ハート・コネクション/月見香倶夜




「だは―――っ! 遅刻っ! 遅刻だよ―!」


 通勤通学時間を少し過ぎた四つ葉町商店街。 その落ち着きの頃合を破るかように、一人の少女が通りを激走していく。

 走る、走る。 舞い上がるスカートの裾を気にする余裕もなく駆けていくのは、この商店街に住む女子中学生、“桃園ラブ”

 そして今や商店街の誰もが知る、もうひとつの名前。 伝説の戦士プリキュア、“キュア・ピーチ”

 世界中から“救世主(メシア)”と讃えられるほどの彼女だけれど、今、こうして遅刻の危機に走る姿は誰もが良く知る昔からの彼女。 普通の女子中学生そのものだった。

(間に合わないっ。 今日こそ絶対間に合わないよぉ!)

 腕時計を確かめるまでもない、家を飛び出す直前にチラ見した壁時計の針は、既に絶望的な時刻を差していた。

 こうして必死に走っている事さえ、何だか虚しい…。 けれど、そんな中。

 ふとこみ上げてきた“しあわせ”に、ラブの口元が緩んだ。

 だってほら。 空はこんなにいい天気。 ぽかぽか陽気に、スズメたちのさえずり。 道行く人々の表情も明るい。

 世界は“平和”になったんだ…。

 人々を不幸と絶望に陥れたパラレル・ワールドからの侵略者。 管理国家“ラビリンス”と総統メビウス。

 その脅威は既にない。

 自分ひとりが遅刻して先生に怒られるぐらい、ほんの些細な身の不幸。 そんな広い気持ちになれるほど、世界はしあわせに包まれていた。


 学校へと続く曲がり角へと駆け込む。 そこで。

 ラブが守った“平和な世界”は一転した。


「えっ…?」

 遅刻の事も忘れて足を止め、息を整えながら周囲を見渡す。

 そんなラブの頭上一面に立ち込める暗雲…。 陽差しは完全に遮られ、辺りは夜のように暗く、身震いするような寒気に満ちている。

(何…? この嫌な感じ…)

 今まで感じた事もない。 いや、いつかどこかで覚えのある危機感。

 記憶の糸を探るラブは、ひとつの光景に思い当たった。

 横浜“みなとみらい”の空に、今と同じように広がる暗雲。

 傷つき倒れかけたキュア・ピーチと仲間の二人。 そして同じく地に伏せる歴代のプリキュアたち。

 見上げるピーチの目に映る、絶望的に巨大な影。


『すべてを、ひとつに…。 お前たちのすべて…、飲み込んでやる!』


「まさかっ!?」

“プリキュア…”

 ドボドボという音と共に、背後から聞こえてきた低い声に振り返る。

 そこに、銀色の魔人が立っていた。

 まるで水銀が寄り集まって人の姿を成したような、マネキンのように無機質な姿。 曇りひとつない鏡のような体面に、いびつに歪んだラブの姿が映っている。

「あんたはっ!」

 みなとみらいに偶然集まったプリキュアたちの前に立ちはだかった強大な敵。 “すべてをひとつにする存在”フュージョン…。

(どうして? みんなで倒したはずなのに!)

 ラブは知るよしもなかったが、その存在“フュージョン”は確かに、プリキュアたちによって倒されていた。

 今、目の前にいるのはそいつが残した分け身のひとつ。 本来の10分の1ほどの力も残っていない残り火だったが、ラブひとりにとっては十分すぎる驚異だった。

 制服のポケットに手を伸ばし、変身携帯手帳リンクルンを手に取る。

 しかしその手を、鞭のようにしなったフュージョンの腕が打った。

「あっ!」

 ラブの手から離れたリンクルンが、地面を滑る。

「“力”が欲しい…。 プリキュアの“力”が!」

「!!」

 フュージョンが再びラブに腕を伸ばす。 そのとき。

「待ちなさいっ!」

 ラブの向かい、フュージョンの背後からその声は掛かった。

 未来を指し示すかのように光の差す方向。 その逆光に照らされて、二人の少女のシルエットが浮かんでいる。

「やっと追いついた…。 ね? つぼみ」

「うん…。 でも強そう。 私たちで勝てるのかな?」

 自信に満ち溢れた声と、対称的に不安げな声。

「しっかりしなさいよ。 先輩の前だよ」

(先輩?)

 私のこと?

 頭上を覆う暗雲が晴れていき、影になっていた二人の姿があらわになる。

 見覚えのない二人の女子学生。 着ている制服もラブの通う学校のものとは異なる。

 なぜ自分が“先輩”と呼ばれるのか、覚えがなかった。

 背後の二人に気を取られていたフュージョンが、 再びラブに視線を向ける。

 介入者の相手よりも当初の目的を果たすのが先決。 そんな合理的かつ非情な判断を下した顔だった。

 ラブを捕らえんと伸縮自在の腕を伸ばした時。

「シプレ―――ッ!」
「コフレ―――ッ!」

 ラブの背後から螺旋状の軌道を引いて飛び出した光球が、その手を遮る。

 桃色と青色の光球は、介入者二人それぞれの頭上まで来て停止した。

 その光の中に浮かんで見えるのは…、蝶の羽根のような形の大きな耳を持つ、ぬいぐるみのように可愛らしい生き物。

 ラブがかつて出会った、パラレル・ワールドからの使者を彷彿させる不可思議な生物。

「妖精…なの?」

 ラブ自身も含め、異世界から来た妖精たちに見出だされ、力を与えられた選ばれし少女たち…。 伝説を継ぐその者たちの名は…。

「今まで散々人を振り回して、私たちの追っ手から逃げ回っているだけかと思ったけど、狙いは他のプリキュアたちだったのね」

「そうなの? えりか」

「ええ。 コフレから聞いていた話を思い出してピンときたわ。 “すべてをひとつにする存在”フュージョンの残骸…。 もう一度“力”を得るために、プリキュアを一人ずつ狙い、その力を取り込んでいく…。 卑劣なやり方、許せないわ!」

