「その瞳に映るもの」/アクアマリン
「あーっ、もうヤダ~!」
「もう、レジーナったら」
そう言って六花は問題集を投げ出したレジーナをやんわりとたしなめた。
「だってもうおんなじこと2時間もやってるじゃない」
「あのねえ…」
同じことを2時間も教えるのにはその何倍の苦労がいると思っているのか、六花はそう言いたくなるのをこらえて、代わりにやる気を引き出す言葉を口にした。
「マナと同じ学校に行きたいんでしょ、だったら勉強も頑張らないと」
「だって~」
レジーナは口ではまだブツブツ言っていたが、それでも問題集を拾い一応は勉強に戻る姿勢を見せた。
六花が勉強を教えているそもそもの発端はレジーナがマナと同じ大貝第一中学に通いたいと言い出したことにあった。
四葉財閥が上手く手を回してくれたおかげで、レジーナは何の問題もなく新学期から大貝第一中学に1年生として通えることになった。
ただし、それはあくまでも手続き上の話である。これまで学校の勉強というものを何一つしたことのないレジーナがいきなり学校に通うというのはハードルが高すぎる。そこで六花は四葉邸の一室、かつて亜久里に食育を行った場所を借りてレジーナに学校の勉強を教えているのだった。
「あーあ、こんな面倒なことするなんて」
「学校に行ったらその面倒なことを毎日しないといけないのよ」
「ふえ~っ」
レジーナは面倒だという態度を全身で表すかのように机に突っ伏す。その様子を見てこんな調子で学校でやっていけるのかと六花は一瞬不安になった。
別にレジーナは頭が悪いわけではない。公式や文法を理解するのには時間がかかるが一旦理解してしまえば上手く使いこなし、応用することもできる。
この一週間近くレジーナの勉強を見続けてきた結果、六花はそんな風に考えていた。ただ、勉強だけが学校生活の全てではない。
授業中、ずっと机に座っていられるか
体育館に集まった時にじっと立っていられるか
勝手に教室や学校を飛び出したりしないか
不安材料を挙げればきりがない。自分たちは手を差し伸べ道案内をすることはできても、最終的に歩き出すのはレジーナ自身だからだ。
そして再びレジーナは勉強を始めたがまた30分ほどすると根を上げてしまった。
「あーっ、もうヤダ~!」
「レジーナ、それ2回目よ」
「ヤダったら、ヤ~ダ~!!」
そう言って両足をジタバタさせるレジーナは正にイヤイヤ期に入った赤ちゃんそのものだった。
「レジーナ」
六花はレジーナの目をまっすぐ見つめて言った。
「学校へ行きたいって言ったのは誰でもないレジーナなのよ。だからレジーナが頑張らないと意味がないの」
別に叱っているというわけではないのに、レジーナは金縛りにあったかのように六花から視線を逸らすことができなかった。
(この目、どこかで見た覚えがある…)
レジーナはしばらく考え、それが去年のクリスマスにプリキュアと戦ったときと同じ目をしているということに気づいた。
あの時六花は自分に本当の気持ち、マナが好きだということを認めるように言った。その時の六花はまるで自分の心の奥まで見透かすような目で自分をまっすぐ見つめ、自分はそれに耐えられなくなって本当の思いを口に出してしまった。
「ハイハイ、やればいいんでしょ、やれば」
そう言ってレジーナは問題集を開き、視線を問題のほうに向けると勉強を再開した。口調は投げやりだが、その目は真剣そのものでそれを見た六花はひと安心した。
そうして勉強を30分ほど続け六花が問題を採点している時に唐突にレジーナが口を開いた。
「ねえ、マナもこんな面倒なこと毎日してるの?」
「そうよ。マナも、私も、ありすもまこぴーも亜久里ちゃんもね」
「ふ~ん、何でこんな面倒なことやってるんだろう?」
