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風景 - (2008/03/03 (月) 23:03:22) の最新版との変更点
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砂漠には2つの顔がある。
訪れる者の身を焼く灼熱を帯びた黄金色に輝く昼の顔と、昼とは真逆に肌を裂くような冷気に包まれた白い夜のそれだ。
この2つの顔は、果ての砂漠にも例外なく存在しており、昼夜が真逆の気温に包まれ、まるで別世界のような景色を見せてくれる。
砂漠に置ける暑さの主な要因は、頭上で燦々と輝く太陽光線である。つまり夜になれば落ちるため、砂漠に暑さをもたらす要因がなくなってしまい、そのため地表は急激に気温を下げる。
特に果ての砂漠ではそれらに加え、オアシスなどの水源がほかの砂漠に比べて少なく、水路のある両端と中央付近を比べると、まったく別の温度差を持った地域が誕生している。そして砂漠とはもとより、その温度差によって大地が風化することで広がっていくものであり、その温度差が小さい水路と大きい中央付近では、見える風景がまるで異なる。
つまり、果ての砂漠は、厳密に分けるとするなら3つの顔を持っていることになるのだ。
<昼の画像差込>
太陽を帯び、黄金色に輝く、果ての砂漠においてもっとも目にすることになるのがこの風景だ。
地平線の向こうまでただただ黄色い大地が続く、砂漠を行くものへ精神的な苦痛を気づかぬうちに与えるほどに殺風景である。
ただしこれを見て世界の広さを知るという人間もいれば、目標がないことで無限に不安を抱く人間もいる。
つまり見る者の観点によって様々なものに見えてくる、神秘の地なのだ。耐え難い暑さに加え、このことを修行や瞑想を行う者たちの多くは考え、この砂漠を選択するのかもしれない。
<夜の画像差込>
月と星が陰りのない夜闇のスクリーンに映し出される白い夜。果ての砂漠において最も幻想的かつ、美しい風景だ。
夜の砂漠は空だけでなく、地上の砂も白く光り輝き、見るものを消して飽きさせることはないだろう。
しかし、美しいものにほど棘はある。昼に比べて急激に気温を下げる夜の砂漠は、防寒具を持たない者には容赦ない死をもたらしかねない。加えて、天体が不規則な動きを見せる果ての砂漠においては、進むべき方向の指針も定まらず、その危険は他と比較できないものになる。
しかしその危険を知った上でも、夜の砂漠を好んで進むものは少なくはなく、それほどまでに旅人を魅了するなにかが、この風景には隠されているのだろう。
果ての砂漠の見所はこの2つの顔だけではない。
砂漠特有の現象に加え、普段見慣れた風景でさえ、砂漠から見たものは芸術品へとその姿を変えるのだ。
<夕暮れの画像差込>
まず上げられるものが、昼と夜の2つの顔がちょうど入れ替わる瞬間の風景である。
真っ赤な太陽が砂漠の大地を燃やしながら昼夜を反転させる儀式を行う、いわば終わりと始まりであり、砂漠においては夜明けよりも美しい景色を目の当たりにすることになるだろう。
輝く砂の海の向こうへ沈む夕日の姿は、まるで大海に沈むそれのようであり、見る者に自分が地上にたっているという事を忘れさせる、大自然の織り成す壮大なトリックアートなのだ。
<砂嵐の画像差込>
吹き荒れる風が巻き起こす、砂漠で見ることの出来る自然現象の中で、もっとも力強く、恐ろしいものである。
とは言うものの、そうそう頻繁に起きるようなものでもなく、起きたとしてもその規模は大から小まで様々であり、特に視界を遮るもののない状況であれば唐突に巻き込まれない限りはほぼ無害なものと思われており、他の場所であれば危険で見れないようなものを遠くから見れるということもあって、それを探して果ての砂漠を訪れる者も少なくないと専らの噂である。
しかし、無害と言うのは間違いである。巻き込まれない限りは確かに無害であるが、遠めに見れるような規模の大きな砂嵐は眺めてから逃げることが叶わない可能性のほうが高い。
