幸せの赤い翼――翼の種子のパッション(第13話 集え! 愛が導く奇跡の力)
「私には、幸せになる資格が無いような気がする」
消しても、消しても、胸の奥底から沸き上がってくる想い。一度汚してしまった手を、清める術なんて無くて――
日々後悔して、自分を責め続けることでしか、傷付けることでしか、不安を拭えなかった。
苦痛は時として安らぎで、喜びは時として自分を苦しめる。
「だから、これでいい……」
暗がりに沈む広大な空間。イースは呪いの声に導かれ、より深い闇を目指して歩く。
遠く、背後に見える微かな光――それこそは、せつなとして暮らした街。イースとして壊してきた世界。
だから、彼女はあえて背を向けた。罪を償い、闇に還るために。それで不幸のエネルギーのいくらかでも消えるなら、後はラブたちが――
しばらく進むと、自分の先を行く二つの人影が見えた。
一人は長身痩躯で、もう一人は筋骨逞しく、どちらも若い男性だった。彼らは同時にゆっくりと振り返り、哀しげな顔でこちらを見た。
「あなたたちは――ウエスター! それに、サウラー! どうして、ここに?」
嫌な予感がして、イースは叫ぶように尋ねる。
ここは時間と空間が支配する現実世界ではない。不幸のエネルギーの呪いの力と、自分の精神とが交じり合って生まれた世界だ。
あらゆる時間の、あらゆる場所が出現し、あらゆる人物が登場する可能性がある。問題はそこではなくて――
この先に待つのは、恐らくは死だってこと……。
「お前と同じだ。どうやらオレたちには、幸せになる資格がないらしい」
「因果応報ってことさ。メビウス様も、ノーザやクラインたちも先に行ってる。これで、君の望んだ通りになったね……」
それだけ言って、彼らは再びイースに背を向ける。ゆっくりと歩いているように見えるのに、まるで走っているような速度でその背中が遠ざかっていく。
イースはたまりかねて駆け出した。不思議なことに、全力で走っても距離は縮まらない。むしろどんどんと離されていき、やがてイースは一人、暗闇の中に取り残される。
「待って! そんなつもりじゃない! 私は、そんなつもりで言ったんじゃ――」
そこで言葉が途切れる。
(じゃあ、どんなつもりだったというの……)
彼らを引き留めようにも、説得できる言葉が自分の中には無かった。
(そう――だった。私は、何より、自分自身が許せなくて……。ラビリンスを道連れに、この身を滅ぼそうと考えていた)
自分に幸せになる資格が無いのだとしたら、イースと同じ罪を犯した人々もまた、幸せにはなれない。ウエスターやサウラーがそうだ。
彼らに命じたメビウスも、参謀のクラインも、最高幹部のノーザも、そして――
「まさかっ!」
ゾッとするような悪寒に襲われて、イースは狂ったように駆け出した。
周囲に視線を走らせて、ウエスターとサウラーを探す。しかし、行けども行けども、彼らの姿は見えず、代わりに目にしたのは――
ザッ、ザッ、ザッと響く、まるで精密機械のように規律正しい数多の靴音。
呪詛の声と同じくらい暗く、正反対に冷え冷えとした、まるで生気の感じられない声――
全てはメビウス様のために。 全てはメビウス様のために。 全てはメビウス様のために。
全てはメビウス様のために。 全てはメビウス様のために。 全てはメビウス様のために。
全てはメビウス様のために。 全てはメビウス様のために。 全てはメビウス様のために。
全てはメビウス様のために。 全てはメビウス様のために。 全てはメビウス様のために。
全てはメビウス様のために。 全てはメビウス様のために。 全てはメビウス様のために。
おびただしい数のラビリンス人が、イースの視界を埋め尽くしていた。
メビウスの支配下に置かれ、メビウスに忠誠を誓って働き、全パラレル支配の礎となることで――
知らず知らずの内に、イースと同じ罪を背負ってしまった者。彼女と同じく、幸せになる資格を持たない人々。
それこそは、さっき感じた嫌な予感の正体。幸せが何かも知らないまま、主と心中することを受け入れた、無表情な全国民の大行進だった。
「これで……良かった? これが、私の望んだ未来なの? これが――私が作りたかった世界なの?」
“違う――っ!!”
そう強く念じた瞬間、イースの腰に装着したリンクルンが強い輝きを放つ。真っ赤な閃光は暗闇を切り裂き、外から光が差し込んでくる。
暗闇の正体は、密集した無数の腕だった。閉じた世界を破られて、自由になった腕がイースに迫る。
(一体! どこからどこまでが現実なの!?)
