猫の恩返し/一六◆6/pMjwqUTk
「ハニャ~、遅くなっちゃったニャ。響たち、ハミィたちの分までおやつ食べちゃってるんじゃないかニャ。心配だニャ~」
「ハミィったら。大体、ハミィが寝坊したせいで、予定が狂っちゃったんでしょう? 全く、楽譜を貰う日に二年連続で遅刻だなんて、とんだ歌姫だわ」
エレンの腕の中で、ごめんニャ~、とハミィが頭を掻く。その情けなさそうな顔に苦笑いしてから、エレンはもう一度持っているメモと地図とを確認した。
今日は、響と奏とアコと一緒に、遠方に住む友達の家に遊びに行こうと早くから計画を立てていた。だがその後で、幸せのメロディを歌う歌姫のコンクールの日程が発表になり、メイジャーランドに課題曲の楽譜を貰いに行く日と予定が被ってしまったのだ。
日にちを変えようか? と心配する響に、早目に貰いに行けばすぐに追いつけるから、と答えたのだが……なかなか思い通りにはいかないものだ。
おっかなびっくり初めて乗る電車に揺られ、奏が書いてくれたメモの通り、小さな駅で降りる。改札口を出ると、頬に冷たく感じられる風に混じってかすかに海の匂いがした。
地図と周りの景色をよく見比べながら、慎重に歩き出す。しばらく行くと、海がきれいに見渡せる坂道に出た。
「もうそろそろだと思うんだけど……」
黙々と坂道を上っていたエレンが、立ち止まって少し不安そうに呟く。その声にハミィは、くしゅん! と小さなくしゃみで答えた。
「この町は、加音町より風が冷たいニャ。ハミィは、寒いのは苦手ニャ……」
「そうね、寒いのは私も苦手。でも、もう少しで着くはずだから、頑張って」
「わ、わかった……ニャ……ニャ……ニャークション!!」
盛大にくしゃみをしたはずみで、ハミィの身体がエレンの腕の中から飛び出し、コロコロと地面を転がる。そしてすぐそこに寝そべっていた生き物にぶつかって、ニャ! という悲鳴と共に止まった。
ゆっくりと目を開けたのは、ハミィの三倍……いや五倍はありそうな、でっぷりと太ったトラ猫。くわぁっと大きなあくびをしてから、ハミィの顔にジロリと目をやった。
「あわわ……ご、ごめんニャ。起こして悪かったニャ」
「いや、俺は別に構わない。それより、怪我は無かったか?」
相手の面構えにたじたじとなったハミィに、トラ猫は見かけによらず紳士的な口調で答える。その様子を見て、ハミィも安心したように、いつもの調子を取り戻した。
「大丈夫ニャ! ハニャ~、この場所は、何だかポカポカしてあったかいニャ。いつもここでお昼寝しているのかニャ?」
「ああ。この辺りの陽だまりのことは、俺が一番よく知ってるからな。店の番をするのは、ここに限る」
「……店の番?」
ハミィにばかり気を取られていたエレンが、トラ猫の言葉に改めて辺りを見回して、パッと笑顔になった。
「なぁんだ! ここだわ、ハミィ。危うく通り過ぎちゃうところだった」
「ここが目的地かニャ? 良かったニャ! じゃあ、早く響たちのところに行くニャ!」
嬉しそうにそれに答えるハミィだったが、トラ猫がその脇をすり抜けて、ゆっくりとエレンの方へ歩み寄ったのを見て、ハニャ? と首を傾げた。
「あんたはもしかして、さっきうちに遊びに来た子たちの仲間か。俺の言葉が判るようだな」
「ええ。だって私、昔は黒猫だったから」
響や奏が聞いたら大慌てで止めそうな台詞を、エレンがさらりと口にする。相手もさるもの、そんな衝撃の告白にも眉ひとつ動かさず、そうか、とあっさりと頷いた。
「それなら話が早い。申し訳ないが、今から言うことをここの娘に伝えて欲しいんだ。俺から聞いたとは、絶対に言わずにな。頼まれてくれるか?」
「……わかったわ」
エレンが不思議そうな顔で頷くのを見て、トラ猫は安心したように語り始めた。
☆
「エレーン、このテーブルは、このくらい動かせばいいの?」
