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A Will/そらまめ




「例えば僕が君を忘れてしまったとして、あるいは、君が僕を忘れてしまったとしたら、君と僕ははじめましてから始めた方がいいのか、さよならと言えばいいのか、悩んでしまう」

―――Abel Dinger 『A Will』和訳 p.37(全草社)より







はらはらと空から落ちてきた一枚の葉が、手元の開かれた本の上にふわりと着地した。そこは丁度読み進めていた行で、まるでもうそろそろ読書はやめたらと言われたような気がして下げていた視線を上げれば、ここに来てベンチに座った時より随分と太陽が傾いていることに気付いた。
物語の世界に入るとどうにも抜け出せなくなるのはなぜだろう。油断していたらそのまま帰ってこられなくなりそうで、今だって話の余韻でぼーっと空を見ているくらい。そのうち、登場人物達に交じって自分だったらどうするだろうと考えだしたあたり、私はこの本を気にいったのだと思う。

今日は珍しく一人だ。ラブは学校に用事があるとかで朝慌てて出掛けてしまった。美希はモデルの仕事に隣町まで、ブッキーは山吹病院の前を通り過ぎた時に院内を忙しなく動いているのが見えた。だから今日は一人でできる事をしようと図書館に寄った後、公園のベンチに腰を下ろした。
久々に一人を体験すると、こんな日もいいかもしれないと思う。
ただそれはいつもみんなのいる日常があるからこその想いで、以前のようになんでもひとりでやっていた日に戻れるか判らない程度には、この生活に慣れ始めていた。








「最近、突然意識を失って倒れる人が多いんですってね」

夕飯時、不安そうなあゆみの言葉にラブもせつなも顔を見合わせる。確かに近頃この街で意識不明で病院に運び込まれる人が増えていた。ニュースでも取り上げられ、季節の変わり目から熱中症じゃないかと当初は言われていたものの、担ぎ込まれるのは女子学生が多く数日間目が覚めず記憶障害も発生している事から、ただの病気ではないのではと噂されている。記憶障害の程度は様々で、倒れる前後の記憶がない人から、自分が誰であるか思い出せない人までいるらしい。ただ、どの被害者も数日で元に戻っている。一部では宇宙人の仕業だとかありえない話まで持ち上がり、噂に尾びれがついて大げさに街中を駆け巡っていた。
ラブ達の学校でも病院に運ばれた人がいたために、クラスでも割と話題になっている。

「知ってるよ。学年は違うけどうちの学校の子も倒れたらしいから」
「そう…ラブもせっちゃんも気を付けてね。水分補給はこまめにするのよ」
「うん」
「わかったわおばさま」


記憶障害。
被害者は女子学生。
この二つの事実から自分を狙っているのではないかと先ほどから嫌な予感が止まらない。この街で奇妙な事が起こる時は大抵ラビリンスが関係しているというのは、この半年で周知の事実となっている。ゲージが溜まった今、人々を不安にさせてFUKOを集める必要はないはずだが、新しくこの街に来た幹部はサウラー以上に狡猾な作戦を思いつく。
近頃腑抜けがちな気持ちに喝を入れたタイミングで、こんな問題解けるかー!と叫ぶ声と机を叩く音が隣の部屋から聞こえてきて何とも締まらない決意表明になった。










「いくよみんな!!」

もう何度目になるかわからないラブの掛け声に返事をして、思い切り力を込めてナケワメーケに蹴りを入れると、その分だけ高く巨体が空に飛んだ。いつものように全力で、いつものようにスティックを敵へと向ければ、いつもみたいに光に包まれた。
もう少しでその姿もただのダイヤ型に変わるだけという時だったから、なんて言い訳だが、四方を囲んでいる自分達もほっと一息ついていた。
だから、最後の気力を振り絞ったかのようにナケワメーケの腕がこちらに向き、認識すら難しいほどの速さで何かを放った事にすぐさま対応できなかった。

