〜レムリア大陸E.G.O本部・長官執務室〜
氷の大地から遥か遠く、文明の中心地。
カレン長官は執務室で、ホログラムスクリーンを前に眉間に皺を寄せていた。
スクリーンには、『天命ノ儀』という噂にまつわるSNS上の投稿の分析結果や、気象衛星MARIAの稼働データが表示されている。
カレン(MARIAの制御は、私を含む長官権限からも独立した機密危機管理室が担当している。本来は中立であるべき部門だが…)
MARIAの軌道修正は、機密危機管理室の外部顧問、シャウボーグ=ジャーラ氏の意向で強硬に維持されていた。
その結果、衛星は計画通りに稼働せず、咎人の街は極寒の地に晒され続けている。
カレン「ジャーラ財閥の代表にして、咎人の街建設に深く関与する男。彼の目的は、咎人の街が抱える極寒化という問題を悪化させ、自社が持つ対魔導冷気技術をE.G.Oに高値で買わせることだろう」
E.G.Oは総力をあげてジャーラ氏の行方を追っているが、彼は既に姿をくらましていた。
カレン(さらに厄介なのは、もう一つの軍事企業、カミナ工業の動きだ。彼らもまた、ジャーラと裏で繋がっていると見られる…。内部の裏切り者だけでなく、経済界の思惑まで絡んでいるとはな)
カレンは思考を巡らせる。巷では、『天命ノ儀』が咎人の『解放』あるいは『秩序』をもたらすと囁かれ、関心を集めていた。咎人の街の外側でも、既に大きな波紋が広がっているのだ。
カレンは、ホログラムスクリーンに映るとある人物の名前を見つめた。
カレン「アグリ…妖怪異集団の頭、首謀者は十中八九、彼だ」
カレンの胸はざわつく。その名前は、E.G.Oの暗部を示す楔のように彼女の心に根差していた。それは、十年以上前の話。
E.G.Oは、世界の食料自給安定化を目的とした「気象衛星MARIA」の軍事転用を危惧し、開発元である世界農業機構(W.A.O)の技術を強奪した。そして、技術を門外不出とするため、W.A.Oの開発者もろとも抹消したのだ。ただ一人、主席研究者であったアグリを除いて。彼はE.G.Oの非道が生んだ虚構の罪による被害者だった。
この事件こそが、カレンに「世界平和のための犠牲はあってはならない」という揺るぎない信条を抱かせた契機だった。
カレンは、十也に与えた命令を思い出す。それは迷いなく、しかし重い口調で告げたものだった。
〜〜
カレン「十也。ティーダ大陸へ向かえ。妖怪異集団Qの首謀者、アグリの行動を見届けるのだ」
十也「アグリですか。E.G.Oが作り上げた虚構の罪による被害者だと知っていますが、なぜ俺が…」
カレン「本来は、私が直接赴き彼と話すべきだろう。私個人としては、彼がその悲劇を乗り越え、それでも生きる選択をするのであれば、そばに置いて重用したいとさえ考えている。それは、私なりの償いであり、彼への激励でもある」
カレンは一瞬、遠い目をした。
カレン「だが、組織のトップとしてE.G.O長官である今、信条は感情と正反対だ。アグリが為そうとしている『天命ノ儀』は、世界からの独立宣言に他ならない。それは、世界平和を目指すE.G.Oとは敵対する可能性を孕んでいる」
十也「つまり、敵対勢力となる可能性のある者を、E.G.Oが直接支援することは許されない、と」
