【気合いのレシピ】/恵千果◆EeRc0idolE
1.響と奏
カップケーキショップ「Lucky Spoon」の夜の厨房。一心不乱にボウルをかき混ぜて、何かを作っている少女がいた。この店の長女、南野奏だ。
いつも以上に真剣な面持ちで、慣れた手つきでシャカシャカとボウルの中身を泡立て器でかき混ぜていた。
そこへ、バターンと大きな音を立てて入って来たひとりの少女。奏の幼馴染みで、奏の作るケーキが大好きな北条響。
「ちょっと響! いきなり何!? ノックぐらいしなさいよ」
「カタイこと言わないの。ね、奏、何作ってるの? ピアノの練習し過ぎておなか減っちゃったあ。これ出来上がったら食べさせてよ」
「こ、これは駄目!」
「えー、いーじゃん」
「カップケーキならお店の残りをあげるわよ」
「えー! これがいいよ。焼きたてがいい」
「だ、駄目だってば!」
「そんなこと言わないで、ねーいいでしょう? お願い。焼けるまでおとなしく待ってるからさ」
響は両手を顔の前で合わせ、しなを作りお願いするが、奏はボウルを抱え持ち、顔を背けた。
「駄目ったら、駄目!」
「……フン。何よ。こんなに頼んでるのに。もういいよーだ! 奏のケチんぼ」
響はくちびるを尖らせ、プリプリと怒りながら厨房を出て行った。
そんな響の後ろ姿を見えなくなるまで見送ると、奏はぽつりと呟いた。
「ごめん響、だって、まだ駄目なんだもん……」
2.響とラブ
数日後の日曜日。
四つ葉町にあるカオルちゃんのドーナツカフェでは、響の愚痴とやけ食いに付き合わされている桃園ラブの姿があった。
「……っていうことがあったの」
「そっかあ。それで響、今日は付き合ってってあたしを呼び出したんだ。それで? その後、奏と仲直りはした?」
「するわけないでしょ! あんなケチんぼと。そんなことよりカオルちゃん、ドーナツおかわりじゃんじゃん持って来て!」
「あいよ!」
「ラブもどんどん食べてよ」
「いいけどさあ……ちょっと食べ過ぎじゃない?」
「何よ、ラブまで! 今日はとことん付き合ってくれるんじゃなかったの!?」
「たはは~、わかったわかった」
「はいお待たせ、お嬢ちゃんたち。カオルちゃん特製、焼け食いドーナツだよ」
怒りながら、響は次から次にドーナツを平らげていく。
「ラブももっと食べてよ」
「いや、あたしはもう……。今夜は家族と外食なんだよね。せつなと初めて一緒に行ったレストランに行くから、おなか空かせておかなきゃ」
にへら~とにやけるラブを、響は恨めしそうに眺める。
「ちぇっ。ニヤニヤしちゃって。つまんないの」
「えへへ~。ごめん響」
「ま、しょうがないか。ラブはせつなひとすじだもんね」
「響だって、奏が大好きなんでしょ?」
「う……それは、その……」
顔を赤らめながら狼狽する響があまりに可愛くて、ラブは思わず笑い声を洩らした。
「わ、笑わないでよ!」
「だってさ、響があんまり図星丸出しなんだもん」
「仕方ないでしょ! 急に振られると弱いのよ」
テーブルにうつ伏せ、赤い顔を隠す響の背中を、ラブは優しく撫でた。
「仲直り……したいんでしょ?」
うつ伏せたまま、今度は素直にうなずく響に、カオルちゃんが近づき、紙袋を渡す。
「ほい、やけ食いドーナツ。たっぷり詰めといたから、奏ちゃんとふたりで食べなよ。おっと、これはやけ食いドーナツじゃなかった。仲直りドーナツね」
「――ありがと、カオルちゃん」
ほんのり温かい紙袋を受け取ると、響は心に誓う。奏と、ちゃんと仲直りしよう。
そんな響を見て、ラブはホッとした笑顔を浮かべて思った。やれやれ、まったく世話が焼けるんだから。
3.奏とせつな
一方、奏はというと。
自宅のカップケーキショップ「Lucky Spoon」で、お店の手伝いに勤しんでいた。
「はいお待たせ、アールグレイのミルクティ」
「ありがとう」
「けど、どうしたの? せつながひとりで来るなんて、珍しいじゃない」
ラブと同居しているせつなが、「Lucky Spoon」にひとりで来たことは今まで一度もない。いつもラブや美希や祈里と一緒に来ていたのに、今日はどうしたのだろう、何かあったのかと奏は少し心配になっているくらいだった。
「実はね、今日、ラブが響に呼び出されてて」
「ラブが響に呼び出された? なんで?」
「響がね、誰かさんとケンカしちゃったみたいなのよ。それでラブが響を慰めてるってわけ」
「誰かさんて……わたし?」
「他に誰がいるのよ」
「ごめん……」
苦笑いするせつなに、申し訳なさそうに謝る奏。
「んもう、謝らないで」
「だって、わたしのせいで響がラブに迷惑かけて」
「迷惑なんかじゃないわ。わたしたち、友達でしょ?」
「……うん」
見つめ合い、ふふふ、と笑い合うふたり。
「ね、わたしもうお手伝い終わりなんだけど、この後わたしの部屋に行かない? ちょっと試食してもらいたいんだ」