「ぐぁっ…!」

鋭い痛みと衝撃でよろけそうになる体をなんとか踏みとどまらせる。鈍い痛みのする胸に手を当てて触ってみたが、出血らしきものはない。少しもしないうちに痛みも引いた。とっさにみんなは大丈夫だろうかと周囲を確認してみたが、未だ激しい光を見上げており特に変わった様子はなかったので一安心。どうやら被害は自分だけで、気づかれなかった事にも安堵する。
ダイヤも消滅して、変身を解いた後服の上から胸の辺りを触ってみたが、特に違和感はなかった。

「なんで今日はナケワメーケだったのかしら?」
「今日はナケワメーケな気分だった。とか?」
「そんな適当に決めてるものなの…?」
「違う…と言い切れない程度の馬鹿がいるのは確かよ」

ちょっと間違えたとか言ってナケワメーケを召喚しそうなアホを知っているので否定はできない。
そういえば、今日のナケワメーケは何を媒体にされていたのだろう。









―――――――…






「…あれ、せつな今日日直だっけ?」
「ええ。先に学校に行ってるわね」
「うん。また後でね」

布団から上体を起こし目元を擦るラブにそう言った後、学校へと向かった。
定期的に回ってくる日直は、みんなより早めに登校してやらなければならない雑務がたくさんある。日直の仕事が嫌だと思った事はない。みんなは面倒だとぼやいているけど、私にはみんなの面倒すら新鮮で、楽しくて、毎日日直でもいいからこんな日がずっと続けばいいのにと、ひとりの教室で黒板に名前を書きながらそんな事ばかり考える。
三十分ほどして一通りの仕事が終わったが、クラスメイトはまだ誰も来ていない。このままみんなが登校してくるまでぼーっとしているのはもったいない気がして、この前から読んでいる本を鞄から取り出した。




「僕が持っている大切な物を一つずつ捨てろと言われたら、最初に捨てるのは君との思い出だろう。だって僕にとって大切な物はそれしかないから」


―――Abel Dinger 『A Will』和訳 p.152(全草社)より





一人また一人と教室にやってくるクラスメイトに挨拶をしながらラブを待つ。また遅刻ギリギリで来るのだろうか。いつもは自分が急かしているのでそうそう遅刻はしない。最近あゆみおばさまに「せっちゃんが来てからラブの遅刻癖が改善されたみたい。ありがとう。これからもラブの事よろしくね」と言ってもらえて、自分が誰かの役に立った事がとても嬉しかったのを覚えている。
時計をちらりと見た後パタンと本を閉じると、同時にチャイムが鳴って、それと同時に勢いよく教室のドアがスライドされる音が合わさり、今日は朝から随分と賑やかになった。

「…っセーフっ!!」
「アウト―」
「なんでさ大輔っ! 今のはギリギリオッケーでしょ!!」
「朝からうるせーなー、象がこっちに走ってきたのかと思ったぜ」
「なんだとー!」

「はいはい、席につけー、遅刻にするぞ桃園―」
「ぅわっ先生いつの間に…」

ドアのところで問答していると、たしなめる声が背後から聞こえてぎくりと肩が上がる。丸めた教科書を片手でポンポンと叩きながら見下ろしてくる担任に、たはは…と愛想笑いをしてこそこそと自分の席に着く様子は、一瞬で教室中に笑いを誘った。

「遅かったわねラブ」
「あ、せつな。先に行くならそう言ってくれればよかったのに。せつないつまでたっても降りてこないから、朝ご飯三杯もおかわりしてすごいのんびりしちゃってたよ」
「ラブ寝ぼけてたの? 日直だから先に行くってちゃんと言ったじゃない」
「あ、あれ? そうだっけ…? たはは…」

