レンズ越しに見る世界/そらまめ
ある日、眼鏡を拾った。
その日は、休日だというのに朝早くに目が覚めてしまったので散歩に出掛けた。夏の朝は涼しくて過ごしやすい。心地いいくらいの風を感じながら土手沿いを歩いていたら、脇の草むらに畳んだ状態のそれが落ちていた。フレームは黒。いたってシンプルな作りで、特に珍しくもないビジュアルだった。
誰かの落とし物だろうか。
辺りを見回してみたが、近くにそれらしい人はいない。
手に持ったそれをどうしたものかと遊ばせてみる。と、よく見れば付箋紙のような物がついており、「ご自由にお持ち帰り下さい」と書かれていた。試供品?
おもむろに左右を開いてその眼鏡をかけてみた。自分は眼が悪くないから眼鏡なんて掛けたことなかったし、興味本位と気まぐれだった。自分の視力にあってない眼鏡をかけると視界がブレるし目が回って頭が痛くなると聞いた事があったから、すぐに外すつもりで。
初めて掛けた眼鏡から見た世界は、思っていたよりもクリアで、いつもの風景と変わらない気がしたが、それでもどこか少し違っていた。
だって、人間ではない何かが見えたから。
土手の上から河を見ていたはずで、さっきまで特に変わった様子もなく、ここからは水の中の魚だって見えなかった。なのに眼鏡をかけた状態だと、人間のような背格好の、でも全身緑色で、頭の上に白いお皿のようなものが乗った何かが河でクロールをしていた。
河の流れとは逆方向に猛スピードで泳ぐその生き物は、必死に泳いでいるのに流れに逆らっているので一センチもその場から動いていない。何がしたいんだろう。
眼鏡を外して河を見てみる。
さっきの謎生物の姿なんてない。ただの綺麗な河だ。
もう一度眼鏡を掛けてみた。
依然として猛スピードでクロールする緑色の生物が河の中にいる。
眼鏡を外す、掛けるを数度繰り返しても、頭の上に?マークが増えていくばかり。
訳が分からずあたふたしながらも何度目かの眼鏡を掛けなおした時には、緑の生物は河にいなかった。
寝ぼけていたのかもしれない。朝早くに起きてしまったし、夢でも見ていたのだろう。早く帰ってラブでも起こそうかと道に向き直り歩き出そうとした時、
「ふー、今日もいいトレーニングができたなー」
と言いながらぺたんぺたんと足音をさせる緑の生き物とすれ違った。
ぎょっとして思わず後ろを振り返る。
ぺたんぺたんと足音をさせて、全身ずぶ濡れなのも気にせず歩く。水滴によってアスファルトについた足跡は、おおよそ普通の人間ではない足の形をしている。
「暑いなー こういう日はいつも祠にきゅうり置いてあるんだよなー でも実は自分きゅうり派じゃなくてトマト派なんだよね…」
「割とどうでもいいな」と思わず言ってしまいそうだったのをなんとかとどめ、とにかくそんなことをいいながら去っていく謎の生物を見送った。その後眼鏡を外して足跡の場所を見ると、レンズ越しでは足の形に濡れているそこは、なんの痕跡もないただの道でしかなかった。
家に帰るとラブが起きてきたところだったので、一緒に朝ご飯を食べながら、あの生物の事をやんわりと聞いてみた。ただし眼鏡の事は伏せて。色々と衝撃的すぎて、あの後外してポケットに入れたまま持ってきてしまったのがなんとなく気まずかったのもある。それに、もしかしたら自分が知らないだけでああいった生き物はいるのかもしれない。この世界では朝にああいう格好をして泳ぐのがメジャーなのでは。と思って。
そうしたら話を聞いて咳き込んだラブに全力で否定された。
「そんな生き物いないし、いたとしたら変質者だから近寄っちゃだめだよ!」と力強く言われたので、その勢いに押されながら「うん」と答えた。
夏は変な人も増えるからとラブが教えてくれるのを真面目に聞きながら、「でもそのビジュアルって河童みたいだよね」と最後に言ったのが気になった。
午前中、図書館で河童というのを調べてみることした。ラブも誘ったが「図書館は嫌です!」と言われたので今は一人で格闘中。
結果、私が見たのは挿絵にある河童そのものの姿だったが、河童というのは想像上の生き物である可能性が高い事が判明。という事は私が見たのは何?
