その扉の向こう側/そらまめ
「そんなに急いでどこに行くの?」
「え?」
背後から女の子の声がしたので振り向くと、小学生くらいの背丈をした人影がゆらゆら揺れていた。黒く霧のように蠢くそれは、時折人の形も保てなくなりながら揺れている。
無音が続いた後、自分は問いかけられていた事を思い出した。
急いでどこに行くの?
しばらく考えて、自分はどうして急いでいたのか思い出せない事に気付いた。何をそんなに急いでいたのだろう…どこかに行く途中だった?それとも何かを探していた?
わからない。解らないから今も目の前でゆらゆらしている人影に聞き返してみる事にした。
「私がなんで急いでいたのかあなた知ってる?」
「思い出したいの? そんなに大切な事だった?」
「それが解らないから聞いてるのよ」
「じゃあもし私が取り留めもないことだって言ったらあなたは聞くのをやめる?」
「それは…」
黒い霧が大きく揺れて、私と同じ目線の人影になった。
「きっとね…そこまで大事じゃなかったのよ。だからそんなに気にしなくていいよ」
声まで少し大人びてそう言われた。その声は、なんだか聞いた事のあるような気がしたけど、思い出せなかったから気のせいだったのかもしれない。
「変な夢ね…」
なんともよく解らない、ミステリアスというのだろうか。こういう類の夢なんてそうそう見ないから、目が覚めた後も割とはっきり記憶に残っていた。
夢の中では気にするなと言われたけど、こんな謎解きみたいな事されたら自分が何をしようとしていたのか気になってしまうじゃないか。
結局その日は暇があるとそのことばかり考えていた。
不思議と誰かに話してみようとは思わなかった。他の人に話してもしょうがない様に感じたし、自分で考えなくてはいけないような気がしたから。
そうしたらクラスメイトに、「今日はどうしたの?考え事?難しい事考えてばかりじゃ煮詰まるよ。」って言いながら学校近くのクレープ屋に連れて行かれた。私の悩みを口実にクレープを食べたかっただけなんじゃ…と思ったけど頼んだイチゴとバナナが入ったクレープがおいしかったから追及はやめておいた。
しばらくベンチで食べながら雑談していたら、遠くの方で大きな地響きが聞こえてきた。
「えっ?! なに!?」
「あー、またみたいだね」
驚く私を余所に隣に座るクラスメイトは冷静で、またかと言っている。事態が解らずあたふたしていると、「何してるの?」と怪訝な表情で聞いてくるその子と目があった。
「何ってなんか向こうからすごい音がしてるわよ?」
「何を今更。よくある事じゃない。それに大丈夫よ。×××××が何とかしてくれるから」
「え? 何がどうにかしてくれるって?」
「だから×××××よ! 知らないわけじゃないでしょ?」
何度聞いてもそこだけ雑音が入って聞こえなかった。そうしている間にも爆発音とか雄叫びとか、世界の終りかと思える土煙が上がっていたり瓦礫が飛んだりしているのを、これも夢なんじゃないかと思いながら眺めていた。
しばらくすると世紀末的な音も聞こえなくなって、さっきまでと変わらない日常に戻った。
「いやー毎度の事ながらすごいよね。何がすごいって私達と同い年くらいの子が戦ってるって事と、悪の組織っぽいのがいる事だよね」
戦ってる?何と?誰が?