ジトーっと見るとバツが悪い様に視線を逸らし、わざとらしくぴゅーぴゅーと掠れた口笛を吹いてごまかそうとしていた。










―――――…


「あのね…あたし今から変な事聞くけどいい…?」
「その前置きがすでに変だけどいいわよ」
「どうしたのラブちゃん?」

せつなは委員会で今日は別々に帰ってくる予定で、それぞれ他の学校に通う幼馴染二人と一緒にカオルちゃんのドーナツを食べながら待っていた。

「えっとさ…あたしとせつなってなんで仲良くなったんだっけ?」
「は…? ラブ何言ってるのよ」
「だから最初に変な事聞くけどって言ったじゃんー!」
「何かあったの?」
「何かっていうか…なんか最近せつなと一緒にいると、どうして同じ学校に通ってるのかとか、どうやって仲良くなったか一瞬判らなくなる時があって」
「ラブ、まさかアンタまで例の記憶障害になったの?」
「記憶障害…? あ、そういえばそんなのもあったね」
「熱は…ないみたいだね」

ラブのおでこに手を当てて祈里が確認するもいつもと変わらない体温で、くすぐったいよーと笑うラブの表情も言動以外には問題なし。美希の方に顔を向けると彼女も分からないと言う風に首を左右に振った。

「違和感ある所にラビリンスありって言うし…」
「何その格言。初耳だけど」
「あたしの経験から生まれました。でね、用心しておくに越したことないから二人にお願いしたい事があるんだけど…あのね、もし…――」







―――――…


校舎の窓越しに外を見ると、茂っていたはずの木にはもうほとんど葉が残っておらず、大半が下の地面に落ちている事に気付いた。それがまるで絨毯のようで、これから冬になるというのにカラフルすぎるそこは何となく場違いに感じた。
一体いつから葉が枯れ落ちていったのか自分には思い出せなくて、そんな風景の変わり様のように、ゆっくりと異変が起きていた。
例えば、一緒に登下校をする回数が減った。宿題を見せて欲しいと自分に言ってこなくなり、代わりに別の人に頼んでいたり、目が合うと一瞬だけ驚いたように固まったり、なんとなく、以前よりもラブとの間に溝が出来たような気がした。でも、本来はこれが普通なのかもしれないと思って、気のせい程度の事にいちいち答えを求めるのはラブを束縛しているようで、気が引けて小さな変化の理由を聞くことはできなかった。
そんなもやもやとした気持ちでいると、時折胸がチクリと痛んだ。










「ラブ、最近せつなと帰ってくる事減ったわね」

角を曲がったところで美希と行き会って、そこから二人で歩きながら雑談をする。お互い違う学校だから、今日の変わった出来事とかを話のネタにすれば話題には事欠かなかった。その話の延長から、そういえば同じ学校に通っているはずの二人が最近一緒に帰っている姿を見かけなくなったと美希は思いだす。

「え、せつな? そういえば職員室にプリント提出しに行くって言ってたね」
「そのくらいの用事なら待っててあげればよかったじゃない」
「えー、なんで? 別に一緒に帰らなきゃいけないわけでもないのに」
「っ…、それは、そうかもしれないけど…」

ごく自然に、それが普通とでもいうように返された答えは予想外なもので、変なのーと笑うラブは背中に背負った夕日の逆行のせいか、言葉にできない違和感を纏っているようで知らずに息を飲んだ。

「ら、ラブ。今、リンクルン持ってる?」
「急にどうしたの美希たん? そりゃ持ってるけど…」
「ちょっと見せて」
「えっ、いいけど…」

隠す様子も素振りも見せずに差し出されたそれは紛れもない本物で、首を傾げるラブの仕草もいつも通りだった。
…それでも、おかしい。
だってあのラブが、理由もないのにせつなを置いて帰ってくるなんて。
戸惑いながらもリンクルンを返すと、受け取ってポーチへと戻し、それで今日さーと、今の事を気にする様子もなく話す学校での出来事に再び耳を傾ければ、とりたてて変わらぬ平和な日だったらしい。ただ、驚くほどせつなの話題がでてこない。いつもなら頼んでもないのにせつながすごかったと興奮気味に話すのに。


「ラブ、今日のせつなはどうだったの?」
「せつな? 別に普通だったと思うけど…っていうか美希たんさっきもせつなの事聞いてきたけど、美希たんとせつなってそんなに仲良かったっけ?」

