〜ミストラルシティ〜
薄暗いアパートの一室。ブラウン管のテレビが放つ冷たい光だけが、部屋の隅々を照らしている。
画面いっぱいに映し出されているのは、白いスーツに身を包んだカレン長官だ。
彼女の背後には、大理石を模した壁に「咎人の街検討会 最終報告」という厳かなタイトルが掲げられている。
ソファに深く沈み込んだ結利は、冷えた缶コーヒーを握りしめ、眉間にしわを寄せて画面を凝視していた。突然ミストラルシティを飛び出した十也は、今この瞬間、この会見場のどこかの隅にいるはずだ。その隣には、にろくもいるだろう。
彼らは、咎人の街での事案を解決に導いた当事者だ。
だがそれ以上は何もわかっていない。結利自身もEGO隊員ではあるが、今日の会見内容、特にその裏側については全く知らされていない。彼女は、カレンの公表を、一般市民と同じ立場で聞いている。
彼女が知っているのは、罪人は遠く離れた「咎人の街」に投獄され、最近起きた動乱は、首謀者であるアグリ=ネイシアが捕まることで鎮圧されたという、公的な事実だけだ。
カレン「……以上が、本日の報告議題のうち、第一部会『アグリ=ネイシア氏の処遇に関する決定』の詳細である。功罪相半ばする彼の行動は、この世界の安定化に寄与した側面も考慮し、特定の条件下での監視継続をもって、現時点での刑罰をしないという判断に至った。そして、彼は現在も、厳重な監視下に置かれ、咎人の街に抑留されているという現状を公表する。これは、彼の特異性が外世界へ及ぼす影響を最小限に抑えるための継続的な措置であることをご理解いただきたい」
カレンの声は、常に冷静で、どこか慈愛に満ちている。だが、結利には彼女の目の奥に宿る、微かな緊張が見て取れた。
カレン「続きまして、第二部会『今後の咎人の管理方針』について説明させていただく。人々の分断を避けるためにも、刑期を終えた咎人には、この街に残るか、故郷に戻るか、選択肢を与えることが重要だと考えているところだ」
カレンは一呼吸置いた。本来、この後に第三部会『神の意志に関する報告』に移る予定だった。
しかし、彼女は準備していた資料に手を触れず、無言で会見を締めくくろうとする仕草を見せた。
記者団のフラッシュが一斉に焚かれる。その瞬間、一人の女性記者が声を張り上げた。
記者「長官! 咎人の管理について、バイオチップが三限能以上の異常な活性化を示しているという機密情報が流出しています。また、第三部会の報告は行わないのですか? 事前に三部会が開催されると聞いていましたが!」
その瞬間、カレンの顔から血の気が引いたように見えた。
結利(え!?どうして、第三部会の結果報告を隠すの? 公表資料には、討議の痕跡があったはずよ……そもそも、なぜ『開催しなかった』と嘘をつくのかしら?)