カレン「その通りだ。さらに厄介なことに、E.G.O内部にはアグリに加担する者がいる。そして、経済的利益を求めてアグリに助力するジャーラ財閥の存在も示唆されている。私がこの場を離れられない理由は、そこにある」
カレン「だからこそ、信頼できる君に任せる。表向きには、彼を支援することはできない。E.G.Oは、首謀者の『処刑人』として君を派遣する」
カレンの瞳には、強い意志と悲しみが混ざり合っていた。
カレン「だが、真の任務は、アグリの真意を見極めることだ。そして、もし彼が、この世界の秩序を脅かす存在でないならば……」
カレンは『そうはあってほしい』という無言の願望を滲ませながら、十也の覚悟を問うように見つめた。
十也「承知しました。何となくですが、アグリが世界を破壊しようとしていないことは、俺も察しがついています。処刑はあくまで表向きのポーズですね」
カレンの口元に微かな笑みが浮かんだ。
カレン「・・・理解が早くて助かる」
〜氷の大地・咎人の街拠点〜
時と場所は、再び氷の大地へと戻る。
十也は、
にろくやゼフ、P部隊を前に、トーマスから聞き出したアグリの本拠地の情報を伝えていた。
十也「アジトの場所はわかった。ゼフ、にろく、P部隊。行くぞ!」
出発の直前、一人の男が十也たちの前に現れた。
ZENithの部隊を統括するトップ、
エル・プリメロだ。彼は、冷徹な表情ながらも、どこか人情味のある眼差しを向けていた。
エル・プリメロ「待て、十也。その前に、私の言葉を聞け」
十也、にろく、ゼフ、P部隊の面々が、無言でエル・プリメロに視線を集中させる。
エル・プリメロ「お前たちは今、極寒の地へ向かう。そこには、想像を絶する恐怖と、心臓を凍らせるような冷気が待っているだろう。だが、恐れるな。お前たちの背中には、この咎人の街で生きる全ての者の希望が乗っている」
彼は特殊な能力を一切持たない。だが、その言葉には、不思議な力があった。
エル・プリメロが語り終えた瞬間、十也たちの身体を包んでいた冷気が消え、任務に対する恐れや迷いが、自信へと変わっていくのを感じた。
にろく「ああ。P部隊、準備はいいか。
リート、
ポートロ、デヴァイ、
ストラトス。お前らは後衛で重火器による制圧を頼む」
四人の隊員が、無言で力強く頷いた。
ゼフも腕を掲げて声を張り上げる。
ゼフ「私の指導は嘘をつかない。自分自身の強さを忘れるな!」
一行の士気は最高潮になっていた。
するとそこに
アルムが駆け寄ってくる。
アルム「十也さん!僕も行きます!僕もこの力で…」
十也は冷静にアルムを制した。
十也「アルム、お前はここに残れ。この街の守りは、お前と、生き残った咎人たちに託す」
アルム「で、でも…!」
十也「この先に、お前の出る幕はない。お前の『信じる力(Believe on)』は、戦いに使うべきではない」
にろくはアルムの肩に手を置いた。
にろく「お前は、ここで街の火を消さない様に踏ん張ってくれ」
十也、にろく、ゼフ、そしてP部隊の四人は、凍てつく風の中、妖怪異集団Qの本拠地へと足を進めた。
アルムは、十也の背中が遠ざかるのを、ぐっと服の裾を握りしめながら見送った。
アルム(うーん、十也さんはああいうけど…!僕だって、力になりたいのに…!)
