(もう、そろそろ出なきゃ……。)



祈里はチラリと時計に目をやる。さっきから何回こんな事を繰り返してるだろう。
意味もなくバッグの中身を入れ換え、リンクルンをいじくる。



(本当にもう、行かなきゃ……。)



今日は久しぶりのダンスレッスン。
忙しいミユキさんは来られないけど、四人揃っての自主練はずっと続けてきた。
最近は色々あってずっとご無沙汰だったけど、今日の練習は前々から決まってた。
仮病を使って休もうか、とも何度も思った。
けど、せつなも来るかも知れない。
それとも、あんな事があったんだから、祈里のいる場には現れないだろうか。
祈里も、実際に顔を合わせてもどうしたらいいかなんて分からない。
ラブにも、どんな目で見られるか。
せつなは恐らくすべて話したんだろう。
ひょっとしたら、美希にも話は行ってるかも。



三人の自分を見る目を想像する。
自分のした事を棚に上げて、足がすくみそうになる。
それでも、またせつなの顔が見られる。声が聞けるかも知れない。
どんな冷たい視線でも、罵る言葉でもいい。
せつなに会いたい……その欲求には勝てなかった。




狂おしいほど、せつなに会いたい。




いつもの公園に少し時間より遅れて着いた。来ているのは、美希だけ。
他の二人の姿は見えない。
そう言えば、美希とも随分会っていなかった。




おはよう、そう声を掛ける前に美希が祈里に気が付いた。



「ラブとせつなは来ないわよ。」
挨拶もなしにいきなり美希が切り出す。



「せつな、この間熱出して倒れたの。もう微熱みたいだけど、
まだ家からは出してもらえないみたい。」
ラブはせつなについていたいから、と美希に連絡があったらしい。
硬い声と表情から、美希も知ってるんだ。と理解する。



不思議なほど、動揺してない自分に祈里は少し驚いていた。



自分にはメールも電話も、何の連絡もなかった。当たり前だろうけど。



「ふうん、そうなんだ。」
まるで他人事のような口調。美希が微かに整った眉をしかめる。



(誰のせいよ?)



その目がそう言ってる。
美希はどこまで知ってるんだろう。誰から聞いたんだろう。
ラブか、せつなか。たぶんラブだろう。
だとしたら、せつなはラブに全部話したんだろうか。



「ねぇ、どう言う事なの?なんで、こんな事になったの?」


「……いったい何の事…?」


「はぐらかさないでよ、ブッキー!」




「美希ちゃんには関係ないじゃない。」
驚くほど、冷たく硬い声が出た。美希が少し青ざめ、言葉を無くしている。
それもそうだろう。今まで、祈里は美希にこんな態度を取った事はなかった。
自分が美希を動揺させてる。そう考えると祈里は少し可笑しくなった。



一人っ子の祈里やラブにとって、美希は同い年でも頼れる姉のような存在だった。
今までずっと、何か困った時は美希に相談。解決なんか出来なくても、
美希に話すだけでなんだか心が軽くなる。
きっと美希は、今回もそのつもりだったんだろう。
祈里が話せないなら自分から聞こう。話してくれれば、何か変わるかも。
自分になら、話してくれるはず。




「……関係なくなんか、ないわよ。」
美希は奥歯を噛み締め、動揺を飲み込む。
ラブの話から今までの祈里のようにはいかないのは分かってたはず。
怯んだら、負けだ。
確かに自分には関係ないかも知れない。
でもこのまま仲間がバラバラになるのを黙って見ているなんて出来ない。



「アタシ達、仲間じゃない。心配しちゃいけないの?
何があったか知りたいって思うの、当たり前じゃない。」


「……知って、どうなるの?美希ちゃん、どうにか出来るって思ってるの?」




それに、もう知ってるんでしょう?



