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『ソラはヒーロー失格である(後編)』/猫塚◆GKWyxD2gYE




 夜。
 夕食後、ソラの部屋でエルちゃんのために、『しらゆきひめ』の読み聞かせ会が行われた。
 ソラとましろ、床に寄り添って座って、ソラがエルちゃんの体を優しく抱っこして支える係、ましろはエルちゃんに見やすいよう横から絵本を差し出して読み上げていく係。
 読み終わったあとも喜んで、もう一回、もう一回とせがんでいたエルちゃんだが、少し眠そうになっている。

「……そろそろお休みの時間だし、エルちゃん、また明日も読んであげるね」
「える…」

 返事に続いて、ふわっ…と可愛らしいあくび。
 ましろが絵本をしまってる間に、ソラが手馴れた様子でエルちゃんが寝る準備を整える。

「ねえ、ソラちゃん」
「はい?」
「今日、わたしもソラちゃんの部屋で寝ていい?」
「え…、いいですけど」
「じゃあ、枕取ってくるね」

 …………部屋の照明を消して、エルちゃんがスヤスヤと寝付くまで、二人は何もしゃべらなかった。一緒のベッドで身体を並べて過ごす。
 別に気まずくはなかった。言葉は交わさなくても別によかった。暗さに慣れてきた目で、視線を交し合っているだけで不思議と楽しい。
 やがて、エルちゃんがすっかり眠っているのを確認したましろが、小声でソラに話しかける。

「ソラちゃんに言わなきゃいけない事があるの。
 ―― わたし、ムキムキマッチョになりたくない」

 一瞬の動揺を経て、ソラがましろの言葉を受け止めた。

「……すみません、てっきり…マッチョこそが全ての女性のあるべき姿だと思って……。
 ましろさんの意思も確かめずに押し付けていましたか……。
 わたしはまだまだ未熟ですね。ヒーロー失格です」

 ソラが自嘲気味に口にした「ヒーロー失格」という言葉に対し、ましろは小さく首を横に振った。そして、彼女の左手を握り、自分の頬のほうへと持ってゆく。

「そんなことないよ。世界中のみんながトップ・マッスルを最高のヒーローだって言ってても、わたしにとっての最高のヒーローはソラちゃんだよ。
 あの日、ソラちゃんと出逢った時から、ずっとそれだけは変わらない」

 まっすぐにまなざしを重ねて言い切る。
 頬に触れる彼女の指の感触。ソラが少し恥ずかしそうに視線を外した。かわいい。
 もっとソラと話したい。微笑みつつ、ましろが話題を変える。

「今日、エルちゃんに読んであげた『しらゆきひめ』ね、わたしが子供の頃の記憶だと、毒リンゴによる永い眠りの呪いを解くのは、通りがかった王子様のキスなの」
「そうなんですか? 絵本だと、しらゆきひめの喉に詰まっていた毒リンゴのかけらが取れたら、普通に目覚めてましたね」
「うん。それが本来のストーリーだったみたい」
「どうして王子様のキスで目覚めるって方向になっちゃったんでしょう?」
「たぶん女の子の憧れを盛り込んだんじゃないかな。ほら、素敵な王子様とのキスって、想像したらドキドキしない?」
「わたしは……、そういうのはちょっと分かりません。ましろさんはドキドキしますか?」

 ソラの問いに少し考え込んでから、溜め息をつきそうな顔になった。

「しない……かなぁ、やっぱり。
 だって、相手がどんなにいい人でも、いきなり知らない人にキスされるのって ―― 」

 しかし次の瞬間、ましろは表情を輝かせた。

「あ、でもね、通りすがりの王子様が、もしソラちゃんだったら全然いいよ。
 一回のキスで目を覚まさなかったら、何回でも好きなだけして」
「ええー…、しませんよ。相手の了解も得ずにキスなんて。
 それに、わたしなら王子様というよりも、ましろ姫を守る騎士ですね。
 何がこようと指一本触れさせません。どんな時でも絶対に守り抜いてみせますよ」

 ましろがソラを見ながら、いたずらっぽい笑みを広げた。

「眠ってるわたしに王子様がキスしようとしたら追い払ってくれる?」
「はい、もちろんです」
「……じゃあ、追い払ったあとで、騎士のソラちゃんが、わたしをキスで目覚めさせてくれるんだ?」
「いや、え……、ちょっと待ってください。わたしが騎士だったら、そもそもましろ姫に、毒リンゴを口にするような真似はさせませんよ」
「うーーーん。そこは目をつぶっててくれないと……」
「なんでですか」

 ソラが、プッ…と小さく噴き出す。
 つられて、ましろも声を殺してクスクス笑う。
 ―― 笑いが収まってから、ましろが、ソラのほうへ大胆に身体同士の距離を詰める。
 握って頬に当てた彼女の手はそのままに、左手でソラのパジャマの裾をちょこんとつまむ。

