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「がとー しょこ ら び」/maple




小さいころから、欲しいものはなんでも手に入った。

一人娘がかわいいのか、普段 ひとりぼっちにさせられていることへの埋め合わせなのかはわからない。

けれど、自分の身がとても恵まれていることは知っていた。

両親がいる それぞれが誇りを持てる仕事をしている 家で待つ自分がいる

それだけがすべてで それだけを守りたかった

……思えば










(わたしは 守りに徹しすぎたのかも)










「あっ ありす!」

「……真琴さん?」

「あのっ あのあのあの」

「どうしたんですの?」

四葉邸裏庭。

冬の澄んだ空気の中で、優雅なティータイムを過ごしていたありすは突然の来客に驚くこともなく、ただただ不思議そうに真琴の次のことばを待っている。セバスチャンが、真琴用の椅子をひいて彼女を席につかせてなお、真琴は「あのあのあにょ」と続けている。

かちゃり。

ティーポットを新しく運んできて、茶葉をティースプーン2杯。

「あのっ ねっ」

沸騰する直前のお湯をポットに注ぐ。ふたをして、蒸らすように上からカバーをかける。セバスチャンの流れるような動きに目を取られながらも、真琴はようやく今日初めての文章を口にした。

「こっ この世界にはっ! ゔぁれんたいんでいっが! あるんでしょう?」

無駄に発音のいいバレンタインという単語。

ありすはきょとんとして、それから満面の笑み。




「はい」




セバスチャンの淹れてくれた紅茶を片手に、ありすは「それがどうかしたんですの?」とあくまで平静を装って尋ねる。

噂話は乙女のビタミン剤だ。

誰が誰を好きだとか 誰がいつ誰についてこう言っただとか。それだけで、女の子は楽しくなってしまう。例に違わずありすもそう。

ただ、ありすの場合はそれを表に出さないだけだ。




「ゔぁれんたいんでい、は、す、す、好きなひとにチョコレートをあげる日って、本当?」




ちらり、上目遣いになる真琴。

ありすは指を組んで肘をテーブルにつき、その上に顎をのせた。「真琴さん、どなたか気になる方がいらっしゃるんですの?」にやにや、は、はしたないからしないけれど、ふふふと微笑を浮かべたありすは正直怖い。真琴も、ぴゃっと変な声をあげて「ちちち違うの!」と、両手のひらをばたばたさせた。

「この間、ラジオの収録があって! そのとき、リスナーのファンの人から、『まこぴーはバレンタインは誰にチョコあげるんですか? あたし、まこぴーのチョコがほしいな! 待ってるね、まこぴー!』って……」

「真琴さん、そのリスナーの方のペンネームって覚えてます?」

「え、ええ……バレンタインという単語が印象的だったから覚えてるわ。確か……『ページワン中学生徒会長』……って! ありす、どうしたの!?」

セバスチャンはポットを取り落として白いクロスにシミを作り、ありすは角砂糖をどぼどぼと4つも入れてしまった。しかしふたりともすぐに平静を取り戻し、セバスチャンは新しいポットを取りに屋敷に戻った。

ありすは口直しのスコーンを口に含み、もぐもぐとゆっくり咀嚼して、それからさらに一呼吸置くと、ようやく真琴の瞳をじっと見つめる。




「真琴さんは、その方にチョコレートをお渡しになるのですか?」

「う、ううん。それはだめだって、プロデューサーが。だけど、ともちょこ、とか、ぎりちょこ、とか、たくさん種類があるみたいだから、わたしもやってみたいなと思って!」

トランプ王国には、バレンタインはなかったのだろうか。ありすは微笑を絶やさぬまま、それでどうしてわたしのところへ? と首を傾げる。

こういうとき、真琴が真っ先に頼るのは彼女の敏腕マネージャーであり運転手であり相棒でもあるDB……もといダビィなのでは……?

「ダビィも、ゔぁれんたいんでいを知らなかったみたい。それに、次のコンサートの準備で忙しいの」

「ではマナちゃんは?」

「マナは生徒会総会の準備。次の生徒会の子たちのためにも頑張らなきゃって」

「六花ちゃんも、ですね……」

「亜久里ちゃんはこの時期はいろいろなブランドの限定チョコレートが売り出されているってエルちゃんに聞いたみたいで、ふたりでデパートを飛び回ってるわ」

ありすの質問を先回りして、真琴は淡々と言い切った。

「それでなくとも、わたしはありすのところに真っ先に来たんだけどね」

ありすは、真琴のつぶやくような声を聞き逃し、え? と尋ね返す。しかし次の瞬間にはもう、真琴は「それでね!」と声を大きくして身を乗り出していた。真琴が机を揺らした振動で、ぴったりとくっついていたサンドイッチがぱたっとひらいた。

