第9話『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。父の日のプレゼント――』




 夕食後の一時。
 家族四人が揃う団欒の時間。

 今夜は圭太郎が早く帰ってきた。最近は遅いことが多かった。
 そして、なぜかずっとそわそわしてる様子に見えた。

 やがて思いたったように部屋に戻り、なにやらたくさんの荷物を抱えて戻ってきた。
 ラブがせつなの手をつかんで逃げ出すように二階に上がろうとして――呼び止められた。


「お~い、ラブ。ちょっと頼みがあるんだが」
「えぇ~やだよ、おとうさん。どうせまたカツラの実験台なんでしょ」

「実験台は酷いな。モデルと言ってくれないか」
「やっぱりそうじゃない。もう髪も洗っちゃったのに」

「おとうさん、私でよかったら……」







『帰ってきたせっちゃん――父の日のプレゼント――』







 結局、ラブとせつなの二人でモデルを務めることになった。
 圭太郎はカツラメーカーに勤めている。本来の業務は販促活動だが、自らも積極的に開発に携わることも多い。
 また開発から上がってきた製品も、実際に色々試して、自作と同じくらいにまで知り尽くしてからでなければ販売しようとしなかった。
 効率よりも真心を優先させる。血のつながりは無くても、職人の鑑と言われた源じいさんの認めた婿である所以だ。


「だからってあたしたちで試さなくても……。会社にも専属のモデルさんとか居るんじゃ」
「まあそうなんだが。じっくり試したいし、忌憚のない意見を聞けるのも家族だからこそだ」


 もっとも一人娘に生まれたラブにはいい迷惑だった。ラブも女の子、必要以上に髪の毛をいじられるのは嫌う。
 繰り返し試着させられていくうちに、すっかりカツラが嫌いになっていた。


「こんなに長いのを着けるのね。私の髪が邪魔にならないかしら」
「これはオールウィッグというファッション用のカツラなんだ。このくらいの長さなら大丈夫だ」


 圭太郎は手際よくせつなの前髪をまとめてピンでとめる。ネットと呼ばれるゴム網の中に、髪の毛を綺麗に収めていく。前髪の付け根にウィッグの中心を持ってきて位置を整えて完成だ。
 ラブの髪は少し長いので、軽く束ねてから巻くようにしてネットの中に収めた。


「凄い――これが私なんて信じられない。まるで変身ね」
「せつな、すっごく綺麗だよ。あたしもこんなのなら嫌いじゃないかも」


 今回は若い女性を対象にしたファッションウィッグということもあり、また、せつなと一緒ということもあって、すっかりラブも上機嫌になっていた。

 ラブは黒髪のストレートのロング。せつなはプリンセスと名付けられた豪華なブロンドのカールだ。
 ラブには落ち着いた雰囲気が備わり、せつなは明るく煌びやかな印象に変わる。
 セット開始からわずかに数分。一瞬で別人に変わる様子はまるで魔法のようであり、変身と呼ぶにふさわしかった。


「そうだ。普通おしゃれと言えばメイクとファッションを思い浮かべるだろうが、一番変わるのは髪形なんだ」


 二人の娘の好反応に気を良くした圭太郎が自慢げに語る。
 その後もいくつものウィッグを次々に付け替えていく。それぞれに、つけ心地・軽さ・通気性・安定感などの装着感をまとめていった。

 そして、これが最後と言って取り出した二つのウィッグ。それぞれラブとせつなに付けていく。
 お仕事ではなく、圭太郎が個人的趣味で作り上げたものだ。もちろん販売も視野に入れてはいるけれど。


「これは――ラブ?」
「うわぁ、せつなだ!」


 せつなが付けたのは、オーカーのセミロング。つまり髪を下ろしたラブの髪型と色だ。
 ラブが付けたのは、黒髪のミディアムレイヤー。同じくせつなの髪だった。
 もともと背格好の似ている二人のこと。本当に入れ替わったみたいに見える。変わったのは髪の毛だけなのに……。
 改めてカツラの凄さを思い知った。

 全ての試着が終わり、二人の髪を解いて戻す圭太郎。そして、カツラへの想いを熱く語る。
 髪は年齢性別を問わず、おしゃれの最重要ポイントであること。
 人は誰にでも変身願望があり、それを満たしてくれるものであること。
 容姿は心の持ち方に大きな影響を与えるってこと。だから、髪を豊かにすることは、心を豊かにするんだってこと。