取り付く島もない祈里の言葉。
美希は、今の今まで半信半疑だった。事前にラブの話を聞いても。
あの時のラブの壊れかけた様子。実際に倒れてしまったせつな。
最初に祈里がせつなを脅してたのでは?と言ったのも自分だ。


それでも、まさか祈里が……。
そう思う気持ちが確かにあった。




「ラブちゃんに聞いたんでしょ?だったら、今さら私に聞かなくたって。」
祈里は伏し目がちに目をそらし、少し唇を尖らせている。
ベンチに座り足をブラブラさせてる様子は不貞腐れた子供みたいな仕草だ。



「……ブッキーの口から聞きたいの。」
何を考えてるのか。どう思ってるのか。祈里自身の気持ちが聞きたい。




「じゃあ、………」
祈里は俯いて肩を震わせる。
「じゃあ、…せつなちゃんが、本当に好きなのはわたし。って言ったら、
美希ちゃん、信じてくれる?」
わたしとせつなちゃんは愛し合ってるの。
でも、せつなちゃんはラブちゃんの家にお世話になってるでしょ?
ラブちゃんを無下には出来ないの。
だから、こっそり会ってたの………。



「……嘘、でしょ…?」
美希は自分の顔色が変わるのを感じていた。
(だって……ラブは……。)
でも祈里の言う事が本当なら……。頭が混乱する。
せつながこちらの世界で生きて行くのに全面的にラブが力になったのは本当だし…。
それに、ラブがせつなを愛してるのは間違いないだろうけど、
せつなはどうなの?アタシ、せつなの気持ちは聞いてないし………




「うん、嘘。」
「……え?」
「だから、嘘。そんなわけないじゃない。本気にしたの、美希ちゃん?」




祈里はさっきとはうって変わって、からかうような目で美希を覗き込んでいる。
今にも吹き出しそうな、イタズラに成功した子供のような……。
カァっと美希の体温が上がる。
真剣に、話を聞こうと思ってたのに。今日までどれだけ神経を磨り減らしたか。



「フザケないでよっ!」
涙が出そうになる。目の前にいる、この子はなんなの?
アタシの知ってるブッキーじゃない。ラブも、せつなも、こんなふうに感じたの?
ブッキーは、こんなふうに人の真剣な気持ちをはぐらかす子じゃない。
大人しくて、引っ込み思案で、でも人の気持に敏感で思い遣りのある……



「騙して呼び出してね、無理やりヤッちゃったの。
せつなちゃんが抵抗出来ないようにして。」
崩れ落ちそうになってる美希に構わず、祈里は喋り続ける。



「その後はお約束?この事バラされたくなかったら、言う事聞けって。」
せつなちゃん、今の美希ちゃんみたいな顔してたわよ?
これはいったい誰なの?って感じの。



「簡単過ぎて拍子抜けしちゃった。せつなちゃん、一旦気を許した相手だと
あり得ないくらい無防備になっちゃうみたいね。」
一度ヤッちゃえばね、まるでお人形さんみたいになっちゃったの。
ラブちゃんの名前出すとね、何でも言う事聞くの。
呼び出せばいつでも来るし、服を脱げって言ったら泣きながら脱ぐの。
ベッドに寝かせて、足を開けって………




「やめて!やめてよ!!!」
「何よ、美希ちゃんが話せって言ったんじゃない。」



つまり、そう言う事したの。酷いでしょ?せつなちゃん、倒れても仕方ないわ。
むしろ、よく今までもったって思うわよ。



熱に浮かされたように喋り続ける祈里を、美希はただ呆然と見ているしか
なかった。



「ほんっと、酷いわよね。わたしだったら死にたくなっちゃうかも。」


「……ブッキー………。」




言葉を無くし、魂の抜けたような顔をしてる美希を、いっそ憐れむように
祈里は見つめる。聞きたくなかったろうな。こんな話。



「……どうしてよ。せつなが、……好きだったんじゃないの?」




「美希ちゃん、わたしってね、小さい頃から結構いい子だったと思わない?」
突然、関係ない事を話し出す。
「お友達とケンカするくらいなら自分が我慢したし、我が儘だって言わないし。」
でも分かっちゃった。わたし、全然いい子でもないし、我慢なんてした事なかった。


臆病なのは、人とぶつかって傷付くのが面倒だっただけ。
引っ込み思案の人見知りでいれば、何も言わなくても、ラブや美希が庇ってくれた。
誰かと争ってまで欲しいものなんてなかったし、傷付け合うほど
本気で分かり合いたい人もいなかった。
ラブと美希がいれば、他に親友なんて必要なかったし。



だから、初めて本気で欲しいと思ったものに出会った時、
どうしていいか分からなかった。
ただ遠くから眺める事しか出来なくて、気が付いたら、
それはとっくに人のものになっていた。



