未来への証(後編)




 穏やかな日差しが、四つ葉町公園に降り注ぐ。ドーナツ・ワゴンの中では、カオルちゃんがお客さんが来るのを待ちわびて、くわぁっ、と大きな欠伸をした。それにつられそうになって、慌ててゴホンと咳払いをしてから、隼人はドーナツの仕込みの続きに取り掛かる。
 瞬は、ドーナツ・カフェの椅子に座って、やはり眠そうな顔で紅茶を飲んでいた。実は、さっきから何度もカオルちゃんの目を盗んで角砂糖をゲットしようと試みているのだが、どうやらまだ成功していないらしい。

 昨夜――というより今朝の話だが、彼らが御子柴邸を後にしたのは、もう東の空が白み始めた頃だった。
 四体のピックルンはスウィーツ王国へと戻り、再びただの少女となったラブたちを家まで送り届けてから、ウエスターとサウラー――隼人と瞬は、さっきカオルちゃんがやって来るまで、ここで死んだように眠っていたのだ。

「しかし・・・元気だなぁ、あいつらは。」
 隼人が、もう一度欠伸をかみ殺してから、向こうに見える石造りのステージに目をやる。そこにはお揃いのダンスの練習着に身を包んだ少女たちが、準備運動をしながら、師匠のミユキが来るのを待っていた。どうやら今日は、ダンスレッスンの約束の日だったらしい。
「ああ。仲間たちと過ごす時間となると、それだけエネルギーが湧いてくるということだろう。」
「・・・お前の台詞にしては、熱いな。」
 いつものように淡々と発せられた、でも皮肉の匂いがカケラも感じられない瞬の台詞に、隼人が怪訝そうな顔になる。が、すぐに真面目な顔つきになると、カオルちゃんが近くに居ないのを見定めてから、もう一度瞬に呼びかけた。

「なぁ、瞬。今回のイースの希望は、ラビリンスにとっても良いことだよな?だったら、きっと許可は下りるよな?」
「もっともらしく言っているが・・・要は、君はせつなの希望が通ればそれでいいんだろう?」
 今度は皮肉めいた調子でそう言ってから、瞬も真面目な顔つきになる。
「おそらく大丈夫だと思うよ。彼女には大きな実績があるしね。それに、すぐには無理だろうが、いずれきちんと異世界との交流が出来ないか検討して、政府に提言してみる価値はあると思っているんだ。
僕たちは、科学技術の面では進んでいるようだが、長い間メビウスに支配されていた分、遅れている分野が数多い。それに、異世界に興味を持っているラビリンスの人間も、ラビリンスの技術を生かそうと考えてくれる異世界の人間も、ちゃんと居るみたいだからね。
まあそのためには、難しい問題を色々とクリアしなければならないと思うが。」
 瞬はそう言って、膝の上に置いたガラスの筒に――ノーザが博士に渡し、数多くの異世界製のナケワメーケを生み出し、そして最後はホホエミーナとなってスウィーツ王国へと飛んだ、あのダイヤが封入された容器に、そっと手を触れた。

 博士の今後がどうなるのか、瞬にはわからない。この世界では、ラビリンスのように失敗したら寿命を断たれるようなことは無いが、やはり責任というものは存在する。
 だが、別れ際の博士の表情は穏やかだった。
 過ちを犯し、苦しみはしたが、北教授にあの“核”を託されたこと自体を後悔はしていない。いつになるかはわからないが、いつか必ず、この経験をこの世界の科学技術に活かしてみせる――そう言って握手を求めて来た博士の手を、瞬は――サウラーは、震える手で握り返すのが精一杯だった。

「まあ、お前がそこまで言うんだから、全力で実現させる気なんだろう?」
 隼人があっけらかんとそう言って、ニヤリと笑う。その時、フライヤーの様子を見ていたカオルちゃんがやって来て、隼人の手元を覗き込んだ。

「うんうん。なかなかいい感じになって来たね。まだ売り物ってわけにはいかないけど、お嬢ちゃんたちに食べてもらったら?今日、パーティーがあるんだろ?」
「ホントかっ?師匠!」
 途端にぱあっと明るくなる隼人の表情。それを横目で眺めながら、瞬は、実に楽しそうな顔で、ふん、と鼻で笑った。



   イエローハートの証明 ( 第14話:未来への証(後編) )



「この間の返事なら、急ぐことはないわよ。まだ時間はたっぷりあるんだし。」
「はい。でも、今のあたしたちの気持ちを聞いてもらいたいんです。ミユキさんに、相談したいこともあるし。」
 お願いします、とラブが頭を下げるのとほぼ同時に、残りの三人も一斉に頭を下げる。それを見て、ミユキはふっと頬を緩めた。