「悪の組織ってなに…?」
「私も詳しい事はよく解らないけど…確か名前は□□□□□って言ってた気がする」
やっぱり聞き取れなかった。
「なんで戦ってるの? ここ日本よね? 大丈夫なのかしら」
「さあ? でも×××××が何とかしてくれるよきっと」
自信満々にそう言った友人から、絶対の信頼を置かれている人がいる事を知った。聞き取れないから名前は解らないが、その人は一人ではなくグループらしく、毎度高らかに自己紹介する悪者から町を守るために戦っているんだとか。
いまいちピンとこなかった。特撮かなにかの話を聞いている気分で、あの時の世紀末な音を聞いていなかったら笑い飛ばしていたかもしれない。それくらい現実離れした話だった。
「そんなに急いで何を探しているの?」
「え?」
女の子の声がしたので振り向くと、人影のような黒い霧が蠢いていた。
「またか…」
まさか二日連続で見るとは思わなかったから驚いた。後昨日とは少し違う事を問いかけられた気がする。
ゆらゆら揺れる人影の胸あたり…と言っていいのか解らないが、とにかくその位置に赤く燃えている火の玉がついていた。昨日は全身真っ黒だったのに…なんだか心臓みたいに見えるそれは、ハートの形をしたり四角になったり、鍵状になりながらやっぱり上下左右に揺れていた。
「私、今度は何か探してたの?」
「解らないなら無理に思い出さなくてもいいんじゃない?」
「そう言われると気になるのよね」
「そう? なら人に聞くばかりじゃなく自分で探してみたら?」
「なんだかいきなり突き放した言い方したわね」
ゆらゆら揺れる黒い霧は、小さな背丈になったり大きな背丈になったりした後、サッと四方に消えてしまった。
「だからなんなのよこの夢…」
やっぱりわからないしヒントなさすぎでしょ…と思いながら眠い目を擦り渋々起き上がる。あ、昨日宿題やるの忘れた…
朝一で気づいても授業は一時間目なので宿題の完成は諦め、やってこなかったのを許されそうな言い訳を必死に考えた。
駄目だった。
放課後残るように言われて、最終下校のチャイムが鳴ったのと同時に校舎をでた。友人は待っていてくれなかった。まあ当たり前だが。
むしゃくしゃしたので商店街で買い物でもしようかと近道である細い道を歩く。一人で歩くには広くすれ違うには少し狭いそこをのそのそ歩いていると、後ろから小走りで来た人と肩が擦れ体が少しだけグラついた。
「あっ! すみません!! 大丈夫ですか?!」
「え、ええ。大丈夫です」
「もうラブ急ぎすぎ!!」
「だって売り切れちゃうかもしれないんだよ美希たん?! 月に一度のドーナツ安売りデーなんだから! きっとブッキーもイースも待ってる」
「はいはい。わかったわかった」
慌ただしく謝罪しながら追い越していく二人の女の子になんとなく違和感を覚えたが、その理由は解らなかった。
服を見たり小物やアクセサリーを見たがしっくりこなくて、最終的に本屋に落ち着いた。
本は好きだ。様々な物語はどれも面白いし、知識が増えていくのもいい。今まであまり読む機会がなかったからここぞとばかりに漁る。
数冊の文庫を買って外に出る頃には夕日が視界に眩しいくらいになっていて、商店街全体がオレンジに染まる光景に少しだけ目を奪われた。
オレンジに染まる街をもっと見ていたくて、いつもとは違う道を歩こうと思い今まで通った事のない方をわざと選ぶ。住宅街に入ったがいつもとは違う事が物珍しくてきょろきょろしていると、ある一軒の家が目に付いた。
白の壁面にピンクの屋根。テラスとちょっとした庭があって二階にはベランダがついている。あたたかそうな家だな…あのベランダから星を見上げたらきっと綺麗なんだろうとそんな事が頭の隅をかすめた。
その家を見ていたらなぜか泣きそうになった。夕日に照らされて濃い影が付き始めているこの光景に心を打たれたのだろうか。確かに綺麗だけど初めて見るこの場所にそこまでの思い入れはないし…
「うちに何か用ですか?」
体を正面に家を見ていたら横から声を掛けられたのでそちらを向く。私と同い年くらいの子で、茶色の髪を左右で束ね、半袖のワイシャツにピンクのスカートの制服を着たその子は、首を少し傾けながらきょとんとした表情で私を見ていた。
あれ、この子どこかで会ったような…
「あの…ってもしかしてさっき商店街の方であたしがぶつかっちゃった人ですか…?」