アルムは十也たちが角を曲がり、見えなくなった瞬間、ぐっと身を乗り出した。
アルム「ごめんなさい、十也さん…!僕、もう一人で誰かを待つのは嫌だ!」
アルムが、十也たちの足跡を辿るように走り出そうとした、その時だった。
そっと、彼の右肩に手が置かれた。
アルム「ど...!」
アルムは驚きに心臓が跳ね上がり、反射的に振り返った。
そこに立っていたのは、ZENithのトップ、エル・プリメロだった。
だが、エル・プリメロは、アルムの行動を咎めることなく、静かに微笑んだ。
エル・プリメロ「お前の選択は、お前自身のものだ。誰にも邪魔はさせない」
彼の瞳は、任務へ向かう十也たちに向けたものと同じ、迷いのない、しかし温かい光を宿していた。
エル・プリメロ「グッドラック。それは、旅立つ者の行く末に、希望を紡ぐ言葉だ。お前の信じる道を行け」
アルムは、その言葉の重みに息を呑んだ。そして、強く頷いた。
アルム「はい…!」
アルムは、十也たちの足跡を辿るように、こっそりと後を追って走り出した。
トトト…
凍てつく風が、彼の小さな決意を飲み込んだ。
〜妖怪異集団Qの本拠地〜
十也、にろく、ゼフ、そしてP部隊の隊員たちは、凍てつく風の中を突き進み、ついにそこへとたどり着いた。
広がるのは、氷塊と黒曜石のような岩壁に囲まれた巨大な空洞。
青白い篝火の炎が揺らめき、禍々しい影を周囲に踊らせている。
内部には数十体の妖怪異たちが、狂気ではなく、儀式を待つかのような静謐さで立ち並んでいた。
そして彼らの奥、一段高い氷の玉座のような場所に、一人の男が座っていた。
妖怪異集団Qのボス。アグリがそこに座している。
白髪の男性の割りには若く見えるが、その目元には数十年分の疲労と、研ぎ澄まされた知性が宿っている。
白衣のような衣服を纏っているが、ところどころが破れ、魔導による侵食変異の痕跡がわずかに見られた。
十也が一歩踏み出す。
十也「アグリ殿。E.G.O長官カレンより派遣された。ZENith特別刑務官、十也だ」
アグリは静かに立ち上がる。
アグリ「…俺の名前を知っているか。E.G.Oの処刑人と言ったところだな?長官が自ら来ないとはいい歓迎振りだ。世界との接点を望まぬ者に、E.G.Oが頭を下げる理由はないからな」
その言葉には、失望よりも、この世界への絶対的な拒絶と無関心が滲んでいた。
十也「長官は今、内部の混乱で身動きが取れない。だが、俺の存在は長官個人の意志でもある。我々の真の目的は、あなたの真意を問うことだ」
十也は静かに問うた。
十也「なぜこんなことをしているのかを知りたいのです」
アグリは答えない。その問いの意味を見出そうとしているようだ。
十也はアグリの纏う魔導の気配、その圧倒的な力を見抜き、続ける。これは尋問ではない、対話だからだ。
十也「あなたが纏うその力…俺がこれまでに退治した圧倒者たちの力に匹敵するものだ。その気になれば、文字通りこの世界を統べる王になれるほどの力を持っているとお見受けする。にもかかわらず、あなたは世界を蹂躙せず、ただ素養のある仲間を集めることだけにその能力を使った。なぜ、そこまでの力を持ちながら、破壊ではない道を選んているのですか?…どうやって咎人のバイオチップをハックし、その力を制御させたのですか?」
アグリ「ふ…どうやって、か。お前たちE.G.Oが与えたON能力だぞ?俺に発現した力「PHARA-ON(ファラオン)」。失われた魔王の力だ。その力は、精神の深部に刻まれた『咎』のシステムを逆に支配する。王の力、すなわち、この世界を統べるに足る力…それがPHARA-ONだ」
彼の右手に埋められたバイオチップが青くひかる。
アグリ「我々が求めるは『天命ノ儀』の達成だ。それは、この腐敗した世界から、我々全員を解き放つことを意味する。我々は、もはやE.G.Oの支配下にあるこの世界から、文字通り決別するのだ」
にろく「決別だと…!このティーダ大陸を、お前たちの領土として独立させるということか?」
アグリはにろくを一瞥し、冷たく言い放つ。
アグリ「的外れだな。この大地は、E.G.Oが食料問題の解決という名目で虐た土地だ。そして汚染した。我々はもはや、この汚染された大地を再興させることさえしない。我々が求めるのは、古代魔導の力で、E.G.Oの干渉が一切及ばない真の解放を勝ち取ることだ」
ゼフ「ふざけるな!力で奪うというのか!」
アグリ「奪うのはいつもE.G.Oの方だろう。私は、ただ我々の居場所を手にするだけだ。大いなる咎人の仲間…アルムさえ揃えば、全ては成就する」
十也の表情が微かに揺れる。
十也「目的はアルムか。あいつに、何をさせるつもりだ」
アグリ「彼の力はこの儀式を完成させる最後のピースだ。トーマスにあえて拠点の情報を流布させて、アルムをここに引き寄せるよう仕向けたのも、全て計画通りだ」
十也「計画通りだと…!」
残念だがアルムはここに来ていない、そう十也が言葉を継ごうとした、その瞬間だった。
空洞の端に立っていた一体の妖怪異が、玉座の前の地面を鋭い爪で掻きむしった。次の瞬間、その妖怪異の全身から黒いマナの光が迸り、二つの太い触手のようなものがゼフに向かって猛然と伸びた。
ズォォン!
