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第29話『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。天まであがれ!(前編)――』




 裏返しに並べられた百枚の読み札が部屋に散らばる。囲むのは、ラブと美希と祈里の三人。
 ドキドキしながら一人づつめくっていく。


「よしっと。次はラブの番よ」
「よーし……て。えぇ――ボウズが出ちゃった。とほほ……」
「わたしの番ね。やった! 姫よ。もらっちゃうね!」

「勝負有りね。でも、ほんとせつな遅いわね。どこまで行ってるのかしら?」


 噂をすれば影。階段を勢いよく駆け上がる足音が響く。
 何かあったのだろうか? せつながこんな風に慌てることは滅多になかった。


「みんな! 手を貸して欲しいの。凧揚げをするわよ!」
『えぇ~~!』


 騒動は、突然にやってきた。







 『帰ってきたせっちゃん――ある日のせっちゃん。天まで上がれ! (前編)――』







 のどかなお正月の昼下がり。
 ラブの部屋に集まるのはいつもの四人。カードを囲んで真剣な表情で向かい合う。

 歌かるたの散らし取り。百人一種の代表的な遊び方だ。
 読み手のラブが読み札を切る。その順に和歌を読み始める。


「むらさめの~」


 む、の時点で下の句のカードを探し始める祈里。
 五文字目で思いついて探しだす美希。
 一番遅れて歌を判別するせつな。


『はいっ!』


 三人の手が同時に重なる。上から順に祈里、美希、せつな。
 そして取り終える百枚の札。

 戦果はせつなが四十枚。美希が三十二枚、祈里が二十八枚だった。


「参りました。もう、せつなには敵いそうもないわね」
「せつなちゃん凄い。こんなに早く百種全部覚えちゃうなんて」
「やっとよ。ブッキーなんて読む前から探し始めてるじゃない」


 始めのうちは、下の句まで読んでからしか探せなかったせつなが一番弱かった。
 しかし、驚くほどの勢いで記憶していく。
 数順目には覚えきってしまい、圧倒的な強さを見せつけた。ラブはともかく、美希や祈里はもちろん暗記している。
 そしてせつなには、まだ一字覚えや二字覚えなんて知識はない。
 そのハンデを跳ね返すのが、視力と反射神経、そして記憶力だった。
 下の句が配置されてる位置を全て把握してしまう。探し始めるのが一歩遅れても、手が最短距離で札を奪うのだ。


 コンコン

 部屋のドアが控えめにノックされる。あゆみが差し入れにきたのだ。
 トレイに乗っているのは、おせんべいと緑茶だけ。女の子のおやつには華やかさが足りない。


「ごめんなさいね、紅茶とお菓子を切らしちゃたの」

「おかまいなく、おばさん」
「わたしたち、毎日お邪魔しちゃってるから」

「たはは、せつなと食べ過ぎたよね」
「もう! 主に食べてるのはラブでしょ」

「スーパーなら開いてるわね、後で買い出しに行ってくるわ」
「おかあさん、それなら私が行きます」


 せつなはスッと立ち上がり、自分の部屋に上着を取りに行く。
 一緒に行くと言った、ラブたちの申し出をやんわりと断る。少し外の空気を吸いたくなっただけ、すぐ帰るからと。
 ラブたちは、せつなが帰るまでボウズめくりをしながら待つことにした。







 せつなは一人、お正月の人通りの少ない商店街を歩く。
 冷たい風が、暖房で火照った体に心地良かった。澄んだ美味しい空気を胸いっぱいに吸い込む。

 始めてのお正月。そして、大切な家族や仲間とずっと一緒にいられる時間。楽しくて、嬉しくて、心は弾みっぱなしだ。
 百人一首も楽しかった。いくつかは学校で習ったものもあったけど、新しい歌もたくさん覚えることができた。
 最初は全然取れなかった札が、見る見るうちに自分の手元に集まっていくのも面白かった。

 でも、夢中になるのはここまでかなって、そう感じてもいた。

 これ以上やれば、どんどん差は開いていくばかりだろう。結果の見えているゲームでは楽しさは半減してしまう。
 みんなの笑顔を曇らせないためにも、ここからは手加減が必要になるかもしれない。
 一枚取るたびに大喜びしているラブが、少しだけうらやましいと思った。

 競技と呼ばれるものですら、その本当の喜びは勝利することではないのではないか?
 せつなはこの世界に来て、強くそれを感じるようになっていた。

 カルタに限った話ではない。学校の勉強も、スポーツも同じ。せつなにとっては、全力で取り組み、本領を発揮できる場ではなかった。
 やりすぎれば目立ってしまう。それがいけないことではないのだけど……。
 せつなは、称賛されることも、嫉妬されることも、そのどちらも好きではなかった。