結利の脳裏に、EGO本部で聞きかじった不穏な噂が、今、カレンの動揺と結びついて、恐ろしいパズルのピースを形成し始める。
それは、咎人たちのバイオチップが政府の制御を超え、三限能の限界を超えた特異な力を発現している者がいるという噂。そして、秘密裏に行われた第三部会の討議では、「神の意志」という、世界そのもののルールに関わるような、極めて重大なテーマが含まれていたらしいという噂だった。
画面の向こう側で、カレン長官は、口元で一度言葉をためらい、くちごもる。
カレン「申し訳ない。第三部会に関するご質問だが、事前の通告では実施に向けて準備していたものの、その必要性が薄れたと判断し、検討会は実施に至らなかったのだ。よって、報告事項は存在しない」
カレンは、意図的に視線を泳がせ、深く静かに息を吸った。
カレン「ただし、この件に関連して一点だけ申し上げられることはあります」
彼女は、記者席を見渡す。
一瞬、十也と黒スーツのにろくがいる隅にも視線が向いたように、結利には見えた。
カレン「巷で騒がれている『天命ノ儀』に関する憶測について、我々の調査結果では、これはアグリ=ネイシア氏が仕掛けた一連の事態の一部であり、全能神の降臨や、宇宙人の襲来といった絵空事ではないことは明言させてもらおう」
カレンの声に力がこもる。
カレン「市民の皆様におかれましては、誤情報に踊らされず、政府の指示に従い適切な行動をとってくださるよう、強く要請いたします。マスコミ各位にも重ねてお願い申し上げる。根拠のない情報を流布して市民を煽動することなく、正確な情報の発信に努めるように」
まるでカレンが真実を隠蔽し、会見を打ち切るように言葉を区切った瞬間、テレビ画面の前の結利は缶コーヒーを取り落としそうになった。
その冷たい金属の表面に、彼女の焦燥が映り込む。
結利(カレン長官は、すべてをわかった上で隠している・・・つまり一般市民にとっては不利益な事実があったっていうこと。まるでこれからもっと大きな時間が起きるのを知っているような……)
結利の胸中に、激しい不穏な予感が渦巻いた。彼女はEGO隊員でありながら、世界で何が起きているのか、カレン長官の動揺からしか読み取れない。これが、情報統制下の世界の現実だった。
テレビは、報道特番のスタジオ映像に切り替わり、解説者の声が空疎に響く。結利は、空になった缶を握りしめたまま、その場から動けなかった。彼女の焦燥は、解き放たれることなく、ただ部屋の暗闇に沈んでいった。
結利「・・・今度十也にあったらぜーんぶ教えてもらうんだから!」
〜会見の熱狂から数日前〜
EGO本部の中でも、特に機密性の高い地下会議室では、世界を根底から揺るがす三つの議題が極秘裏に討議されていた。
この情報は、会見では意図的に伏せられた真実であり、結利のような一般隊員には決して届かない、EGO本部の最高機密である。
〜第一部会:アグリ=ネイシアの処遇と公表の嘘〜
議題は「アグリ=ネイシアの最終処遇」であった。
しかし、その討議に入る前に、「咎人の街の凍結問題」の最終裁定の重い空気の中にあった。
副長官グリンツ「長官、議題に入る前に、ジャーラの件について最終報告をいたします。先立って消息を絶っていたジャーラ財閥の当主、ジャーラ氏は発見され、本検討会に招集されました」
カレン「彼の言い分は変わらないのね?」
グリンツ「はい。ジャーラ氏は、咎人の街で全世界の平和を脅かす不穏な動きを察知し、その拡大を防ぐため、独断で街の凍結という極端な行動に出た、と主張しています。彼の行動は確かに過剰でありましたが、その平和安定を優先する目的は理解を得られました。また、ジャーラ財閥との経済的な関わりは、平和維持活動と同じくらい重要であるとの判断から、彼の行動は不問とされました」
カレンは静かに頷いた。
カレン「実際には、ジャーラ財閥の技術供与を正当化するための口実だった可能性が高いが、それを立証する術はない。経済の安定もまた、世界の平和には不可欠。この件は、これで決着としましょう」