戦闘の開戦だ。
ゼフは反射的に身を捻り、触手を避けるが、続く二の太い触手が地面を砕きながらにろくを襲う。
バキィ!
にろく「古代魔導も応用している!P部隊、散開しろ!」
にろくの後ろに控えていたP部隊が一斉に火力を解放した。
デヴァイとストラトスが構えた携行型多連装グレネードランチャーから、氷砕弾が発射される。
ヒュルルル...ドガガガッ!
拠点内部に轟音が響き渡り、空洞の天井から氷の破片が降り注ぐ。
デヴァイ「ストラトス、左翼を上げて!弾速をもっと上げて!」
ストラトス「問題ないぜ、デヴァイ!学徒時代からのお手の物だ!」
リートとポートロは、高火力のプラズマライフルで触手の根元を精密射撃する。
バァン!!バァン!
リート「ポートロ!大丈夫?カバーする?」
ポートロ「問題ないぜ、リート!俺が先に仕留める!」
重火器の爆発的な制圧力により、最前線にいた妖怪異数体がまとめて行動不能となり、戦闘開始直後の突進が鈍った。
ドゴォぉぉん!
しかし、重火器の連続使用は彼らの弾薬庫に大きな負担を強いた。
デヴァイ「あぁ!もうグレネードが空だ!予備も尽きちゃったよ!」
ストラトス「嘘だろ!?こんなところで弾切れかよ!」
P部隊の面々は、次々と突進してくる妖怪異の群れを前に、一瞬にして絶望に覆われた。
その時、いつも軽薄な調子のポートロが、まるで別人のように真剣な表情で一歩前に出る。
ポートロ「…退くな、お前ら。まだ、手はある」
彼は、待機中の冷気を帯びた空洞に溜まったマナを、両手のひらに包み込むように集め始めた。その青白い光は、瞬く間に高密度な球体へと凝縮されていく。
ヒュウウ!!
ポートロは両手を合掌するように重ね、指先を向かい来る二体の巨大な妖怪異に向けた。
ポートロ「…これが、咎人の街で得た、俺の力だ!」
次の瞬間、彼の指先から、限界まで圧縮されたマナの奔流が、一筋の光線となって噴出した。
ドゴゴォッ!
マナの光線は凄まじい勢いで妖怪異の巨体を貫き、その衝撃で二体を同時に吹き飛ばした。二体の妖怪異は、壁に激突して意識を失い動かなくなる。
リート「…え!?」
デヴァイ「ポートロ!いつの間にそんな力を…!」
ストラトス「くそっ、カッコよすぎだろ!」
P部隊は、ポートロの予想外の力の発現に目を丸くし、戦場の絶望が驚きと新たな希望へと変わった。
十也は冷静だった。彼が派遣されたのは処刑のためではない。だが、この状況で言葉を通すことは不可能だ。彼はブレオナクを呼び出し、手に力を込める。
十也「対話は、力の均衡がとれてからだな...!」
十也は一瞬で妖怪異の群れに飛び込んだ。
シュン!