レジーナがそう言うと六花はペンを走らせていた手を止めてしばし考え込んだ。自分は将来の夢、お医者さんになるためだとハッキリ言えるが、確固たる将来の夢を持っているわけではないレジーナにはどんな言葉をかければいいかすぐには思いつかない。
そうして六花がしばらく考え込んでいると
「お疲れ様です。六花ちゃん、レジーナさん」
そう言ってありすとセバスチャンが2人の方にやってきた。
「リラックスの効果があるハーブティーとラベンダーのクッキーをお持ちしました」
セバスチャンはそう言ってティーカップにレモン色の紅茶を注ぎ、2人の方に差し出した。
「ありがとうございます」
六花は一言礼を言ってからペンを置いてハーブティーに口を付けた。鼻腔をくすぐる甘く、それでいて主張しすぎることのないレモンの香りが心を穏やかにする。隣に座っているレジーナを見るとすっかり生き返ったという表情をしている。
「六花ちゃん。先程はお話を遮ってしまったようで申し訳ありませんわ」
「話って?」
「レジーナさんがどうして勉強するのかって言ってたではありませんか」
「ああ、あれね」
結局、答えは出ないままだった。レジーナの方はそんな質問をしたこともすっかり忘れているようだったが。
「代わりに私がお答えしてもよろしいですか?」
「えっ、いいけど」
そう六花が言うとありすはレジーナの隣に座って話しかけた。
「レジーナさん、先程のどうして勉強するのかというお話ですが」
「へっ?」
「私は自分を変えていくためだと思いますわ」
「変えていく?」
よく意味がわからずレジーナは首をかしげる。
「はい、レジーナさんはマナちゃんと出会って変わりましたよね?」
「うん!」
レジーナは迷わずに即答する。ありすはその様子を嬉しそうに見ながら続けた。
「きっとお勉強に出会うのもきっと同じことだと思いますの。学校で数学や社会といったお勉強に出会うことで、レジーナさんはもっと自分を良い方向へ変えることができると思いますわ」
「ふ~ん、これがね~」
そう言ってレジーナは問題集をまじまじと見つめる、まるでその中にマナがいるかのように。
「とは言いましてもこれが正解というわけではありませんわ」
「えっ?」
自分の発言を否定するような言葉にレジーナは思わずありすのほうを向いてしまう。
「ですから、レジーナさんがお勉強する理由はレジーナさんが学校に行ったり、お勉強をする中で見つけるのが一番良いと思いますわ」
そう言ってありすはレジーナの目をじっと見つめる。
レジーナはその言葉に思わず口を尖らせる。勉強だけでも難しいのに、まるで新しい宿題を1つ与えられたような気がしたからだ。
文句の1つでも言いたくなるところだが、自分をまっすぐ見つめるありすを見ているとそういう気も起きない、別に自分を叱っているというわけでもないのに。その目はまるで自分がその答えを見つけることを疑ってもいないように見える。
そんなレジーナとありすの様子を六花が見ていると突然そばにいるラケルがコミューンの形に変化した。マナか真琴からの着信が入ったという事だ。
「はいもしもし、あっマナ…」
電話に出た六花の表情はすぐに明るいものとなったが、受け答えをしている内にその顔はたちまち真剣なものにかわり、それに気づいたありすやレジーナの表情も変わる。
「わかった、すぐに行くわ」
そう言って六花は電話を切る。
「どうしたのですか?」
「隣町のデパートで火事があったの、マナ達も向かっているわ」
そう言うと六花はすぐに立ち上がって2人のほうを見た。
「私達も行くわよ!!」
「はいっ!」
「もちろん!」
そう言って3人は部屋を飛び出していった。その様子を見届けるとセバスチャンはティーカップやクッキーの皿の後片付けに入った。
デパートでの救助活動が終わりレジーナが家に戻った時には日は完全に暮れていた。
「パパ、ただいま」
そう言ってリビングの方に行くとそこではトランプ王国の元国王、レジーナの父親が料理をテーブルに運んでいた。