その言葉にギシリと体がさび付いたように動けなくなった。数歩先で立ち止まり振り返ってきたラブは、不思議そうにこちらを見ている。言葉にならない緊張が走り、背中に冷や汗が伝った気がした。

「なに…言ってるのよラブ…アタシ達プリキュアで仲間じゃない…」
「いや、そうなんだけどさ。あたしもせつなの事よく知らないからどうって聞かれると少し困るっていうか」

ラブがせつなをよく知らないなら、アタシ達はどれほどせつなを知っていると言えるのだろう。あんなに一生懸命に想いを伝えていた人が、知らないなんて言葉をそんな平気そうな顔で言うなんて。

「ラブは、なんでせつなと知り合ったんだっけ?…」
「え? 四人目のプリキュアを探してて、見つけたからじゃないの?」
「そう…だったわね…」

あまりに簡素すぎる答え。一言で語れるような話じゃなかったはずのせつなとラブの関係は、同じプリキュアで居候というただそれだけの存在になっていた。

何か変だと気付いてから、一先ずいつも通り自分の家の前で手を振ってラブとは別れ、玄関の扉を閉めると同時にリンクルンで祈里とせつなを公園に呼び出した。制服姿で鞄を揺らして走ってきた祈里は学校帰りだったようで、何があったのと息を切らせながら心配そうにわたわたしてこちらを見る。せつなはそれとは対照的に、暗くなった辺りよりさらに暗い顔で歩いてきた。その手にはぐしゃぐしゃになった一枚の手紙を握りしめて。


「ごめんなさい…」
「どうしてせつなが謝るのよ」
「ラブの事、私のせいだから…」
「せつなちゃん自分を責めないで。知っている事があるなら教えて?」




…以前ラブが言っていた「違和感ある所にラビリンスあり」の格言は大正解だったようで、例によってプリキュアである自分達を狙っての今回の事らしい。手にした手紙を読み上げるせつなの声は固く必死で感情を抑えようとしている風にも見えて、こちらに関してもラブが正解かもしれないと今はいないリーダーを改めて見直した。

「にしても今回はいつもとは違う厄介さね」
「この作戦を考えたのは多分ノーザよ」
「ノーザってこの前来た女の人の事?」
「ええ。サウラーよりもずっと容赦のない人よ。だからこうしてわざわざ教えてきたのよ今回の事。そっちの方がダメージを大きくできるって考えて」

そう。これは自分に対しての精神攻撃が一番の目的だろう。ゆっくりと時間をかけたのは今回の事が相手にとっては暇つぶし程度でしかなく、ソレワターセではなくナケワメーケを使った作戦もシフォンを狙うためではないから。最近起きていた記憶障害も、今回の作戦のためのナケワメーケを作る実験としてやっていたらしい。

そして末出来上がったのが、寄生した人の一番大切な思い出を奪うナケワメーケ。

重要なのは寄生した本人から思い出が無くなるのではなく、一番大切な思い出を一緒に築いた人から寄生した人の思い出を奪うという事。
ラブとの思い出が一番大切だったから、ラブからせつなという人間との思い出が消えた。加えてその変化に疑問を持たない程度に辻褄を合わせた記憶が今のラブにはある。

寄生…という事は、あの時ナケワメーケに攻撃されたのがそれだったんだと気付いて、どうしようもなく自分に腹が立った。この計画のために関係ない学生が被害を受けてしまった事もそうだし、ラブと一緒にいればいる程、ラブの記憶に干渉してしまう事もそうだ。
加えて自分の思い出が原因の記憶障害だから、このままでは自分に関わった全ての人が被害の対象となる可能性がある事。今はまだせつなという人物との思い出が奪われているだけだが、そのうち自分自身の事すら分からなくなってしまうかもしれない。そんな事になれば、プリキュアが終わってしまう。


