気品・思いやり/makiray
「こんにちは」
「あ、かれんさん」
りんの笑顔がさらに大きくなる。最初のは営業用だったのかもしれない。今の笑顔は友達モード。
「散歩ですか?」
「そろそろ春の花が並ぶころかなと思って」
「じゃぁお客さんだ。ようこそいらっしゃいませ」
「あら、待遇が変わっちゃうの?」
「ここはあたしの仕事場ですから」
「じゃぁ、プロに相談しちゃおうかな。
お庭のは、そのうち坂本がお邪魔するって言ってるんだけど、部屋に飾れる鉢が欲しいの」
「あー、桔梗はちょっとまだなんですよねぇ。取り寄せればなくはないんですけど」
「夏の花だものね。お勧めは?」
「チューリップとか」
「また、桔梗対チューリップやるつもり?」
「いや、お約束かと思って」
りんが笑う。そう、あれで衝突したのはもう遠い昔のこと。
「あ、こんにちは」
奥からりんの妹、あいちゃんが顔を出した。返ってきたのは無言のお辞儀。
元気がない。いつもなら、あのりんが手を焼くほどにぎやかなのに。
「どうしたの? お姉ちゃんにご用事?」
「ゆうがお腹痛いって?」
りんが言うと、また黙って頷く。
なるほど。それは不安になるだろう。
「ゆう君、具合悪いの?」
「今朝からお腹痛いって言ってるんですよ。父か母が配達から帰ってきたら病院に連れて行こうと思ってるんですけど」
「ご飯は?」
「朝は食べてませんね」
つい、考えてしまった。今の私は単なる医者志望の中学生。生齧りの知識を振り回しちゃいけないことはわかってるけど、どうしてもやめられない。そして、やっぱり我慢できなかった。
「ちょっと見せてもらってもいい?」
「え、でも」
「ごめんね。素人なのはわかってるけど、気になって。無責任に、大丈夫だ、なんて言わないから」
好奇心で言っているつもりはない。大事な友人の弟をそんなふうには見ない。でも、そんなことを言われたら迷惑だろう、ということはわかる。ただ、中途半端であっても私の知っていることが役に立つ可能性があるのだとしたら、それを見過ごしたくはなかった。
「じゃぁ、ちょっと勉強させてあげます」
「ありがとう」
立場が普通と逆だ、とりんが言った。よかった、笑ってくれて。
ふたりの部屋に入る。ゆう君は青い顔で横になっていた。
「汗をかいてる」
「タオル持ってきますね」
「ゆう君、ちょっとお姉さんに見せて」
ゆう君は何も言わなかったが、拒絶もしなかった。私は、ゆう君の体を仰向けにした。
「どこが痛いの?」
「おなか…」
確かに、お腹に力が入っていない声だった。
具体的にはどこだ、と聞いても無駄かもしれない。幼児の場合には、頭が痛くても「おなかが痛い」などと答えることがあるらしい。
ゆう君のお腹をさすってみた。小さなお腹を二周。一瞬、ゆう君の顔が歪んだ。
「ここが痛いの?」
「うん…」
右側だった。ひょっとしたら。
「ごめんなさい、ちょっと我慢してね」
私はそこを強めに押した。ゆう君の顔がまた歪んだが、手を放すとゆう君はうっと呻いた。多分、そうだろう。
りんが濡らしたタオルを持って戻ってきた。
「なにかわかりましたか、水無月先生」
「ご両親が戻ってらっしゃるのはいつごろ?」
「えっと、昼前にはって言ってましたけど」
「…」
朝食前から痛みを訴えていたのだとしたら五時間くらい。
「どうしたんですか?」
「ゆう君は多分、虫垂炎だと思う」
「虫垂炎って…盲腸ってことですか?!」
「うん。
急いだ方がいいような気がする」
「急ぐって…昼までにまだ随分」
「じゃぁ、救急車を呼びましょう」
「救急車?!」
りんの顔が一瞬で青くなった。
「そんな。ゆうはそんなに悪いんですか?」
「りん」
「救急車って。重病なんですか? ねえ、かれんさん」
どうしたことだ。今、自分で「盲腸か」と言ったところなのに。どうやらりんは我を失っている。こんなりんは今までのプリキュアとしての戦いでも一度も見たことがない。
「落ち着いて。虫垂炎は今の医学では難しい病気でもなんでもないから」
「今の医学って…かれんさん!」
だめだ。
おそらくりんにとって家族は特別なのだ。キュアルージュとして勇敢に戦うことはできても、家族の不調には冷静でいられない。あるいは、ナイトメアやエターナルの怪物よりも恐ろしいことなのかもしれない。
「ねぇ、かれんさん。ゆうは大丈夫なんですか?! かれんさん!」
「落ち着きなさい!」
私はりんの両腕を強くつかんだ。
「かれん…さん…」
りんの声が小さくなる。これで興奮が収まってくれるといいが。
「保険証を用意して。
場所はわかる?」
「保険証…うん」
りんが部屋を出る。それを見送ると.、携帯電話で119番を呼び出した。