私がおかしくなっていたか眼鏡がおかしいかのどちらか。眼鏡越しにしか見えないのだからきっと眼鏡のせいだろう。そうであってほしい。
因みに調べていくと、こういった人間の理解を超えた現象を起こしたり、その能力を持った類を「妖怪」、「物の怪」、「あやかし」というようだ。
調べてみて、妖怪の存在を知っても不思議と怖いとは思わなかった。だから、調べものが終わって家に帰る道すがら、あの拾った眼鏡を掛けながら土手の方へ歩いた。もしかしたら、もう一度あの光景を見れるかもしれないとちょっとだけ期待しながら。
土手まで行って、少しの間その場にとどまり誰か来ないか待ってみた。だけど来る様子もないからそのまま街を歩いてみる。
そうして、頼まれた買い物をしながら見つけたものは、期待していたようなそうでないような光景だった。
朝、河で泳いでいたあの河童が、家の塀によってできた日陰の中で座り込んでいた。なんだかぐったりとしている。
「あつい…暑くて祠まで帰れない……あ、そこのお嬢さん、よかったらその袋の中にあるトマト一個くれませんか? ……なーんて、聞こえるわけないか」
「え、トマト欲しいんですか?」
「え…今の俺に…? いやまさかね…」
「よかったらどうぞ…?」
「え、まじで? 俺の事見えるの?」
「はい一応は…」
話しかけてきた河童は、私が答えるとは思っていなかったらしく、それはもう驚いていた。トマト派らしい河童にさっきスーパーで買ったトマトを一つあげると、すごい勢いで元気になった。図書館で読んだ本から想像していた河童より数倍フランクなしゃべりと性格で、頼んでもいないのに朝河でトレーニングしてから今までの経緯を教えてくれた。要は泳ぎすぎて帰る体力が残っていなかったよう。トマトを食べ終えると「お礼はまたいつか。」と言って走って行ってしまった。慌ただしい。走り去っていく様子を見ながら眼鏡をずらして裸眼で見ると、やっぱりそこには何もいなかった。
「最近、眼鏡してることあるけど視力悪くなったの?」
ドーナツ屋で雑談をしていたら、思い出したように美希に聞かれた。普段あの眼鏡はかけていないが、時々かけては別世界を体験している。
「ええ。少しだけ。日常生活に支障はないから普段はしないけど」
「そう。でもせつななら黒じゃなくて赤のフレームを選ぶと思ったわ」
以前とは違い赤で統一し始めた今の自分には、あの黒のフレームは目立っていた。自分で選ぶならきっと美希の言った通り赤にしていたと思う。でもこれ拾いものだし。ただ、その眼鏡だけが周囲から浮いているような雰囲気はしていて、やっぱりこれは普通ではないのだろうと思った。
いつの間にか、眼鏡をかけて散歩するのが日課になった。そしていつの間にか、あの河童と仲良くなった。毎朝同じようにあの河でトレーニングをしているから必然的に土手に行けば会えるので、散歩コースにあの土手を加えて、必死にクロールしているのを眺める。たまにトマトを差し入れると、抱きつかれて喜ばれた。嬉しいけど服が水で濡れる…
フランクな彼に眼鏡の事を話してみた。
「へー、この眼鏡でしか見えないのか…ちょっと貸して」と言われて眼鏡をとられた。今まで目の前にいた河童がいない。そのまま数十秒待っていたら、そっと眼鏡が掛けられた。
「ほんとにこれなしだと見えないみたいだねー 俺の眼鏡姿が似合うか散々聞いたのに」
「え、そうだったの? ごめんなさい。なにかノイズみたいなのは聞こえたけど、これを外すと姿はもちろんあなたの音は聞こえ辛くなるみたいで」
「よくわかんないけど、その眼鏡はあまり使わない方がいいかもね」
「え、どうして?」
苦笑いしながらそう言う彼に少し焦った。だってこれがないと会話だってまともにできないし、楽しくなってきたのに手放すのは惜しい。
「君はその眼鏡なしじゃ俺の事見えないだろ? 俺達が元々見えている人ならともかく、本来見えない者が見えるのは君にとってあまりいいことじゃない。俺みたいにいい性格の奴ばかりじゃないからね」