 せつなは感心した顔で、ラブは穏やかな表情で圭太郎の話を聞いた。
 ラブも恥ずかしいから嫌がっているだけで、本心ではとっくに圭太郎の仕事と情熱を見直していた。







「お疲れ様、せつな。疲れなかった?」
「平気よ。なんだか楽しかったわ」

「ならいいけど。おとうさんてばせつなも一緒だったからか、凄い張り切ってたし」
「ふふ、他人のために熱くなったり夢を語ったり、ラブの性格はおとうさん譲りなのね」

「え~~あたしはおかあさん似だよ」
「容姿はそうね。でも、おかあさんは静かな人よ」
「それって、あたしがうるさいみたいじゃ……」


 今夜は遅くなったのでと、宿題だけすませてそれぞれの部屋に戻った。


 せつなは手にしたものを指で梳いた。とても軽くて、すべすべしてて、触るだけで気持ちいい。
 カツラのことをもっとよく知って欲しい。そう言って貸してくれたラブの髪形のウィッグだった。
 そっと頭に乗せてみる。おかあさんとラブと同じ色の髪。遺伝と呼ばれる親子の絆。繋がれていく命の証。

 一瞬浮かんだ、うらやましいって気持ちを慌てて掻き消した。
 今、こうして家族に迎えてもらってる。愛してもらえてる。これ以上、何を望むというのだろう。


 気持ちを切り替えて机に向かう。
 今夜はたくさんおとうさんと一緒に居られた。色んな表情に出会えた。それをスケッチブックに描いていく。
 父の日が近い。そのプレゼントに似顔絵を送るつもりだった。


“おとうさん”

 行き場のなかった私を――素性の知れない私を――おかあさんと一緒に優しく迎えてくれた人。
 今座ってる椅子だって、使ってる机だって、おとうさんが作ってくれたものだ。
 着ているパジャマも履いてるスリッパも、このノートだって……。おとうさんが働いて、買ってくれたものだ。

 計り知れない恩があるのに、何度お礼を言えたのだろう。何をしてあげられたのだろう。
 向かい合って話した時間の、どれだけ少ないことだろう。

 似顔絵を描こうと思って、ショックを受けた。
 おかあさんの顔なら、一瞬で細かいところまで全て思い浮かべられる。すらすらと描けた。
 でも、おとうさんの顔を描こうとして――想像してみて――
 自分が――情けなくなった。許せないとすら思った。


 今夜のデッサンは三枚。一枚にかかる時間がずいぶん短くなってきた。様になってきたように思う。
 厚くなってきた似顔絵のデッサン。一枚目から比べると大きな進歩が見て取れる。でも――まだだ。
 今夜、垣間見たもの。穏やかな中に秘められた情熱。優しさの中に秘められた強い意志。
 それを絵の中に込めたかった。







「おはよう、せつな。今日は父の日だね」
「ええ、プレゼントを買いに行くのよね」


 今月は無駄使いをしなかった。コツコツとお駄賃も貯めた。
 一緒に相談して決めた。毎日使ってもらえるものがいいって。
 ブランドっていうらしい。少し高めの赤いネクタイで、ラブと二人で一本だけ買えた。
(子の愛)の花言葉を持つ百合の花を一緒に添えることにした。


「せつなはおとうさんの似顔絵も描いてるんだよね。完成した?」
「もう少しってところよ。ラブも描いたら良かったのに」

「う~ん――あたしは絵は苦手だし、なんかおとうさんに渡すのは恥ずかしいから」
「私も恥ずかしいわ。でも、今日伝えられなかったら、ずっとそのままだと思うから」


 日ごろの感謝の気持ち。ありがとうって気持ち。そして――大好きだって気持ち。


 おかあさんに伝える機会ならいくらでもある。
 一緒にお買い物をしたり、お料理を作ったり。相談することも多いし、されることも。
 二人っきりの時間も取れるし、抱きしめられたことも一度や二度じゃない。

 おとうさんには――その機会がない。
 異性だから? 仕事で毎日遅いから? お互いに恥ずかしがり屋だから?
 いくつかの言い訳が思い浮かぶ。だけど、それを理由にただ一方的に甘えているだけでいいとも思えなかった。

 愛情は――変わらない。
 ラブと私の、おとうさんに対する想いも。
 おとうさんの、ラブと私に対する想いも。
 おかあさんに対するものと、何も変わりはしないってこと。


「ねえ、ラブ。本当にこれでいいのかしら?」
「これでって?」
「ネクタイと百合の花。そして似顔絵。これでちゃんと大切なことを伝えられるのかって」


 ラブは大丈夫だよって、笑ってた。絶対的な信頼。日頃ベタベタはしていなくても、心の底ではしっかりと繋がっている絆。
 でも、自分にそんなものがあるのかはわからなかったし、それに甘える気にもならなかった。
 おかあさんに相談することにした。


「そうね。本当に伝えたい気持ちがあるのなら、やっぱり言葉にするのが一番じゃないかしら」


 日ごろの感謝の気持ち。ありがとうって気持ち。そして――大好きだって気持ち。
 これを――言葉にする? 口に出して伝える?

