『さらば悟くんのオチンチン』4/猫塚◆GKWyxD2gYE




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「危機一髪だったね~~」
「でもまあ、なんとか誤魔化せてよかったね」 

 だいぶ距離を走ってから一息ついた二人が、顔を見合わせて笑った。

「あははははっ。悟くん、せいやーって、あれ……何? やめてよ、わたしの姿で」
 と、いろはが大笑いする。
 悟が顔を真っ赤にして抗議。

「し…っ、仕方ないじゃないかっ、犬飼さんが、またオチンチンって言いそうになってたし」
「だからって、あの叫び声はどうなの?
 あっ、そうだ。わたしたちが元に戻ったら、今度は悟くんが自分の姿で、せいやーってやってよ。記念に写真撮ってあげるから。ふふふっ」
「やりませんっ。絶対にやりませんっ」

 悟と話しながらクスクス笑ういろはに、こむぎがじれったそうに催促した。

「それより、おちむしゃ、どこワン!? こむぎ、早く駆けっこしたいワン!」
「あー、そういう話もあったよねぇ……」

 なんとも言えぬ表情でうなずいたいろはが、一転、楽しげな笑みを浮かべて悟に提案する。

「ねえ、次の休みの日、いい天気だったら、みんなで落ち武者狩りに行こっか。お弁当とか用意して」
「犬飼さん、落ち武者狩りって、意味を分かった上で言ってる? いちご狩り感覚で言ってない?」

 歩調のペースを落とし、のんびりと会話を続ける二人。……と、不意に悟が足をとめた。
 その表情は戦慄でこわばっていた。

「どうしたの、悟くん?」
「ぼくは……大事なことを忘れていた」
「大事なこと? ―― ハッ、もしかしてオシッコの時に脱いだわたしのパンツ、ファミレスに忘れてきちゃった?」
「いやっ、ちゃんと穿(は)いてるよ犬飼さんの可愛いパンツっ!」

 一気にまくし立てた悟が顔を真っ赤にすると同時に、いろはの顔も、ボッと火を噴いたように赤くなった。
 両手の人差し指の先っぽをモジモジと擦り合わせ、悟から微妙に視線をそらしたまま言う。

「え、えーと、結構お気に入りのパンツなので、悟くんにも好評みたいでうれしいです。
 ……あれっ、この反応で合ってる?」

 悟、どう返していいのか分からず黙る。
 しかし、そのまま黙っているわけにもいかず、いろはを意識しすぎないようにしつつ話を切り出した。

「犬飼さんのパンツのことは置いといて……。
 ぼくたち、お互いに元の身体に戻れなかったら、この入れ替わった状態でお風呂に入らなきゃいけないんだけど、どうしよう?」

 悟がチラッといろはを見た。
 ……いろはは完全に固まっていた。

「あっ、今すぐ答えを出す必要もないから。お風呂なんて一日ぐらい入らなくても ―― 」
「 ―― え゛っ?」

 凄い『圧』がきて、悟は黙らされてしまう。
 お風呂に一日入らないというのは、女の子にとって大問題らしい。

「悟くん! すぐにニコガーデンへ行こう! そしてニコダイヤを調べて、元に戻る方法を見つけよう!」
「でも、今はメエメエがタタリ神になってて……」
「おねがいっ、これでメエメエをなんとかして!」

 いろはは有無を言わさず悟に彼のショルダーポーチを押し付けた。
 もちろん、中身はさっき見て知っている。

「犬飼さんらしからぬダイレクトな殺害依頼だね」
 と、悟は溜め息をついた。
 当たり前だが、依頼を受けることは出来ない。
 こうなった以上、潔く決断するしかなかった。

「わかった。お風呂には入る。その際、犬飼さんのハダカを見たり触ったりするけど……、
 安心して、犬飼さん。ぼく、きちんと責任は取るから」
「……へっ?」

 悟の言葉を理解できるまで、いろはは数秒かかった。
 悟が、犬飼いろはの姿で、自分を優しく見つめてくる。不思議な感覚。胸に湧き上がってくるのは、まだ名前も知らない感情だ。もし彼が本来の悟の姿で見つめてきてくれたなら、この感情に名前を付けられたのだろうか。

(責任を取るって、もしかして悟くん、わたしと……)

 ―― などと、いろはがロマンチックな想像に浸る間(ま)もなく、悟が爽やかに告げた。

「お風呂あがったら、責任取って切腹するね」
「それ、武士の責任の取り方ッ!」

 いろはが軽くパニックになった。

「……っていうか、その状態で切腹したら、わたしの身体が死んじゃうよっ!」

 こむぎがビクッと反応。飼い主の危機を感じ取り、本能のままに悟にしがみつく。

「いろはは死なせないワン! 悟はこむぎが止めるから、いろはっ、早く逃げるワンっ!」
「こむぎを残して行けないよっ!」

 こむぎといろはが感情を昂らせるのに対して、悟は冷静さを増していく。

「そうだ…、切腹しなくても、そもそも両目を潰せば犬飼さんのハダカを見なくて済む」
「いろはっ、早く逃げるワンっ!」
「……うん、正直、逃げたい気持ちになってきたよ」