ブレオナクを構え、彼の卓越した戦闘技術が、静寂を破り、妖怪異たちの群れを切り裂き始めた。
ザン!ザシュ!
空洞は一瞬で血と砂塵の舞う戦場と化した。
十也たちとP部隊、そして妖怪異集団Qの戦闘員たちが激しく衝突する。
妖怪異たちの力は、彼らが取り込んだ古代魔導と、人々の恐れがなした元々の生物的なモチーフによって多様な様相を呈していた。
一際巨大な蜘蛛をモチーフにした妖怪異は、その八本の腕から黒い粘性の糸を十也めがけて噴射した。
糸は触れた地面を一瞬で凍らせるほどの低温を帯びており、十也は瞬時にブレオナクを振るって糸を断ち切るが、その動きはわずかに鈍る。
ヒュン!キュン!
ゼフに向かってきたのは、サイをモチーフにした巨躯の妖怪異だ。その皮膚は輝鉱石を思わせるほど硬質化しており、頭部に突き出した角からは、魔導を圧縮した空気の塊が、砲弾のように発射された。
ドォン!
ゼフは角を避けながら、体全体をバネのようにしならせ、拙い武器である短剣を振るう。
彼女が幼少期に帝王学の一環として体得した格闘術の精髄をもってしても、この巨体には通用しない。
ゼフ「ちぃっ!筋肉には筋肉で応えろってんだ!...クソ、この硬さじゃ、まるで岩盤だ!」
彼女は短剣をサイの妖怪異の側頭部に叩きつけるが、まるで岩に打ち付けたような鈍い音を立てただけで、ダメージを与えるには至らない。
ガァン!
一方、にろくは距離を取りながら戦っていた。体術で攻撃をかわしつつ、ポケットから取り出した輝鉱石を地面に叩きつけた。閃光が走り、周囲の妖怪異たちがわずかに怯む。
にろく「これでどうだ!」
彼は両掌にマナを集中させると赤く輝く光球を生成し、蜘蛛の妖怪異に向かって放った。
光球は着弾と同時に爆発し、粘性の糸の一部を焼き切る。
続けて、にろくは地面に手を突く。氷塊と岩盤が激しく突き上がり、妖怪異たちの足場を崩壊させる。
〜〜
しかし、妖怪異集団には、人間でありながらその力を制御している者もいた。
サソリをモチーフとした男が、隆起した地面をものともせずに跳躍した。
男「邪魔をするな、対話など無意味だ!」
彼の両腕から伸びた鞭状の籠手は、サソリの尾のように鋭利で、古代魔導のオーラを纏って禍々しく光っていた。籠手の先端からは、青白い毒々しい光が滲み出ており、十也に向けて、粘りつくような軌道で猛攻を仕掛ける。
十也(速い...!しかも、毒の古代魔導を警戒する必要がある!)
十也は圧倒的な戦闘予測と反射速度をもって、辛うじて鞭をかわし続ける。彼はブレオナクを構え、サソリの男の攻撃の隙を見切る。
十也「ちょとは大人しくしたらどうだ!」
十也のブレオナクが閃光のように走り、サソリの男の鞭状の籠手を弾き、その鎧の隙間に深々と突き刺さった。
ギィン!ズバァッ!
男は悲鳴を上げ、全身から力が抜け落ちて、地面に崩れ落ちる。
崩れ落ちるサソリの男を横目に、にろくは戦況を見極めていた。ゼフは依然としてサイの妖怪異に苦戦し、その巨体からの攻撃に防戦一方だ。
にろく(ゼフが持たない。あいつの格闘術は凄いんだが、単騎じゃ、あの化け物は崩せない...!)
