〜遠く離れたあるところ〜
「・・・まさか能力を失ってもまだ抗おうとする人間がいるなんて」
白い花畑に囲まれた遠い、遠いところ。
中央には天を貫かんとする鐘楼がいくつもそびえる建造物がたたずんでいた。
そう、ここは秘密結社スピノザの拠点。安寧世界を導いた彼らが集う城。
最上層の一つ下の階にある広い屋内から窓の外を眺めながら、白衣に身を包んだ男が呟く。
トキシロウ「ついに安寧世界に到達したというのに。
シャカイナがもたらした能力はすでに消え去ったのに。それなのにどうしてあいつは立ち向かうことができるんだ…」
能力は全て喪失したはず、それなのに十也は白き龍を召喚した。それは能力ではない他のナニカなのだろうか。
イツヤ「能力の微弱な波動に反応したトラップは機能している。これまで同じような波動を示した者達は極限状況に送ったが最期、皆尽きた。十也が生き延びたのは若干の誤算だが、安寧世界はまだ始まったばかりだ。“あいつ“の目覚めが十分じゃないんだろう」
トキシロウの後ろから別の男が声をかけてきた。
トキシロウ「…確かに“あいつ“が目覚めて一月も経ってない。まだ能力の残滓があるのかもしれない。そうなのだが…」
漠然と何かしら引っかかる。トキシロウはそう感じていたのだ。
ニーチェ「私様の超越した力がもたらした恩恵じゃ。ことが進みすぎてうぬが恐怖を感じるのも無理はない」
金髪の女が、取るに足らないことだと、さも当たり前のように告げる。
トキシロウはこの女を信用していない。故に、返答することなく、目線も合わせぬまま、自身の懸念を払拭することだけを考えていた。
その様を見て、もう見慣れた光景ではあるのだが、ニーチェはサッと踵を返し歩き出す。
ニーチェ「安寧世界への到達が我らスピノザの目的。それが果たされた今、もはやここにいる理由も利もない。うぬらとの興、そこそこに楽しめたぞ」
なびかせた髪を輝かせ、彼女は暗闇に消えていった。
イツヤ「さて、僕もそろそろお暇するよ。やりたいこともあるしね。キミもそろそろ自分のなすべきことをしたほうがいいんじゃない?」
トキシロウ「安寧世界が今後も維持される様を見届けるのも俺の役目だ。俺はここに残る」
イツヤ「…それってさ、本当にキミがやりたいことなの?」
トキシロウ「どういう意味だ?安寧世界は至上の最適解だろう。それが無意味とでも?」
イツヤ(あ、そうか。トキシロウは蘇りの前の記憶が欠落してるんだった…)
読者諸君の中には既知の方もいるだろうが、元々トキシロウはスピノザを追う復讐者だった、なのに今はスピノザに与している。
その経緯をざっと説明しよう。
復讐のためにバトルグランプリを開催したあの時、トキシロウの思惑は十也に阻止され、命を落とした。
だがその後、彼の死体をかもめの指示のもと回収され、復活を遂げたのだ。復活の最中、十也が黄泉の国から魂を導いてくれたのだが、それもかもめの企みだったのだろう。
意識を取り戻した時、それまでのことは一切忘れてしまっており(スピノザにとって都合の悪いことが意図的に消され、逆にスピノザのための活動するように記憶を改竄された訳だが)、スピノザの一員として行動することに何の疑問も抱くことはなかった。今となっては、安寧世界の構築と、その後の安定稼働を担うまでになっている。
イツヤ(記憶を消して扱いやすいようにされちゃって…自然の美しさは全く感じられないけど、安寧世界には必要な存在なのかもな。まぁ今となっちゃどっちでもいいんだけどね、どうせ、誰も、何も、できないし)
かつての彼であれば、かもめの能力を警戒し、たとえ頭の中であってもこのようなことは考えもしなかっただろう。
だがもう気にすることはない。
だって、能力喪失は、すべからく、すべての能力者に生じていたのだから。
イツヤも、トキシロウも、そしてスピノザの首謀者である
果倉部かもめも、もれなくそうだった。
イツヤ「あえていうことでもないけどね」
ぽろっと漏れた言葉にトキシロウが反応する。
トキシロウ「ん?なんのことだ?」
イツヤ「あー気にしないで。じゃあ僕はこのへんで」
そうしてイツヤは暗闇の中に消えていった。
室内にはトキシロウ一人となった。
〜スピノザ本拠地研究室〜
いつからだろう。トキシロウは一人、この研究室に籠るようになっていた。
端末を操作しながら、安寧世界の動向を見守る。何事もないのであれば落ち着くこともできるのだが…
トキシロウ「天十也の他にサガルマータ雪山から脱出したものはいない。やはり危険因子は排除すべきだ」
立ち上がり、塔の最上階に向かうこととした。
最上階。そこには果倉部かもめがいる。
トキシロウ「かもめ。俺は天十也をこの世から葬り去る。それが安寧世界に必要なことだ」
扉の前で声をかけるも、返事はない。
トキシロウは気にせずそのままそこを後にした。
果倉部かもめは安寧世界到達後、誰の前にも現れることはなくなったのだ。
律儀なトキシロウは行動のたびにかもめの報告に訪れていた。
(他の面々はそんなこと何も気にせず先ほどこの地を去っていったというのに!)
