャマパーティーが楽しみ過ぎて、あれもやろう、これもやろうって色々考えてたら、いつの間にか先生に名前呼ばれてて……」
「まさに上の空だった、ってワケね。まあ、楽しみなのはわかるけど」
美希が納得した顔で、ハァっと大袈裟にため息をつく。祈里も苦笑いの表情のまま、何度も小さく頷いて見せた。
明日は夕方から美希と祈里が桃園家に泊まりに来て、パジャマパーティーをすることになっている。パジャマパーティーという言葉を、せつなは今回初めて聞いたのだが、なんでも友達の家に泊まって、みんなで一緒にご飯を食べたりお風呂に入ったり、パジャマ姿で部屋で遊んだりするものらしい。
(この世界には本当にイベントが多いけど……きっとパジャマパーティーも、とっても楽しいイベントなのね)
授業中のラブの様子に加え、二人の表情を見てせつながそう確信した時、祈里がニコニコと話しかけてきた。
「その点せつなちゃんは、何かに上の空だったりすること、なさそうだよね」
一瞬きょとんとしたせつなが、頭の中で、もう何度も熟読してほとんど暗記してしまった辞書のページをめくる。そして、今度はせつなが苦笑しながら、ゆっくりと首を横に振った。
「……ううん、そんなことないわ」
(上の空――他のことに心が奪われて、今必要なことに注意が向いていない様子――。あの時の私は、まさにそんな状態だったわ)
脳裏に浮かぶのは、この姿でラブに初めて会いに行った時のこと。せつなは変身アイテムを奪う目的で彼女に近付き、ずっとその機会を窺っていたのだが。
――お願いっ! せつな、選んで。
――せつなは、“これ”って思うのはどれ? 試しに“せーの”で、一緒に指差そう? ねっ、それならいいでしょう? そうしよう? そうして!
商店街の福引で“幸せのもと”を当てるのだというラブの言動に振り回されて、福引の結果に一喜一憂して、自分も“幸せのもと”が何なのか知りたいと思って……。
あのひと時だけは、変身アイテムを奪うという目的が、頭から完全に抜け落ちていた。そしてラブと会うたびにそんな時間が少しずつ積み重なって、そして――。
(今ならわかる。あの時に心を奪われた“他のこと”を考えてた時間の方が、実はとっても大切な時間だったのよね……)
せつなはおもむろに立ち上がると、ラブの肩にポンと手を置いた。
「さあ、ラブ。帰って課題を済ませるわよ」
「えぇ~!? 今日じゅうに終わらせるの?」
「ええ。パジャマパーティーの間、ずっと勉強のことが気になっているのは嫌でしょ?」
「それはぁ、そうだけど……」
「大丈夫よ、私がちゃんと教えるから。私だってパジャマパーティー、何も心配しないで精一杯楽しみたいもの」
まだぐずぐずと座ったままでいたラブの顔が、その言葉を聞いてパァッと輝いた。
「ホントっ!? せつな、最後まで教えてくれる?」
「もちろん」
「よぉし。じゃああたし、頑張っちゃうよ!」
さっきまでの嘆きっぷりが嘘のように、ラブが勢いよく立ち上がる。
「頑張れ、ラブ」
「ファイト」
美希と祈里がラブにエールを送り、せつなもラブの顔を見つめてニコリと笑う。
四人の頭上には茜色の空が、雲を染めて美しく広がっていた。
~終~
最終更新:2023年04月22日 22:33