イースは持てる体術を駆使して、次々と襲いかかる腕を回避していく。
腕の動きは極めて鈍く、掴む力は脆弱で、一般人のそれと大差ない。だが、あまりにも数が多すぎた。
まるで四方から迫る壁に挟まれたようなもので、やがては掴まってしまう。身体が締め付けられ、捩じ上げられ、全身を引き裂かれそうになる。
(なんとか、脱出しなければ。今はまだ――死ねないっ!)
しかし、拘束を解くどころか、更に幾千もの腕が押し寄せて、イースの身体を覆い尽くしていく。
攻撃を受けているというより、超重量で圧し潰されていくような感覚だった。
呼吸すら侭ならず、肺から全ての空気が押し出され、意識が朦朧としていく。
もう、限界か……ぼんやりと、そう思った時だった。
突然、イースを繭のように囲っていた腕の集合体が――真っ二つに切り裂かれる。
「あなたは……」
開けた視界の先には、まるで自分を鏡に映したかのような、一人の少女が立っていた。
赤いカットソーに、紺のスカートとジャケットといういでたち。ミディアムレイヤーの黒い髪に、雪のような白い肌。
ルビーのように赤く輝く瞳は、強い意志を讃えて爛々と輝く。
「どうしてあなたが……私を助けるの?」
少女が出現したこと自体は、さほど驚くことではない。イースの記憶にある、全ての人物と場所が出現してもおかしくはないのだから。
しかし、不幸のエネルギーが支配しているこの時空の中では、誰もイースをかばうはずがないのだ。
少女は右の手刀を一閃させる。わずか一振りだった。
それだけで、まるで無数の刃で斬り付けられたかのように、イースを拘束する数千の腕が消滅した。
「私は、あなたの記憶から生まれた幻覚じゃない。この不幸のエネルギーに溶かされた、ノーザの蔦から流れ込んだ“意思”よ」
「私の記憶が……ソレワターセとしての意識が――あるのね?」
少女はコクリと頷く。
「そう……助けてくれてありがとう。だけど、もうわからなくなったの。私に、幸せになる資格があるのかどうかすら――」
「離れていても、心は繋がっている。あなたの幸せを願う人のために、あなたは帰らなければならない」
「えっ? それは、その言葉は――」
イースの言葉を遮るように、少女は両手をイースの頬に当てて、ジッと彼女の顔を覗き込む。
少女の視線と、イースの視線が交じり合った瞬間、何かがイースの頭の中に飛び込んできた。
まるで別の空間に跳ばされたかのように、周囲の様子が一変する。
眩い光の中で、少女と自分が一つになる。頭の中に、膨大な情報が流れ込んでくる。
それは――
“異なる自分”が、見てきた景色。
“異なる自分”が、体験するはずだった出来事。
“異なる自分”が、感じてきた想いと――決意。
それは、少女の存在の全てであり、少女が命より大事にしているもの。たった数日間の――四つ葉町で過ごした彼女自身の、本物の記憶だった。
「ダメ……よ。こんなもの――受け取れないわ……」
「私は、おかあさんと二つの約束を交わしたの。一人じゃ両方は果たせないから、あなたに力を借して欲しいだけよ」
そう言って少女は微笑み、空気に溶けるように姿を消した。
それと同時に、再び辺りは闇に包まれる。残りの腕が動き出し、イースに襲いかかる。
憎悪の念を撒き散らし、呪いの言葉を吐き出しながら、奈落の底へと引きずり降ろそうとする。
だけど、そこに居るのはもう――さっきまでのイースではなかった。彼女はただ静かに、迫り来る腕を見つめて――
すうっと大きく息を吸い込むと、凛とした声で、高らかに宣言した。
「ラブは私の正体を知った上で、それでも抱きしめてくれた。おかあさんとおとうさんは、私の素性を尋ねもしないで、娘として愛してくれた。
笑顔は誰にでも与えられるもので、喜びは誰もが感じられるもの。幸せになる資格とは――誰もが持っているものよ!」
(そんな人々だから、こんなにも愛しいと感じた。そんな街だから、こんなにも守りたいと思った。そんな世界だから、きっと正しいと信じることができたっ!)
“あなたたちは、私の弱い心が生んだ幻よ! 誰かを不幸にしたって、自分の幸せには繋がらない! それを教えてくれたこの街の人たちが、私の不幸を望むはずがないわっ!!”