「この先、わたしたち二人とも誰かを好きになって、その人と結婚して幸せな家庭を築くのかもしれない。
 でもね、初めてのキスだけはソラちゃんとがいい。
 女の子にとって、初めてのキスって特別な思い出になる宝物だから、わたし、ソラちゃんとそれを分かち合いたい」

 暗闇の中。
 口が自然に動いて、次の言葉を吐き出した。

「 ―― ソラちゃん、わたしにキスして」

 ……………………。
 数秒間の沈黙が二人を繋いだあと、ましろが静かにまぶたを閉じ、冗談っぽく笑う。

「ふふっ、ごめんね、ソラちゃん。今のは嘘。キスしたらダメだよ」

 だって、ソラちゃんはわたしの本当に大切な友だち。
 そんなソラちゃんの特別な宝物を、わたしの一方的な気持ちだけで奪えないよ。

 そう続けようとしたが、口がもう動かない。
 今日一日分の疲労が、耐え難い眠気となって押し寄せてきているせいだ。

「ましろさん……? 寝てしまいましたか……」

 うん、ごめんね、ソラちゃん。おやすみなさい。
 完全な眠りに落ちる手前の、無重力にも似たまどろみ。

 ―― を、ソラの声と、頬に触れる彼女の左手の指の感触が吹き飛ばした。

「ダメって言われたのに……、わたし、欲しくなっちゃいました」

 ゆっくりと頬をなぞってくる指先の動き。くちびるのほうへと向かって。
 ましろ、とっさに眠っているフリを続行。

「さっきのましろさんの言葉が嘘だってわかっても……。
 ごめんなさい。やっぱり大事な友だちにドキドキしてしまうなんて変ですよね」

 部屋が真っ暗で助かった。赤くなっていく顔に気付かれなくて済む。
 ましろが、ぎゅっ、と両目を固くつむる。

(いえいえいえっ、変じゃないです! ふふふ不束者ですがよろしくお願いしますっ!)

 息が苦しくなってきた。
 ソラの言葉はなおも続く。

「本当にごめんなさい。わたし、キスしてって言われて…ドキドキしすぎて……、
 ましろさん……眠ってるのに…………こんなのダメなのに、わたしは、今すぐ…………」

 ―― こっちこそごめんなさいっ! わたし眠ってないっ! めっちゃ起きてるっ!
 と、思わず叫びそうな口を封じたのは、くちびるにかかる吐息のくすぐったさ。
 顔の距離が、ただただ近い。

 心臓が大きく跳ねそうになった。
 けれど同時に、ソラの気持ちをすべて受けとめてあげたいという想いがあふれて、胸に不思議な安らぎを与えてくれた。

 ……いいよ、ソラちゃん、しらゆきひめみたいに、わたしをキスで目覚めさせて。
 ……あ、でも、1回で起きたらもったいないかな。
 ……眠ってるフリがバレるのもカッコ悪いし、せめて3回目か4回目ぐらいに ―― 。
 ……まだかな?
 ……こんなことになるんだったら、もっと歯みがきしとけば良かったなぁ。
 …………ソラちゃん、どうしたんだろう、緊張してるのかな?
 ………………うーん、まだかな?

 がまんしきれず、薄目を開く。
 しばらく目の前を顔を注意深くうかがって、気付いた。
 ソラはスヤスヤと穏やかな寝息を立てている。

(~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!!!)

 感情を爆発させて ―― でも、隣で眠っているソラを起こさないように注意して、上半身を跳ね起こした。
 言いたいことは山ほどあるが、全部ぐっと呑み込むましろ。
 ソラの無防備な寝顔を見下ろして、ハァ…と、なんともいえない溜め息をこぼした。

(さすがにこれはひどいよ、ソラちゃん……)

 心の中で脱力。もう笑うしかなかった。
 再びソラの隣に横たわり、彼女の寝顔を見つめる。

(ねえ、ソラちゃん、『今すぐ』って言葉のあと、なんて続けたかったの?
 それって、ソラちゃんの大事な想いなんだよね?
 ―― ふふっ、ダメじゃない、そういうのは覚悟を決めて、ちゃんと伝えないと。昨日観た『トップ・マッスル』の最後のほうでも言われてたでしょ)

 ましろがいじわるく微笑んでつぶやいた。

「今夜のソラちゃんは、ヒーロー失格……だよ」

 そして、暗さに慣れた瞳で、ソラの寝顔を幸せそうに眺め続ける。
 本当にクタクタなのに、しばらく眠れそうになかった。

 ―― 虹ヶ丘ましろの心は、どうしようもないほどソラに惹かれている。

(終) 
最終更新:2023年06月06日 23:08