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ふたりの「おんなじ」/maple




たすっ、と小気味良い音を立てて、れいかの放った弓矢が的の中心付近に突き刺さった。ゆっくりと足を擦って、的にお辞儀をする。それまで、きりきり…たす。と、同じ音ばかりを繰り返していた的前に違う音が響いたのは、その時だった。
ぱちぱちぱちぱち。
油がはぜる音。急な夕立。
色々なものが瞬時に頭に浮かんでは消えてゆく。そうして、答えはすぐにわかった。弓道場の後方、的に向かっているとちょうど体の右半面しか向かないところ。よく煮詰めた玉ねぎのように深い色をした、固い窓枠に囲まれた、通気孔である格子。そこから音が漏れている。

「あかねさん!」
「よ、やっとるなー!めっさカッコよくきまっとったでー?やよいが見たらスーパーヒーロー言うて喜ぶんちゃうん?」
「いえ、そんな……」

きしきしと床板を踏みしめながら窓の近くに寄ると、いつも携えているバレーボール……ではなく、なぜかビニール袋を提げたあかねが、にかりと白い歯を覗かせながら立っていた。彼女の近くに寄ると、何だかいい香りがする。とても庶民的な、けれどとても食欲をそそるような。れいかの、小作りの鼻がひくりと動く。あかねは、それを待ち構えていたかのようにずいっとビニールを掲げて、「ちょぉ休もうや!」また、にかりと笑った。


場内への飲食物の持ち込みは禁止されているため、れいかが袴のまま外に出る。するとあかねは驚いたように目を丸くして、「ホンマかっこええな~」と声を上げた。元々大きな瞳を、さらに大きく見開いて。まるでそのままころりと転がり落ちてしまうのではないかと思うほどに。

「女のウチでも惚れてまうわ!」
「…ありがとうございます」
「あ!なぁなぁ、これ、ウチからの差し入れや!口に合うか分からへんけど食べてみ!れいかのために丹精こめといたで~」
「わたくしに…?」
「せや♪お好み焼き!知らんとは言わせへんで~?」
「おこ…おこのみやき……」
「え?!なに、ホンマに知らんの!?ありえへん!いくらおジョーやからってお好み焼き知らんなんてありえへんで!」
「も、申し訳ありません……でも、とっても美味しそうです。」

当たり前やん!と、誇らしげに腕をまくって見せて、あかねは箸と一緒に、お好み焼きを広げた紙皿をれいかに手渡す。まだほかほかと温かいそれは、ついさっきまで踊っていたのであろう飴色の鰹節が、力尽きたように横たわっている。紅しょうがや青のりの丹青が、いかにも楽しげに画布の上に広げられた絵の具のごとく散らされている。れいかは、おそるおそるとでも言いたげに箸を生地に近付けて、ちょっぴりつまむ。ひょい、と口に運ばれたそれは、ほんの少しの欠片なのに、様々な素材の風味を余すところなく彼女の味覚に伝え、細い喉をこくんと動かした後に、間髪を入れずに「なんて美味しいんでしょう!」と素直な言葉を押し出していた。それを見ると、あかねは満足げに頷く。

「せやろ~?ウチ、れいかみたいに特に才能とかないねんけど、お好み焼きに関してなら誰よりも詳しいで~」
「あかねさんはご自宅が飲食店なのですよね。」
「お、さっすがは学級委員~。よう知っとるな♪」
「恐れ多いです。」

深々と頭を下げつつも、どうやらお好み焼きを気に入ったらしいれいかは、小さな口にせっせとそれを運んでは咀嚼し、運んでは咀嚼している。あかねは、お客さんのそういう顔が大好きだった。
自分の作ったもの、自分の大好きなもので他の人も笑顔になれる。それって、素晴らしいことだな、と。だから、こうして、人に配って回ってしまうのだろう。少しでも、美味しい、の一言が聞きたくて。

「……あかねさんも、よく“おこのみやき”は食べられるのですか?」
「へ?あー、うん。まあ好きやしな。でも見境なく店のもんに手出しとるわけとちゃうで?ちゃんと自分で作っとる。それが一番楽しくてうまいしな♪」
「そうですか。……以前、関西に住んでいらっしゃるわたくしの友人に、あちらとこちらでは食べ物の食べ方が違うとお聞きしましたが……わたくしの食べ方は、あかねさんの目にはどう映っているのでしょう?」

鈴の鳴るような軽やかな声だ、と思っているうちに、あかねは会話の空白に気付く。ああ、そっか、答えを待っているんだ。少しの間を経てから、あかねは「せやなー」と迷うように口を開いた。

「ウチの住んでたとこではこう…四角く切るねんけど、こっちじゃこういうピザ切りが主流やから……ちょぉ違和感はあるけど、なんにせよお好み焼きはお好み焼きやん?だいたい、おいしいもんをおいしく食べれたらそれで満足やしな♪」

にかりと笑うと、れいかは、ああ…と納得したように小さく頷く。そうしてまた、止まっていた手を動かしてお好み焼きを食べ始める。あかねは、先ほどまでれいかのいた弓道場を格子の隙間から覗いて、「それにしても、」と感心したように声を上げた。