イースの腰のリンクルンが、これまでにない強さで輝く。その赤い光を浴びた腕は、瞬く間に蒸発していく。
全ての腕が消えた後、イースはそっと目を閉じて、その場から姿を消した。
『幸せの赤い翼――翼の種子のパッション(集え! 愛が導く奇跡の力)――』
「ここ……は? ラブっ!?」
「良かった……。心配したんだから」
割れそうに痛む頭を振って、イースは意識を覚醒させる。目を開くと、そこには安堵の笑みを浮かべるピーチがいた。
視界が悪くて全身は見えないが、どうやら抱きしめられているらしかった。
「そう、私は幻覚を見ていたのね……。ベリーとパインはどこ?」
「アタシなら側にいるわ、パインもね。なかなか起きないから心配したわよ」
「わたしたちも、さっきまで悪夢を見ていたの」
どうやら四人同時に、自分が最も恐れる世界を見せられていたらしい。今は、目覚めるのが一番遅かったイースを守るため、全員が一塊になっていた。
不幸のエネルギーの攻撃は、ピックルンの単独の護りでは防げない。四色の光を重ねることによって、辛うじて不幸のエネルギーの浸入を止めていた。
しかし、その光も徐々に弱くなっていく。ピックルンの力が尽きかけているのだ。
「みんな聞いて! 人間は誰だって間違いを犯すものよ。アタシだってそう。反省してる。後悔もしてるわ。だから、完璧になりたいって努力してるの」
「人間も動物も同じよ。罪の無い命なんて存在しないわ。生きるって、許しあうことだと思う」
「罪を憎んで、人を憎まず。あたしも、ラビリンスを憎んでいた。親友を攫われて、大切な人たちを傷付けられて、許せないって思ったの。
でも――違った! 間違ったことは、絶対にやめさせなきゃならない。だけど、人は憎んじゃいけないの。だって、人は愛しあえるから!
あたしね、愛って何なのか、わかったような気がする。相手の、“幸せを願う心”なんだよね? そして、“全てを許せる心”でもあると思うの」
ピーチ、ベリー、パインは、懸命に説得を続ける。さっきから、いや、不幸のゲージに飛び込んでから、ずっとそうやって語りかけていた。
しかし、愛情は伝わらず、希望は叶わず、祈りは届かなかった。
不幸のエネルギーは、際限なく負の感情を高めていく。
怒りから憎しみを――嘆きから呪いを、その全てを力に変えて、少女たちを喰らい尽くさんと牙を剥く。
「そうじゃないわ。彼らは、私を恨んでいるんじゃない」
「「「イース!!」」」
「許してもらえるはずがなかったのよ。私は負い目から、自分を傷付けてばかりで、ちゃんと彼らの気持ちに向き合わなかった。
不幸とは、幸せを渇望する気持ちなの。私が――イースがそうだったから……。
うらやましいって、思った。壊してやりたいって、そう思ったわ。だけど、本当は、みんなの不幸を望んでいたわけじゃない!
みんなの幸せが羨ましくて、私も一緒に幸せになりたくて、救いを求めていただけだった!」
不幸に堕ちた者は、幸せな者を妬むことがある。他人の幸せを憎んで、傷付けることがある。足を引っ張り、引きずり降ろそうとすることがある。
だけど、それは本当は、相手の不幸を望んでいるわけじゃなくて。
ただ――救いを求めているだけ。自分も幸せになりたくて、手を伸ばしているだけだって。
「ねえ、ピーチは言ってくれたわよね? 楽しいことだけじゃなくて、辛いことも、悲しいことも、全部分け合って乗り越えていこうって。だから、私も――」
イースは、憎しみに対して、愛情で向き合う。そして、深く――深く、頭を下げた。
「私は、この街の人たちが好き。この世界の人たちと、一緒に幸せになりたい。それを目指して、ひとつひとつやり直すことを――どうか許してください」
ピーチの頭の中に、再び源吉の言葉が蘇る。
『いいか、ラブ。みんなで幸せゲットするってことはな、みんなで不幸を乗り越えるってことだ。他人の痛みを自分の痛みとして感じて、一緒に泣いて、その後、一緒に笑うってことだ。そうすりゃ、大抵の不幸なんてものは幸せに変わっちまうもんだ』
(そっか、あたしはイースをかばいたいばっかりで、不幸のエネルギーの“悲しみ”の半分こが、できてなかったんだね)
ピーチは、イースの手をしっかりと握り直し、自分も同じように頭を下げる。
「あたしもイースと一緒に、この街のみんなと一緒に、幸せゲットしたい。だから、イースを許してあげて。一緒に幸せになることを許してください」
「アタシも同じ気持ちよ。どんな困難に遭っても、みんなで助け合えば笑顔になれる。みんなと一緒に笑うことがアタシの幸せよ。みんなの中には、イースも入ってるの。だから許してください」