運よく風下にでもいない限りは、実際に巻き込まれずともその煽りを受けた砂によって視界を奪われ、最悪進むべき道も買えるべき道も見失うことになるだろう。ましてや実際に巻き込まれた日には、砂とともに天高く巻き上げられ2度と帰らないケースも少なくない。
また、巨大な砂嵐に巻き込まれ奇跡的に静観して来たものも極稀にだが存在し、彼らは口をそろえてその向こうに「巨大な都市を見た」と言うのだが、果ての砂漠にはそのような都市の存在は確認されていないため一種の記憶混濁だと思われるが、同じ事例が数件続くためにひとつの言い伝えとして語り継がれており、砂嵐を求めて砂漠を訪れる者が減らないことの原因のひとつであると考えられる。
<水路の画像差込>
果ての砂漠の中でも異色というべき風景が、この果ての砂漠と隣の区画を区切るように流れる水路である。
湧き水であるオアシスとは違い、飲料するには若干危険でもあるが、砂漠には珍しい水源のおかげでこの周辺の昼夜の温度差はほかと比較すると非常に小さくなっている。
また、これをたどっていくことで迷わず帰還することができることから、たどり着けるかわからないオアシスよりもベースキャンプを構える旅人が多く、場所によってはまるでキャラバンのようにテントが水辺に列を成して立てられている光景が目に付く。
生命の元とは水である、ということが奇しくも砂漠という極限状態によって浮き彫りにされているのだ。
<塔の画像差込>
最後に、最も代表的なものが、この砂漠から見た塔の姿だろう。
舞い上がる砂や蜃気楼が人工物独特のにおいを持った塔に幻想的な色を与え、まるで違うもののように見せる。太陽の輝き方によってはさらに神々しく見せることもあるだろう。
砂漠と言う大自然と、塔という発展の象徴が織り成す風景。それが果ての砂漠においてもっとも美しいと評され、それに異を唱えるものはまったくと言っていいほどいない。
ここでは日中、太陽によってその姿がはっきりとした風景を紹介しているが、夜に見る場合もまた格別である。ライトアップされた塔が、黒いキャンパスの中でその姿を煌かせるのだ。
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砂漠には2つの顔がある。
訪れる者の身を焼く灼熱を帯びた黄金色に輝く昼の顔と、昼とは真逆に肌を裂くような冷気に包まれた白い夜のそれだ。
この2つの顔は、果ての砂漠にも例外なく存在しており、昼夜が真逆の気温に包まれ、まるで別世界のような景色を見せてくれる。
砂漠における暑さの主な要因は、頭上で燦々と輝く太陽光である。つまり夜になればその太陽が落ち、植物や水源の少ない砂漠の大地は、急激に気温が下がる。
特に果ての砂漠ではそれらに加え、オアシスなどの水源がほかの砂漠に比べて少なく、水路のある両端と中央付近を比べると、まったく別の温度差を持った地域が誕生している。そして砂漠とはもとより、大地が風化して広がっていく。その温度差が低い水路と高い中央付近では、見える風景がまるで異なる。
つまり、果ての砂漠は、厳密に分けるとするなら3つの顔を持っていることになるのだ。
<昼の画像差込>
太陽を帯びて一面が黄金色に輝く、果ての砂漠においてもっとも目にすることになるのがこの風景だ。
砂漠を渡る者へ、精神的な苦痛を気づかぬうちに与えるほどに殺風景だ。
ただしこれを見て世界の広さを知るという人間もいれば、目標がないことで無限に不安を抱く人間もいることから、見る者の観点によって様々なものに見ることの出来る風景なのだということがわかる。
つまりこの地は、一種の神秘なのだ。
修行や瞑想を行う者たちの多くはそれゆえに、耐え難い暑さに包まれたこの砂漠を好んで選択し、訪れるのかもしれない。
<夜の画像差込>
月と星がかげりのない宵闇のスクリーンに映し出される白い夜。果ての砂漠において最も幻想的かつ、美しい風景が広がる時間帯である。
夜の砂漠は空だけでなく、月光によって地上の砂も白く光り輝き、見るものをけして飽きさせることはないだろう。
しかし、美しいものにほど棘はある。