重い沈黙が会議室に満ちた。街を凍結させた人物の責任が、政治的な判断によって回避されたのだ。
だがそれは現実社会が日々を送るために必要な濁りの一つに過ぎない。それよりもずっと、大事な議論を遅らせるわけにはいかないのだ。
カレンは、空気を変えるように、次の議題を切り出した。
カレン「では、本題に移るとしよう。咎人の街の現状、そしてアグリ=ネイシアとの対峙について、にろくと十也、報告を」
にろくは会議室の中央に進み出た。
にろく「街は、予想されていた暴動状態には陥っていませんでした。むしろ、多くの咎人が、自らの罪や咎と向き合い、静かに平穏な生活を送ろうとしていました。エルプリメロの支配から解き放たれ、ある種の自由を手に入れ始めていたと言えます」
カレン「では、アグリ=ネイシアの動乱は、その平和を乱すものではなかったと?」
にろく「彼の動機は、動乱ではなく、脱出でした。ただし、その過程で街は混乱しました」
十也が静かに引き継いだ。彼の声は、戦闘の緊迫感をわずかに帯びていた。
十也「アグリ=ネイシアと対峙した際、彼は我々との戦闘を望んではいませんでした。彼はただ、外世界への扉を開くことに執着していた。あの瞬間、彼の瞳にあったのは狂気ではなく、この世界への諦念と、新たな場所への希望でした。我々がそれを止めることはできませんでしたが、彼がその扉を潜った後、街は急速に沈静化しました」
その言葉からは、悪意のかけらは微塵も感じられなかった。アグリと直接対峙した十也だからこその言葉だ。
十也「結論として、アグリ=ネイシアは今、異世界で平穏な生活を送ることになっただろうと確信しています。彼はもう、この世界の脅威ではありません」
会議室の重い空気を打ち破ったのは、軍事顧問を務める老将軍の怒号だった。
老将軍コチ「アグリ=ネイシアは異世界に脱出した! そして、それが平穏な選択肢だというのか?。ならば、他の咎人たち、そしてこの世界の市民たちはどう思う!?同じように世界脱出を試みるものが増えるとは思わんか?」
財政顧問ホヌ「待ってくれ。我々が最も危惧するのは、労働力の減少です。もし、咎を償う必要のない楽園への道があるとなれば、経済を支える多くの人々が、安易な逃避を選び、次々と異世界に旅立つ可能性がある。これは、この世界の存続に関わる問題です!」
国際安全安全保障担当官バランダ「さらに、他の世界との争いのタネとなる可能性を無視できません。かつて我々が被害を被った事実をお忘れか?我々が知らない世界に咎人を送り出すことは、新たな国際紛争あるいは異世界間紛争を引き起こしかねない」
カレンは、中央のホログラムモニターを静かに見つめた。
老将軍の怒声も、財政顧問の懸念も、すべてが真実を指している。この情報が公になれば、世界はパニックと逃避に陥る。
カレン「問題は、市民がこの『平穏な選択肢』を知ることだ。私たちは、この世界こそが、咎を抱えたまま、寄り添いながら生きていく唯一の場所だと提唱してきた。しかし、外世界の存在と、そこへの道が安易に開かれていると知れば、人々は自らの罪と向き合うことをやめ、分断と逃避を始めることだろう」
討議の結果、カレンは最終決定を下した。
カレン「部会の結論として、私たちは真実を隠蔽する。アグリ=ネイシアの乱は鎮圧し、アグリ=ネイシアは厳重な監視下に置かれ、咎人の街に幽閉していると公に発表する。真実を隠すことで、この世界の『咎と共に生きる』という原則、そして社会の安定を守り抜く。それが、この部会の決定だ」
〜第二部会:制御不能なバイオチップと三限能の限界〜
会議室の空気は、第一部会よりもさらに張り詰めていた。
議題は、咎人に埋め込まれたバイオチップの「異常な進化」についてである。
カレン「咎人の管理方針、特にバイオチップの異常について、解析官、報告を」
解析官モレナ「長官、バイオチップの機能について、予期せぬ進化が確認されました。本来、チップは個人情報の管理、思想の矯正に用いる道徳的文書の注入、そしてEGOが定めた安全な能力である三限能に限定したON能力の付与を目的として設計されていました」