「どんなに辛いことだって、悲しいことだって、乗り越えられたら、前よりずっと幸せになれるって、わたし、信じてる。わたしも、みんなと、イースと一緒に幸せになりたい。だから許してください」
ピーチはベリーの手を、ベリーはパインの手を、パインはイースの手を、イースはピーチの手を握り、不幸のエネルギーに向き合う輪となって、深く――深く、頭を下げる。
もはや、ピックルンの力はほとんど残っていなかった。この光が完全に消えたら、彼女たちの変身も解けてしまう。そうなったら――
まさしく命を賭した願いだった。その祈りが届いたのか――初めて不幸のエネルギーの動きが止まる。
それと時を同じくして、不幸のゲージを狙って、上空から流星のような光が降り注ぐ。
不幸のゲージのヒビ割れた隙間を潜り抜けて、何百――何千――何万もの光が撃ち込まれ、内部のエネルギーと溶けて交じり合う。
イース、ピーチ、ベリー、パインは、目も眩むような光の中に投げ出されたのだった。
シフォンの額から放たれた光は、上空で粒子となって拡散し、街中に降り注いだ。
それは、不幸のエネルギーの負の感情を、クローバータウンの街の人々と繋いで、元の主に送り届ける力だった。
ある者は、仕事帰りの電車の中で。ある者は、家族との食事の団欒で。またある者は、寝室の布団の中で、かつての自分の念と向かい合う。
それは――嘆き。それは――悲しみ。
幸せな日々を奪われ、泣き叫んだ、自分自身の想い――
恐い――誰か――助けて。辛い――悲しい――どうして。悔しい――憎い――許せない。
恐い――誰か――助けて。辛い――悲しい――どうして。悔しい――憎い――許せない。
恐い――誰か――助けて。辛い――悲しい――どうして。悔しい――憎い――許せない。
恐い――誰か――助けて。辛い――悲しい――どうして。悔しい――憎い――許せない。
恐い――誰か――助けて。辛い――悲しい――どうして。悔しい――憎い――許せない。
頭に鳴り響く、かつての自分の声。
そうだ! こんなに苦しかった。こんなに悲しかった。こんなに……憎かった。
じゃあ――誰かを同じ目に遭わせてやりたかったのか? あのときは、そんなこと考えてなかった。
ただ、この現実を認めたくなくて。幸せな時間を壊されたことが、信じられなくて。
あのときの自分の気持ちが、今になって――誰に向かっている?
憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。
憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。
憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。
憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。
憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。憎い――憎い――憎い。
四つ葉町で暮らす全ての人の脳裏に、一人の悲しき少女の姿が浮かぶ。
ソレワターセという強大な敵を前に、プリキュアが敗れ、たった一人で戦い続けていた、白衣の少女。
己の過去を悔いて、四つ葉町の住人の憎しみを背に受けて、それでも、命を賭して戦うと誓った少女。
後に、みんなの目の前で、四人目のプリキュアに生まれ変わった、キュアパッション。
全ての住人が、自宅から、仕事場から、交通機関から、外に出てきて森の方角――その一点を見つめる。
目を閉じると浮かぶ、プリキュアと――そしてイースの窮状。
かつての自分の嘆きが、悲しみが、怒りと憎しみのエネルギーとなって、彼女たちに牙を剥く。
「黙れ! お姉ちゃんの悪口を言うヤツは、ボクが許さないぞ!」
「うん、やっつけちゃえ、おにいちゃん!」
空に敵をイメージして、木の棒を元気よく振り回す少年がいた。
そんな兄を頼もしそうに、拳を突き上げて応援する少女がいた。
「こらっ、あなたたちは危ないから、家の中に入っていなさい!」
「ヤダよ! お姉ちゃんは、ボクたちを助けてくれたんだ。それも二度もだよ!」
「二度じゃないよ、おにいちゃん。おねえちゃんは、プリキュアなんだもん。ずっと、あたしたちを守ってくれてたんだよ」
棒切れを手に、勇ましく森に駆け出そうとする兄妹を、母親らしき女性が止める。
しかし子供たちは、ヤダヤダと身を捩って、その腕から飛び出そうとした。
「放してよ! 今度はボクらがお姉ちゃんを助けるんだ。当たり前だろ?」
「そうよ、当たり前でしょ!」
「馬鹿言うんじゃありません! あんなに大きな……恐ろしい化け物を、あなたたちがどうしようと言うの?」