「あ、そういえば…」
ドーナツが安売りだとか言ってた子だ…通りで。
「あわわっ…さっきはほんとにすみませんでした!」
「そんなに気にしないでください。怪我したわけでもないので」
「そうですか!? よかった…!」
焦ったり安堵したりコロコロ変わる彼女の表情がなんだか面白くて、ずっと見ていても飽きないような気さえしてくる。喜怒哀楽がはっきりしていて、裏表のない性格なんだろうと直感した。
「ドーナツ食べられました?」
「え? あ、はい! それはもうたくさん! 急いだ甲斐がありました」
「ふふっ…そうですか。よかったですね」
「………」
「…? どうかしましたか?」
全身で喜びを表すその子が面白くて少し笑ってしまったのが気に障ったのだろうか。驚いたように眼を見開いてこちらをじっと見てくる。
「あ、いえすいません…あなたがちょっと友達に似ていたので……性格も雰囲気も違うはずなのになんでだろ…?」
「? そうなんですか?」
「あ、気にしないでください! そうだ。これよかったらどうぞ」
そう言って差し出されたのはドーナツだった。抱える紙袋の中にはまだたくさんのドーナツ達が見える。甘いもの嫌いじゃなかったらと言われたので遠慮なく貰う事にした。
ここらへんに住んでるんですか?とかここあたしの家なんですよ。とか少しの雑談をして打ち解けたあと、そういえば名前聞いてなかったねと言われた。
「あたし桃園ラブ。あなたは?」
「私は……せ、せつな。東せつなって言うの」
咄嗟に自分の名前が出てこなくて少し焦った。
せつな。ラブ。とお互いを呼ぶ事にした辺りで完全に辺りが暗くなり、またどこかで会えたらもっと話しよう!と言われて別れた。
出会って数時間でこんなに仲良くなれるなんて私にしては奇跡だと思う。何かと警戒してしまう私にはああいった嵐のような性格の人と相性がいいのかもしれない。なんて考えながら貰ったドーナツを食べた。
「名前って大事なものだと思わない?」
「そう?」
今度はえ?なんて間抜けな返答はせず、問いかけに答えながら振り向いた。人影のような黒い霧のそれには、胸部分に赤い火の玉が、そして腰のあたりにピンクに光る、やはり火の玉がついていた。
「あなたって会う度にカラフルになっていくのね」
「名前は大切だからきちんと覚えておいたほうがいい」
「どうして?」
「かえるためには必要なものだから」
赤とピンクが一際目立つ人影は、ぐにゃぐにゃと歪に不規則になりながら散っていった。
「やっとヒントっぽいものでたわね…」
三回目にしてやっと手がかりを掴んだ。というか毎回一言二言で消えてたら後何回この夢を見ればいいのか気が遠くなる。
名前はかえるために必要だから大切らしい。かえるってなんだろう?
「変える」?それとも「帰る」?
どちらにしろ現状を変化させるって事のようだけど、私の私生活にケチでもつける気なんだろうかあの人影は。今の平和な日常に文句なんてないんだけど…
…と思っていたけど案外平和でもなかったみたい。
休日だからと朝から散歩に出かけたのがいけなかったのだろうか。目の前では世紀末な音と、目にもとまらぬ速さで動く何か達によって瓦礫が飛び交っていた。
まわりを見渡してみると思いの他慌てている人は少なかった。冷静に遠くに逃げていく人が多い中、近くにいた人や瓦礫の破片が飛んできた人は悲鳴をあげたり走って逃げていたが。私はそんな人達を見る度に無意識に腰に手を当てた。ただ、探るように動かしてもその手は空を切ってばかりで何かを掴む事はなかった。
大部分の人と同じように遠くに逃げる。なぜか自分にはそれが出来なくて、なのにこんな所にいる事に苛立っていた。
私はなんでこうやって見上げている事しか出来ないんだろう。目の前で壊れていく建物を黙って見ているしかなくて、戸惑っている人を助けてあげられない。ただの中学生にできる事なんてないかもしれないけど、街を守る為に空中を飛んで戦っている女の子達と、地面に立っているしかない自分との距離をひどく感じ、無力さが募った。
感慨もなく戦っている風景を眺める。辺りにコンクリートの崩れる音が鈍く響き、近くでまたガラスの割れる音がした。ぱらぱらと降ってくる粉塵と一緒に何かが右頬をかすめ、そこが一瞬だけ熱くなったがあまり気にならなかった。