 いろはが困り果てた顔で悟を見る。
 確かに悟は冷静だが、方向性がおかしくなってしまっている。

「悟くん、それにこむぎも。いったんオチンチ……じゃなくて落ち着こう。ほらっ、あそこに座ろ」

 すぐ近くの公園のベンチへ向かって歩き出すと、悟は特に反論もなくついてきた。
 いろはが座るのに続いて、悟もぐったりとベンチに腰を下ろした。冷静な態度の裏で、けっこう精神に負荷がかかっていたらしい。

「……………………」
「……………………」

 二人ならんで、ぼうっと空を眺める。
 まだ午前中だというのに、ずいぶんと時間が経ったように思える。
 しばらくして、悟が口を開いた。

「ぼくもね、犬飼さんになりたいって思ったこと……あるよ」
「えっ?」
「もちろん、犬飼さんと同じで、入れ替わりたいって意味じゃないけど」

 空を見上げる悟が、少しだけまぶしそうに両目を細めた。

「犬飼さんはいつも明るくて、スポーツも得意で、どんな競技でも活躍できるし、地味で運動音痴なぼくにとっては、本当に太陽みたいで。
 正直に言うけど、犬飼さんのように輝けたらな…って、心から羨んだこともあるんだ」

 悟の姿のいろはがびっくりして ―― その拍子に眼鏡がずり落ちたのにも気付かず、大きな声をあげた。

「そんなっ! 悟くんは落ち着いてて物静かだから目立たないだけで、わたしなんかよりずっと輝いてるよ!
 みんなが読めないような難しい本だってスラスラ読んでるし、まだ中学生なのに、本職の飼育員さんと同じぐらい動物の扱いに慣れてるし、わたしなんかと比べて悟くんはずっとすごいのに」

 虚(きょ)を突かれた顔でいろはを見返す悟。……数秒後、何かを振り払うみたいにゆっくりと首を左右に振ってから、表情に笑みを拡げた。

「隣の芝生は青く見えるってやつだね」
「えっ、隣の柴犬?」
「柴犬いるワン? こむぎっ、ご挨拶するワン!」

 テンションを上げるこむぎに対して、空気の読める大福がその注意を引き、適当にじゃれあい始める。そして、チラッと悟を見上げて、視線で会話の先を促した。
 悟がいろはに優しいまなざしを向け、なるべく分かりやすい言葉を選んで続ける。

「柴犬じゃなくて……、つまりね、ぼくも犬飼さんも『自分に出来ないこと』や『自分に足りないもの』を理由にコンプレックスを持つ必要なんてなかったってコト。
 他人の優れた部分に敬意を持つのはいいんだけど、それを比較の対象にして、自分はダメだと決め付けてうつむくのはよくないよ。
 完璧な自分でなくてもいい。ぼくも犬飼さんも、闘うための手札(カード)は最低限持ってるんだから」

 くすっ…と、いろはが柔らかく微笑んだ。

「まさか悟くんの口から『闘う』って言葉が出てくるなんてね」

 悟は視線を軽く下げ、自分の考えを簡単に整理して言葉へと変換する。

「無垢な願いや純真さだけじゃ、現実の中にある理不尽に太刀打ちできないからね。
 だから、ぼくは知識っていう手持ちの札で、誰かを守るため、助けるために立ち向かっていこうと思う。
 ……まあ正直、手札の少なさは感じているけど、それに関しては、すぐにどうにかなるものでもないし、追々(おいおい)の課題かな」

 聞き終えたいろはが、うーん…と両腕を組む。

「それが悟くんにとっての闘い……。
 じゃあ、わたしの闘いは、こむぎやみんなが、いつまでも笑顔でいられるように頑張ることかな。
 悟くんほどの知識がない分、まずは自分らしい行動力を手札として意識したいな。
 誰かが困ってたり苦しんでたりしたら、まっすぐに駆けつけて、どうすればいいか一緒に悩んで、問題が解決したら一緒に笑顔になりたい」

 楽しげに語るいろはが、ふと、茶目っ気を利かせた口調で悟にささやいた。

「あっ…、でも、わたしにとっての最高の手札って、いつも隣で助けてくれる悟くんかも」
「えっ」
「 ―― なんてね。あはは、悟くん照れてる。顔、真っ赤になってきたよ」

 悟が恥ずかしそうに顔を背け、小さな声を絞り出した。

「ぼくでよければ、これからも一生、隣で犬飼さんを助け続けるよ……」
「悟くん、それって ―― すっっごい友情だね! 生涯のマブダチってやつだね!」
「……ははは、うん」

