第1話 幸せの匂い
「あら、おかえりなさい、祈里。ダンス合宿はどうだったの?」 
「ごめん、お母さん!その話は夕ご飯の時にするね!」 
 パタパタッと急ぎ足に階段を上るわたしの後ろから、お母さんの「何慌ててるのかしら……」って 
呟きが聞こえてくる。慌てますとも!これが慌てずにいられる訳が無いじゃない! 
 ドアノブを回すのももどかしく、部屋に飛び込んで背中でドアを勢いよく締める。ああ……また一階 
でお母さんが同じ台詞呟いてる気がする・・・。 
(ううん、今はそれどころじゃないっ!) 
 視線だけを素早く動かし、部屋の中をざっと見回す。机の上、イス、ベッド……。 
(ありますように……ありますように……絶対にあるってわたし信じてる……!) 
 部屋の壁、ある一点でわたしの視線が止まり、一気に真剣だった顔が緩む。 
「……あった~!」 
 彼女の性格を表わしたように、キチッと折りたたまれて、ミシンの置いてあるテーブルに置かれていたもの。 
 それはせつなさん……せつなちゃんの着ていたジャージだった。 
                   * 
 わたしの忘れた練習着を取りに、アカルンの能力で合宿所からここまで来てくれたせつなちゃん。 
帰ってきた時手ぶらだったのと、ダンスの練習で忙しかった事から、わたしは彼女がこれをわたしの部屋に忘れている事、そしてそれを失念してるであろうと推測していた。 
「……さて……」 
 とはいっても、推測がいざ現実になった今、さっきまでの緩んだ顔もどこへやらで、眉間に皺を寄せジャージの前に正座して、ただひたすら凝視し続けるわたし。 
「……実際あったからって……どうするかってことなのよね……」 
 どうするかって、そんな事は分かっている事で。 
 せつなちゃんに連絡して取りに来てもらうか、ううん、迷惑かけたのはわたしなんだから、ここはわたしが届けるべき! 
 それは分かっている事で。……でも頭では理解してても心では理解してないわたしがいる。 
「せつなちゃんの、きてた、じゃーじ。」 
 わざとらしく感情を込めずにそう言うと、わたしはジャージにそっと手を伸ばした。 
 と、途端に手を引き、大きく首を左右に振る。 
 ちょ、ちょっと待って……わたし今何をしようとしてるの?!ううん、違うわ!わたしはこれを届けるために、そ、そう、なにか紙袋に入れなきゃって手を伸ばしたのよ!何かへ、変質的な行為が 目的で手を伸ばした訳じゃなくて!自分が信じる自分を信じろって、わたし信じてる!……はあ、 それにしてもいい匂いだわ・・・。 
「はっ!?」 
 気が付くとわたしは、伸ばした手を引っ込めた代わりに、ジャージに思い切り顔を埋めていた。 
 ちょっ……何やってるの、わたし! 
 慌ててジャージから顔を……上げられない。 
 ……柔らかくて甘い彼女の残り香が、わたしの顔を上げさせてくれない。 
「せつな……ちゃん……」 
 気が付くとわたしは、ジャージを顔に被るようにして、床に仰向けに寝転んでいた。 
 当たり前だけど、目を開けてても閉じてても、暗い。今わたしの世界に存在してるのは、わたしと、彼女の匂いと、そして甘くて……少し苦い想いだけ。 
「おかしいよね、こんなの」 
 いつもラブちゃんの隣にいるせつなちゃんを見てて。イースとプリキュアとして戦った2人を見てて。 
そして今、家族となって一緒に暮らしてる………幸せを、見てて。 
 それなのに合宿で、見た事無いせつなちゃんを見ちゃった。 
 あの時からわたしは……本当におかしくなったみたい。 
 きっと、わたしなんかとは違う、凄い人だと思ってたせつなちゃんが、女の子だったから。 
 普通に、悩んだり、頑張ったり……ちょっとふてくされたりする、普通の女の子だったから。 
 気がついたら、好きになっていた。 
 お互いのダンスへの考えとか、2人で一緒に踊ってる時とか、同じ物を感じてたと思う。 
 けど……こんな苦しい思いを感じてるのは……わたしだけかな。 
(……せつなちゃんにはラブちゃんがいるし) 
 そう思ったとき、胸が急に痛くなった。 
(よく考えたらこのジャージだって、ラブちゃんが昔着てたものだよね) 
 胸の痛みが増す。何か、今までせつなちゃんと2人でいた所を邪魔されたみたいな気になる。 
 ……嫌だ……こんな事考えるの止めないと……ラブちゃんとわたしはお友達じゃない……・。 
「このままじゃ親友が幸せになっちゃうじゃない、って誰の台詞だったっけ……」 
 わたしは最近TVで見たアニメの事を思い出そうとしたけど、すぐに諦めた。 
                    * 
 いつの間にか少し眠ってたみたい。 
 相変わらずジャージを被ったままなので明るさは分からないけど、さっきより少し涼しい。 
 眠ったせいもあってか、さっきまでの嫌な嫉妬めいた気持ちは収まってきてたけど、今はまた違う黒い気持ちが心に湧いてきていた。 
 ……罪悪感と自己嫌悪。 
(気持ち悪い、わたし) 
 いくら好きだからと言っても、せつなちゃんの知らないとこで服の匂いを嗅ぐなんて。 
 ストーカーとか変質者とか、そんな風に言われる人たちと一緒だ。こんなこと皆にバレたら……プリキュアどころか、友達でさえいられなくなっちゃう。 
(もう、起きなきゃ……) 
 でも、まだ残り香のせいか、少しだけ黒い気持ちの中に甘いものが混る。 
(祈里、って呼び捨てでも良かったのにな) 
 ブッキー、って皆と一緒の呼び方じゃなくて。 
 せつなちゃんだけは祈里って呼んでてくれても良かった。それだけでわたしは小さな幸福感を得られたかもしれない。 
(わたしがせつなちゃんだけちゃん付けしなかったら、そんな気持ちも味わえるかな?) 