《119番、消防署です。消防ですか、救急ですか》
「救急車をお願いします。患者は小学生の男の子。今朝から腹痛を訴えていて、虫垂炎の可能性があります。熱は測っていませんが、右腹部を押すと痛がります》
《了解しました。場所をおっしゃってください》
必要事項を知らせて電話を切る。
ふと見るとあいちゃんがが私の手を握っていた。目に涙をためている。私はしゃがんだ。微笑みかけようとして、自分の顔も強張っていることに気付いた。
「大丈夫よ。
お医者さんで診てもらえばすぐによくなるから」
「本当に?」
「本当よ。ゆう君は強い子でしょ」
りんが走って戻ってきた。
「保険証、持ってきました」
「じゃぁ、私が病院まで付き添うから――」
「あたしも行きます」
「りんは戸締りをして」
「行きます」
りんの目を見てゆっくりと言う。もう怒鳴る必要はないと思う。
「戸締りをして、後から来て。
この家のことは私にはわからないんだから」
「あ…はい」
「その前に、ご両親に連絡を取って」
「はい」
「飛び出さないでね。救急車が病院に着いたら連絡するから。それからタクシーを捕まえて。いい?」
「はい」
早い。もうサイレンが聞こえる。
救急隊員はゆう君の様子を確認すると手際よく救急車に乗せた。
私がその後から乗ろうとすると何かが引っ張っている。振り向くと、あいちゃんがスカートの端をつかんでいた。
「あなたはおねえさんと一緒に」
「一緒に行く!」
「あい、わがまま言わないで」
りんが言ってもあいちゃんは動かなかった。涙をためた目で私をじっと見ている。そうだよね。心配だよね。
「行こうか」
「かれんさん」
「りんの代理として」
「…。
わかりました。
よろしくお願いします」
「任せて」
バタバタと音がして、りんが病室に飛び込んできた。
「ゆう」
ゆう君は、さっきまでの苦しそうな顔が嘘のように静かな顔で眠っている。
「手術の必要はないらしいわ。薬で大丈夫だって」
「よかった…」
りんは何度か大きな息を吐いた。何度か、よかった、と繰り返す。
「ご両親は?」
「配達の車で直接、こっちに来るそうです。ちょっと遠くまで行ってるから時間がかかるって。こんなときに限ってケータイの電源切ってて――あれ」
りんが驚いていた。あいちゃんは私の手を握り膝に頭を載せて眠っている。
「あいがうちの家族以外の膝で寝てるのなんて初めて見た」
「緊張してたんでしょ」
りんはあいちゃんの髪を撫でた。邪魔しないように手をどけようとして一瞬、りんの手に触れた。この季節に汗。やっぱり、りんも気をはっていたのだろう。
そうか、逆にすればよかった。りんがここまで付き添って、私が店番をすればよかったんだ。戸締りしなきゃ、と思ってこういう形になってしまったけど。やっぱりまだまだだな。
りんは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「かれんさんでよかった」
「え?」
「医学の知識のある人で」
「やめてよ。素人なんだから。それにきっと、お母さまが配達から戻ってきてからでも大事には至らなかったと思う」
「あたし、うろたえちゃって。かっこ悪い。お姉ちゃんなのに」
「お姉さんだからうろたえたんでしよ。家族が突然、病気になったら冷静でいるのは難しいそうだし」
「かれんさんはあったかいから」
「ちょっと、りん、どうしたの」
私は誇張抜きに驚いた。弟の病気は、りんをこれほどまでに動揺させることなのだろうか。
「さっきちょっと触った。あったかいよ、かれんさんは。
あいだってきっとそれだから安心して眠れてるんだと思うし」
私は膝の上のあいちゃんの寝顔を見た。そんなものなのだろうか。子供を寝かせる、というのは初めての経験だから、よくわからない。
「あたし、まだ手がガッチガチだ」
れんは手を握ったり開いたりした。確かにぎこちないのかもしれなかった。やっぱり大変なことだったようだ。
「ねぇ、りん」
「はい」
「ハグしてあげようか」
「…は?」
「あいちゃんがあたしの体温でリラックスできたんだとしたら、りんも私がハグしたらリラックスできるんじゃないかな」
「な…なに言ってるんですか! なんであたしがそんな」
「え、だってりんがそう言ってくれたんじゃない」
「違いますよ。それは弟たちの話で。
あたし…やめてください!」
りんはまたあたふたしている。顔も赤い。
私はそんなりんを見ながらクスっと笑った。するとやっぱり、りんは怒ったようだった。そんなことしたら私はもっと笑っちゃうのに。
最終更新:2014年02月23日 12:00