「少し、距離を置きましょう」
「せつなちゃん…」
「別にずっとっていう訳じゃないわ。今回のナケワメーケをどうにかするまでは」


眉が下がる祈里から心配している気持が痛いほど伝わってくる。それなのに何もかも隠して静かに微笑むだけのせつなに対して、二人を見ていた美希に苛立ちが募った。
気づかれないほどそっと、握りしめていた手に力を入れる。感情に任せて怒ってしまいたくなるのを抑えて、そっと息を吐き出して、ラブとの約束もあるのだから落ち着けと自分に言い聞かせる。

「記憶が奪われないようにアタシ達との接触も極力避けるって? それこそラビリンスの思い通りになっちゃうじゃない」
「大丈夫よ。ラビリンスが街に現れたらアカルンですぐにみんなのところに行けるから」
「大丈夫、ねぇ…何がどう大丈夫なのか分からないわね。例えばせつなの言う通りにして、無事この件が解決したとしても、せつなはきっと元のような状態に戻ろうとしないんじゃないの? 今みたいにアカルンがあるからとか言って」

どれほど自分が真剣かわかってほしくて睨みつける程強い視線を送れば、せつなは同じようにこちらを見るだけ。何も言わない。何も変えない。
自分のせいで周りに迷惑がかかるのを常に恐れているせつなは、あの手紙でその事実を突きつけられて自分を許せなくなっている。今のせつなは、アタシ達の傍にいる事すらよしと出来ないのかもしれない。


「…自分がいなくなれば、解決するとでも思ってるの…?」

ふっと目を逸らしてため息交じりに足元を見た。街灯が無ければ自分の靴と地面の区別もつかないくらいには時間は過ぎていて、想いさえもこの暗闇に飲まれてしまいそうな気がしてたまらなくなった。

「私は…みんなを護りたいの」

そんな気持ちを知ってか知らずか、せつなは沈んだアタシの心に一瞬で火をつけるような事を言う。

「せつなはアタシ達の何を護ろうとしてるのよ!!」

声を荒げるとせつなの肩がびくりと上がったが、今は気にしない事にした。
これだ。問題解決のために真っ先に自分を切り捨てる方法をとろうとする所や、それが当然と思っているのが本当に腹が立つし、一人で抱え込んで耐えようとしているのとか、出来るなら正座をさせてその事について何時間でも説教してやりたいが、それと同じくらい抱き締めてあげたくなる。泣きたくなる。

「アンタはもうアタシ達の仲間なの! みんなを護りたいっていうなら自分も含めて全員を助ける方法を考えなさいよっ!!」





「…―――あのね、もし、これから先少しでもあたしがおかしい事してたら色々と疑ってほしい。あたし自身が問題ないって言ってもだよ。それから、そうなった時、せつなを一人にしないであげて。お願い」





ラブから言われた言葉を思い出して、意地でも一人になんてしてやらないと自分を奮い立たせる。聞いた時はあまりに真剣に言うので驚いてしまったけど、時々起こる馬鹿みたいに鋭い勘が今回発揮されたようだ。
気に入らないのはやり方よりもその姿勢。
祈里に目線を送れば、先ほどまでハの字だった眉は上を向き、気合を入れるように胸の前でグッと拳を作って頷いてくれた。

「まず、今回の件を解決するためにもせつなはすぐ脱走しようとする癖を治しなさい」
「脱走って…」
「大丈夫だよ美希ちゃん。わたし達せつなちゃんの手を離したりしないもの。嫌だって言っても離さないからね?」
「ブッキー…」
「ブッキーの言う通りね。せつな、アタシ達から逃げられるなんて思わない方がいいわよ」

根拠のない自信で人を安心させるのはラブの専売特許だけど、今回はそれを倣ってみる。胸をつきだして偉そうにしてみれば、せつなの眼が大きく見開かれた。

「…ふ、ふふっ…あなた達には本当にいつも驚かされてばかりね。いつも励まされてばかりで……この記憶をみんなと共有できなくなるのは…哀しい…わね…」

だんだん小さくなっていく声と一緒に歪んでいく顔に喉の奥が痛くなって、震えだした体を前後から囲むように二人で抱き締めると、この状況ですら耐えるように嗚咽を我慢しているのが判り、知らずにこちらも唇をぐっと噛んでいた。