解析官は続けて見解を述べる。それは遠い過去の歴史を紐解く中で判明した事実であった。
解析官モレナ「我々の調査により、咎人の街のある大陸の古代、そこを拠点としていた古代魔導の民が太陽信仰を奉じていたことが判明しています。彼らの理念では、太陽を意味する「SUN」、そしてその象徴としての「3」が最も神聖な数字でした。この地固有のヘルゲンシュターゲン(超自然的な名残)の影響を受け、チップに想定外の影響が生じ、この古代の理念が無意識に組み込まれ、咎人たちも「3」という概念を自然と重視するようになったと考えられます」
大型モニターに、チップ開発の経緯を示す図が表示された。
解析官モレナ「ON能力自体は、かつてEGOの秘密諜報部で研究が進められ、優秀な秘密諜報員に付与された力です。開発された能力は全部で999種類。咎人に付与された三限能もその一部です。しかし、咎人の街において、我々の計画にはなかった新たな能力が発現しているのです」
カレン「それが、DEAM-ONとファラオンね」
解析官モレナ「はい。DEAM-ONは、怪異を想起させる妖怪異へと変異する力。そしてファラオンは、古代魔導の王が持っていたとされる、世界を統べるにたる特別な力です。いずれの力も、我々の従来のチップ設計では発現しないはずでした。これは、複数の要因が複合的に作用したことにより発生したと見ています」
モニターの内容が切り替わる。
解析官モレナ「要因の根本には、まずチップの製造システムにあります。当初、バイオチップの製造に用いたシステムには、人工知能AISから派生したシステムによる処理を含んでいました。この処理が、チップの意図しない挙動、特に自己進化を促した要因の一つだと特定されました。これを起点に、私たちは残りの要因を複合的な影響として特定しました」
追加でモニターに浮かび上がった内容は、部会のメンバーの想像を超えたものだった。
要因①:バイオチップのシステムを開発したのが、かつて安寧世界をもたらした秘密結社スピノザの関連企業であったこと。彼らの思想が、チップの潜在意識下に継承された可能性が高い。
要因②:道徳的文書のデータに、古代魔導の断片、つまり書物の部分的なページの一部が紛れ込んでいたこと。これは道徳的文書選定委員会の不備であり、意図的か作為的かは検証中である。
要因③:怪異の存在しない世界において、人々の恐れが行き着く先として咎人の街が合理的であったこと。罪人集まる場所を恐れることは、人間の本能。この集合的無意識の恐怖が、チップの進化を促した。
要因④:そして最も重大な要因。咎人の街が、かつての古代魔導の民の拠点に作られたこと。この土地に残された痕跡が、チップの自己進化のトリガーとなった。
この制御不能な進化が刑期を終えた咎人に選択肢を与えるというカレンの思案を、いかに危ういものにしているかが専門家たちの絶望的な表情から伝わってくる。咎人を社会に戻せば、この制御不能な力が世界中に拡散し、秩序を破壊する可能性があった。
カレン「解析官。すべての複合的要因を鑑み、バイオチップのシステム再設計と改良は進んでいるのね?」 解析官モレナ「はい、長官。我々は緊急に対応し、設計上の根本的な欠陥、古代魔導の断片の影響、そして人工知能AISの処理を含まない形態でパッチを開発しました。数日中には全咎人のチップに対し、自動アップデートが完了する見込みです」
部会のメンバーの顔の緊張がほぐれていく。
解析官モレナ「これにより、付与されるON能力は、安全が保障された三限能に限定され、DEAM-ONやファラオンのような妖怪異化は、今後一切起きない設計となります」
カレンは深く息を吐き委員たちを見渡した。
カレン「よろしい。これで制御不能な力の危険性は排除される。今後もバイオチップを用いた咎人の再教育と管理は、世界秩序を維持するための基本方針として継続してくように」
〜第三部会:神の意志〜
最後の討議は、沈黙が支配していた。
議題は、巷を騒がせる「天命ノ儀」の真偽と、古代魔導の公表の是非である。