 ラブちゃんみたいに。そしたら皆ビックリするよね、きっと。 
 多分そんな事は、しない。それがただの悲しい自己満足で、一人よがりだって分かるから。 
 このジャージを被っている行為と一緒だ。 
 だけど、だったら。 
 今なら呼べるかもしれない。今、このわたしと彼女の残り香しかないこの薄闇の中なら。 
「……せつな………」 
「なあに?ブッキー?」 
 バネ仕掛けの人形のように、わたしは飛び起きた! 
                    * 
 せつなちゃんが、椅子に座って笑顔でわたしを見下ろしていた。 
「お昼寝はすんだ?……もう夕方よ」 
「せ、せ、せつなちゃん……」 
 焦って言葉が続かないわたし。み、見られてはいけないところを……よりによって一番見て欲しくない人に………! 
「ふふ、ブッキーが起きるまで結構待ったんだから……って連絡もしないで来た私も悪いけど。まさか合宿終ってすぐ寝てるなんて思わなかったから」 
 わたしの焦りようとは反対に、せつなちゃんは落ち着いた口調で更に言葉を重ねる。 
「家に着いて合宿の着替えとか洗濯しようと思ったんだけど、そのジャージをここに忘れたの思い出してね。返してもらおうと思って来たの。すぐ戻るつもりだったからアカルンで来たんだけど、部屋に着いたらブッキー寝てるから……起こすのも可哀想かなと思って」 
 話が核心のジャージに触れたことで、さらにわたしの焦りが増す。 
「ジャジャジャージを取りに?!ずずずずっと見てたの!?」 
「見てたわよ。やだ、まだブッキー寝呆けてる?」 
 せつなちゃんはクスクス笑いながらわたしを見てる。 
 ……ここまできてわたしも流石におかしいと思い始めた。これって変質者やストーカーに対しての態度じゃないよね? 
「あ、あの……そのジャージなんだけど………」 
 わたしは恐る恐る様子を探るようにせつなちゃんを見る。 
「全く……他にも色々あるでしょうに、何でよりによって私のジャージなのよ」 
 彼女は口元に軽く苦笑いを浮かべた。 
「まあ確かにお昼寝するには日差しきついものね。ラブもお昼寝する時は必需品だ!って言ってたわ。…ア……イキドー?とか言うんだっけ」 
 合気道……?いやそれは……。 
「ア、アイピロ―だよ、せつなちゃん!」 
「それそれ!やだ、私ったら」 
 二人で同時に笑い出す。もっとも、わたしの笑いは多分引きつっていて、背中は嫌な汗でビショ濡れなのだけれど。 
                     * 
「さて、じゃあブッキーも起きた事だし,そろそろ行きましょうか」 
 一笑いし終えた後、せつなちゃんはおもむろに立ち上がった。 
「行くって……どこへ?」 
「家よ。ラブたちが待ってるんだから、ホラ早く支度する!」 
 唐突に話を切り出されてちんぷんかんぷんなわたしを、せつなちゃんは急かす。 
「もう!ジャージの件だけならブッキーが起きるのをずっと待ってたりしないわよ!今から皆で合宿の打ち上げやろうって話……あら、ラブから聞いてなかった?」 
 そういえば……わたしジャージの事で頭が一杯だったから…ラブちゃんがそんな事を言ってたような気も……。 
 慌しくとりあえずの身支度を終えたわたしの手を、彼女が固くぎゅっと握ってきた。 
「え、え、え、なななな何?!」 
「何って……アカルンで行くんだから、くっつかないと……こないだのタルトみたいになりたくなかったら、ブッキーもしっかり掴まっててよ?」 
「わ、分かった」 
 ドキドキしている心臓の音を悟られませんように、と願いながら、わたしもせつなちゃんの手を握り返す。 
 その時、ふわっと彼女の髪から、香りが届いた。 
 さっきまでの暗い一人だけの世界で感じたものとは全然違う……ずっと濃くて、甘くて。 
 そして温かくて、優しい匂い。 
 これが幸せの匂いなのかも、ってわたしは思った。 
                                  了 
最終更新:2013年02月13日 23:27