 ぼんやり考えながら歩いていたら、お目当てのスーパーに着いた。メモを見ながらお菓子を購入して、これでおつかい終了だ。
 帰り道で駄菓子屋のおばあさんとすれ違った。


「おや、せつなちゃん。正月早々おつかいかい?」
「はい、お茶菓子を切らしてしまって」

「フン、感心しないねえ。正月の三が日からお店開けてちゃ、風情もへったくれもありゃしない」
「すみません。お店が開いたら駄菓子屋さんにもお邪魔します」

「そうじゃないんだよ。だけど、つまらない世の中になっちまったね」
「どうかなさったんですか?」


 せつなには、なんだかおばあさんの元気がないように見えた。気になって少しお話がしたくなった。
 おばあさんも愚痴の相手が欲しかったのだろう。お店の裏口を開けて、お茶を入れてくれた。
 話し相手ができて嬉しいのか、いくらか機嫌も良くなって昔話を始める。


「昔はこの辺りは四ツ葉町商店街なんて呼ばれててね、そりゃあ趣のある人情溢れる町だったよ」
「私には、今でも幸せの集まる素晴らしい街に思えます」

「無論、悪くはないさね。でも、お正月だって昔に比べたら随分味気なくなったもんだよ」


 お正月でも休まないお店ができて、お正月の準備がどんどん質素になっていったこと。
 洋服が普及して、手間のかかる着物姿で出かける人がとても少なくなったこと。
 テレビゲームの流行と共に、外で元気よく遊ぶ子がいなくなってしまったこと。


「お正月といえば男の子は凧揚げ、女の子は羽子板で遊んだものさ。どっちも見なくなっちまってね」
「羽子板は昨日やりました。凧揚げって何ですか?」

「そうか、ついに知らない子まで現れたのかい。興味あるなら凧職人を紹介してあげるよ」


 おばあさんは返事も聞かずに立ち上がろうとする。言葉とは裏腹に、会わせたがっているように感じられた。
 せつなは会ってみることにした。







 おばあさんに連れられてやってきたのは、通りから少し奥に入ったところにある木造の古い家屋だった。
 外見は普通の住宅。でも、一歩敷居をまたげば、そこは本格的な工房だった。


「凧じじい、お客を連れてきてやったよ。顔くらい見せたらどうだい」
「凧じじいはやめろ。もう凧なんて何年も作ってねえや、梅干ばばあ」

「ふん、梅干はお互い様さね」
「あの、初めまして。東 せつなと申します。凧を見せて頂きたくて」

「奥の部屋にあるのがみんなそうだ。好きなだけ見ていきな」


 おじいさんはこちらも見ずにそう言った。あまりの無愛想っぷりに、駄菓子屋のおばあさんまで腹を立てる。
 だけど、せつなにはぶっきらぼうな態度の中にも、温かさのようなものを感じ取っていた。
 クリスマス以来、おじいさんがとても好きになっていた。いや、お年寄りの人間としての深みに、とても関心を持っていたのだ。

 工房を通り抜け、言われた部屋に足を進める。そして――息を呑んだ。
 そこにはおびただしい数の凧が保管されていた。それはまるで凧の博物館のようであった。
 形も色々だが、大きさも様々だ。ノートくらいの小さなものから、全長が四メートルを超えるほどの大凧まであった。
 描かれている絵も素晴らしかった。十二支に浮世絵、昆虫や魚を形取ったもの。そして、一番目を引いたのが、大凧に描かれた勇ましい鎧武者。
 絵の良し悪しなんてわからないせつなにも、その迫力には心を揺さぶられた。


「凄い……」
「そうかい? 頭の固いじじいでね。装飾品としてなら今でも買い手がつくのに、頑として売ろうとしないのさ」

「どうしてですか? こんなに綺麗なのに」
「凧は飛ばしてこそ凧だってね。今では作るのも辞めちまって、扇子作りで食いつないでるのさ」 

「その扇子もすっかり売れなくなっちまったがな」


 おじいさんが手を休めて様子を見に来てくれた。何のかんの言っても気にはなっていたらしい。


「扇子だって美術用途なら売れるだろうに、タコ作ってた割には頭の固いじじいだよ」
「そっちのタコとは違うんじゃ……」

「違わねえよ。ひらひらした足をつけてたから、その昔は関西でイカなんて呼ばれててな。粋な江戸っ子が張り合ってタコと名付けたのが由来よ」
「その割には骨がありますね」


