第11話『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。短冊に願いを込めて――』




 暑い日差し。抜けるような青い空。そして、棚引く飛行機雲。

 例年より少しだけ早い梅雨明け。たっぷりの雨を吸収した草木が、強い日差しを浴びて生き生きと生え広がる。

 柔らかい若葉が力強い緑に姿を変える。命輝く季節の到来だ。


「どうしたの、せつな? なんだか嬉しそうね」
「そうね。街全体が生き生きしてるみたいで、今日はいいことがあるような気がするの」

「天気がいいものね。この分なら今年は見られるかもしれないわね。七夕の星空を」
「七夕って?」

「はい、お待たせ。カオルちゃん特製、七夕ドーナツセットだよん」
「えっ? カオルちゃん、あたしたち頼んでないよ」

「いーのいーの。七夕なだけに棚ぼた。なんちゃって、ぐはっ」
「もう、ぼたもちじゃなくてドーナツでしょ。でも、中の穴が星形になってて面白いわね」
「外はちゃんと丸いのがいいね」
「見て、氷が星形になってる」

「いつもありがとう。カオルちゃん」

『いただきま~す』


 わいわいお喋りしながら、カオルちゃんにご馳走になった。さっき中断された質問を口にする。


「ねえ、ラブ。七夕ってどんな日?」
「えーとね、――七夕はね」
「せつなって、妙に詳しかったり全然知らなかったりするわね」
「去年の今頃は、色々忙しかったよね」

「え~っと、う~んと。ブッキー……お願い」
「はいはい。七夕はね、逸話を元にして生まれた五節句の一つなの」


 それは古い中国のお話。
 織女って天女と牽牛という牛飼いの青年が恋に落ち、結ばれて新しい生活を始めた。
 ところが、もともとは働き者であった二人が、結婚したことによって浮かれて仕事をしなくなってしまった。
 それが天帝の怒りに触れ、天の川を隔てて別々に引き離されてしまう。
 そして年に一度、七月七日のみ会うことが許されるようになったのだとか。


「今日は天の川を渡って二人が会える特別な日。それにちなんでお祝いしたり、お願い事をしたりする日なの」

「ずっと、許しもらえないままなのね」
「いや、せつな。これは本当のお話じゃなくて教訓を含んだ御伽噺だから」

「ええ、わかるけど、悲しいお話ね」
「そうだよね! あんまりだよ」
「ラブちゃんは忘れてたんじゃ……」


 去年の今頃はまだイースだった。敵同士だった。四枚のカードを使っての命を懸けた死闘。
 それも大事な記憶。大切な思い出の一つ。ようやく受け止めることができるようになってきた。
 自分のせいで、去年はお祝いどころではなかっただろう。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「せつなちゃんは、お願い事何にするの?」
「そうね。すぐには決められないわ」
「今夜は笹に短冊をつるしてお願い事をするの。考えておいた方がいいよ」

「あたしはね~」
「ラブのは聞かなくてもわかるわよ」
「口ぐせだものね。美希ちゃんはモデルで活躍かな。後は和ちゃんの健康とか」
「そうね。ブッキーは人と動物がもっと仲良くなれますように、よね。毎年だもの」


 みんなの楽しそうなお話を聞いていて思う。本当に、この世界はお願い事が多い。
 色々な行事や自然現象。何か理由を見つけてはお願い事をする。
 幸せになりたい。幸せであってほしい。そんな想いが強いからだろう。だからこの世界には幸せが満ちている。
 くだらない、とは思わない。例え叶わなくても、想い、願うことには大きな意味がある。
 人々の想いや願いを、翼に変えて戦った私達にはそれがよくわかった。


「せつなっ、今日はお買い物して帰ろう。七夕にぴったりの夕食思いついちゃった」
「そうね、私たちで作りましょう。美希、ブッキー。またね」


 今日は――ううん、今日も精一杯楽しもうと思った。

 織女と牽牛の再会を祝いながら。
 大切な人と別れて暮らしている人達の再会を願いながら。







『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。短冊に願いを込めて――』







 大きなお鍋にたっぷりのお湯。ぐつぐつ煮立ったらそうめんをほぐしながら――


「待って、せつな。今夜は束のままで茹でるの。端っこを紐でしばってね」
「バラバラにならないように片側だけを縛るのね。わかったわ」


 茹で上がったらすぐに流水で熱を取って氷に浸す。くくっている紐の部分を切り落としたら、綺麗な束のそうめんが出来上がった。
 広いお皿に束の形を崩さないように盛り付けていく。色取り取りの野菜とたっぷりの氷で飾り付けたら完成だ。

 そしてメインは鮎の塩焼き。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


「おとうさん、おかあさん、お待たせ! ラブとせつな特製の七夕スペシャルだよ」
「カオルちゃんのお店のメニューで思いついたらしいの。私は手伝っただけよ」

「これは綺麗だなあ」
「七夕をこんな風にお祝いにしちゃうのは始めてね。楽しくなっちゃう」


『いただきま~す』


 型崩れしてないそうめんは天の川のイメージ。
 スライスしたオクラは星の形。スティック状に切ったキュウリとニンジンが美しく彩る。
 縦に長く切った焼きなすびと玉子焼き。流れるような盛り付けはせつなのセンスだ。
 メインディッシュの鮎は代表的な川のお魚。そして健康的なタンパク質。見た目や意味だけではなく、栄養のバランスも申し分ない。
 もちろん味も美味しくてさっぱりしてて、大好評だった。