自分でいい性格と言うのはどうかと思うが、それでも、なんとなく彼の伝えたい事は解った。妖怪の中には、悪い事をする種もいると本で読んだから、私が見える事でそいつらに目をつけられて、悪さをされるかもしれないと心配してくれているのだろう。
でも、本当はそこに居るのに、居る事に気付けないというのは、なんだか寂しいと思う。
親切に忠告をしてくれた河童は、「トマトのお礼にいつか俺の家に招待するよ。ほたるがいっぱいいて川も綺麗なんだぜ」と言ってさわやかに走って行った。今日は途中で干からびないといいねと心の中で応援しながらそれを見送った。
この眼鏡についてわかった事は、人間ではない者が見えるという事。それは妖怪と呼ばれるものだったり、幽霊と呼ばれるものだったり、とにかくそんなオカルト的なモノたちを認識する事ができた。
これは、いわくつきのアイテムなのかもしれない。
でも、手放す気にもなれなくていつもポケットに入れていた。
「で、旅行に行く話だけどさ!」
ダンスレッスンが終わると、ラブが嬉々として目を輝かせながらそんな話題を振った。ミユキとダンスレッスンのために合宿に行った時、みんなで泊まるのが思いのほか楽しかったから、夏休みのうちにまたあんな感じでどこかに行こうと言った意見にみんな賛成で、この前は海だったから今度は山という事になっていた。ただ、行先はまだ決めていなかったので困っていると、祈里が挙手をして提案してきた。
「この街から車で一、二時間位のところにある民宿はどうかな? お父さんの知り合いがやってるんだけど、自然がいっぱいで近くに小川とかが流れててすごく綺麗らしいよ」
「ブッキーは行ったことあるの?」
「ううん。でも、その土地の面白い話とか言い伝えとかがあるらしくて行ってみたいなって」
「へー、あたしも聞いてみたいなその話!」
「わたしも詳しくは知らないから、行ったら現地の人に聞いてみよう?」
「じゃあ行先はそこに決定って事で」
「「「はーい!」」」
それから数日後、バスを乗り継いで民宿へ着いた四人は、想像していたよりも山らしい山の中にぽつんとある宿に驚いていた。
「雰囲気…でてるね…」
「周りは本当に山だけなのね」
「見たことない動物に会えるかな?」
「民宿というより屋敷…?」
若干一名だけズレたことを言っているが、とにかく各々が思う第一印象は、不安が入り混じるようなものだった。
目の前の宿は、どちらかというと田舎によくある昔ながらの家と言った方が正解な気がする見た目で、屋根だって瓦じゃなく藁。広い庭の一角にある畑にはきゅうりやトマトがなっていた。宿の前にはかろうじて舗装された道が一本。そこから細い枝のようにバラバラに伸びる細道がそれぞれ森へと続いている。田んぼや畑の緑が視界いっぱいに広がって青空がよく映える光景に、確かに自然は豊かだと分かった。
「綺麗な川ね…」
まだ午前中だった事もあり、宿に荷物を置いて一休みしてから近くを散策してみる事にした。宿の人に教えてもらった通りに数十分ほど歩くと小川が流れる場所に着いた。さわさわと水の音と葉の重なり合う音がして、光を受けて水面がきらきらと輝く。
「ほんと…」
「この近くに小さな社があるらしくてね、そこの言い伝えをさっき聞いたの」
「ブッキーいつの間に…」
昔々、この村では作物の豊作を祈る為に多くの人が社に足を運んでいた。祀られていたのは河童様で、お供えとしてその村でとれたきゅうりを持っていくと、次の年も天候に恵まれるとされていた。
ある日、この村に商人が子供を連れてやってきた。子供は親が商いの算段をしていて忙しそうだったので一人で遊びに出掛けた。見つけたのは河童様が祀られている社。
たくさんのきゅうりが供えてある事に、きゅうりだけなんてかわいそうだと子供ながらに思ったその子は、持っていたとまとをそこに置いて帰って行った。