 せつなは竹で作られた凧の骨組みに目を奪われていた。見事なまでに強度を計算して張り巡らされている。
 この骨組みこそ、凧の出来の要だと思えた。大真面目の指摘なのだが、おじいさんは大笑いした。


「わっはっはっ、こりゃあ一本取られた。面白いお嬢ちゃんだな、気に入った! 何でも聞きな」


 おじいさんの家は代々、凧職人であったらしい。父親から技術を学んだのだが、その修行は熾烈を極めたものだった。
 下図が描けるようになるまで十年、骨を削れるようになるまで、また十年。
 父親で師匠だった人の教え。「迷わず、一心に数をこなせ。後は指が教えてくれる」
 その教えを守り、死に物狂いで凧作りの技術を身に付けた。

 そこまでして一人前になっても、家族を養っていけるほどの収入があるわけではない。
 どんなに精巧に作っても、目的は子供の遊び道具だ。そんなに高い値段が付けられるわけではない。食いつなぐには副業をこなす必要があった。

 それでも、おじいさんは凧作りに誇りを持っていた。
 クローバータウンが四ツ葉町と呼ばれていた頃、正月に限らず、冬にはあちこちで凧が揚がっていたものだった。
 シーズン中は修理に追われ、それ以外の季節は冬に備えて作り貯める。
 全ては子供たちの笑顔のため。貧しくても充実していた日々だったという。


「ところが近頃ときたら、凧揚げどころか凧を知らない子供までいる始末でな」
「……すみませんでした」

「今じゃ伝統工芸とか言っては、金持ちが道楽で買い求めるくらいでな。そんなもんのために作ってるんじゃねえやな」


 高額で買い取るとの申し出もあったらしい。おじいさんはその全てを断ってきた。
 凧作りを神棚に上げるつもりはない。凧揚げは庶民の遊び。時代と共に必要とされなくなるのなら、失われるのも運命だと。

 副業で続けていた扇子作りも、もう採算が合わなくなってきているらしい。何より凧作りを辞めてしまったことで、創作意欲が失われてしまっていた。
 だから、今年の冬が過ぎたら工房をたたむのだとか。

 おどけた口調で話してはいたものの、その表情はとても寂しそうだった。

 このままではいけないと思った。
 子供たちの笑顔のために頑張ってきた、おじいさんの幸せが失われてしまう。
 そして、おじいさんの手で笑顔になれるはずの、子供たちの幸せも失われてしまうのだ。


「お願いがあります! 私に凧を作ってもらえませんか? お年玉と、お小遣いも少しは貯まっています」
「気持ちは嬉しいが、俺はもう凧作りは辞めたんだ。金なんて要らねえから、ここにあるのを好きなだけ持って行きな」

「どうしても――作ってほしいんです」
「駄目だ! 俺は頭が固いんでな、作らねえと決めたら二度と作らねえ」


 そこから先は意地の張り合いだった。せつなはあきらめようとせず、おじいさんも頑として譲らない。
 せつなは最後の賭けに出た。この工房にある中で一番揚げるのが難しい凧。つまり、大凧をせつな一人で空に揚げることができたら作ってもらうと。

 そんなこと出来る訳がない。あきらめさせるにはいい方法だと、おじいさんも約束してくれた。
 持ち帰ることができるような大きさではない。後で友達を連れて取りに来るからと約束して、ひとまず引き上げることにした。


「すまなかったね、せつなちゃん。大変な約束をさせちまって」
「いえ、興味があるのは本当です。あれが空に揚がるところを見てみたいわ」


 予想を超えた展開に、おばあさんは戸惑っていた。子供好きな人だから、若い子とお話するだけで気分が晴れるんじゃないかと期待しただけだった。
 せつなもそれは感じていた。おばあさんの様子がおかしかった理由が、あのおじいさんのことだってことを。
 おばあさんは、ラブのおじいさんの源さんって方とも仲が良かったらしい。また一人、四ツ葉町から職人が消えていくのが寂しかったのだろう。

 せつなには、その気持ちの全てが理解できるわけではない。
 せつなはクローバータウンが好きだ。友達と遊ぶゲームだって楽しいと思うし、機能的で扱いやすい洋服だって大好きだ。
 だけど、そのために古き伝統が失われていいとも思わない。晴れの日には着物も着たいと思うし、羽子板やかるただって凄く楽しいと思う。

 一つはっきりしているのは、幸せは輪だってこと。それを広げていくことが大切なんだってこと。
 おじいさんは今、その輪から外れようとしている。

 だから――凧を揚げるのだ。
 輪の中に居る――みんなのためにも。外れつつある――おじいさんのためにも。

 せつなはおばあさんと別れ、家に向かって走りだした。



最終更新:2013年02月17日 08:41