「置いていく方と置いていかれる方、どちらが辛いかと聞かれても、今の僕には分からない。そんな事より、君が今隣にいない事の方が重大だ」


―――Abel Dinger 『A Will』和訳 p.202(全草社)より










何かおかしいと思ったら即報告。
言葉にすれば当たり前の事を今までしてこなかったのは、自己完結ばかりだったからだろう。実は胸元に攻撃を受けていたと話すとそれはもう言葉にできないほど二人は怒り、上記の文を美希と祈里に呪詛のように言われ、二人のいない今もなお頭の中で壊れたラジカセのようにそのフレーズばかりがリピートされ続けている。
今回の件で自分が如何に駄目な対応をとっていたかはよく分かった。分かったからもうやめてくださいと授業中うんうん唸っても、隣の席のラブは気にも留めなかった。
今のラブからしたら自分は通行人Aのようなものなのだろう。そう自分で考えておきながら、気持ちが沈んだ。


放課後、ラブ以外の三人で人目のない森へ集まる。寄生されたのだろう胸元にはビー玉のような丸い模様があり、押してみると少しだけ痛かった。以前より円が大きくなっている気がしないでもない。それを話してみると、時間が経ったからか、記憶の吸収によるものではないかと言われた。
まずは寄生されているのをどうにかしなければという事で話し合う。

「ナケワメーケがやった事なら、やっぱり浄化すればいいんじゃないかな?」
「それが妥当よね」

結論は最初からそれしかなくて、プリキュアの力でどうにかするのはわかる。でも、一つだけ気が気ではない事があった。

「このナケワメーケを浄化できたとして、それでラブの記憶は戻るのかしら…」
「っ…それは、正直わからないわ…」

手紙には「奪う」としか書かれていなかった。奪ったものを蓄積している本体が消滅してしまったら、記憶までも消えてしまうのではないか。これまでのラブとの関係が無かった事になると思うと、とても怖かった。今までの絆が、繋がりが消える。多いとは言えない自分の大切な思い出の中で一番輝いているモノが無くなってしまう消失感に、自分は耐えられるだろうか。

「せつな。キツイ言い方かもしれないけど、このままじゃ事態は悪い方へ行くばかりよ」
「わかってる。わかってるの…」


自分に言い聞かせるように呟きながら、耐えるように服の上から胸を掴んでいる姿は痛々しく、顔色も悪い。
せつなにとってラブがどれだけ大切で信頼しているのかが見て取れる。そんな人に自分が忘れられてしまうかもしれないのは、想像できないほど辛いだろう。でも、ラブがせつなを、せつながラブを大事にしているのに負けないくらい、自分達だってせつなは大事だから。ラブの思い出が消えてしまう事を、自分の全てが終わってしまう事と思わないでほしい。一人じゃ辛いなら支えるし、一緒に乗り越える事だってできるから。
祈里に目配せをする。
胸を掴んでいる手に覆う様に自分の手を重ねて、ゆっくりと服から離す。反対の手は祈里が両手でそっと持ちあげた。

「アタシ達がついてるわ」
「せつなちゃんはひとりじゃない。この手は離さないよ」
「……私は、ラブに連れ出してもらえて、初めてこの世界が好きになれたの」
「うん…」
「そんなラブがいなくなるなんて、私…」
「せつな、ラブはいなくなんてならないし、もしせつなとの記憶がラブから無くなっても、せつなが今までを覚えているなら、無かったことになんてならないわ。今まで手を引いてもらっていたのなら、今度はせつながラブの手を引く番よ」

隣で、手を繋いであげて。
背中を押すと同時にここにいていいという意味が含まれた励ましの言葉に、美希なりの優しさを感じて、何も言わずにずっと手を繋ぎ続けてくれている祈里の優しさも伝わって、そんな温かさに、自分は本当に恵まれた場所にいるのだと理解できた。だから、ゆっくりと頷けた。