すると、とまとを供えるなどとはなんたることかと河童様が激昂し、次の日大嵐がこの村を襲い、川は氾濫し、畑の作物を根こそぎ奪っていってしまった。
それからというもの、河童様のお供えに赤い作物を供える事は固く禁じられ、怒りに触れてしまうのが怖くなった人々は、足しげく通った社に近づく事をやめ、年に一度の豊作を願う祭り以外には不用意に近づかなくなっていった。
「って言うお話で、その社がここから五分くらい上流に歩いたところにあるんだって」
「へー、河童はきゅうりが好きってよく聞くけど、トマトくらいでそんなに怒んなくてもいいのにね」
「ラブそんな言い方したら河童様に怒られるわよ?」
「またまた美希たんったら。河童が本当にいるならむしろ会ってみたいよ」
「河童、ね…」
「どうかしたのせつなちゃん?」
「何でもないわブッキー」
トマト好きの河童なら知ってるんだけどね。トマト嫌いとトマト好きの河童が出会ったらきっと喧嘩になるんだろう。そしてフランクな方の河童がわからずやと地団駄を踏む様子が難なく想像できて可笑しかった。
昼食にいったん宿に戻ってから、午後は河童様の社に行ってみようという事になった。
「へー、思ったより大きねー」
「この村の神様なんだから当たり前でしょ」
「静かなところだね」
「ええ。とっても」
閑散としているといってもいいくらいの場所だった。
河童を恐れる人が多く、この村の人はほとんど近寄らないというのは本当のようで、人の行き来は感じられない。
四人はそれぞれ社の周辺を見てまわる。せつなも見てまわっていると、きゅうりが一本供えてあるのに気付いた。まだ新しいそれは、きっと今日供えられたものだ。ここに来る人が一人でもいるという事がわかり、少しだけ安心した。誰からも必要とされないのは、やっぱり悲しいと思うから。
しばらく歩いていて、そう言えばポケットに入れっぱなしだった眼鏡の事を思い出した。河童の言い伝えがあるのだから、もしかしたらフランクな方の河童とは違うものが見られるかもしれない。そう思い左右を開いて眼鏡を掛けた。
周囲を見渡す。先ほどと変わらない光景。さすがにここにはいないのかと少しだけ落胆しながら歩いていると、
「ああ、今日もきゅうりだね…いや、嬉しいんだけどね」
声が聞こえた。
進んでいた歩みを止めてきゅうりの供えてあったところまで急いで引き返す。
そこには、「ははは…」と悲しく笑う河童がいた。
「いた…」
「え? あれ? 君なんでここにいるの? 俺いつ家の場所教えたんだろ…はっ! まさか君俺の跡つけてきたの…? そんな追っかけなんて照れるな」
「違うから」
「隠さなくてもいいよ? 俺のファンなんだろっ?」
「ち が う か ら 」
「はい。すみません調子乗りました…」
ここは、あのフランクな河童の家だったらしい。ここから毎日四ツ葉町まで行くのは大変じゃないかと聞くと、「まあトレーニングだし他にやる事もないしね…はは」と自虐気味に笑った。つまりやる事がないからトレーニングをしているわけか。仮にも祀られている存在なのになんだかな…と思ったが、それよりも疑問にわいた事を聞いてみた。
「あなたがここの主なのよね?」
「ん? そうだよ?」
「あなた、トマト大好きよね?」
「うん。きゅうりよりも好きだよ」
「それならどうしてトマトはお供えしちゃダメなんてあんな言い伝えがあるの?」
「ああ…それね……俺ってさ、河童じゃん?」
「ええそうね」
「河童ってさ、昔からきゅうりとワンセットみたいな認識されてるじゃん?」
「そう…みたいね」
「だから昔からずっと、村の人がくれるのはきゅうりだったんだよ。でも俺はトマト派だから、ある日子供が供えてくれたトマトがすごい嬉しくてさ! あまりの嬉しさにいつもより多めに踊ってしまったわけですよ」
「踊る?」
「そう。雨乞い」
「まさか…」
「ちょっとやりすぎて洪水起こしちゃった。てへっ」
「あなた…馬鹿なの…?」
「やだな俺河童様だよ? ここでは神様だよ? 神様捕まえてなんて事言うのこの子は」
「いやだって…」