急激に気温の下がった夜の砂漠は、防寒具を持たない者には容赦ない死をもたらしかねない。加えて、天体が不規則な動きを見せる果ての砂漠においては、進むべき方向の指針も定まらず、その危険は他と比較できない。
しかしその危険を知った上でも、夜の砂漠を好んで進むものは少なくはない。それほどまでに旅人を魅了するなにかが、この風景には隠されているのだろう。
果ての砂漠の見所は昼夜2つの顔だけではない。
砂漠特有の現象に加え、普段見慣れた風景でさえ、砂漠から見たものは芸術品へとその姿を変えるのだ。
<夕暮れの画像差込>
まず挙げられるものが、昼と夜の2つの顔がちょうど入れ替わる瞬間の風景だ。
真っ赤な太陽が黄金色に輝く大地を燃やしながら昼夜を反転させる儀式を行う、いわば終わりと始まりであり、砂漠においては夜明けより美しいと言っても過言ではない。
輝く砂の海の向こうへ沈む、空を燃やすような夕日の姿は、まるで大海に沈むそれのようであり、見る者に自分が地上に立っているという事を忘れさせる、大自然の織り成す壮大なトリックアートなのだ。
<砂嵐の画像差込>
砂嵐。それは吹き荒れる風が巻き起こす、砂漠で見ることの出来る自然現象の中で、もっとも力強く、恐ろしいものである。
とは言うものの、そうそう頻繁に起きるようなものでもない。起きたとしてもその規模は大から小まで様々であり、特に視界を遮るもののない状況であれば、唐突に巻き込まれない限りほぼ無害なものと思われている。
そのため、他の場所であれば危険で見れないようなものを遠くから見れるということもあり、好奇心からそれを求めて果ての砂漠を訪れる者も少なくないと専らの噂である。
しかし、無害と言うのは間違いである。巻き込まれない限りは確かに無害であるが、遠めに見られるような規模の大きな砂嵐は、眺めてからでは逃げることはまず適わない。
運良く風上にでも位置取りしていない限りは、実際に巻き込まれずともその煽りを受けた砂によって視界を奪われ、最悪進むべき道も買えるべき道も見失うことになるだろう。砂とともに天高く巻き上げられ、生者として2度と地上に帰る事がないことも多い。
また、巨大な砂嵐に巻き込まれながら奇跡的に生還した者もごく希に存在する。
彼らは口をそろえてその向こうに「巨大な都市を見た」と言うのだが、果ての砂漠にはそのような都市の存在は確認されていないため一種の記憶混濁だと思われる。だが、あまりにも同じ事例が数件続くためにひとつの言い伝えとして語り継がれており、これも砂嵐を旅人が求めてやまないことの起因になっていると考えられる。
<水路の画像差込>
果ての砂漠の中でも異色というべき風景が、この果ての砂漠と隣の区画を区切るように流れる水路周辺の地域だ。
水路周辺はほかの地域と毛色が違い、植物が多く生い茂り、地面にも土と呼べるものが現れている。
湧き水であるオアシスとは違い、飲料するには若干危険でもあるが、砂漠には珍しい水源のおかげでこの周辺の昼夜の温度差はほかと比較すると非常に小さくなっている。
また、これをたどっていくことで迷わず帰還することができることから、たどり着けるかわからないオアシスよりも、ここにベースキャンプを構える旅人が多く、場所によってはまるでキャラバンのようにテントが水辺に列を成して立てられている光景が目に付く。
生命の元とは水である、ということが奇しくも砂漠という極限状態によって浮き彫りにされているのだ。
<塔の画像差込>
最後に、最も代表的なものが、この砂漠から見た塔の姿だろう。
舞い上がる砂や蜃気楼が人工物独特のにおいを持った塔に幻想的な色を与え、まるで違うもののように見せる。太陽の輝き方によってはさらに神々しく見せることもあるだろう。
砂漠と言う大自然と、塔という発展の象徴が織り成す風景。それが果ての砂漠においてもっとも美しいと評され、それに異を唱えるものはまったくと言っていいほどいない。
日中に見る塔の景色も素晴らしいのだが、夜に見る場合は格別なものである。ライトアップされた塔が、黒いキャンパスの中でその姿を煌かせるのだ。
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