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いろいろな寒さ/一六◆6/pMjwqUTk




「ねぇ、咲。もしかして、風邪でも引いたの?」
「へ?」
 後ろを歩く薫に突然そんなことを言われて、咲は間抜けな声を上げて振り返った。薫と並んで歩いている舞が、キョトンと小首を傾げて薫を見てから、その目を咲に移す。
「ぜーんぜん。今日も元気! 絶好調ナリー!」
 一瞬の後、そう言って大きな口を開け、ニカッと笑う咲の顔。薫はそれを見て安心したように、小さく微笑んだ。

 校門からなだらかに下っている坂道には、部活帰りの生徒たちが点々と散らばって歩いている。みんな背中から夕陽に照らされて、元々オレンジがかった夕凪中の制服が、より一層鮮やかだ。
 まるで太陽が、緑の郷一面に光の絵の具を塗り重ねたよう――薫がそんなことを思っていると、咲の不思議そうな声がした。

「でも薫。どうしてわたしが風邪を引いたのか、って思ったの?」
「ああ……。さっき、咲が“寒い”って言っていたように聞こえたから」
「わたし、そんなこと言ったっけ」
「ええ。星野君と宮迫君の漫才の練習を見ていたとき」
「ああ、あれね」
 薫の方を向いたまま、後ろ向きで歩いていた咲が、そこでやっと合点がいったというように、大きく頷いた。その顔も髪もまた、夕陽を浴びてオレンジ色に輝いている。

「あれはわたしが寒かったんじゃなくて、健太のギャグが寒かったの」
「ギャグ……。え、言葉に温度なんてあるの?」
「そうじゃなくて、えーっとぉ……。『寒い』って言葉はね、『つまんない』って意味にも使うんだよ」
「あ、そうなの」
 咲の言葉に、薫は目をパチパチさせて、さらに問いかけた。

「じゃあ、『あたたかい』って言葉は、『面白い』って意味にも使うのかしら」
「えっ? それは……どうなのかなぁ」
 薫の素朴な疑問に、咲が困った顔をする。すると黙って聞いていた舞が、静かに助け船を出した。
「それは言わないと思うわ。今まで一度も聞いたこと無いし」
「そう。言葉って難しいのね。ありがとう、舞」
 少し頬を染めて微笑みかける薫に、舞がニコリと笑った。

 寒い――その感覚は、薫が今年の冬に初めて体験したものだった。
 ゴーヤーンを倒し、滅びの力が消えたことで、一度は消滅しかけた満と薫。二人が緑の郷の精霊たちのお蔭で命を繋ぎとめたとき、彼女たちは、ダークフォールの戦士としての力を失った。
 緑の郷で迎えた初めての冬は、震えるほどに寒かった。でもそのお蔭で、同時に色々なものの“あたたかさ”も知ることが出来たと、薫は思う。

 例えば、これまではただの潜入の道具だった、この制服。これまで暮らしたことのなかった、「家」という建物。
 生み出されたときから近くにあった、満の背中。嬉しそうにギュッと薫の背中に回された、みのりの細い腕――。
 だから薫は「寒い」という言葉に、厳しさだけでなく、何となく嬉しくてくすぐったいような印象も持っていたのだが……。

(まさか、「寒い」に違う意味があるとは思わなかった。「つまらない」か……)

「薫さん、どうしたの?」
 うつむいて黙り込んでしまった薫の顔を、舞が心配そうに覗き込む。
「あ……ううん、何でもない」
 薫はそう言って顔を上げたが、舞はその表情を見て、まだ顔を曇らせたまま、もう一度小首を傾げた。


   ☆


 舞と別れ、咲と共にPANPAKAパンの裏手から家の中に入る。満と薫は、咲と舞、それに二人の両親のはからいにより、咲の家に家族として迎えられていた。

 ただいまの挨拶をしてから、薫は自室の机に座り、鞄の中からスケッチブックを取り出した。
 三年生になって入部した美術部で、初めて描いている水彩画。テーマは「春の風景」だ。
 舞は、去年見つけたキャベツ畑の絵を描くと言っていたが、薫は、トネリコの森で灌木に白い小さな花がたくさん咲いているのを見つけて、それを描いていた。