そのうち、五十メートルほど先の方で怪物が激しい光に包まれた。周りを囲む女の子達が怪物に向けて何かをかざしている。眩しくて、思わず目を細め横を向いてその光景から逃げた。
その逃げた先、視界のショウウィンドウに映る自分自身と目が合った。右目の少し下に「ノ」のように斜めに入った傷から、まるで涙のように血が流れている。
ショウウィンドウを鏡に傷にそっと触れてみる。鋭い痛みがして今度は本当に涙が出た。その涙を皮切りに次々と流れ出すそれの意味が解らなくて、拭う事もせず見ていた。
「怪我してるっ! 大丈夫っ?!」
振り向くと女の子が慌てた様子で聞いてきた。ピンクの衣装を着て腰まで伸びる金髪を左右に分けたその人は、どこか日本人離れした顔立ちなのに親しみがあって、焦る様子とか全身で悲しみを表すところとか雰囲気から、最近友達になったラブに似ていると思った。
「泣いてる…痛いんだね…」
黄色の衣装で髪の短い子がそう言いながら、どこから出したのか消毒液とガーゼを持ってこちらに歩いてきた。
その後ろでは青い衣装の子と赤い衣装の子も近づいてきて、クラスメイトの言っていた悪者と戦う女の子達のグループだとここでやっと気づいた。
「痛いけど少し我慢してね」と言われ黄色の子のされるがままに手当を受ける。青い子も心配そうにこちらを見るが、赤い子はなぜか睨みつけるように自分をじっと凝視している。
ラブみたいな人は何かに気付いたように驚いた後、堪えるようにぐっと唇を噛んでいた。その表情がたまらなく嫌で、そんな顔をしてほしくない気持ちから無意識に言葉が零れた。
「私は大丈夫だからそんな顔しないでラブ…」
「うん。わかっ……えっ」
「え…」
言った本人も答えた方も驚いて、頬のあたりで忙しなく動いていた手もピタッと止まり、その場にいた全員がこちらを見てきた。何かこの空間だけ時が止まったみたい。
「な、なななに言ってるのせつな、あたしはラブなんて人じゃないよ…?」
「なんで私の名前知って…え、ほんとにラブなの…?」
「うわぁあ――!! しまったぁああっ!」
「ほんとラブは馬鹿な子ね…」
「パッションやめて! そんな心から蔑んだような眼であたしを見ないで―!!」
「…桃園ラブです。この事は秘密にして下さいお願いします…」
周りの仲間からばか…あほ…と散々言われテンションがダダ下がりのラブにカミングアウトされた。戦っていた時はあんなに遠くに感じていた女の子が今はすごく身近に感じる。
改めて話がしたいのでと集まる時間と場所を伝えられ、他の三人と人が戻り始めたこの場を後にするその去り際に、赤い衣装の子がこちらを振り向き「早く帰れ」と言ってきた。
「みんなを紹介するよ。この子は蒼乃美希、商店街にある美容院が実家でモデルさん」
「よろしく」
「そんでこっちの子が山吹祈里。同じく商店街にある動物病院が実家なんだ」
「よろしくね」
「最後にこの子が…」
「イースだ。桃園イース」
「えっと…みなさんよろしくお願いします…」
自己紹介をされた時、なんとなくしっくりこないような、噛み合っていないような居心地の悪さを感じた。近頃こういう気持ちになる事が多い。私がここにこうして居る事が正しいようで間違っているようで、夢の中の謎が解けないもやもやが現実にまで伝染している気がした。
それと、イースと言う子がさっきからずっと睨んでくる。私は彼女に何かしてしまったんだろうか。聞けば赤い衣装の子と同一人物だって言うじゃないか。あの去り際の怒ったような「帰れ」発言に多少びくついていたから恐さが余計増した。
「イース物調面で睨むのやめなさい。せつな怖がってるじゃない。いつも言ってるけどもうちょっと愛想よくしないと四六時中機嫌の悪い人って思われちゃうわよ?」
「美希はいつもいつも小言みたいによく飽きないな。私にはそっちをどうにかした方がいいと思う」
「イースちゃんだめだよそんな言い方。美希ちゃんはイースちゃんの為を思って言ってるのに」
「祈里…いつも言ってるけどちゃん付けはやめろ…鳥肌が立つんだが…」
「わたしのことブッキーって呼んでくれたら呼び方変えてもいいよ?」
「それは…その…」
「イースはブッキーって言うの恥ずかしいんだよね」
「ラブ!それは秘密だって言っただろ!!」
仲がいい。単純にそう感じた。バランスが取れていて、この完成された輪の中に入る隙はまるで無いと思った。そう思ったら、私の意味がよく解らなくなった。