「おかえり、レジーナ」
「パパ、ゴメン遅くなって。あのね、今日…」
「ああ、いつもの人助けだろう」
そう言って父親はリビングのテレビを指差した。テレビでは炎を上げるデパートから逃げ遅れた人を助け出すプリキュアたちが映し出されていた。
「ふーん」
「今日もお疲れだったね、レジーナ…」
そう言った時、父親はレジーナの表情がいつもとは異なり、暗く沈んでいることに気づいた。
「レジーナ、怪我でもしたのか?」
「ううん、そうじゃないの」
レジーナは小さく首を振ると元気のない声で言った。
「パパ、アタシ学校で上手くやっていけるのかな?」
「レジーナ?」
唐突に出てきた言葉に父親は少し戸惑った。
「アタシ不安なの、この世界を滅ぼそうとした悪い人だって思われたらどうしようかなって」
自分がなぜこんなことを考えるようになったのかはわかっていた。あの燃え落ちるデパートを見てしまったからだ。
炎に包まれて崩れ落ちていくデパートを見るとかつての荒廃したトランプ王国や、キングジコチューの攻撃によって倒壊したクローバータワーを思い浮かべてしまい、自分の奥底にあった不安を呼び起こしてしまったのだ。
「レジーナ…」
その様子を見て、父親は胸を痛めた。そのことで苦しんでいるレジーナを見ているとまるで自分の罪をレジーナにまで押しつけているかのように思えてしまう。いや、それ以外の何物でもないのだ。
「あ~あ」
椅子にどっかりと座ると場の沈んだ空気を吹き飛ばすかのようにレジーナは明るい声で言った。
「アタシってばマナと学校に行けるのが嬉しくて、他のことなんて全然考えてなかったからな~」
「レジーナ」
父親は内心の胸の痛みを隠しながら問いかけた。
「お前が学校に行きたいと思ったのはあの子と一緒にいたいからだけなのかな?」
「えっ?」
そう言われてレジーナは改めて学校に行こうとした理由について考えてみた。
(確かマナが学校っていうところに行っているのは会った時から知っていて…)
その時は何の興味もなかった。そして、パパとこの世界で一緒に暮らせるようになった時に、真っ先にマナと同じ学校に行きたいと思った。
(でもどうしてだっけ…)
ちゃんとした理由はあるはずなのにはっきりとは浮かんでこない。レジーナはさっきまで悩んでいたことも忘れて、腕組みをしながら考えたが答えは出てこない。
「まあ良い、すぐに答えを出さなければいけないということではないからな」
そう言って父親はレジーナの向かいの椅子に座ると穏やかに語りかけた。
「レジーナ、きっと学校のみんなはお前のことを分かってくれるはずだ」
「えっ、どうしてわかるの?」
まるで学校のみんなを見てきたかの様な口調で話す父親に少々戸惑い、レジーナは父親に尋ねる。
「今日お前は人助けをしただろう、お前が助けた人やお前が人助けをするのを見た人達はきっとお前から愛を受け取ったはずだ」
父親は確信に満ちた声でレジーナに向かって話し、一旦言葉を区切ると続けた。
「そして心の中に愛があるとわかっている者を悪い人だとして切り捨てるということはない、きっといつかは分かり合える。私はそう信じているよ」
「愛…」
そう呟いてレジーナは自分の愛の鼓動を確かめるかのように目を閉じて胸に手を当てる。そして目を開くと父親はレジーナの目をまっすぐ見つめ、笑顔を浮かべながら言った。
「レジーナ、学校生活楽しんできなさい」
「うん!」
父親に応えるかのようにレジーナは満面の笑みで力強く頷いた。
「さて、レジーナも元気になったことだし、そろそろ夕食にしようか。もちろん手洗いとうがいの後で」
「うん、アタシ安心したらお腹空いちゃった」
そう言ってレジーナは洗面台の方へ走っていき、父親は温かい目でその様子を見つめていた。
最終更新:2014年04月27日 21:41