(この絵もきっと、「寒い」わね)

 実物は、まるで星たちのように美しく咲いていた、可憐な白い花たち。それなのに絵にしてみると、何だかのっぺりとした緑の塊の中に、ところどころ白い点のようなものがあるだけの、実につまらない景色に見える。

(どんなふうに描けば、あの風景を見たときの感じを描けるのだろう)

 睨むように絵を見つめて、ため息をつく。そのとき。
「どうしたのよ、何だか思い詰めた雰囲気だけど」
 この部屋のもう一人の住人――満が後ろから声をかけてきた。満は部活動をしておらず、大抵は店の手伝いをしながら、父となった大介にパン作りを習っている。

「あら。その絵、美術部で描いてるの?」
 満が、薫の手の中にあるスケッチブックに顔を近付ける。どうでもいいでしょ、と言ってスケッチブックを閉じようとした薫だったが、満があんまり熱心に見ているので、恐る恐る尋ねてみた。
「どう思う?」
「そうね。これ、トネリコの森に咲いてる花でしょ? 私が見てわかるくらいだから、感じは出てるんじゃない?」
「でもこの絵、どうも“寒い”と思うんだけど」

 薫にそう言われて、満は少し不思議そうな顔をしてから、今度は少し離れて絵の全体を眺める。
「そうは見えないけど……。でも、薫がそう思うんなら、もう少しあたたかい色を足してみたら?」
「あたたかい色?」

 すぐに、暖色と寒色、という単語が頭に浮かんだ。赤、オレンジ、黄色などのあたたかそうに見える色を暖色、青緑、青、青紫などの寒そうに見える色を寒色と言うと、この前美術の授業で習ったばかりだ。
 言われてみれば、記憶の中にある花たちは、小さいけれどまるでそこだけ輝いているように、明るくてあたたかかった。それに比べると、この絵の花はただ白いだけで、葉の緑と比べても、特に明るさもあたたかさも感じない。

(そうか。ここの緑をもっと暗く冷たい感じにして、花の白をもっとはっきりさせれば、あのときの感じが出せるかもしれない)

 寒さが無ければ、あたたかさも感じられない――それは、この冬に知った、一番の大きな発見だった。絵にだって、同じことが言えるかもしれない。

 薫が黙って鞄の中から水彩の道具を取り出すのを見て、満は、やれやれ、と肩をすくめる。
「絵に夢中になるのはいいけど、もうすぐ晩ご飯だから、呼んだら来てよ」
「わかってる。舞みたいに、何も聞こえなくなるほど集中は出来ないわ」
 それだけ言って、いそいそと絵を描く準備を始める薫。満は、もう一度肩をすくめてから、邪魔にならないように、そっと部屋を出て行った。


   ☆


 次の日。この日は部活の無い薫が、満と連れ立って帰ろうとすると、校庭の隅に人だかりが出来ていた。人だかりの中にはクラスメイトの安藤加代や竹内彩乃の姿もある。
 生徒たちの輪の中心にいるのは、星野健太と宮迫学。昨日と同じく、漫才の練習をしているらしい。

「ヨットに乗るときゃあ――あらよっと!」
「“ヨット”と“あらよっと”、この前も言ったけど、それって勢いで言ってるだけだよね?」
「ボートに乗るときゃあ――ボーっとしてたら、あぶねえぜ!」
「ヨットの次はボート? そんなんじゃ、寒くて誰も乗る気になれないよ」
「フェリーに乗るときゃあ――船のへりに足を掛けてね!」
「また船なの? えーっと、“フェリー”と“へり”を掛けてるんだね。うん、これなら屋根が付いてるから……って! 今までのよりもっと寒いよ」

