第21話『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。幸せの青い鳥――』




 四つ葉中学校写生会。テーマは“街の景色”。午後の授業を全部使って、体操服に着替えた全学年の生徒たちは四つ葉公園に向う。
 クローバータウンの象徴。広大な敷地を誇り、自然林に植樹を効果的に加え、四季折々の景観が楽しめる憩いの場所。
 各クラスの先生は自由行動を許したが、生徒たちの足は自然と一箇所に向う。
 通称――“もみじの道”。公園の一角にある、大きな湖に繋がる小道が真っ赤に染まる。

 もみじの赤葉を中心に、銀杏とブナの樹の黄葉が連なり、色彩の調和を奏でる。
 午後の陽を浴びて、赤と黄色の葉が輝きを増す。

 足元にはそれぞれの落ち葉が積もり、柔らかなクッションとなって、道行く人々を優しく受け止める。
 遠目にはオレンジ色の絨毯のようにも見える。皆一様に、自然が作り出した芸術作品を、感嘆の声をもらしながら眺めた。


「すっごく綺麗だね、せつな。創作意欲が湧き上がってきたよ」
「そうね。自信ないけど、精一杯描いてみるわ」
「ラブ! せつな! 一緒に描いていい? お邪魔なら遠慮するけど」

「もちろんだよ、由美」
「私は、始めからそのつもりだったわ」


 クラスメイトの由美が、ラブとせつなに同行を申し出る。せつなと由美が視線を交わしてクスリと笑う。文化祭からの小さな変化だった。
 仲の良い二人に、時々嫉妬するような態度を見せたり、積極的に割り込んだり。
 ただ、どちらに嫉妬しているのかわからない。由美はラブとの友情に負けないくらい、せつなとも親しくなっていた。

 湖のほとりに座り込んで、三人は背中を合わせるようにして写生を始める。
 青く澄んだ湖に、紅葉がところどころ緋を落とす。メジロやヒヨドリ、多種の小鳥が気持ち良さそうに水浴びをする。
 家族・友人・恋人連れを乗せた真っ白なスワンボートが、愛らしい鳥達と共に、静の景色に動きを与える。

 せつなはその景色の美しさに心を奪われつつも、懸命に鉛筆を走らせる。
 繊細に、正確に、緻密に、何より――忠実に。可能な限り、その美しさを損ねないように。
 デッサンが終わると、絵の具で色を付けていく。何度も塗り直して、景色と照らし合わせて、自然美を再現していく。


「せつな……すごい、まるで写真みたい!」
「ホント、見惚れちゃう! 景色をそのままスケッチブックの中に閉じ込めたみたい」
「大げさよ。似せてはみたけど、写真には遠く及ばないわ」

「そりゃあ絵だもん。あたしなんて……」
「わたしだって……」


 ラブの絵は、まさに自由奔放だった。そもそもどこの景色を描いてるのかすらわからない。
 色彩もデタラメだった。赤や黄色はわかるとして、桃色の紅葉なんてどこの世界にあるのだろうか……。

 由美の絵は、何を書いてるのかは一応理解できた。ただし、その絵はシンプルで曲線的にデフォルメされていた。
 平たく言えば、丸っこくて単純なのだ。
 複雑な地形の湖は、まるで円形のプールのようだ。枝や葉を再現しようとせず、木々はベタっと色だけで表現されている。
 小鳥とボートは気に入ったのか、やけに大きく描写されていた。玩具のように可愛かったけど……。
 スワンボートに至っては、湖の面積の一割を占めていた。


「由美の絵って子供の絵みたい! かわいくってあたし好きだよ」
「絶対! 馬鹿にしてるでしょ? ラブこそ、ピンクの紅葉はいいとして、どこに柿がなってるのよ?」

「生ってた方が楽しいかなと思って……」
「それじゃ空想画でしょ? 今は写生の時間よ」


 目を丸くして二人の掛け合いを見ていたせつなが、「プッ」と吹き出した。つられてラブと由美も笑い出す。
 ひとしきりみんなで笑ってから、せつなは自分の絵を見てため息を付いた。