「まあ、それからはお供えうんぬんどころか人もあまり来なくなっちゃったんだけどね…俺の事見える人なんてその時はいなかったから弁解のしようもなくて、せめて毎年の豊作祈願はちゃんとやってるんだけどそれがまた誤解を生んで、近寄らない方がいいって意見の後押ししてるみたい」
途中から寂しそうな声音に変わってそう言うのを、なんて声を掛けていいかわからなくて黙っているしかなかった。こんなに陽気な性格なのに。こんなに人懐こい神様なのに。見えないから、聞こえないから、この悲しい声は誰の耳にも届かない。
「それでもさ、こうしてお供えしに来てくれる人がいるんだ。もうおばあちゃんだけど、天気がいい日にはこうやって置いてある。それだけで結構嬉しいんだよ。だから俺はあの人の為に、今年も豊作を願うよ」
慈しむようにそうやって言うフランクな河童は、この村を守る神様らしかった。
「せつなー、そろそろ宿の方に戻らない? ってあれ眼鏡かけてる」
「あ、ラブ」
「へー君の友達? みんなかわいい子ばっかだね」
「神様なのに煩悩にまみれてる…」
「そんなつもりじゃないってば。ほらなんて言うか愛おしいって方の可愛い?」
「……」
「どうしたのよせつな。そんな疑惑に満ちた目であさっての方向見て」
「いえ、ここの河童様は威厳なんて本当はないんじゃないかって唐突に思っただけよ」
と、そこで、ここでみんなにもこの眼鏡をかけてもらえば河童と話が出来るのではないかと思った。誤解だらけの言い伝えの真実を、みんなにも知ってもらいたい。先ほどの発言はともかく、気のいい、優しい彼をみんなに紹介したい。
「ラブ、ちょっとこの眼鏡かけてあっちを見てくれない?」
眼鏡を外して渡しながら彼がいた方を指差す。
「え? 別にいいけど……ってうわっ!」
かけた瞬間ラブが驚いたように固まった。それはそうだ。目の前にいきなり緑の生き物が現れたのだから。
「せつなどれだけ眼悪くなったの!? これぜんぜん周りが見えないんだけど!」
「え…?」
固まった後勢いよく顔から離した眼鏡を両手に持って、驚いたように言ってきた。
…周りが見えない?いやそんなはず…私が初めて掛けた時ですら普通に見えたのに。
「ラブ、アタシにも貸して……っうわほんとだ。景色とかそういうレベルじゃないわね」
「そんな……ブッキーは、どう?」
「うーん…わたしもさすがにこれはちょっと見えないかな…」
口々に心配の声が掛けられた。でも、今の自分には驚きで返答する余裕もなく、返された眼鏡を掛けなおす。
見える。景色だって、フランクな河童だってはっきりと。でも、みんなはこの眼鏡では何も見えないと言っている。私が目にしているのは一体…
「幻かもね」
「っ…」
「君にしか見えないんなら、俺は、本当は居ないのかもね」
私の不安を見透かしたように紡ぐ彼の言葉は、確かに私に届いている。でも、私にしか存在を認識できないのなら、彼がここに居るとどうやって証明すればいいのだろう。自分の事を幻なんてそんな、悲しそうに言わないでほしい。
「せつなどうしたの!?」
「泣かないでせつなちゃん…」
「せつなごめん。そんなに視力悪いの気にした?」
「君は優しい子だね。でも、気にする必要はないよ。俺は、こうして君と話が出来てるだけで嬉しいからね。人間と話をするのは久しぶりだったからさ」
しばらく、涙が止まらなかった。
「どうして私にしかこの眼鏡を使えないのかしら」
「んーそうだねー」
夜になりみんなが寝静まった頃、一人宿を抜け出して社に行った。街灯もなく、でも月明かりが照らしてくれたから思いのほか簡単に来られた。社に着くと、階段に腰かけて月を見上げる人影。こちらに気付くと、いつものようにフランクに片手で挨拶してくれた。
「君がこの世界の人間じゃないから?」
「…っ!! なんでそれを…」
「俺神様だよ? そのくらい朝飯前」
「神様ってすごいのね……河童だけど」
「河童を馬鹿にするんじゃありません」
