翼をもがれた鳥 第2話――飛べない鳥は大地を駆ける――
四つ葉町の森の奥、占い館の一室。
巨大なモニターに映し出される、イースとキュアピーチの一騎打ち。
そうだ! そこだ! いけ! 届くはずのない声援を送るウエスターを、サウラーは鼻で笑う。
「何がおかしい、サウラー!」
「何もかもさ。こんな茶番は見ていられないよ」
「なんだと!」
「じゃれあいを茶番と言って何が悪いんだい。どちらも本気で相手を倒す気はないようじゃないか」
「俺には……イースは本気で戦っているように見える」
そう言ったウエスターの言葉には、しかし、勢いがなかった。彼も格闘の達人で、生粋の戦士だ。気が付いてはいたのだ。
これは戦闘ではなく喧嘩。意地と意地の、ぶつかり合いであることに。
「イース――お前は、一体どうしてしまったんだ?」
「さじ加減を覚えてしまったのさ。君もこの世界にはあまり深入りしないほうがいい」
「ええぃ! お前の言ってることはさっぱりわからん! 街に出て人の不幸を学べと言ったのもお前ではないか」
「だから、僕は本を読むのさ。不味いコーヒーを飲みながらね」
そう言いながら、サウラーはカップに入りきるだけの角砂糖を入れてコーヒーを注いだ。相変わらず、甘くて不味い。
だが、この砂糖とコーヒーの分量を、自分で思いのままに決められるとしたらどうだろうか?
もっと、飲みやすくなるだろう。もっと、美味しくなるだろう。もっと――もっと。
その味を、知ってしまったら……。その工夫を、楽しいと感じてしまったら……。
きっと、もう、戻れなくなるだろう。
だから、不味いコーヒーを飲み続けるのだ。この世界はつまらなく、愚かで、不味いものでなくてはならない。
(それが、なぜわからない? イース!)
「待て! 暢気にコーヒーなど飲んでる場合じゃないぞ。他の二人のプリキュアが来たようだ」
「見ているよ、それで?」
「ふざけるな! イースはナケワメーケを呼び出せないんだぞ」
「それで僕たちが助けに駆けつけると? イースはそんなことは望まないよ」
「では、見殺しにすると言うのか!」
「そうだ。彼女たちに、イースが殺せるのならばね」
スクリーンの中では、二人の死闘が激しさを増していた。殺意があろうと無かろうと、死力を尽くした戦いであるのも事実だった。
もともとボロボロだったイースの身体。それがキュアピーチと接触するたびに傷つき、壊れていく。
仲間の二人はすぐには参戦しない様子だったが、それも戦況次第だろう。イースに勝ち目など全くないに等しかった。
「もういい!」
「どこに行くんだい?」
「トイレだ!」
苛立ちをぶつけるように、拳をスクリーンを叩きつけてウエスターが部屋を出る。
その衝撃でスクリーンにノイズが走り、すぐに全ての機能を失った。
しぶしぶ修理に取りかかるべく、サウラーは立ち上がり本を置いた。その本は上下が逆さまだった。
『翼をもがれた鳥――飛べない鳥は大地を駆ける――』
フラフラとよろめきながら、イースは館を目指して歩き続ける。
たった数百メートルの距離が、今の彼女には果てしなく遠い道のりに思えた。
その表情には苦悶の色を浮かべ、唇をきつくかみ締めて……。
その足取りは重く、膝は震え、時折、全身を戦慄かせて……。
(せつなっ! せつな! せつなさん)
一度も、イースとは呼ばれなかった。ラブだけでなく、その仲間にまで。
彼女たちは消えて欲しいのだろう。少女の本当の姿に――イースに。
当然だと思う。
イースは街を破壊してきた……彼女たちを傷付けてきた……憎むべき敵なのだから。
だけど、彼女が消したかったのは偽りの自分。
ラブが親友と信じる普通の女の子――東 せつな。
始めは任務のために近づいた。
いや……それも嘘だ。初めて会った日から、ラブの笑顔を見たあの瞬間から、ずっと気になっていた。
なぜ、気になるのかが知りたかった。
ラブに惹かれ、ラブに合わせてせつなを演じた日々。
楽しいと――感じるようになった。
苦しいと――感じるようになった。
徐々に彼女の中にせつなの部分が大きくなり、イースの心が押しやられていった。
だけど! それでも、せつななんて子は居ない。それは彼女自身が一番よくわかっていた。
せつなは――夢。
孤独な少女が描いた――悲しき妄想。
荒い息の合間に、苦しげに呟く。
「我が名はイース。ラビリンス総統メビウス様が下僕」
その言葉も……もう、少女を励ましてはくれなかった。
ラブたちは、イースをである自分を受け入れてはくれない。
そして、ラビリンスにも。
メビウス様の元にも。
もう――自分の居場所はなくなりつつあるのを感じていた。
腰に手を当てる。
何もない……。もう――何もなかった。
忠誠と信頼の証であったナキサケーベのカードは、全て無駄にしてしまった。
ナケワメーケの源であるダイヤも、支給が切られてしまった。
仕えるべき主から見放され、
倒すべき敵から情けをかけられ、
出し抜いたはずのウエスターとサウラーすら、
もう――手の届かない存在になってしまった。
こんなはずじゃなかった。
こんなはずじゃ……なかった。
どうして世界はこんなにも、自分に冷たいのだろうと思った。
小石に足を取られて、地面に叩きつけられる。
無様。
情けなさ。
そして、悔しさ。
浮かんできそうになる涙を懸命に堪える。
この上さらに泣くなんて、あまりにも自分が惨めだったから。
「痛っ……痛い……つっ……くっ……」
打ち付けた体が痛かった。
ピーチを殴った拳が痛かった。
彼女に殴られた身体が痛かった。
そして――何より心が痛かった。
言葉にして、気が付く。
痛いということ。それはまだ、生きているんだってこと。
残った力の全てを振り絞って立ち上がる。
違う……まだだ!