咎人の街で、刑務官と咎人という歪な関係でありながら、初めて仲間と共にすることで、彼女の潜在能力が覚醒しつつあることを、にろくは知っていた。
サイの妖怪異が再び、硬質の角からマナを凝縮した空気の砲弾を放った。それはゼフの脇腹めがけ、唸りを上げて迫る。
にろく「間に合え!」
にろくは即座に両手を広げマナを集中させた。彼の目の前に、一瞬にして巨大な光の円盤が具現化する。それは古代の文字が刻まれた、**魔導鏡(まどうきょう)**だ。
砲弾は魔導鏡に激突し、鏡面をすり抜けて後方の蜘蛛の妖怪異に向かって、元の勢い以上の速度で正確に跳ね返った。
キィン! グオォ!
凄まじい爆音と共に、蜘蛛の妖怪異は硬質な岩盤に叩きつけられ、巨大な甲殻がひび割れて、その場で動かなくなった。
同時に、反射された砲弾がサイの妖怪異の体表をかすめ、一瞬ではあるが、その動きを硬直させた。
ドオォォン!
にろく「ゼフ!今だ!お前は一人じゃぁない!お前の仲間が、鼓舞する者が!ここにいるぞ!」
にろくの言葉が、ゼフの心の深奥に響いた。
ゼフ(...鼓舞?私を?彼らが...私の仲間が...!)
ゼフの全身に、かつてないほどの熱と力がみなぎる。
彼女の内に秘められていた能力「共闘の覚醒(Co-op Awaken!)」が、仲間を激励することで自らの戦闘力を極限まで高めるポンプアップ式の能力が、初めて真に解放されたのだ。
ゼフは、硬直したサイの妖怪異めがけ、短剣を捨てて、渾身の力を込めた裏拳(バックフィスト)を叩き込んだ!
ズギュウウッ!
その一撃は、もはや短剣の比ではない。硬質の皮膚を貫くほどの衝撃が脳を揺さぶり、まるで強化炸薬弾が着弾したかのような轟音を上げた。
サイの妖怪異は巨躯を仰け反らせ、頭部の硬質化した角が鈍い音を立てて砕け散る。
バキィィッ!
ゼフ「仲間と共に頂を目指す、それが...私の帝王学だ!」
巨体は意識を失い、空洞の壁に激突して動かなくなった。
ゼフは、自らの手からほとばしる湯気を、熱い眼差しで見つめていた。
〜〜
戦闘は続くが、十也たちが優勢に立つことはない。
妖怪異たちは倒されても次々と補充され、十也たちの体力を削っていく。
その時、空洞の入り口から、一筋の光が差し込んだ。アルムだった。
彼は、十也たちがアグリの本拠地に向かったことを知り、恐れと使命感に突き動かされ、一人でここまで追ってきたのだ。
アルム「やめて!」
アルムの叫びが、激しい戦闘の音を切り裂いた。その声は、古代魔導や火器の音よりも強く、空洞全体に響き渡った。
アルム「人間も、妖怪異も、争う理由なんてないだろう!」
十也、にろく、ゼフ、そして妖怪異たちまでもが、一瞬動きを止める。アルムの瞳には、かつて力を暴走させた時の青い光が宿っていたが、今回は制御できているように見えた。
アルムは玉座を見上げる。そこには、静かに立ち尽くすアグリがいた。
アルム「アグリ…さん...なぜ、こんなことをするんですか? みんな、ここでの新しい世界に希望を持っているのに!なぜ、争いを始めるんですか!」
十也は戦闘を止め、アルムに視線を送る。なぜアルムがここにいる・・・いや、これは必然か。
アグリが求め、アルムが自らの意思でここにきた。ならばもう残された十也の役目は1つだ。
十也「アグリ、お前との対話者には俺よりもふさわしい人物がいる。アルムだ。俺たちは処刑人としてではなく、咎人の仲間として、真の対話を望んでいる」
アグリは玉座からゆっくりと降り、静かにアルムの前に歩み出た。
アグリ「アルム...来てくれたか。お前の問いは理解できる。なぜ、争いを止めようとしないのか、と」
アグリは、妖怪異らに手のひらを向けた。彼らは即座に動きをとめ、玉座の周囲へと退いた。
