自分を知ることから始めよう/maple
「ねえラブ」
「んー」
「わたしって、どんなひと?」
自分を知ることから始めよう
「なに、なに。急にどしたのー?」
「おもしろい本を読んだの」
にこりとも笑わずにおもしろいと言ってのけたせつなに、ラブは若干笑い声を噛み殺した。
珍しそうに分厚い本の表紙を撫でながら、せつなは目をぱちぱちとしばたかせている。おもしろい、というのは、興味深い、ということであって、決して、笑える、という意味ではないのだと、ラブはせつなから学んだ。
「どんな本?」
「ニーチェというひとが書いた本。曙光というタイトルみたい」
「しょこー……」
ちんぷんかんぷんだとでも言いたげに首を傾げるラブ。せつなは今度はくすりと笑って、口許に手をあてながら本を差し出した。ラブは一瞬、げ、と嫌そうな顔をしたが、渋々その分厚くて重たい本を受け取った。
「せつながおもしろいって思ったの、どこ?」
「この……しおりのはさんであるところ。ラブにもおもしろいって思ってもらえたらいいんだけど」
思いきり目を細めながら本を読もうとするラブ。せつなは、手のかかる赤ん坊を前にした母親のように溜め息をついて、ひょい、と手の中から本を取り上げた。
「逆さまよ」
「知ってる。読んで」
「もう」
仕方ないわね、と付け足してから、せつなはくすくすと楽しそうに笑い声を上げた。ラブは、やっと笑った、とつぶやくが、せつなに、え、と問い返されても答えなかった。今の笑顔は、ラブだけが気付いていればいい。
「『自分を知ることから始めよう』」
「だからせつなあたしに聞いたんだ?」
「ぜんぶ読んでから答えて」
はーい、と間延びした返事を寄越して、ラブは座卓の上に寝転がらせた腕に頬をのせる。
秋の夜長、温かい甘いミルクを飲みながら本なんて読んでいたら、眠くなるのも当然だ。肩の少し上で揺れるボブの髪を払いながら、ラブは静かに目を閉じた。
視界からの情報がなくなった脳内は、虫の音に混じって静かに流れるせつなの声に支配される。ゆっくりと、こどもに読み聞かせるように、せつなは内容を読み上げている。
あまりに心地好い子守唄。
けれどせつなはラブが寝ようとするのを許しはしない。うとうととまどろむたびに、ちょんちょん、ちょんちょん、と肩をつつくのだ。
おかあさんに作ってもらった色違いのパジャマが揺れるたび、ラブは目をぱちぱちさせて、また、睡魔に導かれていく。
「『自分についてごまかしたり、自分に嘘をついたりしてやりすごすべきではない。自分に対してはいつも誠実であり、自分がいったいどういう人間なのか、どういう心の癖があり、どういう考え方や反応をするのか、よく知っておくべきだ。なぜならば、自分をよく知っていないと、愛を愛として感じられなくなってしまうからだ。愛するために、愛されるために、まずは自分を知ることから始めるのだ。自分さえも知らずして、相手を知ることなどできないのだから。』」
せつなの朗読が終わったのだろう。唐突に子守唄に終止符が打たれた。アンコール、といきたいところだったが、せつなが期待を込めた目でこちらをみているのが分かった。ラブはいやいやをするように首を振りながら目をこする。
「……わたしってどんなひと?」
「……すっごくいじわるな子」
「ねえ、まじめに聞いてるのよ」
「だってねむい」
「これに答えてくれたらねてもいいから。おねがい、教えて」
捨てられた仔犬のように、せつなはラブの袖のあたりを引っ張った。
それでとうとう根負けして、ラブはのそりと半身を起こす。ぼうっとしている頭をぶんぶん振ると、くらくらする代わりにわりとしゃっきり目が覚めた。
「あたしの知ってるせつなはね、まじめで、すなおで、ちょっと天然なひとだよ」
「それ、ほめてるの?」
「ほめてないよ。事実だもん」
「……ほめてるじゃない。わたし、そんないいひとじゃないもの」
ラブは、せつなが言おうとしていることが分かって、それを遮るために彼女の頭を何度か撫でた。なでなで、と言いながらそうすると、せつなはふわりと笑って、ぐしゃぐしゃになっちゃう、と慌てて付け足す。
あんなに嬉しそうに笑っておきながら、こんなことを言うなんて、どこでそんな小悪魔的なことを習ったのだろう。美希か彼女の母であるレミくらいが妥当なものだが、それについては考えないことにして、ラブは、ごめん、ごめんと言って手を離す。
「やっぱりさ、せつなはまじめだよ」
「どうして?」
「自分がしたことをずっと考えちゃうなんて、まじめなひとがすることだよ。あたしなんて昨日のことも思い出したくないもん」
「それは宿題を忘れておこられたからでしょ」
きっぱりと言われて、ラブはばれたか、と頭をかいた。けれどせつなは先程よりもいくぶんか晴れやかな表情になっている。
「これでわたしもわかるかしら」
「なにを?」
「あい」
「どーだろ。ていうかだれからの愛?」
ラブがにやにやと笑いながらたずねると、せつなは「ラブのほうがいじわるじゃない」とつぶやいて顔を赤らめた。言わなくてもわかるでしょ、と付け足しながら。
「あたってるかなー、あたしが思ってるひとと」
「どうかしら」
そう言って二人で顔を見合わせ、くすくすと笑った。せつなは最初に話しかけてきたときの強張った表情がきれいになくなって、ラブもそれが嬉しかった。
たとえ愛を愛としてとれなくとも、少なからず隣にラブがいてさえくれれば、せつなが愛を知る必要など、ないのかもしれない。
だって今が こんなにしあわせ
最終更新:2014年04月17日 00:02