「ボクは小さいし、弱いよ。だけどわかるんだ。あの化け物は、怖い怖いって震えてたボクらの心から生まれたんだって。他の誰に負けたって、ボクはボクには負けないぞ!」
「そうよ。あたしだって、弱いあたしになんか負けないもん!」
その言葉を聞いていた街の人々の間から、ざわざわと賛同の声が上がる。
その人だかりの中から、白衣を着た女性が進み出て、棒を握る少年の手を、そっと両手で包み込んだ。
「戦うのはプリキュアに任せて、私たちは祈りましょう。あれが私たちの弱い心が生み出したものなら、それに負けない強い心を届けましょう」
そう言って微笑み、女性は自ら手を合わせた。静かに頭を垂れて、重ねた両手の指先を天に向ける。自然な動作でありながら流麗で、そして厳かな祈りだった。
その隣には大柄な男性が寄り添い、こちらは大きくてごつごつした指を、胸の前で組み合わせる。華麗さの欠片もない、朴訥な祈り方だった。
少年と少女は、どうしたらいいかわからず、そんな二人を交互に眺める。
「好きなやり方でいいのよ。応援の気持ちを届ければ、それは祈りになるわ」
中肉中背の、穏やかそうな夫婦も手を合わせる。その後ろから、派手なコートを着たロングヘアの女性が進み出て、こちらは森に向かって叫んだ。
頑張りなさい、負けちゃダメよって。
それを見て、子供たちも続く。張り裂けんばかりの声で――
「イースお姉ちゃん、頑張れ――っ!」
「イースおねえちゃん、負けないでー! プリキュアも負けないでー!」
その応援がキッカケとなり、そんな声が、街の至るところから上がり始める。
「プリキュアを助けろ! イースを救えっ!」
(そうだ! 俺たちは――私たちは――)
“イースの不幸なんて、誰かの不幸なんて――望んでいない!!”
「イース、頑張れーッ!」
「がんばれ! イース!!」
「負けるな! 俺達が付いてるぞ!!」
「イースお姉ちゃん、がんばれ――!!」
イース! イース! イース! イース! イース! イース! イース! イース! イース! イース!
イース! イース! イース! イース! イース! イース! イース! イース! イース!
イース! イース! イース! イース! イース! イース! イース! イース!
イース! イース! イース! イース! イース! イース! イース!
イース! イース! イース! イース! イース! イース!
イース! イース! イース! イース! イース!
イース! イース! イース! イース!
イース! イース! イース!
イース! イース!
イース!
かつての――四つ葉競技場の奇跡の再現を願って。「イース!」の大合唱が、街の至る所で巻き起こる。
それは、不幸を乗り越えた人々の心の叫び。そして、懸命に戦ったイースや、プリキュアに対する感謝の気持ち。
人々の祈りは、想いは、空に満ち、無数の光となって、やがて尾を引いて飛び去っていく。
「コレハ……コノヒカリハ……ナンダ? ナニガオコッテイル?」
それは神秘的な光景だった。四つ葉町のあらゆる場所から浮かび上がった光が、まるで吸い寄せられるように森へと飛来する。
ノーザは巨大な身体を捻って、怯えたように上空を仰ぎ見た。
草むらの中から、タルトも口をあんぐりと開けて空を眺めていた。その隣では、額に十字の輝きを宿したシフォンが、無邪気な笑い声を立てている。
「あれは……まさか、不幸のエネルギーを生み出した、この街のみんなの心なんか?」
「キュア! キュア!」
光はどんどん増えていき、ノーザの真上で静止する。暗かった夜空が、無数の星々の如き光で燦然と輝く。
やがて、光の数が街の人の数に重なった時、全ての光は狙いすましたように、一斉にある一点に向かった。
壊れたゲージの亀裂から、幾万の光が飛び込む。不幸のエネルギーに溶け込み、少女たちを包み込む。
やがて光が収まり、森が元の静寂を取り戻した時、彼女たちを取り囲む不幸のエネルギーは、まるで違うものに変質していた。
濁った黄色い液体は、澄みきった、清らかな青い水へと姿を変えていた。
温かくて、優しくて、力強くて。体中に力が漲り、疲れや痛みは外へ流れ出ていく。
ただそこに居るだけで、心に喜びが満ちていく。
「これは……。いったい、どうなってるの?」
「不幸のエネルギーが……別の何かに変わっている?」
「どこからか、祈りの声が聞こえてくる……」
「この水の感覚は、幸せの泉と同じ。たくさんの人の嬉しい気持ちや、楽しい気持ちが集まって生まれた――幸せのエネルギーよ!」
街の人たちの想いが流れ込んでくる。頑張れって、励ましている。負けるなって、応援している。
一緒に幸せになろうって、願っている!
