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MT*2_24-まれびとの歴史/「とこよ」と「まれびと」と 折口信夫

2010.1.2 第二巻 第二四号

まれびとの歴史
「とこよ」と「まれびと」と
折口信夫

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定価:200円(税込)  p.172 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(64項目)p.417

まれびとの歴史
 まれびととは何か。神である。時をさだめて来たり臨(のぞ)む大神である。(大空から)あるいは海のあなたから、ある村にかぎって富みと齢(よわい)とその他若干の幸福とをもたらしてくるものと、その村々の人々が信じていた神のことなのである。この神は、空想に止まらなかった。古代の人々は、屋の戸を神の押(おそ)ぶるおとずれと聞いた。おとづるなる動詞が訪問の意を持つことになったのは、本義音を立てるが、戸の音にのみ連想が偏倚(へんい)したからのことで、神の「ほとほと」とたたいて来臨を示したところから出たものと思う。戸をたたく事について深い信仰と、連想とを持ってきた民間生活からおしてそう信じる。宮廷においてさえ、神来臨して門をたたく事実は、毎年くり返されていた。
 その神の常ある国を、大空に観じては高天个原といい、海のあなたと考える村人は、常世の国と名づけていた。

「とこよ」と「まれびと」と
 わが祖先の主な部分と、きわめて深い関係を持ち、そうしてその古代の習俗をいまに止(とど)めている歌の多い沖縄県の島々では、天国をおぼつかぐらという。海のあなたの楽土をニライカナイ(また、ギライカナイ・ジライカナイなど)またマヤノクニと呼ぶ。ここでも、おぼつかぐらは民間生活には交渉がなくなっているが、ニライカナイはまだ多く使うている。しかもその儀来河内(ギライカナイ)は、また禍(わざわ)いの国でもある様子は見える。蚤(ノミ)は、時を定めてニライカナイから麦わらの船に麦わらの棹(さお)さしてこの地に来るという。おなじ語の方言なるにいる(また、にいる底(スク))を使うている先島(さきしま)の八重山(やえやま)の石垣およびその離島々では、語原を「那落」に連想して説明しているほど、おそるべき所と考えている。洞窟の中から通う底の世界と信じている。

2_24.rm
(朗読:RealMedia 形式 468KB、3'48'')


折口信夫 おりくち しのぶ
1887-1953(明治20.2.11-昭和28.9.3)
大阪府西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)生まれ。民俗学、国文学、国学の研究者。釈迢空と号して詩歌もよくした。1913年12月、「三郷巷談」を柳田國男主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。

◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。


底本

まれびとの歴史
底本:「折口信夫全集 4」中央公論社
   1995(平成7)年5月10日初版発行

「とこよ」と「まれびと」と
底本:「折口信夫全集 4」中央公論社
   1995(平成7)年5月10日初版発行

NDC 分類:387(風俗習慣.民俗学.民族学/民間信仰.迷信[俗信])
http://yozora.kazumi386.org/3/8/ndc387.html



2010.1.3:公開
目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99
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最終更新:2010年01月03日 22:23