まだ、完全に見放されたわけではない。
自分がこうして、生きていられることがその証し。
きっと、見ているんだ。メビウス様は――今、この時も!
ならば、見せなくてはならない。イースの忠誠を――戦う姿を!
たとえ――この身が砕け散ろうとも。身体一つで戦わなくてはならないのだとしても。
「我が名は……イース。ラビリンス総統メビウス様が……」
改めて誓いを口にする。その言葉を言い切らぬうちに視界が暗転する。
意識が闇に落ちる。身体が崩れ落ちる。
だが、そんなイースを受け止めたのは、固く冷たい地面ではなくて――太く、力強い腕だった。
キュアピーチは地面に転んだ後、そのまま一歩も動けずにいた。
クタクタに疲れていた。ボロボロに傷付いていた。だけど、それはイースも同じだったはず。
追いかければ、手が届いたはずだった。でも――できなかった。
(どうして……どうして……どうして……)
ピーチの、ラブの胸にかつて経験したことのない感情が沸き上がる。
それは怒りでもなく、悲しみでもなく。悔しさでもなく、後悔ですらない。
強いていうなら虚無感。目の前で失ってしまったものを受け入れることができない。
できないのに――体が、心が、それ以上何かをすることを拒むかのようだった。
全てを賭けて戦った。全身全霊で想いを伝えた。だって、友達だから! 何物にも代えられない大切な人だから!
伝わったはず。伝えられたはずだった。
この身に刻まれたのと同じくらいに――イースの、せつなの身にも刻めたはずだった。
でも、返ってきたのは明確な拒絶。
怒りにまかせて言い放った言葉なら良かった。それは虚勢だと、意地でしかないと跳ね除けることもできた。
穏やかな表情。静かに伝えてきた意思。想いの全てを込めて伝えた――それをしっかりと受け止めた上での返事だった。
どうして……どうしてわかってもらえないのだろう。
自分の……何がいけなかったのだろう。
「ラブ……もう、帰りましょう」
「お疲れ様、ラブちゃん。力になれなくてごめんなさい」
「美希たん、ブッキー、せつなは居たよ。せつなはちゃんと……せつなだった。なのに……」
それは二人も十分に感じていた。ただ、見ていたわけではない。彼女たちも一緒に戦っていた。ラブと心を一つにして。
信じて見守るという、最も苦しい手段で一緒に戦っていた。そして、一緒に傷を受けていた。
変身を解除したラブを、二人は家に送り届けた。
ラブはその後、一言も話すことはなかった。美希も祈里もまた、何も話しかけることができなかった。
今、ラブの頭の中にあるのはせつなのことだけ。
今も語りかけているのだろう。そして、その度に拒絶されているのだろう。その度に、絶望しているのだろう。
心配して、部屋に上がろうと申し出た美希と祈里に、首を振って拒否の意思を伝える。しばらく、一人になりたいからと。
もう、美希も声をかけることができなかった。
美希もまた、見てしまったから。イースの、せつなの葛藤を。悩み、苦しみながら、精一杯に生きているんだってことを。
溢れんばかりの想いをぶつけあっていた。姑息な手段で騙していたんじゃない。せつなもまた、ラブと真剣に向かい合っていたんだ。
どうせ戦うなら、悪が良かった。テレビや漫画に出てくるような、邪悪で救いのない怪人が良かった。
同じくらいの女の子。友達として知り合ってしまった女の子。立場が違うだけの女の子。そんなのは……あんまりだ。
「……ちゃん、美希ちゃん。聞いてる?」
「あ……ごめんなさい、ブッキー」
気が付くと、祈里が心配そうに覗き込んでいた。彼女もまた、顔色が悪かった。きっと同じことを考えていたのだろう。
「せつなさんも、泣いてるみたいだったね」
「うん……」
直接、ラブのように涙を流していたわけではない。
でも、戦いの中であげた叫び声は悲痛だった。ラブに語りかけた声には、思いつめたような苦しみが感じられた。
脅えているように――見えた。
震えているように――見えた。
繰り出す攻撃は激しいのに――それすら、まるで子供が駄々をこねているように見えた。
「ラブ……大丈夫かな」
「わからない……」
「アタシたちは……戦えるのかな」
「わからない……」
「美希ちゃんがそんなこと言うなんて、わからない!」
「ごめん……」
祈里の我慢してた涙腺が一気に崩壊する。
美希は己の迂闊さを恥じた。もともとこの娘は、ナケワメーケと戦うことにすら躊躇するような大人しい子だったのに。
ごめん、ごめん、ごめん。何度も謝りながら祈里を抱きしめた。
出会えば、ラブはまた同じことをしようとするだろう。
でも、美希にも祈里にも、もうせつなの説得が無理なのはわかっていた。
きっとまた、自分たちの前にせつなが立ちはだかってくるのもわかっていた。
「アタシたちで止めよう、ブッキー。ラブのためにも、これ以上せつなに罪を重ねさせるわけにはいかない」
「うん、美希ちゃん。わたしも……がんばるから」
説得できないのなら――倒すこともできないのなら――
力づくで止める! 無理やりにでも止めさせる! 無駄だと諦めさせる!