力尽きかけていたピックルンたちの体にも、異変が起こった。
ピルンが、ブルンが、キルンが、そして、アカルンが、それぞれ白い衣装を身に纏ったのだ。
「これは……なに? 身体が――熱い!?」
「幸せのエネルギーが、アタシたちに力を与えてくれる!」
「みんなの祈りが、奇跡を生もうとしてる!」
「ありがとう――私は戦うわ。今度こそ、みんなと一緒に幸せになるために!」
イースの身体が赤い光に包まれたかと思うと、幸せのプリキュア・キュアパッションが現れる。だが、変化はそれだけではなかった。
“チェインジ・プリキュア・ビートアップ!!”
パッション、ピーチ、ベリー、パイン。
それぞれの胸にある四つ葉のマークに、新たに白い葉が加わって、五つ葉となる。
ホワイト!――ハートは!――みんなの心!
羽ばたけ!――フレッシュ!――
“キュアエンジェル!!”
叫びと共に、ノーザの右手に当たる部分、根っ子のような腕に握られた不幸のゲージが、内部から弾けて四散した。
飛び出した四人のプリキュアは、緩やかな弧を描いて上空に舞い上がる。
飛翔している間にも、その姿を変えながら――
ピーチの背中に、純白の大きな翼が生える。服の色は薄桃色に変化して、脚には赤いガーターベルトが装着される。
ベリーの背中に、鋭角的な翼が生える。衣装が華麗に伸びて、よりスマートでシャープなフォルムとなる。
パインの背中に、柔らかい翼が生える。頭のリボンは巨大化し、丸みを帯びた衣装に可憐なフリルが付く。
パッションの背中に、ピーチと同じ純白の翼が生える。スカートは大きく開き、黒いリボンとガーターベルトが装着される。
降臨する――四人の天使たち。
嘆きと悲しみを乗り越えて、笑顔と喜びをもたらす愛ある光。
伝説にもない奇跡が、不幸を幸せへと導くため、今――ここに顕現したのだった。
「やったで! みんな無事やったんや。しかも、こんなん聞いたこともあれへん。これぞ、伝説にもない奇跡のプリキュアや。新たなる伝説の幕開けやぁ!」
「キュア! キュア!」
タルトが跳び上がって喜ぶ。シフォンが嬉しそうにクルクルと飛び回る。
その美しい外見も然ることながら、全身から迸る、凄まじいまでの――力。
「ナンダ……アレハ? ナゼ オマエタチハ イキテイル? イヤ……ソンナコトハ ドウデモイイ。コンドコソ コノテデ シマツ シテヤル――ッ!」
地響きのような声でノーザが叫ぶ。言葉としては聞き取れなくても、暴風のように叩き付けられる殺気が、その意味を物語っていた。
既にノーザの身体は、最初に現れた時と比べても、数倍の大きさにまで成長していた。
いかにキュアエンジェルが強力であろうとも、今のノーザから見れば芥子粒ほどの大きさでしかない。
ノーザは圧倒的な優位を確信して、数十本の蔦を飛ばす。その一本一本が、直径だけでもプリキュアの体より大きかった。
エンジェルピーチは、無造作といっていい動きで右手を突き出す。その掌から発生したハート型のバリアーは、ノーザが放った全ての蔦を軽々と受け止める。
後ろの三人は、回避行動すら取っていなかった。
「オノレ オノレェェ――!!」
ノーザは、狂ったように蔦を跳ばす。一方向しか張れないバリアーであれば、全方位から攻撃してやればいい。
数百本もの蔦をムチのようにしならせて、キュアエンジェルに猛然と襲いかかる。
しかし、全てはバリアーで防がれ、あるいは飛翔して回避され、何度繰り返しても掠めることすらできなかった。
「あのノーザが、まるで相手にならへん。圧倒的やないか。それにしたって……」
「キュア~?」
タルトが疑問に感じたのは、これほどの力の差がありながら、キュアエンジェルからは一度も攻撃していないことだった。
「そうか、ピーチはんたちは……」
キュアエンジェルが一度も攻撃してこない。その意味は、ノーザも理解していた。
既に、プリキュアは自分を脅威として見てはいないということ。倒すのとは別の目的で、自分に対峙しているのだということを。
そして、ついに戦況が動く。エンジェルピーチが攻勢に転じたのだ。手にしたハート型バリアーを巨大化させ、蔦を押し返しつつ、そのままノーザに叩き付ける。
バランスを崩して転倒したノーザに、ピーチは高らかに宣言する。
「ノーザ、あの子を――返してもらうよっ!」
上空高く舞い上がったキュアエンジェルは、両手を翳してハートを形作る。
生まれた四色の光のハートは、ピーチの掛け声で一つに合わさり、大きなハート型のオーラとなる。
四人の心から生まれたハートは、上空に散らばった幸せのエネルギーを取り込みつつ、大きく大きく膨らんでいく。
「ハァ――ッ!」
ピーチが両手を上空に掲げる。まるで、空を掴むかのように――空に浮かんだ心を掴む。
上げた両手を弓のように引き絞り、力強く前方に突き出した。
トリガーを引き、撃鉄を叩き降ろすように、放たれる――キュアエンジェルの究極の技。
“想いよ、届け!!”