「うふふ……」
 普段真面目な加代が、眼鏡の奥の目を細くして楽しそうに笑う。それに気付いてニヤリとした健太が、満と薫を目ざとく見つけて声をかけてきた。
「おっ、霧生たちも聴きに来てくれたのか。どうだ? 俺のダジャレ」
 満と薫、どちらも「霧生」と呼ぶ健太だが、どちらの顔を見ているかで誰に話しかけているかわかるので、別に困らない。それに、今のように二人に向かって話しかけているときは、大抵は満が返事をしてくれるので、やっぱり薫が困ることは無かった。

「よくわからないけど、あなたたちが楽しそうだから、いいんじゃない?」
 今回もまた、満があっけらかんと答えを返す。そりゃないぜ……と苦笑いをしてから、健太は思い出したように、今度は満一人の顔を見て言った。

「そういや、霧生。お前、PANPAKAパンで、パン作りの修行してんだって? 今度パン買いに行ったとき、お前が焼いたパン、試食させてくれよ」
「え? でも、まだ上手に作れないし……」
「なぁに言ってんだ。お笑いは、誰かに聴いてもらって上手くなる。パンだって誰かに食べてもらわないと、上達してるかわかんねえだろ?」
 急に声が小さくなった満に、健太は人差し指をビシッと立ててみせる。そして、そこに集まっている“観客”たちをぐるりと見回すと、芝居がかった調子で声を張り上げた。

「てぇことで、俺たちの成長は、皆さん無しではあり得ません。いつもご静聴、ありがっとー!」
「“成長”と“静聴”をかけてるのね。でも、そんなに静かに聴いてもらえるお笑いって、面白くないってことじゃない?」
「サコッチ~、そんな正常な理屈を言っちゃあ、イヤア!」
「え~! “静聴”と“正常”……それに、また“イヤー”と耳? もう、本当にどうしようもないな、君は!」

 心底呆れた、という学の声に、周囲から笑いが起きる。その反応に、嬉しそうに鼻をうごめかしてから、健太はもう一度満の顔を見て、ニヤッと笑った。
「今はちょっと懐が寒いけど、小遣いもらったら必ず行くからな。そんとき、期待してるぜ」
「あ、私も行きたい」
「あたしも」
 加代と彩乃も、満に向かって小さく手を挙げてみせる。
「霧生さん、僕も行くよ」
 ずっと難しい顔でツッコみ続けていた学も、いつもの笑顔で言った。

 満は、ポカンと四人の級友の顔を見つめてから、うっすらと頬を染めて、コクリと頷いた。
「ええ。じゃあ懐があたたかくなったら、是非来て。それまでに、もう少し美味しいパンが焼けるように、頑張る」

(ちょっと、満。そういう意味で「あたたかい」とは言わないんじゃ……)

 薫が思わずごくりと唾を飲み込んで、周りの様子をうかがう。昨日、ちゃんと説明しておけばよかった、と少し後悔しながら。
 今度の「寒い」は「お金が無い」という意味だということは、話の流れからすぐにわかった。でも、「つまらない」のときのように、「懐があたたかい」なんて言い方、するものなのか――。

 だが薫の心配をよそに、健太が、おうっ、と威勢よく答え、残りの三人も笑顔で頷いた。どうやら満の言い方は、おかしくはなかったらしい。

(「あたたかい」には「面白い」って意味はないけど、「お金がある」って意味はあるのね……。本当に難しいわ、緑の郷の言葉は)

 思わずふーっと長い息を吐いた薫の肩を、満がポンと叩く。
「行きましょ、薫。早く帰って、お店のお手伝いをしなきゃ」
「そうね。帰りましょう、満」

 みんなの輪から離れ、二人で校門に向かって歩き出す。
 満は何だか張り切った様子で、いつもより速足で歩いている。それに歩調を合わせながら、薫は満に気付かれないように、少しうつむいて、声を出さずに笑った。
 健太がまた新しいダジャレを披露しているのか、かすかに笑い声が聞こえてくる。春風に乗って届いたその声は、何だかとてもあたたかいと、薫は思った。


~終~
最終更新:2014年02月20日 21:44