 想像しただけで顔が真っ赤になる。できるとも思えなかった。でも――
 言葉にしなければ伝わらない想いがある。それは……ずっと絵を描いてきた今のせつなには痛いほどよくわかった。


 もうじき、おとうさんの帰る時間だ。「忙しいって言っても、今日くらい休めばいいのに」と、ラブが口をとがらせる。せっかくの日曜日で、しかも祝日なのにって。やるべきことがあるのに休みを優先させるって考えは、私はまだ持つことができない。でも、大切な人に休んでほしいって気持ちは、よくわかるようになっていた。

 せめてもと、今夜はおとうさんの好物でフルコースのご馳走を作ることになった。おかあさんが中心になって調理に取りかかる。ラブと私もお手伝いをした。 こんな時、娘がいてよかったと思うわ。とおかあさんも上機嫌だ。


 そんな中、急に雨が降り始めた。六月ももう下旬。梅雨の真っ只中であり、珍しいことではないのだけど。


「大変。今日は降らないって言ってたのに。お父さん、今日に限って傘忘れちゃってるのよ。ラブ、せっちゃん。ここはもういいからお願いできないかしら」
「ごめん。あたし、ハンバーグだけは自分で焼いちゃいたいの。せつな一人にお願いしちゃっていいかな?」
「わかったわ。行ってくる」


 ハンバーグなんて帰ってきてから焼いても十分間に合うのに。疑問に思ったが気にしないことにした。
 まだ少し時間がある。部屋に戻って身支度を整えているうちに、この間のウィッグが目に入った。
 ちょっとだけ、いたずら心が芽生える。
 おとうさんとしばらく二人きり。きっと弾まない会話。多分気まずい時間。それを埋める助けになるかもしれない。







 歩き慣れた商店街の大通り、ちょっとクセのある黄土色の髪を揺らしながら歩く。
 おそば屋さんにパン屋さん。見知った人が気付かず通り過ぎるのが面白かった。
 駅に着いた頃には、すっかり雨は止んでいた。また降るかもしれない。かまわず待つことにした。


「おかえりなさい。おとうさん」
「えっ? せっちゃんか」

「ええ、一瞬ラブに見えたでしょ。がっかりした?」
「何を言うんだ。驚いたけど、凄く嬉しいよ」


 顔を見た瞬間に駆け寄ってしまった。ウィッグで変装していることを忘れていた。ちょっと惜しかったと思う。
 それでも十分、おとうさんの反応は面白くて話も弾んだ。
 歩きながら話す。びっくりさせようと思ったこと。そして――髪の色だけでも血の繋がりが持てたみたいで嬉しかったこと。
 家族が似ていること。きっと当たり前なこと。それは素晴らしいことに思えた。


「カツラは素晴らしいものだ――が、今夜はいらないな」
「きゃっ!」


 おとうさんがウィッグとネットを一瞬で外した。もちろん簡単に出来ることじゃない。


「ラブは性格は僕。容姿はお母さん似だな。せっちゃんはその反対だ。黒髪も僕譲りだ」
「えっ? 私は……違うわ。誰にも似てないし、似るはずもないわ」

「似るんだ。家族は似ていくんだ。僕もおとうさんに似ていると言われたよ」


(おめえとは血のつながりはねえが、おめえは俺によく似ている)


 源じいさんが圭太郎に語った言葉。ずっと忘れられない、最高の誉め言葉。
 その想いを聞いて胸がつまる。
 家族に迎えられたことで、一緒に暮らすことで、私もこの家の温かさや優しさを受け継げるのかもしれない。


 もう家のすぐ前まで来ていた。二人きりで居られる時間が終わる。みんなの前では恥ずかしい、だから――今しかない!
 一歩先に進んだおとうさんの手をつかんで引き止めた。

 ゴツゴツした手。厳しい仕事を続けてきた手。家族みんなを守ってきた手。
 両手で包んで言葉を紡ごうとした。

 いつもありがとう、おとうさん。大好きって。


「どうしたんだい? せっちゃん」
「ううん――なんでもない。今日は父の日よ。おとうさん、いつもありがとう」


 なんとかそれだけ言えた。最後の一言は伝えられなかった。
 きっと――ラブが作ってくれたチャンスだったのに。


 玄関に入るとおかあさんとラブが迎えてくれた。

 それから。

 みんなでご馳走を食べて。ラブと私で選んだネクタイと百合の花をプレゼントした。

 いつも通りの明るい家庭。楽しそうなみんなの表情。つられて弾む私の心。
 そして、いつも以上に嬉しそうなおとうさんの笑顔。


 まだ渡せていない、最後のプレゼント。私にできる精一杯の気持ち。

 部屋に戻って、似顔絵を手に取る。ずいぶん迷った二枚の絵。
 楽しそうな笑顔と、仕事をしている凛々しい表情。

 私は二枚目の絵を手に取った。

 きっと、これがおとうさんの本当の顔。家族を守り、他人を思いやり、夢を追い求める男の顔。

 表に大きくメッセージを書き込んだ。「おとうさん、いつもありがとう」って。

 そして、裏に小さな小さな字で書き込んだ。気が付いてもらえないかもしれないけれど。


“おとうさん大好き”
最終更新:2013年02月17日 08:16