“プリキュア・ラビング・トゥルーハート!”
“みんなの想い”は、迸る光の奔流は、ノーザの巨体を呑み込んでいく。
ノーザが限界近くまで吸収した不幸のエネルギーを、幸せのエネルギーに変えていく。
それと共に、醜く歪み、捻じ曲がり、巨大化したノーザの体が、少しずつ小さくなっていく。
その間にも、“ラビング・トゥルーハート”のエネルギーは、ノーザの体内に取り込まれた“大切な人”を探し出す!
「メビウス――様ァァアアア!!」
ノーザが、やっと声として聞き取れる呻き声を上げた。その体は、もはや通常のソレワターセと変わらないサイズにまで小さくなっていた。
後――少しだった。このままいけば、ノーザと“彼女”を完全に分離させることができる。
しかし、その時、彼女たちの前に二人の男が立ちはだかった。
「そうは――させん!」
「気休めにも――ならないと思うけどね」
“彼女”に敗れ、意識を失っていたウエスターとサウラーが目を覚ましたのだ。
彼らは何も事情を知らなかった。ノーザが人間ではないことも、ソレワターセの少女の悲しみも。
ただ、ノーザという“仲間”の危機に駆け付けただけ。それとて、もはや本来のラビリンスの人間の考え方ではなかった。
「邪魔を――しないでっ!」
サウラーの判断した通り、彼らの張るバリアーなど、今のキュアエンジェルには障害にすらならない。
エンジェルピーチは、“ラビング・トゥルーハート”のエネルギーをコントロールして、彼らを回避しつつノーザに狙いを絞り込む。
しかし――
「待って! ピ-チ、あれを見て!」
「ピーチ、あの子が――!」
ノーザの体と重なるようにして、彼女をかばって両手を広げる、半透明の少女の姿が浮かび上がる。
わずか一瞬で消えてしまったその姿は――間違いなく、ノーザに取り込まれたソレワターセだった。
「そんな――どうして……」
パッションはピーチの手に、自分の掌をそっと重ねる。それは、技の中断を合図するものだった。
抗議の目を向けるピーチに、パッションは静かに首を振った。
「だけどっ!」
「あの子が、自分で決めたことよ。私にも止められない――」
“ラビング・トゥルーハート”を中断して、キュアエンジェルは地上に降り立つ。
油断無く身構えるが、もうノーザは戦える状態ではなかった。ボロボロになった体を何とかコントロールして、人間に――ラビリンス最高幹部の姿に戻る。
「私に情けをかけたこと――必ず後悔することになるわ。覚悟しておきなさい」
「ノーザ、待って! あの子を――あの子だけは返して!」
ピーチの懸命の願いに、初めてノーザは彼女と目を合わせ――そして首を振った。
「追い出したいのだけど、拒まれたわ。忌々しいくらいに優秀で、私の命令を聞かない子だこと……」
戦いは終わったと判断したのだろう。ウエスターとサウラーも構えを解いて、彼女たちと向かい合う。
「見逃してもらえたのは感謝するが、この前の件で貸し借り無しだ」
「恩には着ないよ。いつか、仇で返させてもらう」
ノーザは二人に肩を貸してもらって、なんとか空間の扉を開く。その先は、彼女の隠れ家でもある研究室になっていた。占い館を失った今となっては、唯一の拠点でもある。
しかし、キュアエンジェルたちは後を追おうとはせず、ただ――じっと彼らを険しい目で見つめるだけだった。
クローバータウンストリートの大通りにある、スーパーマーケット。その青果売り場の一角で、桃園あゆみは野菜の陳列をしていた。
本来の業務はレジ係なのだが、日替わりの特売品の補充を頼まれたのだ。
慣れない仕事に手間取って、手元にばかり意識が集中していた。
そしてスーパーにはよくあることだが、プツリとお客さんが途切れる時間がやって来た。