アグリ「私はな、今は亡き、共に世界に奉仕することを夢見た友のために、これを為しているのだ。彼らはE.G.Oの非道によって消された。この世界は、信じるに値しない。この腐敗した世界とは、もう二度と接点を持たずにさよならを告げたいのだ」
アグリの言葉は静かだが、その奥には拭い去れない深い悲しみが込められていた。
アルム「その悲しみは計り知れないと思います。でも、僕たちを...僕の力を使って、何をしようとしているんですか!あなたは...僕の力が「奪う力(Bereave on)」だと知っていたんですか?」
アグリはアルムの顔を真っ直ぐ見つめ、静かに、そして決定的な真実を告げた。
アグリ「安心しろ。私の研究が辿り着いた、次元の扉「太陽の扉」を開く真のトリガーは、お前の「奪う力」ではない。あれは、お前の「信じる力(Believe on)」が、極度の恐怖と怒りによって歪んだ形で発現した一側面だ」
ふとアグリは空洞の天井、氷と岩が重なり合う一角を指差した。
洞穴の隙間から、ほんの一筋の光が差し込んでいる。
アグリ「光と影は表裏一体だ。私たちが儀式に求めるのは、お前の純粋な「信じる力(Believe on)」、そしてお前の生まれ持った怪異の力、「幸運」という名の希望だ。その力によって、実現不可能を可能とする「奇跡」を呼び起こす」
アグリは手を広げ、周囲の氷の大地を見渡した。
アグリ「この極寒の大地に、太陽が指す時。その瞬間、お前の信じる力がもたらした奇跡が、次元の境界を書き換える。それは、この世界から私たちを奪い去り(Bereave)、「太陽の扉」の先にある、完全に清浄な別次元へと集団転移させるのだ。アルム、お前も一緒に、共に行こう!」
……「天命ノ儀」とは、次元を超える大規模な脱出計画であった。
そして、アルムの「信じる力」と「幸運」こそが、この儀式を起動させる最後の鍵だったのである。
〜〜
アルムは、アグリの言葉にただ立ち尽くした。次元を超えた脱出計画。それは、アグリの深い絶望と、失われた友への限りない悲しみの結果だった。
アルムは瞳を潤ませながら、決意を込めて言った。
アルム「...わかりました。アグリさんの、その悲しみは、僕には想像もできないほどに深い。僕の力が、あなたが望む新しい世界への扉を開く力なら...僕と、この力を使います」
その言葉に、アグリの顔に微かな安堵の色が浮かんだ。しかし、アルムは静かに首を横に振る。
アルム「でも、僕は、一緒には行きません」
アグリの表情が凍りついた。十也たちも驚きを隠せない。
アグリ「行かない、だと...?アルム。この世界は、お前を人でもなく、怪異でもなく、「咎人」と見なした世界だ。ここには、悲劇と裏切りしかない。我々と共に...」
アルムはまっすぐにアグリを見据え、自分の胸を叩いた。
アルム「僕も、誰かを傷つけて、力を暴走させた過去があります。でも、過去は過去です。僕がこの咎人の街に来て、十也さんや、にろくさん、ゼフさん...たくさんの人と出会って、初めて希望を知りました」
周りを見渡してから、言葉を続ける。
アルム「この世界は、確かに腐敗しているかもしれない。でも、この腐敗した世界の中で、僕の居場所ができました。希望を見つけられた。だから僕は、逃げません。この世界で、僕の未来を信じて生きていきます」
それは、アグリの世界への絶対的な拒絶とは正反対の、世界を赦し、未来を信じるという決断だった。
アグリはしばらく、目を閉じて沈黙した。彼もまた、アルムの純粋な「信じる力」を求めていたからこそ、その決断の重さを理解できた。
アグリ「そうか...お前は、この世界を『咎』としてではなく、『可能性』として受け入れるのだな」