欲しいもののために戦った事なんてなかった。
だから我慢の仕方なんて分からない。
手に入らないものの諦め方、そんなの誰も教えてくれなかった。




ほんの一時でも、盗んででも手に入れられれば、気が済むかと思ったのに。




「ダメだったの。どんどん欲張りになっていっちゃったの。」
体だけでいい。ほんの一時わたしのものになってくれればいい。
傷付けたって、痛め付けるつもりなんてなかったのに。




せつなを当たり前のように独り占めしているラブに腹が立った。
どれだけ体を重ねても祈里を無視し続けるせつなに苛立った。
ラブに返すくらいなら壊してしまおうか。
ボロボロに汚されたせつなでも、まだラブは抱き締めるのだろうか。



違うな、と思う。
ラブはせつなが汚れたなんて思わないだろう。
祈里だって自分が一番よく分かってる。せつなを汚す事なんて出来なかった。
せつなを汚そうとした分だけ、自分が汚れただけだ。



「せつなちゃんね、あんな事されたのに、まだわたしが好きって言ったの。」
好きだから、もうやめるって。わたしの事、悪く思えないんだってさ。




自分を嘲るかのような祈里の口調。
胸が痛まないはずない。好きな人を自分で傷付けて。苦しめて。
平気でいられる人なんていないだろう。




「………後悔、してるんでしょ?」
美希はやっとの事で声を絞り出す。
よく知る幼馴染みの口から出る。生々しい罪の告白。
予想以上のダメージを受けてる自分がいる。
話を聞いただけでこれだ。ラブやせつながどれほどの傷を受けたのか、
想像も付かない。




「ずっとね、考えてたの。謝らなきゃいけないって。」
許してもらえなくても。自分がした事は理解してるつもりだから。




「だったら………!」
「でもね。わたし、後悔なんてしてないのよ。」




ずっと考えてた。この胸の苦しさは後悔なのか。
せつなを傷付け、ラブを裏切った事を悔いているのか。


答えは否だ。


後悔なんてしてない。あのまま想いを押し殺していれば、
せつなは今も微笑んで隣にいてくれた事だろう。
ラブとふざけ合い、美希に甘え、それはそれは幸せな時間。



それと引き換えにしても、せつなに触れたかった。



初めてその唇に触れ、柔らかな肌を抱き締めた時の歓喜を思い出す。
吐息を感じ、熱を共有した。
心には最後まで触れる事は出来なかった。
それでも、せつなの体に刻み込まれた祈里の記憶はこれからも消えない。



ラブだけのものではなくなった。
その事に、確かに喜びを感じている自分がいる。
例え時間を巻き戻せたとしても同じ事をするだろう。



「後悔……、出来たらよかったのに……。」



祈里は天を仰ぐ。涙がこぼれないように。自分には涙を見せる権利などない。



心底から悔い、本心から謝ればラブもせつなも許してくれるだろう。
例えすぐには元に戻れなくても、許すため、距離を埋めるために
努力し、祈里を受け入れてくれただろう。そう言う子だ。



だけど、今も祈里の中には邪な欲望が渦巻いている。
ラブとせつなを見ている限り、それが消える事など想像出来ない。
そんな謝罪に何の意味がある。
また、同じ事を繰り返すだけだ。




「後悔して、反省して、謝りたかったよ。泣いて、すがって、
それでお仕舞いにしたかった。」




でも、無理なの。




せつなは祈里の呪縛を振り切った。
ラブの元へ戻り、ラブも受け入れたのだろう。
もう、あの二人を引き離す事など出来ない。
未だ大人には遠い自分には逃げ出す事も出来ない。
この町にいるかぎり、見続けなければいけない光景。



せつなも、ラブも、もしかしたら目の前の美希も、二度と祈里に
微笑んでくれないかも知れない。



自分には相応しい罰だ。




深く暗い、水底に沈んでいくような祈里の姿。
美希はただ呆然と立ち竦む事しか出来なかった。
掛ける言葉など見付からない。
祈里は自分のした事を充分過ぎるほど理解している。
理解していながら、後悔していないと言う。



せつなの傷。ラブの悲しみ。祈里の闇。
どれも美希にはどうしようもないものに感じた。



罪を分かっていながら、救いを拒む罪人。



美希は唇を噛み締める。自分の無力さが、悔しい。
なんとか出来るかも知れない、そんな自分の思い上がりに臍を噛む。



美希もまた、力無い子供でしかないと言うのに。




最終更新:2013年02月10日 15:05