 ラブたち三人に大きな宿題を出してから、初めてのダンスレッスン。その場にせつなが現れたのには驚いたが、同時にミユキは、それが何だか嬉しくもあった。やっぱり四人のこれからについては、全員の口から聞く方がいいに決まっている。

「わかったわ。わたしはあなたたちのコーチなんだから、相談でも悩みでも、何でも言って。」
 そう言って、ミユキがステージの石段に腰かける。その周りを囲むように、少女たちもその場に陣取った。

「みんなで話し合ったんですけど、やっぱりクローバーは、四人でクローバーなんです。誰か一人欠けても、クローバーじゃありません。」
「そう。よくわかるわ。」
 ラブの言葉に、ミユキが小さく頷く。
「そして、あたしたちはやっぱりクローバーでダンスをやりたい。だから、これからも四人でダンスをやっていきたいと思います。」
「それは、具体的にどうやっていくつもりなの?」
 ミユキが厳しい顔つきで、さらに畳みかける。言葉だけを聞けば、確かにそれは、プロデビューを断ってからラブたちがずっと言い続けてきた言葉と大差なかったからだ。
 その問いに答えたのはラブではなく、せつなの静かな声だった。

「そのことで、ミユキさんにご相談したいことがあるんです。
普段は自主練習をして、月に一度・・・もしかしたら二カ月に一度の時もあるかもしれませんが、それくらいの頻度で、みんなと一緒に、レベルを落とさずにレッスンが受けられるような・・・そんな練習プランを組んで頂くのは、難しいでしょうか。」
「せつなちゃん、あなた・・・一カ月か二カ月に一度は、四つ葉町に帰って来られるの?」
 ミユキが、少し驚いた様子で目をパチパチさせながら、せつなの顔を見つめる。
「はい。勿論、これから向こうに戻って、関係者と相談しなくちゃいけませんけど。でも、これからは時間の許す限り、なるべく四つ葉町に帰って来ようと思っています。」
 口元に穏やかな笑みを浮かべ、静かに、しかしハッキリと、せつなは答えた。

 四つ葉町の人たちのように、ラビリンスを笑顔でいっぱいにしたい――そう思って、ラビリンスに帰還した。でも、四つ葉町で学んだ「幸せ」という感情を、その素晴らしさを伝えたいと思っても、上手く伝えられないもどかしさを、ずっと感じていた。

(伝えられないはずよね。自分の幸せが何かもわからないのに、幸せを伝えられるはずがないもの。それに、幸せは教えられて学ぶものじゃない。それぞれが経験して、その気持ちを感じることによって、知っていくこと。だから、何をすれば幸せになれるだなんて、そんな模範解答は無いのよね。)

 どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろう、と自分でも可笑しくなる。しかもそれを教えてくれたのが、四つ葉町の人たちだけでなく、ウエスターとサウラー、それに過去の呪縛の象徴のように現れたナケワメーケだったなんて・・・そう思うと、ほろ苦いような、何だかくすぐったいような気持ちがする。

 せつなの答えを真剣な面持ちで聞いてから、ミユキは、オッケー!といつもの力強い調子で言った。
「そういうことなら、お安い御用よ。ブランクを取り戻すのが少し大変かもしれないけど、それも考えて練習プランを組んでみるわ。」
「ありがとうございます!」
 パッと表情を明るくするせつなに、今度はミユキが少し心配そうな顔になる。

「でも、せつなちゃん忙しいんでしょう?まぁそれは、美希ちゃんや祈里ちゃんもそうだけど・・・。その点は、大丈夫なの?」
「あ、それについては、すっごくいいアイデアが見つかったんです。」
 今度はラブが、何だか得意げな表情で、ミユキと向かい合う。
「せつながこっちで過ごす分、あたしが時々はラビリンスに行って、せつなの手伝いをしよう、って思ってるんです!」
「え、そんなことも出来るの?」
「あ、あの・・・一応、それも関係者と相談してから、なんですけど。」

 明るく言い放ったラブの言葉を、慌てて補足するせつなの頬が、照れ臭そうに朱に染まっている。それを微笑みながら見つめてから、美希はラブに向かってふくれっ面をして見せた。
「こら、ラブ!あたしが、じゃなくて、あたしたちが、でしょう?アタシだって、たまにはせつなの手伝いがしたいわよ。」
「わたしも!」
 祈里も美希の隣りから、笑顔を覗かせる。