倫理学者レンダ「天命ノ儀とは、アグリ=ネイシアが仕掛けた、この世界からの壮大な脱出劇でした。当初は世界中から同意者を募り、世界からの脱出を試みる計画でしたが、彼自身がこの世界に希望を見出す者がいることを知り、最終的に最小限のメンバーで異世界へと旅立ちました」
宗教学者ビトン「問題は、その脱出の選択肢が社会に与える影響です。未熟な社会、そして我々自身の人間的な弱さーそれはカレン長官自身も含めてですねーにおいて、この世界から離脱する選択肢が公然と存在することは、人々の生き方を根本から歪めかねません」
解析官モレナ「さらに、第二部会で論じられたバイオチップ異常の複合的な要因ですが、これは単なる技術的欠陥ではなく、集合的無意識による共通目的に影響を受けている可能性が示唆されます。つまり、人間の意思でははない影響があった可能性があるということです」
人間ではないもの、つまり神の意思のもとで行動している可能性があるということか。
部会メンバーの一部は首を捻り、一部は力強く頷いている。
科学顧問ルナ「いずれにせよ、もしそれを公表すれば、『神の意思』と称した悪しき企みが横行し、経済的にも、人間行動の規範としても甚大な損失が生じます。とはいえ、議論の根拠が宗教的な観点やオカルト的な側面に偏りすぎているため、現時点で公に発表するにはいささか根拠に偏りがあり、現実的ではありません」
カレンは、討議に参加している科学顧問に静かに尋ねた。
カレン「では、科学的な見地から見て、この世界に変化は起きているの?」
科学顧問ルナ「はい。現実的な発想のもとで議論する科学者にとっても、現在の社会が変容し進化しようとしている変化の兆しがあることは明らかです。しかし、それがどの方向に進むのかは依然として人間の意思・選択次第である、という点で我々の意見は一致しています」
カレンは資料を握りしめ目を閉じる。
真実は、アグリの脱出も、古代魔導の存在も、もはや世界にとっての脅威ではない。
脅威は、真実を知った人々の心にあるのだ。
人が人に与えられた力をどう使うのか。そこに誤りが生じれば、これまで幾度度なく訪れた世界の危機が再び眼前に現れることは容易に想像がつく。
カレン「第三部会は、実施しなかったこととする」
それはここでの議論は公的な記録に残さないということ。
カレン「古代魔導の存在は、いかなる形でも公にしない。天命ノ儀はアグリの仕掛けであり、絵空事だと断言する。ただし、市民に向けては人間として選択を間違わないことを強く訴える。これが今、私たちが世界を救うための、最大の嘘だ」
〜会見後・長官室〜
会見場から数フロア上の厳重なセキュリティに守られたカレン長官の私室。 カレンは無造作に白いジャケットを脱ぎ、革張りのソファに深く身を沈めた。照明は落とされ、窓の外の夜景だけが彼女の疲れた横顔を照らしている。
しばらくしてノックの音とともに、十也とにろくが部屋に入ってきた。
十也は戦闘服の上着を羽織り、にろくは会見で着用していた黒スーツのままだ。
十也「カレン長官、ご苦労様でした。完璧でした」
カレンは、目を閉じたまま小さく息を吐いた。
カレン「…この重さは、慣れることはないな、十也。『第三部会は開催しなかった』。あの言葉を私はこれから先、何度も飲み込まなくてはならない」
にろく「最善の選択です。現時点ではね。アグリ=ネイシアが異世界へと脱出したという真実を公表すれば、市民は咎と向き合わず逃避を選ぶ。そうでないとEGOが提唱する『咎と共に生きる』という、この世界の根本原則そのものが崩壊する」
十也は窓辺に立ち、夜の街を見下ろした。
十也「世界から、咎は消えない。それは人間の業であり、この世界の摂理だから。アグリ=ネイシアの脱出も、チップの異常な進化も、全ては人が生み出した咎の結果でしかない」
カレンが目を開け、十也を見つめた。
カレン「その通りよ。アグリ=ネイシアはもう脅威ではない。脅威なのは、この世界の外に別の道理があると知ること。そして、その道が罪の清算を必要としない平穏な選択肢だと知ることよ。それは、私たちの生き方を、未熟なまま根本から否定してしまう」