 正義を貫く意志と、強い気持ち。 対称的な二人だけれど、秘めた心(ハート)は同じ。

 だから二人は、パートナー。

「海より広いあたしの心も、ここらが我慢の限界よ!」

「私も…、堪忍袋の緒が切れました!」

「お前たち…」

 フュージョンの“かけら”が、二人を見据える。

「“プリキュア”だな…」

 ラブが驚く前で、二人は水平に上げた手のひらを、上にかざす。

「シプレ!」「コフレ!」
「“プリキュアの種”を!」

 頭上の妖精たちが光のきらめきを一粒、落とす。 それが構えた手のひらに落ちて、跳ねた。

 吸い込まれそうな二人の瞳…。 その奥底で、はずんだ種のイメージが鳳仙花(ほうせんか)のようにはじける。


“プリキュア! オープン・マイハート!!”


 まばゆい光に、ラブが顔を覆う。 指の隙間から凝らした目に映ったのは…。

(花…?)

 寄り添って咲く、ピンクとシアン、2色のパステルカラーの花…。

 いや、それは花のように咲く可憐な衣装をまとった二人の姿だった。


「大地に咲く一輪の花…。 “キュア・ブロッサム”!」

 舞い散る桜の花びらの使者…。


「海風に揺れる一輪の花…。 “キュア・マリン”!」

 波間に浮かぶ雛菊(ひなぎく)の花びらの使者…。


「“こころの花”を守る、あたし達だから」
「清らかな花を蝕む“毒花”の芽、早々に摘ませてもらうわ!」

 ラブの目の前で、現れた二人のプリキュアがフュージョンに飛びかかる。

 フュージョンは何本も分かれた腕から連撃のように拳を繰り出すが、二人はその全てをはじき返し、懐に飛び込んだ。

 二人がかりの拳と蹴りの猛打を受け、フュージョンの姿がいびつに歪む。 が、粘土細工のようにその身体が一度練り固まると、再度人の姿を成す。

 その身体は、先ほどより一回り大きくなっていた。

「そいつに普通の攻撃はだめっ! 力を吸収されるよ!」

 ラブが警告の声をあげる。

 けど、どうすればいいのか? 歴代のプリキュア全員の最強の技を一斉にぶつけ、オーバーロードさせてようやく倒せたほどの相手だ。

 二人のプリキュアも、フュージョンを前に身構えながら攻めあぐねている。

「奇跡の光(ミラクル・ライト)…」

 ラブが呟く。

 あの時、シフォンを守りフュージョンの分身を消滅させた光。 “ミラクル・ライト”さえあれば…。

 そんなラブの呟きを、二人のプリキュアは聞き逃さなかった。

「そっか。 ミラクル・ライト…」
「ミラクル・ライトね…」

 二人は頷き合うと、片手を繋ぐ。

 空いたもう一方の手に、きらびやかな錫杖(ロッド)が現れた。

 片手を繋ぎ合ったまま、手にしたロッドの先端を、フュージョンに突きつける。

「“ハート・キャッチ ミラクル・ライト”!!」

 ロッド先端の宝石が輝きを放つ。 そこから溢れた“奇跡の光”が、フュージョンの姿を照らし出す。

「なにっ!? うおおおぉぉ!」

 光にさらされ、その銀色の身体は突風に舞い散る飛沫(しぶき)のように吹き消えていく。

 歴代のプリキュアたちの危機となるはずだったフュージョンの亡霊は、その脅威をさらす前に“新たなる力”によって立ち消えていった。


 ピンクの花のプリキュアが、足元に落ちているラブのリンクルンを拾い上げる。

 そして呆然とするラブの前まで歩み寄ると、それを差し出した。

「はい」

 ピンク色の衣装。 ピンク色の髪。 そしてピンク色の瞳…。

 まだ生まれたばかりの、けれど未来への希望を秘めたその姿。

「ありがとう。 あいつの弱点を教えてくれて」

「ううん、私の方こそ…」

 ラブはリンクルンを受け取りながら、感極まったようにその姿を目に焼き付けていた。

「ありがとう、助けてくれて。 あなたたちも“プリキュア”なんだね」

 微笑みながら、少女は頷いて見せる。


「ブロッサム!」

 パートナーに呼ばれて少女は身をひるがえす。 が、もう一度ラブの方を振り返った。

「また会いましょう。 先輩」

 二人は揃って跳躍すると、建物の向こうへと消えて行った。


「ラブーっ!」

 入れ替わるように、制服姿の美希と祈里が駆けつけてくる。

「美希たん、ブッキー。 どうして、ここに? 学校は?」

「タルトちゃんと、シフォンちゃんから連絡があったの」

「あの時と同じ、嫌な気配が近づいているって。 それで」

「うん。 でも、もう大丈夫だよ」

 二人が消えた方を見上げてラブが言う。

「助けてもらったから」

「助けてもらった? 誰に?」

「後輩…。 ううん」

 ラブが見上げる空。 黒雲は完全に晴れ、眩しい光が差していた。

「新しい仲間、かな」


 ラブは思った。 世界はきっと、まだ全てが“平和”じゃないんだって。

 晴れた空もいつか雲で陰り、雨が降るように、災いはいつも間近に迫っている。

 けど、きっと大丈夫。 暗雲もまた、いつかきっと晴れていくから。

 新しく吹く風によって…。


 ~Fin
最終更新:2013年02月24日 12:58