周囲から急にお客さんの影が消えたことも、そして――背後に一人の女性が立ったことにも、あゆみはまるで気付かなかった。
黒髪のロングヘアで、長身な上に抜群のスタイルの女性。小顔で繊細な顔立ちながら、目尻は鋭く上がっていて、キツ目の美人という印象の人物。
その女性が、右手の指先をあゆみに向ける。美しく手入れされた爪が、刃物のような煌きを放つ。
それがあゆみの首元に触れる寸前で、女性は動きを止めた。
一瞬、全身を硬直させたかと思うと、すぐに爪を引っ込める。それと同時に、あゆみがその女性に気付いた。
「あら、やだっ、すみません。お客様、何かお探しですか?」
「いえ……こちらこそ。夕飯を何にするか決めかねていて、お勧めの食材はないかと思って」
女性はとっさに嘘を付く。それを聞いたあゆみは、パッと笑顔になって、並べたばかりのジャガイモの山を指差した。
「今日はこちらの男爵芋がお買い得なんですよ。マッシュポテトとか、コロッケなんていかがでしょう?」
「――そうね。コロッケなら得意だから、それをいただいていこうかしら」
「ありがとうございました!」
大きくお辞儀をして、女性を見送るあゆみ。
その女性――北那由他は、自分の指先と、大量に買い込んだじゃがいもを見てため息を付く。
あゆみに麻痺毒を塗った爪を突き立てて、昏睡させて誘拐するつもりだった。しかし、実行する直前に手が動かなくなってしまった。
いや、ここに来る前から、身体の動きが鈍かった。気が進まない――とでもいうのだろうか? おまけにあゆみの姿を見ただけで、胸が切なく苦しくなって、悪意も敵意も霧散してしまったのだ。
(おかあさん――ね……。本当に、くだらない……)
どこかでジャガイモを捨てて帰ろうと考えて、ふと思いとどまる。
プリキュアとの決戦の日は近いだろう。不幸のエネルギーを失った今、せめて部下の心は掌握しておきたい。
まして、ウエスターとサウラーには、無様にも庇ってもらった借りがある。上司として、最高幹部として、手料理の一つくらいはご馳走してもいいかもしれない。
幸いにも、ソレワターセの所有していた知識と力は、いまだ自分と共にある。
(いつか、この身体からこの子を追い出すまでは――便利に使うのが上策というもの……)
たっぷりと長い言い訳を自分自身にすると、北那由他は建物の陰から自室へと転移した。
その先には、理屈っぽい皮肉屋と、脳みそまで筋肉の大食らいの部下が待っている。「本当に、憂鬱なことね」と、ため息を付きながら――
そんなノーザの様子を、こっそりと陰から見張っていた人物が居た。気配を完璧なまでに消して、少女とは思えない鋭い眼光で、一挙手一投足の全てを注視していた。
その者の名は東せつな。元、ラビリンスの幹部、イース。四番目のプリキュア、キュアパッション。
彼女は、北那由他が完全に姿を消すまで見届けると、クスリと小さく笑った。
そして、年相応の可愛らしい表情に戻ると、元気よく駆け出した。
目指すは四つ葉公園の、石畳のステージ。今日はそこで、ミユキさんのダンスレッスンがある。
クローバーが全国大会に出場するかどうかの、最終判断をする日でもあった。
もちろん自信はある。必ず優勝するつもりだ。そしてその後は、ラビリンス本国に決戦を挑むつもりだった。
それは、ラブたちとよくよく相談して、決めたこと。
メビウスの野望を打ち砕き――全ての人が幸せになれる世界を築くために――
いつか再び、あの子に会うために――
(私、精一杯がんばるわ!)
街路樹の葉は軒並み落ちて、クローバータウンストリートには厚着の人々が行き交う。
短かった秋が過ぎ去り、街は冬の様相を見せ始めていた。
~~ La fin ~~
最終更新:2014年01月26日 13:18