にろくは一歩進み出た。
にろく「EGOの存在意義は、咎を断罪することではない。咎を抱えた世界と寄り添いながら生きていくための道を、人が自ら切り開いていくことなんだろう。カレン長官が、あるかどうかもしれない神の意思という巨大な流れを隠蔽したのは、人間が選択する機会を守るためだ。間違っちゃあいないさ」
カレンは、疲労の中に強い意志を噛み締めた。
カレン「だからこそ、私たちは進む。十也。そしてにろく。咎人の街の凍結解除のあと、世界がどちらに進んでいくか、共に歩み確かめようじゃぁないか」
十也は窓から離れ、カレンに向き直った。
その時、彼の胸ポケットの奥で、アグリから託されたUSBメモリのような小型デバイスが微かに存在を主張した。その内容を知るのは十也ただ一人。これは、アグリが「この世界を諦めなかった者たち」へ渡したバトンだった。
彼の瞳に、夜景の光が強く反射する。
十也「わかっています、カレン長官。アグリが託したバトン、そして最後に残したメッセージ、その咎を背負いながらこの世界で生きていくための答えを必ず見つける。そしてアグリの分まで俺がこの世界の平和を守り抜くことを誓います」
静かに、しかし、未来への明確な決意をもって、三人の視線が交錯する。
不穏な気配を感じつつも、カレン、十也、そしてにろくは、人ならざる巨大な力に抗い、人間の意思で前を向いて進むことを決意した。
〜咎人の街の現在:ゼフの尽力と再建の灯〜
十也とにろくが長官室を後にしたのとほぼ同時刻、咎人の街は凍結解除に向けた最終段階に入っていた。
かつて街の支配者であったエルプリメロは、それを待たずして絶命していた。彼の死因は老衰とされている。だが、真実は極寒の地で人々を生き残らせるため、自らの生命エネルギーを分け与え続けたことによる命の灯火の燃焼によるものだった。
無能力者として知られた彼が行ったこの行為は、能力と分類されることはなく、彼の特別な想いの力でしかなかった。彼のカリスマ的な抑圧が消えたことで、街は一時的な混乱を迎えた。
しかし、その空白を埋めたのは若いリーダーであるゼフだった。
彼女の指導のもと、咎人たちは自発的に自治組織を形成し生活再建に努めていた。
ゼフの尽力は、カレンが会見で掲げた「咎と共に生きる」という理念を、実質的に具現化していると言える。この咎人の街の再建は、咎人自身に加え、看守部隊ZENithの協力による共同体制によって、静かに支えられていくこととなる。
アルムはというと、図書館司書の
フォウと共に倒壊した図書館の復興に着手していた。凍結の影響でほとんどの書物が読めない状態になったため、彼らは「咎人の街の全ての者が著者となる」という新たな計画を進めることにしたのだ。元学者、医者、教師だった咎人はそれぞれの専門書を、パン屋だった者はパンの作り方の本を。誰もが自らの経験と知恵を本として残すことで、この街に新たな知識を創造しようとしていた。
隊長であるにろくが不在のP部隊は、
ポートロが代理隊長として指揮を執っていた。彼らは、なおこの大地に潜む原生生物の撃退任務にあたっており、仕留めた獲物の肉は、咎人たちの貴重な食料として惜しみなく振る舞われていた。以前としてマナ濃縮の影響はあるものの、それでも生きていくためには仕方のないことだった。
こうして、咎を抱えたまま生きる人々の小さな一歩が積み重ねられ、新たな時代へと静かに進んでいく。
煌びやかじゃぁなく、わずかな希望のひしめく世界に。
人の思いは未来を切り開いてくのだろう。
咎人の街編
Fin
<<<>>>
・・・しかし同時に、世界は慟哭の渦の中心に向かってゆっくりと静かに流れ込んでいることに、わずかな人間だけが気づいていた。
咎人の街の中心で、虚ろな目で彼女は語り出した。
ディディアン「災厄が訪れる…歪んだ境界の門が開き…虚な核心を貫き屠る眼前に…蠢く因子が対をなして世界を蹂躙する…」
<<<>>>
ASR
to be continued
最終更新:2025年10月26日 21:54