「おい、貴様」
「え? 私ですか?」
面と向かって貴様って言われたの生まれて初めてだ…
「そうだ。まだ貴様自身から詳しい自己紹介をされてない」
「あ、そう言えばそうでした。えっと私は…あれ……」
自分の名前が出てこない…なんで……
「忘れたのか? 思い出せ。お前は誰だ。なぜここに居る」
「ちょ、ちょっとイースなんか恐いよ? そんな鬼気迫る言い方して、せつなも驚いて固まってるし」
「あ…」
そうだ…私の名前はせつなだ…東せつな。ラブが言ってくれたから思い出せた。
自分の名前を忘れるなんてどうかしてる…
「もっと意識しろ。考えろ。貴様がここに留まりたいと言うのなら止めはしないが…いや、やはり邪魔だ。帰れ」
イースはガタッと椅子から立ち上がり私にそう言った後、一人歩いてどこかに行ってしまった。「あの子はいつも言葉を飾らないというか言葉足らずというか…ごめんね悪気はないと思うのよただ口が悪いだけで」と美希がため息交じりにフォローしてくれたが、初めて会った人にここまで邪険にされたのは初めてかもしれないと少し落ち込んだ。
「えっと…もしかしてイースとせつなって知り合いだったりする?」
「いえ…初めて会った…と思うんだけど…」
「そっか。あ、そういえばこの前会った時にせつなに似てる友達がいるって言ったけど、あれイースの事なんだよ?」
「そうなの…?」
似ている…だろうか。少なくとも私はあんな尖った刃みたいな性格ではないと思う。
それよりもイースに二度も「帰れ」と言われてしまった事が気にかかる。彼女にとって私はそんなに邪魔な存在なのだろうか。
帰れ…か。夢の中で「かえる」という言葉は謎を解くヒントになっていた事を思い出した。私が自分の名前を思い出せなかった事とイースの言ったセリフは何か関係あるのだろうか。
あれから数日経った。構えていたあの不思議な夢はなぜか今日まで見る事はなく、いたって平和な日常で、あまりに平和すぎて落ち着かなかった。それでも世間では所々で平和が脅かされ、定期的にやってくる悪者とラブ達との戦いで盛り上がる人の話を聞く度、何とも言えない気持ちになった。
放課後、私はクラスメイトと一緒に商店街を見てまわっていた。なんでも今日発売の新刊があったらしい。
目的の物が買えて上機嫌のクラスメイトは私の数歩先を歩く。と、突然小走りになって数十メートル先を行ったかと思えばピタッと止まり、近くの喫茶店を指差しこちらを振り向いてきた。
寄ろうと言う事なのだろうか。満面の笑みでこちらを見てくるからきっとそうだ。少し苦笑いしながらゆっくりとそこまで歩いた。今日はカフェオレを飲みたい。
そう思っていたら、突然視界がブレ始め次第に体全体がグラついた。
眩暈か何かでも起こしたのかと思ったが、前にいるクラスメイトも同じようにバランスを崩している。
まっすぐのびる大通り、両脇にズラッと並ぶ店のある一角から、爆発音と共に凄まじい粉塵が通りに飛び出し目の前の視界が一瞬で奪われた。
何も見えない。こういう時は落ち着け。状況を把握しろ。爆発は前方で起こった。そう、確かクラスメイトのいたあたり…
急に怖くなった。今の爆風に巻き込まれて怪我をしていたらどうしよう。自分に関わりのある人が被害にあうなんて初めてだから狼狽えた。
兎に角彼女の無事が知りたくて、名前を呼ぼうと煙も気にせず大きく息を吸った。
そして吐き出そうとした瞬間、さっきよりもっと怖い事に気付いた。
私は、あのクラスメイトの名前を知らない。
本名を言えないのではなく、彼女を指す固有名詞を私は知らなかった。一緒にクレープを食べたのに。さっきまで一緒に買い物をしていたのに。どうして。
そういえば、私は同じクラスの人の名前を誰一人として覚えていない。よく考えたらどんな学校に通っているのか細部が曖昧だ。
何かがおかしい。
愕然として立ちすくんでいたら、今度は横から突風のように強い風が吹いて視界が一瞬でクリアに戻った。
さっきまでクラスメイトがいた位置に横たえる一人の女の子。こちらに背中を向けてピクリともしない彼女を見た瞬間、電流のような何かが体を駆け巡った。
名前がわからないとか今はそんな事どうでもいい。すぐさま彼女の傍に走った。腕から血が出ている。ハンカチをだしてすぐ止血する。あとは擦り傷程度で大きな怪我はなかったが、爆風のショックから気絶しているようで意識は戻らなかった。