 大福、同情の視線で飼い主を見上げる。
 その飼い主の隣では、悩みがさっぱり晴れたみたいにウーーンと気持ちよさそうに伸びをしつつ、いろはが空を仰いでいた。

「あーーっ、もうっ、わたしらしくないコンプレックスなんて持って損したっ!
 要は、無いものは仕方ないんだから、とりあえず今は、有るもので精一杯がんばろうってだけの話だったんだよね」

 いろはが両目をつむって、軽く両頬を、ぱんっ、と左右で手で叩く。

 出来ないことや足りないものを理由に立ち止まりそうになった時は、まず自分の手札をきちんと確認。その上で、前に進める道を選択して歩けばいい。
 そして、自身のペースで少しずつ、学んだことや経験を活かして、手札の種類を増やしていけばいい。
 ―― と、ここまで脳内で整理したいろはが、両目を開いて、再び悟のほうを向く。

「ねえ、悟くん、一緒に本屋さん行ってくれない? せっかくだから、もうちょっと知識系の手札を増やしてみたくて、本を選ぶのを手伝ってほしいの。
 あ、もちろん、わたしが読める程度の難しくない本だけど……」
「ふむ、犬飼さんが読める難しくない本。 ―― となると」

 悟があごの下に右こぶしを当てて、高速でブツブツ言い始める。
 20秒……30秒……、悟はブツブツ言い続ける。止まる気配はない。

「えっと、ごめんなさい、もう今の時点で難しすぎる気がしてきたし、やっぱりいいよ」
 と、いろはがやんわり断るも、悟は思考に没入していて気付かない。

「あのー、悟くん、もしもーし……」

 いろはが遠慮がちに悟の顔の前で手を振ってみせる。しかし、レンズの奥にある彼の瞳は固定されたまま動こうとしない。
 ―― と、ここで気付いて、いろはの表情が変わった。
 この清潔感がある知的な風貌はまぎれもなく……。

「ちょちょちょっ……、悟くんっ! 悟くんっ!」

 ただならぬ様子にハッと我に戻った悟の目の前には、見慣れた少女 ―― 犬飼いろはの顔が。

「これってもしかして、ぼくたち……」
「わたしたち……」

「「(再び)入れ替わってるーーっっ!?」」

 ……元に戻ったとも言う。
 二人とも本来の自分自身の身体を両手でペタペタと触って、ようやく実感。一緒に「ふうっ」と溜め息をついたところで、いろはがガバッと顔を跳ね上げた。

「そうだ悟くんっ、オチンチンはッ!? オチンチンも元に戻ってる!?」
「へっ?」

 悟が止める暇もなく、いろはが彼の両太ももの間に手を伸ばして確認する。
 女子の股間にはない柔らかな盛り上がり ―― ぐにっとした感触をモミモミと掴みながら、いろはが笑顔で報告した。

「よかったぁ。ほら、ちゃんとここにあるよ、悟くんのオチンチン」
「…………」

 悟、どう答えていいか分からず、顔を真っ赤にして耐える。とりあえず恥ずかしすぎて、今すぐ切腹したい。

 大福も動物の本能で飼い主の危機を察するが、その本能が同時にこうも告げる。悟が大人になれるチャンスだ、と。
 はたして悟を助けるべきか見守るべきか、迷ってしまったために気付くのが遅れた。
 大福がスタンピング ―― 後ろ足で地面を叩いた時にはもう、こむぎが警戒態勢に入っていた。

「ガルガルのにおいワンっ! すぐ近くワンっ!」

 いろはが悟の股間から手を離して立ち上がる。ホッと一息ついた悟もまた、彼女に続く。
 愛犬と共に走り出そうとしたいろはが、足を止めて悟を振り返った。

「わたし、二度と他人と比べて自分を否定したりしない。
 むしろ他人のすごい部分は変に羨んだりせずに、素直に学んで成長の材料にしたい。
 ……だからね、わたしはもう悟くんにはならないし、悟くんのオチンチンでオシッコすることもないから」

 冗談っぽい言葉も交えて語ったいろはが、屈託のない笑顔を見せた。

「悟くんが気付かせてくれたおかげで、今日からのわたしは、昨日までのわたしよりもずっとワンダフルでカッコいいよ!」

 悟も明るく笑い返して、うなずいた。

「もしまた犬飼さんの心が迷いそうになった時は、ぼくが支えるから安心して」
「ふふっ。やっぱりわたしにとって一番頼もしいね、悟くんは」

 とびきりまぶしい笑みを悟に投げかけてから、犬飼いろはがこむぎのほうへと向き直る。

「じゃあ、行くよっ、こむぎ!」

 駆け出すために前へと踏み出した一歩は、昨日よりもチカラ強く ―― 。

(終)
最終更新:2024年08月22日 16:38