長い戦いにはならないだろう。せつなもまた、追い詰められているようだったから。
厳しい戦いにはなるだろう。でも、参加できるだけ今日よりはマシだと思えた。二人は、静かに勝利を誓い合った。
「ここは……」
大きな洋風の部屋。豪華だが、温かみの感じられない調度品の数々。
小さく調整された灯り。真っ白なカーテンから覗く暗い景色と、ゆるやかに吹き付けるひんやりした風。
豊富な空間にありながら、ほとんど何も置かれていない私物。まるで生活観の感じられないその部屋は、確かに彼女の私室だった。
イース。戦闘服を解かれてせつなと呼ばれる姿に戻った少女は、混乱した頭を整理していく。
ここは……ベッド――なぜ?
体中に巻かれた包帯。不器用で、下手糞な手当ての跡。
何気なく伸ばした手が、固いものに触れる。
黄色いダイヤ。ナケワメーケの召還アイテム。
やっと理解する。自分は、ウエスターに助けられたのだと。
恥ずかしさと共に、怒りが込み上げてくる。
余計なことを! 奴の手など借りなくても、少し休めば自力で帰還できた。
見ていたのか? あの無様な負けっぷりを!
自分が見ていろと言って出かけたことなど、すっかり記憶から抜け落ちていた。
またしても、惨めな気持ちが込み上げてくる。
プリキュアに――敵に破れ、情けをかけられてきたばかりなのに。
ウエスターなどに――蹴落とすべきライバルにまで施しを受ける体たらく。
枕元に置かれたダイヤを手に取る。
しびれが来るほどの強烈な力を感じる。
これが……ウエスターのダイヤ。彼の力で強化されたコントロールコア。
特殊能力ならサウラー。破壊力ならウエスター。それぞれの生み出すナケワメーケは強力だった。
彼女の力で生み出すナケワメーケでは、既にプリキュアには通用しなくなっていた。
だからこそ、せつなとして近づくしかなかったのだ。
命を削る覚悟で、ナキサケーベを召還するしかなかったのだ。
悔しさに目の前が真っ暗になる。
手にしたソレを床に叩きつけようとして、思いとどまった。
もう、自分には支給されなくなったもの。
これが……最後のチャンスかもしれないと。
“スイッチ・オーバー”
イースに戻り、ウエスターのダイヤに念を送り込む。
徐々に黄色から赤色に染まっていき、やがて真紅の輝きを放つ。
イースを新しい主として受け入れた赤いダイヤ。その強烈な力に反応して、持つ手に震えが走る。
(今は貸しを作ったつもりでいるがいい。これほどの力を持ちながら、成果を得られなかった無能さを思い知らせてやる)
次が本当に最後のチャンスとなるはず。迫る戦いに必勝を誓う。
もう、イースに迷いはなかった。もともと選択肢などないのだ。無いものねだりしたところで、無から何かが生まれるはずもない。
出来ることを精一杯やるだけではないか。
忠実なる下僕として、己が使命を全うする。それでどのような結果になろうとも、それが自分の人生なのだろう。
心を決めたら疲労が押し寄せてきた。わずかに回復した力も、今ので使い果たしてしまった。今は、とにかく休息が必要だった。
お腹は空いていたが、食事を取る気力は湧いてこなかった。
イースは、ダイヤを握ったままベッドに倒れこんだ。そして、深い眠りについた。
最終更新:2013年02月17日 08:51