「私は、ラブや由美の絵のほうがずっと魅力があると思うわ」
「ないない! ありえないって!」
「そうよ! せつなの絵なら美術部でも通用するんじゃないかな」

「でも、写真を撮らずに絵に描くのは、どう感じてるかを他人に伝えるためよね?」
「そっか、そんなこと考えてもみなかったよ」
「わたしはこの絵が好き。こんなに丁寧に描けるのは、この景色を大事にしてるからだと思うもの」

「それは、由美が私を知ってるからよ。友達が書いた絵って前提は、他人には通用しないわ」


 ラブの絵はデタラメだけど、なぜか心に深く残る。いつまでも見ていたいような、あたたかい気持ちにさせてくれる。
 由美の絵はいかにも女の子らしくて、可愛らしくて、やっぱり見ているだけで頬がゆるむ。
 せつなの絵は緻密で、誰もが見た瞬間に驚くに違いない。でも、それだけ。“上手い”それ以上の感想を他人に与えることはないだろう。

 記録媒体としてなら、写真や映像の方がずっと優れている。自由に感じて、自由に表現するのが絵。
 知識としてわかっていても、理解して行動に移すことがどうしてもできない。


(やっぱり私には、ラブたちと比べて決定的な何かが欠けているのかもしれない……)


 集合時間までまだ少しある。空き時間を利用して、ラブと由美と一緒に散策を楽しんだ。
 その間中、せつなの表情は冴えなかった。

 幸せになると決めたからこそ、前向きに生きると誓ったからこそ、小さな不安は棘となってせつなに刺さるのだった――







帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。幸せの青い鳥――』







 カツン カツン カツン

 日曜日の朝、日が昇る前の薄暗い時間、せつなは小鳥に起こされる。
 この世界に来て、安心して眠ることを学んだ。今のせつなは、ただ鳥が鳴くだけなら目を覚ましたりしない。
 その日は特別だった。見たこともない小鳥が窓をつつく。まるで、せつなを呼んでいるかのように。


(青い鳥? 確か幸せを運ぶって、そんなお話があったはず)


 目の覚めるような鮮やかな青い羽。クルクルと動く愛らしい瞳。近づくと、小首をかしげるような動作の後、パッと飛び立った。
 せつなの視力は、常人の遥か先まで見渡すことができる。小鳥は公園の湖の辺りの樹に止まったようだった。


(追うつもりはないけど、名前くらいは知っておこうかしら)


 せつなは私服に着替えて、公園に出かける支度をする。この前の反省から、「散歩に行ってきます」と机の上に書き置きを残した。
 また会えたなら、携帯で写真を撮ろうと思った。ふと、机の棚に立てかけてあったスケッチブックが目に入る。


(そうだ、写真に収められなかったら絵を描こう。正確に描くこと“だけ”は得意なのだから)


 絵でもちゃんと特徴を捉えられたなら、祈里に聞けば名前くらいはわかるだろう。図鑑で調べてもいい。
 結局、絵のセットを一式持って行くことにした。







(この辺りのはずなんだけど……)


 四つ葉公園の“もみじの道”を通って、湖のほとりに着く。それは先日の写生会で、ラブと由美とスケッチをした場所でもあった。
 奇しくも全く同じ場所で、一人の少女が腰を掛けてデッサンに耽っていた。
 歳は自分とそんなに違わないような気がした。いきなり声をかけて驚かせないように、わざと足音を立てて近づく。
 ガザガザと落ち葉や小枝を踏む音がしてるはずなのに、少女は気が付く様子がない。
 悪いと思いつつも、せつなは声をかけた。


「あの、おはよう。邪魔してごめんなさい。青い小鳥を探しているのだけど、見かけなかった?」


 意識して大きめの声を出したにもかかわらず、やっぱり少女は気が付かない。
 意図的に無視をしている――というわけでもなさそうだった。
 姿を見せたら反応してもらえるかも? と思って前に回りこんでも、やっぱり気が付かない。
 一心不乱に鉛筆を走らせていて、それ以上前に出て視界を塞ぐのは躊躇われた。