響が、奏と二人で丸テーブルを持ち上げながら、大声を張り上げる。その声に、隣のテーブルの位置を確認していたエレンがとんできて、バッチリ! と笑いかけた。アコが椅子を運んできて、テーブルの脇に置く。
「みんな、ごめんね~。遠くから遊びに来てくれたのに、何だかうちの店の手伝いをさせちゃってるみたいで……」
彼女たちに向かって申し訳なさそうに両手を合わせているのは、トラ猫が言っていた「ここの娘」ことPANPAKAパンの看板娘、日向咲だ。
咲の家で飼っているトラ猫――コロネという名前らしい――の頼み事は、何とこの店のテラス席の、テーブルの配置のことだった。
「この店のご主人と奥さんは、パンのことなら誰よりもよく知っている。咲は、ソフトボールと友達のことには誰よりも一生懸命だ。だが、この界隈の陽だまりのことで、この俺に敵う人間はいない。あのテラス席の配置は、夏は涼しくていい。だが、冬はもう少しテーブルを動かした方が、長く日が当たって、お客の人間たちにあまり寒い思いをさせずに済むんだ」
コロネはそう言って、その時は誰も座っていなかったテラス席の“理想の配置”を、事細かにエレンに説明してくれた。
「ここ数年、そのことが少し気になっててな。去年の今頃は、ひょんなことから、あるお方の力で咲たちと話が出来たんだが……色々あって、この話をするのをすっかり忘れていたんだ。あんたが来てくれて良かった」
「じゃあその時は、人間の言葉が喋れたの?」
「ああ。なかなか面白い体験ではあったな。咲は、俺が立派な大人だってことを知らなかったようで、あまり面白くはなさそうだったが」
コロネはそう言って、実に楽しそうにニヤリと笑った。だが。
「そんなに長い間気になっていたのなら、あなたが教えてくれたって、私から伝えてもいいのよ?」
「それだけはやめてくれ。こんなことで咲に「ありがとう」なんて言われちゃ、くすぐったくて仕方がない。絶対に言わないでくれ。いいな?」
エレンの申し出には、何だか声に凄みを効かせて、眼光まで鋭くしながら、頑固に言い張ったのだった。
響と奏とエレンとアコ、それに、咲とその友達の舞と満と薫の、合計八人という大人数で作業をしたお蔭で、テーブルの移動は、すぐに終わった。
「それにしても、エレンさんって凄いね。もしかして、建築とかそういうものに興味があるの?」
「あ、えーっと……音吉さんの本で、ちらっと読んだことがある……かな。アハハ……」
舞の真っ直ぐな視線を受け止めきれずに、エレンが笑いで誤魔化す。だがその時、そんなエレンの苦労も知らぬ、いつもの呑気な声が……。
「セイレーン、本で読んだこともあったニャ? そ~んなことを詳しく知ってるなんて、やっぱり凄いニャ、コ……モガモガモガ」
間一髪でハミィの口を押さえたエレンに、薫が不思議そうに問いかける。
「こ……何?」
「えっとぉ……こ……こ……こーんなお天気のいい日には、テラスでおやつを食べるのも素敵ね! そうしましょう!」
ビシッと決めたつもりのエレンだったが、今度は響と奏が怪訝そうな顔になった。
「へぇ、珍しいね」
「うん。よりにもよってエレンが、この季節に外でお茶しようなんて」
「え? それって、どういう意味?」
満の問いに、アコがいつもの澄ました口調で、いつものようにストレートに答える。
「あたしたちの中では、エレンがいっちばんの寒がりなの」
「ちょっと、アコ! そんなにはっきり言わなくても……」
耳まで真っ赤になったエレンの様子に、七人全員が笑いさざめく。それを見て、エレンも照れ臭そうに笑った。何とかエレンの手から逃れたハミィも、ニャハ! とお気楽そのものの顔で笑う。
PANPAKAパンの店の前では、コロネが少女たちの賑やかなやり取りなど知らんぷりで、今日も呑気そうに家族の幸せを守っていた。
~終~
最終更新:2014年02月23日 13:06