爆発の起きた店を見た。店の中で何か大きなものが動いている。きっとあいつが原因だ。
許せない。
倒したい。
でも今の、ただの東せつなには何も出来ない。
どうして私にはラブのような力がないのだろう。守りたい人も守れずじっとしているだけなんて死ぬほど嫌だった。
こちらに気付いて近づく怪物。倒れているクラスメイトの盾になるように両手を広げ立った。今の自分にはこんな事しか出来ない。
怪物が私に攻撃してくる前に、後方から飛んできた何かが目の前の脅威を吹き飛ばした。
振り向くとラブ達だった。「後は任せて!」と言って通り過ぎる彼女に泣きそうになった。悔しかった。大切な人が怪我をさせられたのに盾になる事しかできなかった自分が。それとは違い怪物を倒せる力を持ったラブが。
無力な自分が許せない。こんなのは嫌だ。
「何をしている」
地面を見ていた顔をあげるとイース(パッション)が私の目の前に立っていた。相変わらず怒ったような顔をして睨んでくる。
「貴様いい加減にしろ。この状況をどうにかしたいなら考えろ。何もせずにいられるなら貴様はもうただの一般市民の東せつなだ。それでいいのか」
なにをそんなに怒って、どうしてそんな事を言うのかさっぱりわからない。ただ、このままがいいなんて言えなかった。
思った。
みんなを悲しませない為の手段がほしい。
考える。
守る為の力を。
強い力を。
私も、ラブのような
プリキュア
になりたい。
強く願った。心から。
そうしたらイースが私の腰の辺りを指差してきた。それに導かれるように手をやると、何かが手にあたる感触がして視線を落とす。自分では身に着けた覚えのないポーチがついていて、中にケータイのようなものが入っていた。目の前のイースが同じようなケータイを、いや、私のと全く同じものをかざして見せた。
……ああ、どうして忘れていたんだろう。これは、私にとってとても大切なものだった。
「遅い。私のくせにどこまで鈍くさいんだ」
「なんか…ごめんなさい」
「全くだ。明日から私を崇めながら暮らせ」
「覚えていたらたまにそうするわ」
「やはり貴様は邪魔なだけだったな。早く帰れ。ラブが泣いてる」
「そうね。ここでもラブ達と友達にはなれたけど、私やっぱり守られてるばかりは嫌だわ。守ってあげたい人がこの世界にもたくさんいたもの」
「安心しろ。そいつらは私がついでに守ってやる」
「ええ。ありがとう。お願いね」
ゆっくりと目を閉じて開くと、商店街ではなく夢の中の光景が広がっていて、振り向くとあの黒い霧が蠢いていた。
「どこかで聞いた事のある声だと思ったけど、すぐには思い出せないはずよね。だって自分の声なんだもの」
苦笑いしながらそう言うと、黒い霧の胸あたりで揺れていた火の玉がだんだん小さくなって消えていき、その場所に四色のクローバーの刺繍が浮かび上がった。腰辺りで光るピンクの火の玉があった場所にはポーチが着いていて、黒い霧はいつしか赤を基調とした衣装とピンクの長い髪をした女の人に変わっていた。
「私にとっての現実に近かったのは、こっちだったのね」
「帰るには現状に疑問を抱いて変える必要がある。その為には自分が何者なのかを理解しなければ違いにも気付けない。だから自分の存在を示す名前は大事」
「最初からそう言ってくれればよかったのに」
「気付かないならそれでもいいかと思ったのよ」
「怖い事言うわね… 普通の中学生もよかったけど、やっぱり私はプリキュアである東せつなでいたいわ」
「そう。ならあっちに行きなさい」
「パッション、ありがとう」
「いいのよ。これ以上ラブを泣かせないでね」
「精一杯、頑張るわ」
「せつなっ!!」
「ラブ……泣きすぎ…」
「だって一週間も起きなかったんだよ?! 死んじゃうんじゃないかって…思って…」
「心配かけてごめんなさい…」
「ほんとだよバカ!」
ナケワメーケに攻撃された時に頭を打って、そのまま意識が戻らなかったらしい。
ずっと夢を見ていたのか…
夢…だったのかな。ただの夢にしてはリアル過ぎたけど。
どちらの世界に居てもラブと友達になれた事がとても嬉しくて、普通の学生として平和な日々を過ごすのはそれなりに楽しかった。ただそれでも、やっぱりこっちでプリキュアをしながら過ごす、少し辛くて少し危ない日常の方が私らしいと思った。
最終更新:2014年04月19日 22:15