第23話 閉じた世界から




公園のベンチで美希はぼんやりと見るともなしに周りを眺めていた。
肩を落とし、背中を丸め、浅く腰掛けたまま緩んだ膝を軽くハの字に開いている。
随分だらしない姿勢だ、と思いながらも背筋を伸ばす気にはなれない。
常に人目を意識するのが当たり前になって久しい。
服装や髪型、立ち振舞いには人一倍気を使ってきた。
ただお洒落で綺麗なだけでは駄目。仕草や言葉遣いは丁寧に。
年長者にはいつも礼儀正しく。
同世代にはお高く止まっていると感じられないように、適度に馬鹿っぽく。
後輩には近寄りがたいとは思われないよう気さくに。


いつ誰に見られても恥ずかしくないように。



しかし道行く人を見ながら美希は苦笑する。
美希を気にする人なんて誰もいない事に。
綺麗な子だ、と振り向く人も。だらしない子だ、と眉をひそめる人も。
具合が悪いのか?と心配する人も。
結局こんなものなのだ。自分がどれほど意識しようと他人はそんな事に頓着しない。
ぼんやり座り込む女の子なんて目にも入らないし、どうでもいいのだ。



(アタシ、馬鹿みたい…)



あんな風に取り乱すなんて。
怒って、泣いて、嫌味を言って。そんな事したって何もならないのに。



(だって、関係ないんだもんね…アタシは…)



必死になって、馬鹿みたいだ。
他人は自分の思う通りになんて動いてくれない。
どんなに頑張ろうが、努力しようが人間は自分の意思でしか動かない。
どうして自分が頑張れば他の三人を繋ぎ止められるなんて思ってしまったんだろう。



(結構、大人になったつもりだったんだけどな…)



この徒労を伴う虚脱感には覚えがある。
遠い昔、家族がバラバラになってしまった時。
美希がどんなに頑張っても一度離れた両親の心は元には戻らなかったではないか。
結局、幼い頃と変わっていないのだ。と、美希は自分に憐れみを溢す。
幼心に家の中の雰囲気が変わり、両親の間に薄ら寒い空気が漂うのを感じた時、
美希が取ったのは恐らくどんな子供でも真っ先に思いつく行動だった。


即ち、良い子になる事。
いつだって聞き分け良く、我が儘なんて言わない。
忙しい父に遊んで欲しいなんて言って困らせてはいけない。
母が体の弱い弟に懸かりきりになっていても寂しいなんて言っては駄目。


だってお姉さんなんだから。


父も母も優しく弟の世話を焼く自分を目を細めて誉めてくれてた。


美希は良い子。
美希はお利口。



自分が頑張れば、また両親は以前の様に仲良くなってくれるのではないか。
その思いに必死に縋った。



でも、実際はこの通りなのだ。



別れの日、ママも一緒がいい、お姉ちゃんといたい。そう泣きじゃくる弟を美希は笑顔で慰めた。
「またいつでも会えるんだから。離れたってお姉ちゃんはずっと和希のお姉ちゃんよ」
美希だって本当は泣きたかった。
けれど、泣きじゃくる弟を前にすると涙は出ては来ず、自然と笑顔が浮かんだ。
もうとっくに美希の心は諦めてしまっていた所為もあるかも知れない。
涙は流し尽くし、もう出来る事なんて思い付かなかったから。



それでも…と、今になってふと思った。
あの時、弟と抱き合って泣いていたら。
パパもママも大好きだから離れたくない。
そう言って両親を困らせたら。
もしかしたら違う未来があったのだろうか、と。



ラブと祈里の姿が頭をぐるぐる回る。
必死にラブを庇う祈里、青ざめてせつなを気にするラブ。
二人の間にどんなやり取りがあったのかは分からない。
でもこれだけは確か。
美希の事など頭の片隅を掠めさえしなかったはずだ。
きっと当事者ではない美希の気持ちなど考える余裕なんてなかったのだろう。
己の気持ちすら掴み切れない時に、他人の事など斟酌出来る訳がない。



せめて少し落ち着いた後になら、祈里は自分との約束を思い出してくれただろうか。



ふるふると頭を振って美希は惨めな思考を脳裏から振り落とそうとした。
今さら、だ。いつだって、そうだったではないか。
美希が大切に思う人には、美希よりも大切なものがある。



(ただ、それだけの事なのよ……)



淡々と自分に言い聞かせようとしながら、美希は軽く身震いした。
自分の存在のあまりの軽さに鳥肌が立ちそうだった。
ずっと、こうなのだろうか。
このままずっと、空回りしていくんだろうか。
どんなに頑張っても報われない。それどころか、必死になっている事に気付かれもしない。


少しくらいは頼りにされ、支えになっているつもりだった。



実際は、存在すら忘れられていただけだったのに。



美希は胸の奥底に沈めていた思いが重石を外して浮かび上がってくるのを感じた。
口が裂けても言えない。
心の片隅に思う事すら許されない。
ずっと見て見ぬふりをしてきた、けれど無視すればするほど
はっきりと形になっていくその思い。



(ごめん、せつな。ごめんなさい…アタシ……)



アタシ、あなたが羨ましかった。



せつながどれほどの苦しみを背負う事になったのか。
その苦しみを背負わせたのは誰なのか。
充分、理解しているつもりだ。
それでも否応なしに覚えてしまう疎外感。
美希には分からない感情。美希には入り込めない絆。
それが確かに存在するのを感じる。
ラブとせつな。祈里とせつな。そして、ラブと祈里。
その輪の中に美希を繋いでくれる鎖はどこにも見当たらない。