アグリは静かに微笑んだ。その微笑みは、初めて見せる、どこか優しいものだった。
アグリ「わかった。お前の意志を尊重しよう。お前たちが対話者で本当によかった」
アグリは空洞の天井、光が差し込む隙間に視線を向けた。ちょうどその瞬間、太陽の軌道が変わり、細い光の筋が、空洞の中心、アグリが立つ場所へと一直線に射し込んだ。
アグリ「今だ...アルム!」
アルムは目を閉じ、全身から力を解き放った。
彼の体から放射状に青い光が溢れ出し、それは純粋な「信じる力(Believe on)」と、『幸運』のエネルギーとして、光の筋を辿って天空へと昇っていく。
煌めく奔流が、空洞全体を覆い尽くす。
アルムは最後に、アグリに向かって、涙ながらに精一杯の笑顔を見せた。
アルム「アグリさん、グッドラック! あなたの未来が、望む世界に、どうか届きますように!」
次の瞬間、アグリ、そして玉座の周囲に控えていた妖怪異集団Qの全てのメンバーが、光の中に包まれた。
それは奪い去る(Bereave)力ではなく、信じる力(Believe on)によって創造された、世界からの優雅な離脱だった。
〜〜
光が消えた後、空洞には十也、にろく、ゼフ、そしてアルムだけが残されていた。
アグリたちのいた場所には、ただ虚しい氷の床が広がるばかりだった。
十也はブレオナクを氷の上に突き刺し、深い息を吐いた。
十也「...脱出成功、か。奴は、この世界を滅ぼすつもりはなかった。ただ、絶望から逃げたかっただけだ」
にろくはアルムの肩に手を置いた。アルムはまだ涙を拭い切れていない。
にろく「アルム、お前は...お前は本当に強いな。自分の居場所を、逃げずに選んだ」
十也「さて。俺たちも動かねばならない。長官に報告し、ジャーラ財閥の動きを警戒する必要がある」
にろく「ああ、俺も同行する。この古代魔導とMARIAの件、長官に直接伝えねばならんことがある」
十也はアルムとゼフに向き直った。
十也「アルム、ゼフ。お前たちはどうする」
ゼフは十也をまっすぐに見つめ、強く言い放った。
ゼフ「私は残る。私はジャーラ財閥の長の娘として生まれた。女だからと後継の資格を剥奪され、厄介払いでこの街に送り込まれた。最初は、腐っていたさ。だが、ここでの生活が、私には性に合った。咎人の街の一員として、ここで生き残った仲間たちと、私の居場所を再建する義務がある」
ゼフは静かに空洞の入り口を見つめた。咎人の街を統括する代表として、彼女の心は既に次へと向かっていた。
アルムはまっすぐに十也を見上げた。
アルム「僕も残ります。僕の信じる力(Believe on)は、この世界のために使うと決めました。もう、誰も悲しませたくない」
十也は静かに頷いた。その瞳には、安堵と、この二人の友への信頼が宿っていた。
十也「わかった。お前たちの決断を尊重する。咎人の街は、お前たちに託す」
ゼフがにろくと硬い握手を交わす。
ゼフ「にろく…十也。外の世界で、私の親父が絡むE.G.Oとジャーラ財閥を頼む。私たちは、内側からこの街を守る」
にろく「お前のオヤジだとしても容赦しないぜ。いずれここに連れくることになってもな!」
彼らは一言、合言葉のように別れの言葉を告げた。
みんな「グッドラック!」
そうして十也とにろくは、凍てついた空洞に背を向け、去っていった。
アルムとゼフは、静かに彼らの背中を見送った後、瓦礫と化した空洞を、新たな希望の地として見据えた。
〜〜
十也「・・・で。どうやって帰ればいいんだ!?」
ここは都会から遠く離れた氷の牢獄。
一方通行の定期便だけが飛び交う最果ての地。
彼らは無事に、ここから脱出することができるのだろうか?
TO BE COUNTINUED
最終更新:2025年09月28日 11:33