「お母さんのお願い事叶っちゃったわね」
「おかあさんのお願いって?」

「ラブの生まれた翌年の七夕にね、優しくて料理の上手な子に育ってほしいって書いたのよ」
「そんなこともあったね、料理ってところがお母さんらしいなあ」
「だって、お料理は食べるのも作るのも大好きですもの」


 楽しい家族の団欒。穏やかな気持ちで静かに聞いていたせつなを、あゆみが優しく抱き寄せた。
 優しい手のひらから伝わる温もり。
 大切な娘はあなたのことでもあるのよ。そう言っているのが感じられる。そっと目を閉じて体を預けた。







「さあ、せつな。飾りつけ終わらせちゃおう」
「ええ、笹に結んでいけばいいのね」


 おとうさんがもらってきてくれた笹に、折り紙で作っておいた飾りを付けていく。
 あみかざりに、ふきながし、いちまいぼしに、ひしがたつづり。ちょうちんに――たんざく。


「後は、短冊ね。私は……後にするわ。まだ決めてないの」
「たくさんありすぎて迷っちゃうとか?」

「どうかしらね。たくさんあるような。ひとつもないような」


 願いはある、それは凄くたくさん。
 私の願いは……。

 チクリ、と胸が痛む。心の奥底から湧き上がる黒い感情。

 それは寂しさ――それは乾き――それは欲望――それは渇望。

 首を振って、その想いを飲み込んだ。得られる間は享受してもいい。だけど、自ら望むのはいけないことに思えた。
 自ら望み、願えば、私にも罰が下るような気がした。


「せつな、お星様が綺麗だよ。あれが天の川かな」
「本当ね。どれが織姫と彦星なのかしら?」

「あれだよ。わかるかい、天の川の中心に大きく光る二つの星があるだろう」
「三つあるわ。おとうさん」
「あたしも三つに見えるよ」

「左の一つは白鳥座のデネブだ。織姫と彦星を加えて、夏の大三角形と呼ばれているんだ」
「天の川を挟む二つがそうなのね」
「上が織姫で、下が彦星よ、せっちゃん。織姫の方から会いにくると言われてるの」


 幸せに溺れ、成すべきことを見失って処罰された二人。だけど、引き離され、胸を焦がしながら勤めに励む人生が正しいとも思えなかった。
 今は、ゆっくり考えようと思う。そのための時間でもあるのだろう。
 私は、間違えずに歩みたいと思う。今までが間違えだらけだったのだから。


「せつな、あたしは年に一度なんて嫌だからね。幸せは一緒にゲットするって決めてるんだよ」
「ええ……そうね。ずっと一緒に居られたらいいのにね」


 こちらの気持ちを見透かしたかのようなラブの言葉。きっとラブは知っている。

 私の迷いの、答えを。

 それでも、自分で見つけなければならない気がした。







 星空を見上げる。
 どれが織姫と彦星か見失った。そう、織姫と彦星も無数の命の輝きの一つでしかない。
 この世界には、ううん。色んな世界に無数の命があって、その全てが精一杯に輝き、幸せを求めている。
 なんだか、その全てがとても愛しくなった。


「私の願い、決まったわ」
「えっ、なになに? あたしに見せて」

「恥ずかしいから嫌よ。見たらしばらく口きかないわよ」
「え~ひどいよ、せつなぁ」

「さっ、明日も学校よ。宿題と予習済ませるまで寝かさないんだから!」
「宿題だけでいいよ~。せつな、厳しいよ」

「「おとうさん、おかあさん、おやすみなさい」」
「おやすみなさい。ラブ、せっちゃん」
「おやすみ、夜更かしするんじゃないぞ」


 ラブの手を引いて部屋に駆け上がっていくせつな。あゆみと圭太郎は嬉しそうに見送った。
 少し前までは、誰かの手を自分から引いて行動するような子じゃなかった。本当に、明るくなったと思う。

 ラブとせつなの短冊を手ですくうようにして読んでみる。
 七夕の短冊は、子の夢や願いを知る大事な意味もあった。


“みんなで幸せゲットできますように” ラブ
“みんなの願いが叶いますように” せつな


「二人とも良い子だな。双子みたいに同じことをお願いして」
「違う……同じじゃないわ。せっちゃんのお願いには、自分の幸せが入っていないの」


 あゆみの表情に、悲しそうな影が差し込む。
 ずいぶん明るくなった。自分から楽しいことを求めていくようになった。
 だけど、変わってないんだ。
 必要なら、あの子はいつでも自分の幸せを手放すことが出来る。――全く、惜しむこともなく。

 そんな覚悟なんていらないのよ、せっちゃん。
 人は誰だって、まず一番最初に自分を幸せにしなくちゃいけないの。
 他の誰より、自分は自分の味方でなきゃいけないの。自分を愛してなきゃいけないの。


 圭太郎があゆみの肩を抱いた。


「焦ることはない、僕らは家族だ。ゆっくり伝えて行こう。そして、僕らの願いは決まったね」
「ええ、そうね」


“二人の娘が、幸せになれますように” 圭太郎・あゆみ


 風に吹かれて、せつなの短冊が大きく揺れた。


 どうか “みんなの願いが叶いますように” そう言っているかのようだった。
最終更新:2013年02月17日 08:17