ありすは嫌な予感がする。

そう、まるで、いま、この瞬間に、扇子の要がとれてしまって、自分たち友達がばらばらになってしまったような気がして……










「す、すごい……」

あいた口がふさがらないというのは、今の真琴のような状態のことをまさしくさすのだろう。これがもしテレビアニメなら、ドン! ドン! バン! と効果音がつきそうだ。

ここは、四葉邸の中の、厨房室。毎朝毎晩、ここでありすのための朝食が作られ、昼食が用意され、アフタヌーンティーの支度が整えられ、正餐の下ごしらえが行われるのだ。

トーションを左腕にさげたセバスチャンが、うやうやしく真琴に頭をさげる。

「真琴さま、本日はお嬢様のご意向により四葉邸内すべての食事を、洋食亭ぶたのしっぽよりケータリングすることとなりましたので、この厨房は使われることがございません。どうぞ存分に腕をふるってくださいませ」

今になって、真琴は「トンデモない人にトンデモないことをたのんでしまったのかも」と後悔を始めた。しかし、ありすはそんな真琴のことなどどこ吹く風。真琴さんは何を作りたいんですの? と、かわいらしく小首を傾げながらエプロンを身につけていた。真琴もそれにならいながら、チョコレートケーキ。と手短に答えた。

「マナが言っていたの。オムレツは洋食の基本だって。基本がしっかりできていれば難しい料理もできるようになるし、基本がいちばん難しいって」

「マナちゃんらしいですわね」

「だから、お菓子の中でも基本らしいチョコレートケーキがいいの」

ナイスアイディアですわ。ありすはそう言って、薄力粉の袋を真琴に手渡した。真琴は、この白い粉、なに? と首を傾げているが、ありすはすぐにもう片方の手に粉ふるいとボウルを重ねたものを手渡した。

「真琴さん わたくしはたとえお友達とあろうとも、何かを教えるときには全力でいきますわよ」

「……」

「覚悟はできましたか?」

「……もちろんよ! ありす、お願いね」




まずは薄力粉をふるってくださいなというありすの言葉の直後、厨房室の一角から白い粉塵が巻き上がったとか上がらないとかは、ありす、セバスチャン、そして真琴しか知りえないことである。セバスチャンが顔をかばうように両手をあげるのもむなしく、真っ白な頭髪や髭ともども、視界すべてが奪われていく。

「真琴さん」

「ありすぅ……」

「……大丈夫ですわ よくあることですわ」

……長い一日になりそうだ。

ありすは真琴にわからないように、小さく溜息をついた。
















「っじゃーん!」

「……それ、なに?」




2月14日……

授業後の教室、ホームルームを終えたところでマナが真琴に見せたのは、両手いっぱいのチョコレート。赤いハート型のボックスや、細長いおしゃれなクリアケースに入っているのは、どれも美味しそうなチョコレートばかりだ。そのほとんどの箱に、「生徒会長へ」という言葉で始まる手紙がついている。




「なにってー! バレンタインだよ、バレンタインー!」

「……」




マナは、真琴の微妙な表情の変化に気付かない。それは、これから起こることへの期待なのか、もしくはそれ以前に起きたことへの興奮なのか。




「ねえねえ、まこぴーはー、誰かにチョコあげた?」

「あげてない」

「あげるご予定はー?」

「……」




マイクのつもりなのだろうか。細長い箱型のチョコレートを手に握り、それを真琴の口元にあてる。真琴はフイっと顔をそらし、知らない。と短く呟いた。まるでこのやりとりは、まだふたりが出会ったばかりの頃のものそのものだった。

さすがのマナも、なにかおかしいと気付いたのだろう。「まこぴー?」と顔を覗き込む。




「ごめん……このあと、ラジオの収録があるから」




そう言い残すと、真琴は席を立ち上がり、教室のドアを弱々しく開けて出て行ってしまう。マナはきょとんとしたまま教室に取り残され、陽が傾き、今日の見回り担当だった六花がやってくるまで突っ立っていた。




「マナ!? いったいなにして……」

「……かなあ」

「え? なに、聞こえな……」

「ふられ ちゃったかなあ……」

「え……」




えええええええええええっ と、六花の叫び声ともとれる声が、穏やかなおれんじ色に照らされる教室にこだまする。










「まあ そんなことがありましたの」

「ありすぅ……四葉財閥の力でぇ、まこぴーがどうしてあたしに冷たくなったのか調べてよぉ」

アフターヌーンティーセットの白いテーブルクロスにつっぷしたマナが、くぐもった声を出す。ありすは、そんなもの、四葉財閥の力をもってしなくても明白ですわと思いながらも、確かに気になりますねえと言葉を濁した。