さてここから、刺客トキシロウによる天十也抹殺ミッションが始まると思った読者諸君、残念ながらそうも簡単にはいかないのだ。
能力消失、それは須く全ての人間に生じたのだ。
トキシロウが有する『プロファイリング』だけでなく、『魔導陣』もその範疇だった。
もちろんそれはスピノザの企みである。
安寧世界には不要な力は全て排除されたのだ。
それでは、召喚士となった十也にトキシロウは敵わないって?
元々研究者であった個の戦闘力が乏しいトキシロウでは、単純な比較ではそうだろう。
だからこそ、トキシロウは奥の手を残していたのだ。
研究室に戻ると、彼は4つのきらびやかな宝石を手にとった。
人工的に生成された輝鉱石「クトゥルハート」は、彼の研究の集大成だ。
これは能力を用いることなく生成されるものだから、能力消失となった今、彼が持ち得る力の結晶である。
さらにこの4つの輝鉱石はただのそれではない。
スピノザの面々が長きに渡って常に持ち続けた(最初は皆断ったのだが、トキシロウに無理やり押しつけられ、それぞれの好みに合わせて装飾されたこともあって、最後は渋々受け入れたらしい)ものであり、それによって通常の輝鉱石以上の力を獲得した別次元の輝鉱石なのである。
トキシロウ「やはり研究に果てはない。輝鉱石を超えた輝鉱石、これを「煌鉱石(クトゥルヴァイス)」と名付けよう」
トキシロウは、4つの煌鉱石のうち、黄色の中に赤い気泡を秘めた石を手に取る。
そして研究室を後にすると、ある場所を目指した。
〜ところ変わって、魔導都市メルディア=シール〜
能力喪失が世界的に生じたその朝。
ここ魔導都市でも混乱が生じることとなった。
魔道士「な!魔導が発現しない!」
魔道士「おかしい…術式が理解できない!これでは魔導構成ができないではないか!」
そう、魔導の本質は理解と技術。
非常に複雑に組み込まれた術式を理解し、寸分違わず発動するには、絶対的理解力『マスタープルーフ』が必須なのだ。
それが喪失した今、誰もが魔導を使用できなくなってしまったのだ。
ナル「うーん、これは一大事だ。宝剣にセットした魔導も全く起動しない」
メルト「ああなんてこと!せっかくミストラルシティからコーヒーの焙煎機や抽出噐を借りてきたというのに!」
ナル「…ひとまずみんな落ち着かせるためにそのコーヒー振る舞ってきて。お湯なら薪を焚いたら沸かせるでしょ」
メルト「それは名案です!では、喫茶かざぐるま魔導都市出張店を開店します!」
コーヒーは人々を落ち着かせるに役立った。
そのおかげか、魔導すら失われた魔導都市であったが、皆がなすべきことを為そうと、積極的な行動をするようになり、都市機能が壊滅することは避けれらた。
ナル「さてと、これで一安心っと!」
わずか数日間でさりとて困窮しない状態まで改善して街並み。
ナル自身もその現状に不満も不足もない。都市の民も皆そうである。
不思議なもので、この都市においても、新たな生活様式が受け入れられてしまった…
ざん!
そこにトキシロウが現れる。
そして門番なき門をさも当然かのように通り抜ける。
読者諸君の中には、お気づきの方もいるだろう。
魔導都市は、その存在を外界から守護するために、強力な結界を張っており、魔道士以外は立ち入ることができないはずということに。
だが、今は魔導が使えないのだ。どんな怪物だろうとその侵入を許す状態となっている。
難なく都市の中枢まで闊歩したトキシロウは、ミスカトニック図書館の地下を目指す。
地下深く、封じられた魔導書の書棚のさらに奥、そこにはひっそりと一つの棺が安置されていた。
トキシロウがためらいなく棺を開くと、そこには死体があった…だが、その身体はみずみずしく、まるで束の間の休息をとっているかのような新鮮さがあったのだ。
地上から隔絶されたこの地下空間であったからこそこの状態で保たれていたのだろう。
その様に驚きもせず、トキシロウはその死体に黄色の煌鉱石をあてがう。
するとどうだろう。
その死体は見るみるうちに生気を帯びていき、カッと目を開くとその身を大きく翻し、立ち上がったのだ。
トキシロウ「ふむ、仮説通りの結果だ。お前には揺るぎない安寧世界のために力を貸してもらう」
コクリと頷く元死体。
すでにその姿は生者と変わらないものとなっていた。
金髪で長髪、赤黒いドレスに身を包み、長身の女。
彼女の名は「ポルチスター=サラスシュトラ=ブラン」。
古の魔道士が一人なのである!
束の間、トキシロウとブランの姿は暗闇に掻き消えた。
その行き先は、想像するまでもなく。目的は、天十也の命!!
かくして能力なき世界に蘇りし刺客が放たれた!
安寧を維持するためにトキシロウは十也の命を狙う!
果たして十也はその猛攻を退けることができるのか?
TO BE COUNTINUED
最終更新:2020年08月29日 11:21