『じぶん色ファンファーレ』1 白羽の矢




「~~ん」
 黒板を走る白いチョークの音。
 先生が出した問題をノートに書き写しながら、私──野乃ことりは大きなあくびを噛み殺した。
 給食、昼休み、体育、そして算数(いま)。こんなの誰だって眠くなるよ……と心中愚痴をこぼしながら、取り組むのは速度の問題。
(道のりは速さ×時間。速さは時速だけど時間は分だから、分数にして……)
 すらすらすらと答えを書き込んで、進んだ時計の長針は目盛り三つ分。
 時間を持て余した私は、教室の窓から校庭――に建てられた骨組み――を見下ろした。

(あと二週間半くらいだっけ)
 PTA主催のバザーイベント。まだまだ仮組みだけど、ステージではツインラブのミニライブが行われる予定……ってこれはまだ内緒の話。
 ――ピピピピピ。
 なんて物思いに耽っていると、先生がセットしたキッチンタイマーから軽快な電子音。
 集中タイムの終わりに、ちょっとだけ教室が騒めきだす。「わかんねー」「ねぇ答えって……」
「はーい静かに。それじゃあ一問目から答え合わせしていきましょう。隣の人と交換してー」
 言われた通り、隣の男子とノートを交換。筆箱から赤ペンを取り出した。
「それじゃあ答えてもらおうかなー。今日は一日だから……出席番号一番の愛崎さん」
「はい」
 フリフリのフリルを揺らして、少し遠くの席。愛崎えみるちゃんが立ち上がる。
「答えは80mなのです!」
「正解。この問題、速さは時速だけど時間は分だから、分数にして解くのがポイントですね」
 うんうん、その通りその通り。
 私は立花君のノートに丸を付けて、えみるちゃんが座るのを見届ける。
(今答えた、普通の女の子(えみるちゃん)がステージに立つんだよね……)
 改めて考えると脳がバグりそうになるというか、何というか。
 アイドルのえみるちゃんも、六年一組で友達のえみるちゃんも知ってる。けどそれぞれが結びつかない感じかな。
(凄いなー。私もなりたい……なんてのは無理な話だけど、憧れちゃうよね)
 第二問。凡ミスしてた立花君の回答にペケを付けて、私はアイドルしてる自分のイメージを「いやいやいや」と振り払う。だって私は普通の女の子。今も至って普通の授業中だもん。
「それじゃあ問3を」――。
   ・
 翌日。暑さも随分和らいできた、初等部への通学路を今日も歩く。
「ふぁぁぁ~……」
 今度は噛み殺さないで、大きな欠伸を秋空に溶かし校門をくぐりかけた、その時。
(あれっ)
 ブロロロ……。
 いつもは校門の前で止まっていたえみるちゃんの送迎車が、中へどんどん進んでいく。
 私は気になって、小走りで追跡。
 黒い車のドアが開いて、出てきたのはえみるちゃん……なんだけど。
「ええええみるちゃん?」
「ことりちゃんおはようなのです」
「いやなのですじゃなくて! どうしたのその松葉杖?」
 フリル無し、所謂普通の赤いワンピースから覗く足には真っ白なギブス。
 えみるちゃんはなんと、それを地面に付けないように、両脇に松葉杖を抱えていた。
「あはは、ちょっと練習中に挫いちゃって……でも大丈夫なのです!」
 いやいや。私は驚きつつも、気丈に振る舞う彼女から荷物を預かって一緒に教室へ歩いていく。
 階段はやっぱり難しいのかな。ゆっくり一段ずつ上るえみるちゃんの表情は、やっぱり明るいとは言えなくて。
「面目ないのです……」
「気にしないでよ。こういう時はお互い様だし」
 ましてや捻挫なんて一大事……と言葉を繋ごうとして、思い出す。
「あ……ライブはどうなるの?」
「そのことなのです!」
 ぐん、とえみるちゃんの顔が近づいてくる。
 とりあえず人の気配が無いところに……と自分の教室がある階を通り越して、私たちは屋上手前にある踊り場へ。
「えっと、改めてだけど……『そのことなのです』って?」
 二人階段に座って、えみるちゃんは引き続き神妙な顔。
 私は尋ねると、水筒のお茶を一口飲んだ。
「バザーイベントでのライブ、出れるのか怪しくて……」
 包帯でぐるぐる巻きの右足。確かに歩くのも不自由な状態じゃ、ライブはやっぱり難しいよね。
「じゃあ、ライブはルールーちゃん一人?」
 予想外にも、えみるちゃんが首を振る。静かに大きなツインテールが揺れた。
「?」
「今回はラヴェニール学園初等部のバザーイベントだから呼ばれたのです。ルールーだけ出演するのは本末転倒になってしまうのです!」
 なるほど。初等部のイベントなんだから、そりゃあ初等部の人が出た方がいいよね。
「なので、代理でことりちゃんにライブをして欲しいのです!」
 そうそう、だからクラスメイトの私に……。
 ん?
「えっとぉ」
「なので、代理でことりちゃんにライブをして欲しいのです!」
 あ、やっぱり聞き間違いじゃなかった。……って、
「ええええええええ? わ、私が代わりに出る??」
「しー! 声が大きいのです!」
 素っ頓狂な私の声が大きく階段に響く。幸い誰からも気づかれなかったみたい。
「で、でもなんで?」
 仄暗い踊り場で、慌てふためく私。
 けどえみるちゃんの表情が真剣だったから、ひとまず息を吸い込んで、冷静さを取り戻した。
「……さっきもお話しした通り、ルールーだけ出演というのは趣旨に反するのです。となれば、頼れるのはもうことりちゃんだけなのです!」
 力説するえみるちゃんは「それに」と続ける。
「実はもしかすると、本番までには完治する可能性もあると言われたのです! なので、治らなかった場合の補欠のようなもの……と言えば、引き受けてもらえますか……?」
 本当に苦しそうな声色。そうだよね……一番辛いのはえみるちゃん。
 それが分かれば、答えは迷いなく出せた。
「うん。私にできるかどうか分からないけど、やってみるよ」
 本当に話が飲み込めたのか自信ないし、現実味なんて全くない……。
 けれどお姉ちゃんならそうすると思ったし、私もえみるちゃんの力になりたいもん。
「本当ですか?」
 思わず立ち上がりかけた彼女を慌てて制止する。
「えみるちゃんって心配性だけど、自分の事になると案外向こう見ずだよね……」
「えへへ……。詳しい事は放課後に説明させてほしいのです」
「じゃあ、そろそろ戻ろうか」
 またまた二人分の荷物を持って、ゆっくり階段を下りていく。

 どのくらい大変なんだろう。ステージの上ってどんな景色なんだろう。
 そんな妄想は予鈴のチャイムに区切られて、私たちは教室へゆっくり急いで向かうのでした。



最終更新:2025年05月11日 13:55