「試食?」
「そ。奏特製、気合いのレシピ!」
悪戯っぽくウインクをする奏を、“気合い”の意味がわからずキョトンとした表情で見つめるせつなだった。
4.再び、響と奏
カオルちゃんのドーナツカフェから自宅に戻ったばかりの響が、自室に行こうとした時、電話が鳴った。
「はい、もしもし北条です」
「もしもし、響?」
受話器越しに、よく知った声が聞こえてくる。いつもハイトーンで可愛くて、けど今は、ちょっとだけ不安そうな声だった。
「奏……」
「響、この前はごめん」
「あ、いやそんな……、わたしこそ、悪かったよ」
「ううん、悪いのはわたしよ」
「わたしだよ!」
「じゃあ、ふたりとも悪かったってことにしよっか」
「うん!」
ふふっと思わず笑みがこぼれる。久しぶりに話す、大好きなひと。
「あのね響。あの時わたしが作ってたのって、響に渡そうと思って練習してたケーキだったの」
「そうだったんだ……。ホントにごめん、奏」
「そんなこと、もういいのよ。それでね、今から渡したいの。響の部屋、行っていい?」
「来てくれるの? もちろんいいよ。待ってる」
「うん、じゃあ今から行くから、後でまたね」
ピンポーン。受話器を置くや否や、広い玄関ホールにインターホンが鳴り響いた。
「はーい」
響がインターホンを取ると、モニターには、恥ずかしそうに微笑む幼馴染みの姿が映っていた。
「来ちゃった」
「えっ、奏!?」
急いでドアを開ける。ドアの向こうにいた奏は、薄いサックスのモヘアのセーターに真っ白のミニスカート。すらっとした脚線美に膝小僧が眩しい。白いリボンカチューシャでロングヘアにアクセントを加えた、爽やかなフェミニンスタイル。
「携帯から掛けてたんだ」
ペロッと舌を出す仕草まで、何とも可愛くて様になる奏だった。
「そっか、びっくりしたよ。とにかく、いらっしゃい」
「お邪魔します」
「なんかよそいきだね、そのカッコ。いつもお洒落だけど、今日はいつも以上に可愛い」
「あ、ありがと……」
響はいつもこうだ。深く考えず、何の気もなくスマートに奏を褒める。こうやって褒められてしまうと、照れくさくて口数が少なくなるのも奏の常だった。
「さ、どうぞ」
何度も来ていて、慣れているはずの響の部屋。なのに、どこかそわそわと落ち着かない。
「今なんか飲み物入れるよ」
「いいよ。それより響……はいこれ」
奏がおずおずと差し出したのは、ピンクのリボンで可愛くラッピングされた、黒の紙箱。
「これが練習してたって言ってた、アレ?」
「そ。開けてみて」
「うん」
響にしてはリボンを丁寧気味にはずし、包装紙を開いて箱を開け、ゆっくりと中身を取り出した。
「チョコのカップケーキ?」
「まあ、それでも間違いないんだけどね、一応、ダブルチョコレートマフィンなの」
「ダブル……」
「生地にも純ココアをたっぷり使ってて、それだけでも美味しいんだけど、そのココア生地にチョコチップをふんだんに混ぜ込んで焼いたの。だから、ダブルチョコレートマフィン。何回も何回も作って、ようやく気合いのレシピが完成したの。実はこの前、せつなにも試食してもらったんだ。これなら絶対に響も気に入ってくれるって言ってくれたの」
「美味しそう……食べていい?」
「もちろん! 響のために焼いたんだよ。どうしても今日渡したくて」
「どうして今日?」
「響ったら! 今日は2月14日よ」
「あ……! 忘れてた」
「もう! しょうがないわね」
響を睨みつけるけれど、その表情がいつの間にか微笑みに変わる。奏はいつも、本気で響を怒ったり出来ないのだ。世話が焼けるけれど、同時にとても愛しい存在。
マフィンにかぶりついて、“美味しい! 美味しいよ奏!”を連発する響の口元は、マフィンの欠片がいくつもいくつもくっついていた。そんな彼女に、思わず。
ちゅっ。ペロッ。
抱きついて、響の口元についたマフィンの欠片を舌で舐めとり、ちゅっ。おまけとばかりにくちびるにも口づける。
「かかか、奏~!、急に何よう……」
「いいでしょ。好きなんだから」
「そうだけど、ものには順序ってもんが……」
「じゃあ言う。好き。大好き。響しか見えてない」
「あう……」
「だから、いい?」
「いいって、何が?」
「お返し、ちょうだいね」
「あ、待っ……」
柔らかいくちびるでふさがれ、響の言葉はキスでかき消された。
先程までチョコレートマフィンを味わっていた甘い舌を食べられながら、響はようやく理解した。これから奏に“お返し”をたっぷりさせられるということを。
存分に響を味わいながら、奏は思う。やっぱ最高。マフィンの出来も、響との口づけも。わたしたち、このマフィンみたいにずっとずっと、ダブルでいたい。いいよね、響?。わたしの気合いのレシピ、これからもずっと見せてあげるんだから!
了
最終更新:2014年02月14日 23:59