 せつなはため息を付いて、すぐ横に腰をかける。
 とても美しい少女だった。“小柄で可憐”と言ったら失礼になるのだろうか? 身長もせつなと大差ないはずなのだから。
 それでも、“小さい”という印象を与える顔立ちだった。
 紫色の髪。白のブラウスの上に青いシャツ。紺色のジーンズ。一見して、青の印象を与える少女。
 まるで――あの小鳥が、この少女に変身したかのようだった。


(どうかしてたわね。こんな大きな公園で、一匹の小鳥になんて気が付くはずないのに)


 いつの間にか、小鳥の行方が気にならなくなっていた。それよりも、今はこの少女とお話したいと思った。
 どこを描いているのかしら? と、せつなは少女のスケッチブックに目を落とす。

 思わず息を呑む。

 それは数日前、せつなが選んだ景色とほとんど同じ場所の風景画だった。
 それだけなら驚くには値しない。そこが最も美しいと感じたからこそ描いたのだ。目の前の少女が、同じ景色を選ぶのも不思議ではない。
 しかし、出来栄えには、実力には、天と地ほどの開きがあった。

 ラブや由美のように、抽象的というわけではない。せつなと同じ、写実的な絵だった。
 繊細に、正確に、緻密に、何より――忠実に。可能な限り、その美しさを損ねないように。
 それでいて、何か心に訴えてくるものがあった。まるで、絵に描かれた木々や葉や小鳥に、本物の命でも宿っているかのように。

 やがてデッサンが完成する。「ふうっ」と、大きく息を吐いて、少女の全身から力が抜けていく。
 せつなの視線に気が付いたのか、クルリと顔を向けて、チョコンと小首をかしげる。
 その仕草は、まさに今朝、小鳥が見せた動作そのものだった。

 状況が理解できたのか、「きゃっ」と小さく悲鳴を上げてから、慌ててペコリと頭を下げた。
「またやっちゃった」とか言ってる辺り、初めてのことでもないのだろう。


「驚かせてごめんなさい。私は東せつな、せつなと呼んで。取り込み中だったようだから、ここで待たせてもらったの」
「はじめまして。失礼なことしてごめんなさい。わたしは――」


 見た目通りの、可憐な名前の子だった。あらためて少女をまじまじと見つめる。
 穏やかな雰囲気、おっとりとした口調。ポニーテール風の髪に、少しツリ目気味の大きな瞳。

 おとなしい子なのは間違いないだろうが、反面、どこか鋭さを感じさせる一面もあった。
 例えるなら、美希と祈里を足して二で割ったような印象。それよりも、今朝見た小鳥を擬人化した方がわかりやすいだろう。


「驚いたわ、絵がとても上手なのね。まるで本物のようで、それでいて本物以上の魅力があるようで」
「そんなことないけど、絵は小さい頃から描いてたから」


 せつなは続きを描くように促す。少女は小さく頷いて、今度は絵の具で色を塗り始めた。
 やはり、せつなのように原色に忠実で、正確に色合いを表現しようとしている。


(でも、私の絵とは根本的なところで全く違うわ)


 デッサンからして腕前が全然違う。色が付けば、更にその差は広がるだろう。もっとも、せつなはちゃんと絵の勉強をしたことがない。
 基本から練習を積み重ねれば、遠くない将来、同じくらいのものが描ける自信は十分にあった。
 問題はそこではないのだ。少女の絵には、技術では説明しきれない“命”が宿っていた。

 色を付ける作業にはそれほどの集中力を必要としないのか、単にさっきの反省のためか、今度は自分の世界に入ったりはしなかった。
 楽しく談笑しながら絵を仕上げていく。せつなも当初の目的はすっかり忘れて、お話しながら絵の完成を見守った。


「同じくらいの歳だと思うのだけど、この辺りに住んでいるの?」
「ううん、お父さんのお仕事の手伝いで付いて来たの。昼間はすることがないから、絵でも書こうかなって」


 土日を利用して、この街にやって来たらしい。昼間はすることがないと言っていたので、お父さんは夜に働く職業の方なのかもしれない。
 お父さんがどんな方なのかはともかく、中学生の手を必要としているとは思えない。彼女なりの理由があるのだろう。
 共通の話題の少ない少女とせつなは、互いの友達のことに話が及ぶ。そこで思った以上に話が弾んで、意気投合して、すっかり打ち解けてしまった。