マナが気づいていないのならば、好都合だ。










小さいころから、欲しいものはなんでも手に入った。

一人娘がかわいいのか、普段 ひとりぼっちにさせられていることへの埋め合わせなのかはわからない。

けれど、自分の身がとても恵まれていることは知っていた。

両親がいる それぞれが誇りを持てる仕事をしている 家で待つ自分がいる

それだけがすべてで それだけを守りたかった










けれど

守ってばかりではだめなのだと

知った




「マナちゃん 真琴さんは、今どこに?」

「わかんなぁい でも、ラジオの収録があるとか言ってたよぉ」




ふええと泣き声交じりにマナが言う。ありすは、セバスチャンに持ってこさせたタブレットを操作して、それが四葉放送の番組であることを確認すると「急用を思い出しましたわ マナちゃん、名残惜しいですが、今日はこのあたりでおひらきといたしましょう」と足早にその場を立ち去った。

またも取り残されたマナはきょとん。そして、白いティーカップの底にはりつくようにして残っていたイングリッシュブレックファーストをマフィンとともに胃袋に流し込むと、ごちそうさまでしたっ と叫び、自宅であるぶたのしっぽ亭へと駆け戻って行く。セバスチャンだけが、その場に残り、なんの感情をも表には出さず、淡々と後片付けをほどこしていった。










「プロデューサー おはようございます」

「……おお! これはこれは おはようございます」




徹夜明けなのか、眠たそうな瞳のプロデューサーはありすを一瞬「誰だ?」という目で見つめたあと、ぽん、と手をうって人の良さそうな笑顔で迎え入れた。ありすも、同じようににこりと微笑む。

ラジオ収録中のスタジオ前で、ふたりは簡易ソファに腰をおろした。ありすが差し入れであるブルーマウンテンナンバーワンの入った紙コップを手渡すと、彼は遠慮なくとつぶやいて、一気に飲み干した。

「……それで」




これからありすの言わんとすることがわかっているかのように、プロデューサーは視線をスタジオのなかへ向ける。




「ご覧の通りですよ。心ここにあらずという感じでね。スタジオに入る前、彼女が彼女のマネージャーを通して捨てておいてくれと言ってきたものがありまして、それだけはとっておきましたよ。こんなことくらいでお役に立てるかわかりませんがね」

「……十分すぎますわ」

ありすはぐしゃぐしゃに歪められた包装紙と、その中に入っているであろうチョコレートケーキを抱きしめて、その場を後にした。ずしりと重いその箱には、ケーキだけではない、いろいろな感情も詰まっていることを彼女は知っていた。







「……包装紙、どれにしようかな」

「お好きなものをお選びくださいな」

「これとか?」

「それも素敵ですが、少し主張が強いようですわ。もう少し控えめに……そう、これなんていかがでしょう?」







淡い紫色にターコイズブルーのストライプ。ありすの選んだ包装紙を、真琴はいたく気に入った様子で、それにする! と瞳をきらきら輝かせていた。

あの時は。思いもしなかった。




「真琴さん……っ」




ぎゅうっと箱をだきしめて、ありすはしゃがみ込む。オーナーの令嬢がそんなことをしていれば当然目立つわけで、わらわらと大人たちが集まってくる。どうしました、大丈夫ですか、そうやって投げかけられるのは、自分のことしか考えない、野望を孕んだ声だった。

世渡り上手なひとびとは、こうしてのぼりつめていくのだ。

真琴のように純朴で素直な少女は、その不器用さゆえに傷つかねばいけないのに。




「もっと早くに気づけばよかったんですわ」




破れた包装紙からのぞく白い紙。

そっとそれを引っ張り出して、ありすは冷めた声を出す。




そこには、真琴からマナにあてた思いが綴られている。ありすが真琴に言いたかったことばが、そこにある。




夢は叶えるものだと誰かが言った。

しかし、努力をして叶えられるとするならば、それは夢なんかではなくて、目標なんじゃないだろうか。

だって










(夢は……こんなにも儚い)










チョコレートケーキを作りたいと頼ってくれたとき、好機だと思った。運が回ってきたと思った。

けれど。

あっけなく手のひらからこぼれ落ちたありすの「夢」はありすの知り得ぬところで弾け、壊れ、消えてしまった。

恋も夢もオンナノコがダイスキなもの。

そして
















決して 簡単には 叶わないもの
最終更新:2014年03月15日 11:44