 美希は祈里と目を合わせてから、ますます顔を赤くしているせつなにちらりと微笑みかけ、その目をミユキの方に向けた。
「アタシも、確かに忙しくはなりましたけど、やっぱりずっとみんなと繋がっていたいんです。ただ仲のいい友達っていう関係だけじゃなくて、何かを一緒にやり遂げる、仲間でいたい。それに勿論、ダンスもずっと続けたいですから。」
「わたしも、美希ちゃんと同じです。」
 祈里もミユキを見上げてから、こちらは少し、顔を俯かせた。

「ホントはわたし、ちょっと迷ってたんです。この一年で、ダンスが大好きになったけど、わたしの将来の夢は獣医になることで、プロになりたいわけじゃない。それなのに、プロのダンサーを目指しているラブちゃんたちと一緒に練習していていいのかなぁって。」
「確かに、最近の祈里ちゃんのダンスには、迷いがあったわね。」
 ミユキにストレートに指摘されて、祈里が、ごめんなさい、と小さく頭を下げる。
「でも、わたしはやっぱり、ラブちゃんや美希ちゃんやせつなちゃんと一緒に、ダンスをする時間を大切にしたい。改めて、そう思ったんです。
慣れてしまうと、ついそこにあるのが当たり前だと思ってしまうけど、大切な人たちと過ごす時間や、紡がれた絆がどんなにかけがえのないものか、今回のことでよくわかったから。大切な仲間たちと、大好きなダンスをする時間って、なおさらそうだと思ったんです。」

 ラブが、優しい光を宿した目で祈里を見つめてから、その目を美希とせつなに移す。そして仲間たちを代表するように、ぴんと背筋を伸ばした。
「これが、今のあたしたちの気持ちです。
クローバータウン・フェスティバルのお話は・・・ごめんなさい、せっかくですけど、まずはまた四人で息の合ったダンスが出来るようになることを、目標にしたいです。」

 まっすぐに心の内を語る教え子たちの顔を、ミユキもまっすぐに見つめて、じっと耳を傾ける。そして全員の話が終わると、いつもの強い視線で一人一人の目を見つめてから、花がほころぶように、優しい笑顔になった。
「みんなの気持ち、よくわかったわ。真剣に考えてくれて、とても嬉しかった。
じゃあ、わたしも全力でクローバーの再開をバックアップしなくちゃね!」
「ありがとうございます!!!!」
 緊張から解き放たれて、一斉に笑顔になる四人。だが、ミユキが不思議そうに発した次の言葉に、今度は一斉に、ギクリと首を縮めた。
「ところで、祈里ちゃんが言ってた『今回のこと』って何のこと?それに、せつなちゃんはともかく、隼人さんや瞬さんまで戻って来るなんて・・・。」

「ちょっ・・・ちょっとブッキー!」
「ごめ~ん。わたし、そんなこと言ったかなぁ。」
「そ、そうだっ!」
 美希と祈里がぼそぼそと囁き合うのを隠すように、ラブが突然、せつなの腕を引っ張って、ガバッと立ち上がった。
「今日、うちでラザニア・パーティーやるんです。あたしとせつなが、お母さんに教えてもらうことになってて。ねっ、せつな。」
「え、ええ!もし良かったら、ミユキさんも来て頂けませんか?」
「へぇ、楽しそうねえ。オッケー!じゃあ、お邪魔させてもらおうかな。」
 ミユキが、もうさっきの素朴な疑問など忘れたように、嬉しそうに頷いたのを見て、ラブとせつながほぉっと安堵のため息をつく。その時。
「姉ちゃん。ちょっと邪魔していいか?」
 何故かステージ横の林の中という不自然な場所から現れたのは、大輔と裕喜だった。

「ほら!健人、来いよ!」
 裕喜が物陰に隠れているらしい健人の手を引っ張って、大輔が、ドン、とその背中を押す。
「わ、わぁ~!」
 四人の前に押し出される格好となった健人は、そこで覚悟を決めたように、勢いよく頭を下げた。
「皆さん、このたびは・・・本当にすみませんでしたっ!」
「健人君、もう体は大丈夫なの?」
 祈里の問いに顔を上げた健人が、少々バツが悪そうに、黒縁の眼鏡を押し上げる。
「は、はい。僕も、それに・・・眼鏡も、お蔭様で元通りです。」
「良かった。」
 祈里が嬉しそうに微笑んだとき、今度は横合いから大輔と裕喜が現れて、健人を四人の前から連れ去った。