「素敵な絵ね、完成おめでとう。実は私も同じ場所の絵を描いていたの――」
「綺麗ね……。せつなさんも絵が上手なのね」

「そう見える? あなたにはわかるはずよ、私の絵には魅力がないわ」
「そうは思わないけど……。せつなさんの絵は、自分の気持ちを込めるのを恐れてるみたいに感じる」

「私が、恐れている?」
「うん、上手く言えないけど――」


 少女は、自分が絵を描く時に気を付けていることを慎重に話していく。

 感動や驚き、感じたことや考えたことを絵の中に表現すること。
 対象をじっくりと観察して、一つ一つの違いを描き分けること。


「それなら知ってるわ。写真を撮らずに絵に描くのは、どう感じてるかを他人に伝えるためよね」
「知ってはいても理解はしてない……ってことよね? こんな言葉があるの」


“全てのものに、命は宿る”


 鳥や花のような生き物だけじゃない。この世界の全ての物に命は宿っている。宇宙にも、星にも、空にも、風にも、大地にも。
 それは人の目には見えないもの。ファインダーには写らないもの。だから絵で表現するんだって。

 対象を客観的に、忠実に再現することは間違っていない。ただ、その底に主観をにじませること。
 目で見えるものの奥にある、命そのものを捉えて描くこと。
 よく見て、観察する。それを繰り返していると、対象が自分の心の中に溶け込んできて心と一つになる。
 そうなると心が自由になり、対象の中に入り込んで、自由に翼を広げて羽ばたけるのだと。その先で命を見つけるのだと。

 少女の説明はたどたどしくて、要約して解釈するには時間がかかった。普段は感じているだけで、言葉にしたのは初めてなのだろう。
 そして、その考え方は絵だけに留まらないような気がした。例えば、ダンスにだって通じるものがあるのかもしれない。
 懸命に伝えようとしてくれる少女に感謝して、大切な教えとして胸に刻むことにした。


「大事なことなのはわかるわ。でも、理解したとは言えない。例えば、この鉛筆にも命は宿っているの?」
「そうよ。せつなさん、大切に使ってるのね。記念にわたしのと一本交換しない?」

「ダメッ! これは駄目よ!」
「冗談よ、ごめんなさい」


 少女が自分の新品の鉛筆を持って、せつなの筆箱に手を伸ばす。せつなはとっさに体で覆いかぶさって隠した。
 鉛筆も消しゴムも、絵の具や筆箱も、全部、あゆみと圭太郎が買ってくれたもの。
 せつなの幸せを願って、贈られたものだった。

 そんな様子を見て、少女は優しく微笑んだ。本来、あまり冗談を口にするようなタイプではないのだろう。
 今度はちゃんと断ってせつなから借りて、自分の鉛筆と並べて携帯で写真に収める。


「特にこだわりのないわたしの鉛筆と、せつなさんの鉛筆。どちらが大切かなんて、他人には伝わらないわよね?」
「この写真だけじゃ、同じものにしか見えないわ。私にも見分けが付かない」

「でも、こうしたら――」


 少女はスラスラと二本の鉛筆をデッサンしていく。形も長さもほとんど同じ。違うのはメーカーくらいのもの。
 再び訪れる極限の集中力。下書きの線が一本増えるたびに本物の形に近づいていき、
 やがて――本物すら超えた。


「これなら、せつなさんの鉛筆がどちらかわかるんじゃないかしら?」
「すごい……。全く同じ形に描いてるように見えるのに――私のは、こっちよ!」


 まだ色も付いていない、形だけを捉えたデッサン。でも、よく見ると線の力強さが微妙に違う。
 影の濃さにも僅かな違いがある。他にも何か違うのかもしれない。
 一つ間違いなく言えるのは、“鉛筆という道具に込められたせつなの想い”を命として感じ取って、描かれたものであることだった。