「…みんなに、あなたの事紹介したかったわ…」
「俺も紹介されたかったよ」
「ごめんなさい」
「なんで君が謝るのさ。残念だったけど、その気持ちだけで十分」
落ち込む私を励ましてくれる。でも、申し訳なさでいっぱいでどうにも気持ちが晴れないでいたら、少し悩んだ風な彼が思い出したように手をぽんと叩いた。
「そういえば俺、トマトのお礼に家に招待するって言ったよね」
「え、ええ。招待される前に来ちゃったけど」
「まだ案内してないところがあるんだ。俺のとっておきの場所」
「?」
ずんずんと前を歩く河童の跡を、見失わないように後ろからついていく。どんどん森の中に入っていくから、次第に不安になってきた。しばらく無言のまま進む。
「そんな不安そうな顔しなくてもとって食いやしないよ。それに、着いたし。ここがとっておきの場所」
「え?」
着いていくのに精いっぱいで周りを見ている余裕がなかったが、いつの間にか開けた場所に出ていた。すぐそばに小川が流れている。そして、その周りには小さく点滅する何かがたくさん見える。
「きれいね…」
「ここさ、ほたるがたくさんいるんだよ。村の人だって知らない場所」
「私ほたる見たの初めて…本当に、すごい……」
「喜んでもらえたならよかった」
「……あの、一つだけお願いがあるんだけど…」
「せつなーどうしたのこんな夜遅く…」
「せつなってば夜はちゃんと寝ないと肌に良くないのよ…?」
「せつなちゃん?」
「起こしてごめんねみんな。でも、どうしても見て欲しいところがあるの。アカルンお願い」
部屋が一瞬だけ赤い光に包まれる。
「へ? 森の中? ってうわー!!」
「もしかしてあれ…」
「ほたる…? すごい…こんなにたくさん」
この場所を見せてくれた河童に、ラブ達にも見せてあげたいとお願いした。少しだけ考えるようなそぶりの彼に、場所は分からないようにするからと必死にお願いすると、じゃあ、と了承してくれた。
「すごいすごい!! あたし初めてだよこんなにたくさんのほたる見るの!」
「アタシもよ。きれいね…」
「本当に。でも、どうやってこの場所を?」
祈里の疑問に確かに…と他の二人も不思議そうにこちらを見る。
「教えてもらったの。とっても優しくて、気さくなひとに」
「人間には見えない神様が人間のために存在するって、なんだか変な話だよね」
「神様のあなたがそれを言っちゃうの?」
「だって、人の祈りを叶えるためにいるのに、その人間にはそこに居るって言えなくて、見えないものを信じ続けるのは人には難しいじゃない。少しずつ俺らの事が忘れられていって、いつしか祈る人がいなくなったら、俺らの存在の意味だってなくなるんだよ?」
「それは……」
「つまり、俺らはそれだけ不安定な存在って事。そんな不確かなものに祈るんだから、奇跡だって起こりづらい。叶えたい事があるなら、自分でどうにかする方が確実かもね」
「身も蓋もないような気がするわ…」
「君も、叶えたい夢があるなら自分で掴み取るくらいの気持ちでいるべきだよって事。応援してるよ」
「…神様ってホントにすごいのね……河童だけど」
「河童を馬鹿にするんじゃありません」
「…精一杯、頑張るわ」
「それじゃあ、そろそろ帰るわね」
「こんな暑い日に朝から元気ですな」
「一気に老けたみたいに言わないでよ」
「言っとくけど俺、君より何百年も生きてるからね?」
「そう言えばそうだったわね。あまりにもあなたの性格が気さく過ぎて忘れてたわ」
「まったく……あ、このトマトありがとね」
「いえいえ、昨日のお礼だから気にしないで」
「お礼のお礼じゃいつまでたっても終わらないじゃん。あ、そろそろトレーニングの時間だ。じゃあ、またどこかで会えたら」
「ええ、また」
驚くほどあっさりとした挨拶を交わした後、サッと消えてしまったその場所に残ったのは食べ終わったトマトの「へた」だけで、それだけが確かにここに何かがいたという証拠だった。
最終更新:2014年04月20日 23:59