もし、せつなの身に降りかかった災厄が自分の身に起きたら。
いや、せつなでなくとも。ラブや祈里の立場でさえ、自分に置き換える事すら
想像出来ない。
辛いのだろう。苦しいのだろう。自分で自分をどうする事も出来ないのだろう。
そう、そこまでは実感なんて到底無理だが想像は出来る。
今日見たラブと祈里。行為そのものを見た訳ではないが、あの場の空気。
何が行われていたかなんて一目瞭然だった。
そして、美希にはやはりどうしても分からない。
どういった気持ちの移り変わりを経て、彼女達があんな行為に及んだのか。
取っ組み合いの殴り合いをしてたならまだ理解出来る。
もしくは凍りつくような冷たい空気の中で罵り合っていたのでも。
祈里はラブへの嫉妬を捨てきれなかったのだろう。
ラブは祈里を許し、受け入れるなんて無理だったのだろう。
そう思い、二人の間に割って入る事を瞬時も迷わなかっただろう。



何だったんだろう。あの、どこかホッとしたような緩んだ生ぬるい空気は。
あの時、二人は確かに美希には伺い知れない世界にいた。
そして多分、せつなはとっくにその世界の住人なのだ。



三人の気持ちを一番間近に感じていたのは自分だ。その自負はある。
辛く苦しい中で見つけた彼女達なりの答えの形。
それが美希には理解出来ないものであっても受け入れる覚悟もある。
それでも……



(アタシ…寂しいのかな……?)



あんな泥沼に引き摺り込まれるなんて真っ平だ。
女の子同士なんて冗談じゃない。
友人として応援は出来ても理解や共感は無理だ。
ずっとそう思い、敢えて部外者の立場でいたはずだった。
外側から彼女達を見つめ、抱き締める事が自分の役目だと。


だけど美希は自覚してしまった。
自分の心の渇き、餓えた思いを。
ずっと圧し殺していた、羨望を。



(せつな…あなたが、羨ましい……)



あれほどまでに愛され求められるのはどんな気持ちなんだろう。
あなたの他には何も要らない、すべてを捨てても構わない。
そんな風に想われるのはどんな気持ちなのだろう。



誰かのかけがえの無い存在。
自分はそんな風に思って貰った事は無い気がする。
家族にも友人にも愛され、大切にされてきた。
それでも、美希が一番大切。そんな風に言われた事なんてなかった。
そう、誰かに言われてみたかった。



(会いたいな、せつなに…)


無性にせつなに会いたくなっていた。
自分でも分からない。
普通なら、避けたくなるのではないのかと自分でも不思議だった。
自分で自分の気持ちの動きが分からない。
美希は思わず笑みを溢す。


何だ、自分だって同じではないか。



人間はそんなに合理的には出来てないんだろう。
思い通りに体と心が動くなんて、滅多にないかも知れない。



安堵も、納得も、後悔も、渦中にある時は何も分からないのかも知れなかった。
それなら、見苦しくても足掻くしかない。



せつなに会ってどうしたいのか。そんな事は会ってから考えればいい。
答えなんか見つからなくても、心の赴くままに動いてみよう。


自分の居場所を見つけたい。今いる場所とは違ってもいい。
ただ、間違いなく、ここにいてもいいんだ。そう思える場所。
三人が四人になった時から、既に元いた場所は以前とは違ってしまっていたのだ。
三人の間で均等に満たされていた水は高低差が出来た時点で流れを変えてしまっていたのだから。
せつなと言う場所に奔流となって溢れていった想い。
それは決して澄んだ清流ではなく、時にはすべてを薙ぎ倒す濁流となった。



せつなに会おう。
助けてくれと哀願するのではない。
どうしてこうなったのか、と詰め寄るのではない。
ただ、向き合い、その瞳を真正面から覗いてみたい。
誰よりも分かり合っていたはずの幼馴染み達を捕らえた少女の瞳には何が映っているのだろうか。



せつなが見ている世界。
そこにいる自分はどんな姿をしているのだろう。
美希は考える。傷付いても、壊れてもいい。
何があっても揺るがない、確かな居場所。
そこへ行くのはどうすればいいのか、と。
せつなからその答えが貰えるとは思わない。
それでも、せつなはもう既に自分だけの場所を見付けている。



四人でいる事に誰よりも拘っていたのは他ならぬ自分だったのだ。
いや、違う。
三人の、閉じた完璧な世界。それが外へ向かって開放されるのが恐かった。
快活で奔放なラブ、大人しく穏やかな祈里、しっかり者でまとめ役の美希。
気心の知れた幼馴染みで構成された優しい世界は居心地が良すぎて、そこから
出る勇気が持てなかったのだ。



一番成長していなかったのは自分だった。
仲間を支えるつもりが、本当は自分が縋っていた。



物事つく前から繋いでいた両手。
手を放すのは断崖の途中で命綱を捨てるように心細い。
だけど……



まずは一人で立つ事。それが出来なければ、自分の居場所を探しに行く事すら出来ないのだから。



そう、美希はリンクルンを手に取り、せつなに向かって発信した。



第24話 幻想の楽園へ続く
最終更新:2013年02月16日 04:15