ぜえぜえと息を吐きながら膝と両手をついて俯く私を前に、ベリーとパインの顔もすぐれない。覚悟を決めて二人から浄化の技を受けたが、ギリギリのところで威力が足りずに胸元の模様は消えなかった。初めてまともに技を受けた感想は、痛くはなかったが違和感と圧迫感であまり気持ちのいいものじゃなかった。

「ラブも…呼んでくるしかないか…」
「え…」

思わず顔を上げてベリーを見ると、そんな顔しないでと悲しそうに言われる。覚悟したとはいえ今のラブに近づくのは怖いし、記憶も奪ってしまうからと、今日に至っては一言も会話していない。

「アタシとパインの二人じゃ無理だったけど、ピーチのラブサンシャインも合わせればそれも消えるはずよ。今のラブに会うのは辛いかもしれないけど…」
「…そう、よね…」





「おーい! どうしたのさこんな所に呼び出すなんて。何かあったの?」

私服の上にジャケットを羽織ってやってきたラブは、まっすぐ前を見ながらいつものような足並みでやってくる。
こちらに近づく度にクシャリ、クシャリと枯葉の踏まれる音が大きくなり、無造作に絨毯をかき分ける様が得体のしれない何かに見えた。


「細かい説明を省くと、これからアタシ達と一緒にせつなにラブサンシャインを打ってほしいの」
「…ふーん……いいよ」
「理由は、聞かないの?」
「…うーん、別に。あんまり気にならないし」

たとえ浄化の力だとしても、仲間に技を放つ。それを一瞬考える素振りを見せただけで気にならないとぼやく今のラブには、欠落してしまった記憶と一緒にせつなという存在さえも曖昧になってしまったんだろうか。睨むでもなく、蔑むでもなく、有象無象のようにしかその眼には映らない。それは、踏まれても気付かれなかった枯葉と一緒だった。嫌われるよりも存在を否定される方が寂しいと、この時初めて知った。


「いくわよ。用意はいい?」

変身も終わりスティックが構えられ、ベリーの掛け声が静かな空間に響く。頷く他の二人に続くように頭を上下させれば、アイコンタクトでもわかる「絶対に助ける」というベリーとパインの想いに、もう一度目線を送る。ピーチの方へも一瞬だけ目を向けると、交差した視線から困惑するように揺れる感情が見て取れて少しだけ首を捻った。





「プリキュア! エスポワールシャワーフレッーシュ!」
「プリキュア! ヒーリングフレアーフレーシュっ!」
「プリキュア! ラブサンシャイン、フレーシュ!」

「…くっ……ぅぁ……」

三人からの力に、内側からもやもやとした圧迫感が上がり思わず声が漏れる。眩しくて開けていられず細めた目線の先に、苦しそうな表情でスティックを向けるピーチがいた。
記憶が無いにも関わらずそんな顔をしてくれたのが嬉しくて、ラブはラブなんだなと思えたところで記憶が途切れた。





















―――…



「えーと…あたしの、友達…ですよね…? すいません…思い出せなくって…」

目が覚めると自分のベッドで寝ていた。直後に部屋に入ってきた美希が驚いたように駆け寄ってきて、自分が倒れた後崩れるようにラブも倒れたのだと教えてくれた。
そして今、申し訳なさそうに謝るラブがベッドにいる。私の記憶は残っていないようで、初めて会いましたとでもいうような余所余所しさだった。二人きりの空間に少しの緊張が生まれる。
ラブと二人になってこんなに落ち着かないと思ったのは初めてで、本当はこの場から逃げ出してしまいたかった。
それでも…――――数回深呼吸をして、一歩前へ。

「…以前の私なら、さよならって言うんでしょうね。こうなってしまったのは私のせいだし…でも今は…はじめましてからまた始めたいの」
「えっと…」
「私は、東せつなって言うの。あなたの名前を教えて?」
「桃園…ラブ…」
「ラブ。私と、友達になって貰えないかしら?」