「せつなさん、この景色が好きなんでしょ? それだけはちゃんと伝わってきたわ。手を加えるのが怖いって」
「そうね。私はこの景色を失うのが怖い。壊して、奪って、そんなことをずっと続けてきたから」

「せつなさん?」
「ごめんなさい、なんでもないわ。私は自分の気持ちを表現するのが苦手だったけど、おかげで何かつかめた気がするの」


 そう言ってせつなは鉛筆を走らせる。
 せつなの集中力が極限まで高まり、意識の全てが視界に収束されていく。
 秋風が肌をくすぐる感覚も、木の葉が揺れる音も、横で少女が囁いている声すらも、

 全てが視覚情報として処理されて、絵の中に封じ込められていく。


「ふうっ、やっぱり――みたいにはいかないけれど」
「そんなことないっ! これ、とても素敵な絵よ。せつなさんにはこう見えるのね」

「ええ、私、紅葉が好きよ。特に赤いモミジは大好き。葉が落ちていく前触れなのに、なんだか温かいイメージがあるでしょ」
「そう! それが絵を描くってことよ」

「私、なんだかわかった気がする。“全てのものに命は宿る”生きてないものに命を宿しているのは、それを愛している人の心なのね」
「うん。真っ白だったスケッチブックも、せつなさんの心で命が宿ったんだと思う」


 話してる途中で、せつなのお腹がグーと鳴る。真っ赤になるせつなの前で、少女のお腹も同じように――


「もうこんな時間。お昼には遅いけど、美味しいドーナツ屋さんを知ってるの」
「じゃあ、休憩して食べに行きましょう。この絵が完成するところ、わたしも見てみたいから」


 ドーナツを買ってきて、二人で談笑しながら食べる。ラブ以外で、こうして二人きりでドーナツを食べるのは初めてかもしれない。
 その後、再び絵を描く作業に取りかかる。景色を心に投影して、心の鏡に映った通りに忠実に色を塗っていく。
 数時間後に完成する。それは単に景色を写し取ったものではなくて、絵が飛び出してくるような迫力を伴ったものだった。


「やっぱり素敵! せつなさんは絵を描くべきよ!」
「ありがとう。でも、私の夢は別にあるの」

「あっ……もう行かなきゃ。もっとお話したかったけど」
「これを持って行って。お礼にはならないけれど、せめてもの感謝の気持ちよ」


 せつなはそう言って、描いたばかりの絵をスケッチブックから外して少女に手渡した。
 多めに買っておいたドーナツの袋と一緒に。


「ありがとう、大切にする。代わりにわたしの絵を持っててほしいの」
「ありがとう。私も宝物にするわ」

「もう会えないのかしら?」
「今度は友達を連れて遊びに来るわ。その中の一人は、せつなさんが話してたラブさんに似てるかも」

「楽しみにしてるわ」
「じゃあ、またいつか、必ず会いましょう!」


 少女はそう言って別れを告げると、元気よく走り出した。だいぶ離れてからもう一度振り向いて、大きく手を振りながら“さよなら”と伝える。
 大人しいようで活発で。控えめなようでハッキリしていて。空に羽ばたく鳥のように自由で。

 少女の姿が見えなくなった瞬間、せつなの前に青い小鳥が舞い降りる。小首をかしげてせつなを見てから、少女が去った方向に飛び立った。
 もう名前は気にならなかった。その青い鳥は、確かに幸せを運んでくれたのだから。
 その小鳥に、少女と同じ名前を付けて覚えておくことにした。







 家に帰って、再びせつなはスケッチブックを開いた。
 少女が最後に教えてくれたアドバイスを実行するためだ。


“本当に絵が好きになりたいのなら、一番好きなものを描くの。多ければ多いほどいいわ”


 せつなは一人の少女の絵を描いた。楽しそうな笑顔。嬉しそうな笑顔。元気いっぱいの笑顔。せつなが世界で一番好きなもの。
 どれも、これも、全部同じ人。そっくりでありながら、一つとして同じ表情はない。

 それは、スケッチブックいっぱいに描かれた――


 桃園ラブの笑顔だった。
最終更新:2013年02月17日 08:24