「れいかはホンマになんでもできるんやなー……勉強も、運動も、で、正義感も強くって。尊敬するわぁ」
「…ありがとうございます」
「ウチにも分けてほしいくらいやわ!」
「……わたくしは、あかねさんを尊敬していますよ?」
「へ?」

全くの予想外の言葉だったのか、あかねは上擦ったような声を上げて、それから、あはははは、と腹を抱えて笑い出した。れいかはきょとんと彼女を見つめる。たっぷりと一分ほど経ってからだろうか、目尻に溜まった涙を拭って、あかねは「…急になんなん?」と尋ねた。

「ビックリするやん?才色兼備の青木れいかに尊敬されるとかウチ何さまやねん!神さま仏さまあかねさまってか!れいか、なかなか言うてくれるやん!」
「わたくしは本当に尊敬しているのですよ?」
「な、なんでなん?!ウチ、ホンマになんもできひんで!」

ぽかんと口を開けて自分の顔を指差したあかねにくすくすと微笑みを寄越して、れいかは「あら、」と言葉を紡ぐ。

「バレーボールはお上手ですし、この通り…お料理もお上手ですよ?」
「そ、それだけで尊敬…?なんやようわからんわー」
「お料理を軽視してはいけませんよ!」

突然、きん、と言葉の語尾を強めて言って、れいかはずいっとお好み焼きの皿をあかねにつきつけた。目を白黒させて、彼女は言葉を待つ。

「先日 国語の授業で徒然草という古文を習いましたね」
「ええ?ああ、やった…やん、なあ…?ごめんやけど、よう覚えとらんわ。」

はは、と笑い飛ばすと、れいかも困ったように苦笑して、「わたくしたちがやったのは最も有名な序段だけですが、」と言葉を続ける。あかねは、少し興味を持ったように顔をひそめて、れいかの腰掛けているベンチの隣に腰を下ろした。
さわさわと枝葉が触れあって、微かな音を立てる。その風が心地よくて、ゆっくりと目を閉じてれいかの言葉に耳を傾ける。

「他に243段ある中で、人の才能について書かれたものがあります。……漢文がよくできて、宗教の教えを知っているのが一番である、というものに始まって、医術や、弓道、馬術など、様々なものが出てきます。けれど、それだけではなくて、」

一度言葉を切ると、れいかはあかねを見つめる。視線を感じたあかねはぱっと目を開けて、その刹那、ばちりと合った視線にびくりと震えた。その瞳の碧の深さに驚いて、彼女はただただまばたきを返す。
たぶん、きっと、自分が眠っていると思われたのだろうと思ったのだろう。…ややこしいが。だから、苦笑い。けれど、れいかは真剣そのもので、耳の上で髪を留めてあるバレッタにそっと触れながら、ふわりと微笑む。

「『食は人の天なり。よく味わいを調え知れる人、大きなる徳とすべし。』……『食は人の天なり。と、中国の古典にある。だから、上手に調味することを心得ている人は、大きな能力があるというべきである。』……かの兼好法師さまも、そうおっしゃられているのですよ。」

れいかがにこりと笑うと、あかねはずっとつぐんでいた口をようやく開いた。「驚いたわあ」とまず一言 言い、それが何についてかは言わなかったが、なんやけったいなことやな、と付け加える。

「ウチにもれいかみたいに人からかしこいって言うてもらえるんやんな。なんやうれしいわー。」
「ふふ…でも、本当のことですから。」
「れいかも同じやしな!」
「…はい?」
「言うとったやん。弓道もや、って。ウチは料理、れいかは弓道!な、な、おんなじやろ?」
「はい、同じです!」
「んじゃ、ウチはウチの能力をパワーアップするために帰るわ。自分も頑張り!お好み焼きで元気100倍やから!」
「はい」

にん、と腕捲りしてしなやかな筋肉に覆われた腕を見せると、じゃあな!と爽やかな声を残して建物の影に走っていった。穏やかに片手をひらひら振っていたれいかは、嵐のようにやってきて嵐のように去っていったあかねに目を丸くして、しばらく彼女の消えた方向を見つめていた。すると、ひょこり、と、先ほどまで見ていた顔が、再び覗いて、「また明日な!」と満面の笑みが寄越される。
はきはきとした物言いが、羨ましいな、と思う。だから、彼女が自分を羨ましいと言った時には驚いた。そして嬉しかった。

「また」

残っていたお好み焼きを再びちみちみと食べ始め、そして気付くとくすくす笑っていた。ないものねだり、という言葉が思い付いて、それが全てだと思った。
短いようで長い時間を置いて、再び的前に立った時、すっかり陽は落ちて、的に差す日差しは橙色に変わっていた。あかねの瞳と同じ色。お好み焼きのソースの色。射抜いてしまっても良いのかと迷ったが、きゅ、と唇を結んで的に向かう。
きりきり……弦が悲鳴を上げて、ひいふっと放たれた矢が、真っ直ぐ的に突き刺さる。頭の頂上できつく結われた長い髪が控えめに揺れて、嬉しそうに表情が晴れる。

(今日はなんて素敵な日!)

四射四中の決まった的を満足げに見て、髪を留めていたシュシュをほどく。さらりと広がった髪は、これから空に広がってゆく深い夜の色をしていた。
道場の中に夕陽が差して、彼女のそんな顔や髪も、明るい色に染め上げる。
最終更新:2014年06月22日 14:22