ラブが何も覚えていなくてもいい。今度は私から手を伸ばすから。

「ぅ…ぅう…」
「えっ…」

綺麗に笑えていたかは分からないがその時出来る精一杯の笑顔で言えば、ラブは途端に泣きそうな顔になり、流石にその反応は予想外で驚く。
きょとんとした後、いつもみたいな笑顔でいいよと言ってもらえると思っていたから。だから、そんなに、泣くほど自分と友達になるのが嫌だとは思わなくて、一歩前に踏み出すことがこんなにも大変で、想いを伝えて受け入れてもらえないのがこんなにも辛いとは思わなかった。
本当に、今更、こういう立場になってラブが自分にしてくれていた色々がどれだけ嬉しかったか分かったのと同時に、その気持ちを共有できなくなったのがとても悲しくて、痛かった。

「…ごめんなさい。今のは、忘れて。私とあなたは元々知り合い程度だっただけだか…」


「うわぁあああん!! ごめんねせつなー!! あたしせつなの事忘れてなんかないよずっと友達だよーーー!!!!」
「…は?」

一からでも友達になりたいと思った。でも、ラブが拒むなら自分はただの居候のままで構わない。そう思ってさっきの自分の申し入れを無かったことにしようとしたら、いつものような大泣きでベッドから飛び出したラブが抱き着いてきた。いや、それだけならまだしもラブは今何と言った?忘れてないとかなんとか言わなかったか…?

「だから言ったじゃない。せつなはまた友達になってくれるって」
「でもあのままいってたらわたし達の今回の苦労が水の泡になるところだったね」

ドアが開く音と同時にそんなセリフが背後から聞こえてそちらを向けば、美希と祈里が苦笑いしながら入ってきた。

「…どういう事?」
「そんなに睨まないでよ。ごめんって」
「今回の事よく覚えてないっていうからラブちゃんに話をしたらね…?」





【は? あたしがせつなを蔑ろにしてた? あはは、あたしがそんなことするわけないじゃん】
【事実よ。せつなの事なんてよく知らないってアタシに言ったし】
【え、嘘…まじで…? ど、どどどうしよう…せつなに何てこと……どうしよう。せつな、もう前みたいに隣にいてくれないかもしれない…】
【大丈夫だよラブちゃん】
【だってせつなだよ!? 一度手を離したら、もう掴んでくれないよ…うっ…ぐす…】
【はー、わかった。ならこうしましょう…―――】



「と、いう訳で、ラブがあまりにもせつなを信用しないからこうしてみたの」
「あ、あのねせつな、別にせつなを疑ったりしてたわけじゃなくてね? あの…」
「いいのラブ。私の日ごろの行いのせいよね」

普段からそれだけラブを不安にさせてしまった事を謝らなければいけないと思ったが、泣きべそをかきながら抱きついてくれたのが嬉しくて、ごめんの代わりにありがとうと小さく呟いて笑った。















「僕と君を天秤の両端に置いてその価値を量っても、僕が君を必要とする想いまでもは量れない。だってそうだろう? 数字で測れるほど、僕も君も予定調和な人生を歩んできたわけではないのだから」

「どうしたの? いきなり」
「今読み終わった本の最後のページにそう書いてあったの」

『A Will』というタイトルとは裏腹に、登場人物が誰一人として死ななかった物語。
人は死ななかった。それでも最初より随分と様々な人の考えや人物背景が変わった。変わった事を死んだと表現したかったのかはこの著者にしかわからない。それでも、変わる事を死と捉えるなら人は何度生まれ変わるのだろうと、空に漂う雲の数を数える頭の片隅で少しだけ考えた。

「せつな、みんな来たよ。本の世界から帰ってきて!」
「大丈夫よ。もう戻ってきてるわ。行きましょうラブ」

パタンと閉じた本から少しだけ風が起こり、丁度落ちてきた葉がその風で少しだけ軌道を変えた。







※作中に登場する、『A Will』(Abel Dinger著)という本は作者の創作であり、「全草社」という出版社は実在するものではありません。
最終更新:2014年06月04日 22:37