「じゃあな。俺たち、これから行くところがあるんだ。健人がどうしてもラブたちに謝りたいって言うから、連れて来ただけだからさ。」
「大輔!健人君と、仲直り出来たんだねっ!」
 そのまま立ち去ろうとした大輔が、ラブに満面の笑みを向けられて、照れ臭そうにあさっての方を向く。
「い、いやぁ、その・・・ちょっとこれから忙しくなるから、喧嘩なんかしてらんねえんだ。」
「忙しくなるって?」
「聞いて驚くなよ?俺たち三色団子が、クローバータウン・フェスティバルに出場することになったんだ!」

「すごーい!」
「まさか、ダンスで?」
「良かったじゃん!」
 目を丸くする祈里。怪訝そうな美希。素直に祝福するラブ。そして黙って成り行きを見守るせつな。だが。
「ちょっとあんたたち。誰がクローバータウン・フェスティバルに出るですって?」
 一段と低く、その分不気味な響きを持った声に、関係ない四人までもがビクリとして振り返った。

 ミユキが、いつの間にかステージの中央に仁王立ちして、大輔たちを睨み付けている。
「え・・・だって姉ちゃん、商店街のお祭りに出てくれって・・・」
「あれは、来週から始まる商店街の福引で、着ぐるみを着て子供たちに風船を配って欲しいって、そういう話よっ!」
 途端に三人が、え~っ、と不満そうな声を上げた。

「嘘だろ、着ぐるみかよ!」
「大輔君、話が違うじゃないですか!」
「えーっ!姉ちゃん、ダンスじゃないのかよ!」

「何言ってんの。あれからまともに練習すらしてないくせに、クローバータウン・フェスティバルが聞いて呆れるわ。いい?あんたたちには、百年早いわよ~っ!」

 凄みを帯びた声でビシッと指をさされ、三人が、今更ながら浮足立つ。
「し、失礼しました!!」
「わっ、ま、待てよ!裕喜!健人!」
 一目散に逃げ出す裕喜と健人を、大輔が慌てて追いかけた。

 ラブが、プッと吹き出して、目を丸くして見ていたせつなの肩にもたれかかる。
「おかしいと思ったのよね。」
「美希ちゃん、ヒドい。」
 呆れたように呟く美希も、冗談めかしてたしなめる祈里も、途中からクスクスと笑っている。
「もう!あんな勢いで逃げることないじゃないの。」
「え~!?だ、だって、ミユキさん!」
 不満そうに口を尖らせるミユキの意外な言葉に、ラブが、アハハ・・・とお腹を抱えて笑い転げる。その笑いはすぐに仲間たちに伝染し、ついにはミユキも、可笑しそうに笑いだした。

「あ~あ、ダンシング・ボーイズ。今じゃすっかり、ランニング・ボーイズだね~。」
 ニヤニヤしながら一部始終を見ていたカオルちゃんが、そう言って、グハッ!と天を仰いだ。


   ☆


 ひとしきり笑った後、四人の少女はステージの中央に立った。せっかくだから、まずは久しぶりに四人で一曲踊ってみたら?とミユキが提案したのだ。
 曲は、四人が一番踊り慣れた曲。もう何百回、何千回と踊った、ダンス大会のあの曲だ。

 立ち位置は、右から、美希、せつな、ラブ、そして祈里。この順番は、四つ葉のクローバーを結成した時から変わらない。
 美希は、相変わらず優美な立ち姿で、誰も居ない客席を見渡している。
 せつなは、ぐうっと伸びをして、今朝の体の調子を確認している。
 ラブは、目をキラキラさせて、仲間たち一人一人を見回している。
 そんな何気ない仕草が、あの頃とちっとも変っていない――そんな些細なことが、祈里には何だか嬉しかった。

(当たり前よね、まだ半年も経っていないんだもの。でも、これからみんな、それぞれの時間を過ごして、それぞれの経験をして・・・。落ち込んだり、傷付いたり、時には仲間同士、喧嘩することだってあるかもしれない。変わっていくところだって、あるかもしれない。)

 祈里は、もう手袋も何もつけていない左手を目の前にかざして、中指の傷を眺めた。
 今はもう塞がっている傷跡。もっと時間が経てば、傷跡も消えて、後には何も残らないだろう。

(でも、今回のこと、わたしは決して忘れない。わたしたちは遠い先の未来でも、いつもお互いを思いやって、きっと幸せな時間を過ごしてる。そんな幸せな未来を作っていけるって、わたし、信じてる。)

 ダンシング・ポットが、軽快な音楽を響かせ始める。
 一心に耳を傾け、最初のステップへ向けてカウントを取る少女たちの頭上を、五月の風が爽やかに吹き抜けた。

~完~
最終更新:2014年12月01日 23:54