株式会社スタジオ田所(スタジオたどころ、英語表記:Studio Tadokoro Co., Ltd.)は、アニメーションの企画・制作およびアニメーション制作に関する技術指導を主な事業内容とする日本の企業である。
略称は「田所」「STC」。
概要
1975年設立、1981年有限会社として法人化。1989年、株式会社に組織変更。
主に、あらゆるアニメの下請けを行っていた。しかし、スタジオがあまりにも狭かったため、本社を移動させることを1980年代後半に検討したが、田所悠次郎が「昔からの思い出であるスタジオを離れる訳にはいかない」と無駄に偽善者ぶって断っているため、本社にはキャラクターデザインの朴秀と、絵コンテ脚本担当の田所浩二、キャラクターデザインモデルの淫夢くん、作画監督の桜井豪、演出担当の田所悠次郎5人だけしか居ない。動画や原画、彩色、背景等は、伽久台市に設立された別スタジオで行われている。
歴史
1975年に、田所悠次郎が自分の家の客間を改造し、アニメーション映画制作のためのスタジオを設立した。悠次郎は、父親田所雄太郎と朴秀の祖父の朴公夫を強制的に入社させ、自主制作アニメ「超人サイバーZ」を制作し、祖父を経由してナックに発注してみたところ、「たった5人でこれほどよく動くアニメが作れるなんて」と、ナックの社員に絶賛された。それに対して悠次郎は逆に「動かないアニメなんてあるか?」と当初は生意気に反論していたが、1979年にはナック制作「まんが猿飛佐助」のグロス請けを担当することになった。それからはSFアニメや、格闘アニメ等の、より滑らかな動きを必要とするアニメーションの下請けを担当することとなった。1990年代からは、様々なジャンルのアニメの下請けを行っている。
1981年には、スタジオ田所の法人化を機に、初の元請制作アニメ「蟲戦士ヘルワーム」を手がけるが、あまりにも当時の放送地区が狭過ぎたことから視聴率が低迷し続け(放映地区は、
テレビ下北沢を受信できる地域のみだったので、視聴者があまりにも少なかった)、1989年に最終回を放送した。それ以来1997年まで元請制作アニメの制作は手がけていない。また、現在でもスタジオ田所元請制作アニメは、テレビ下北沢で必ず放送している。
1990年代には、シンエイ動画、ぴえろ等のテレビアニメのグロス請けも担当し、演出から仕上げまで初めて社内スタッフと別スタジオにて制作した。しかし、この頃の悠次郎はあまり仕事に熱心でなく、公夫と雄太郎が演出を担うこともあった。また、1992年に全国放送でヘルワームの再放送を行った所、思いがけなくヒットし、それまでのスタジオ田所を大きく変えた。
1998年には、2作目の元請制作アニメ「Iモード学園」を制作し、公夫の書くキャラクターデザインが、特に大きなお友達の心を掴み、スタジオ田所の名を一層全国に響かせることとなった。しかし、それをピークに下請け、グロス請けの依頼は半減した。
2003年2月に悠次郎が東京ムービー襲撃事件で逮捕される。懲役6ヶ月。悠次郎の釈放直後、生放送の記者会見で「これからも、世界を大いに盛り上げるためのスタジオ田所をよろしく!」と全く反省の色が見えない悠次郎の態度と言論から、視聴者は呆れ果て、「彼はアニメ監督には向いていない」と、会見直後から悠次郎の解雇を要求する電話が殺到する。記者会見翌日、悠次郎は強制的にスタジオ田所を解雇された。それからは、息子の田所浩二が代表取締役となり、公夫の息子朴秀は取締役に就任する、さらに経理人事のチーフにはドラゴン田中、作画チーフには桜井豪、サブチーフには淫夢くんが就任。代表取締役が浩二となってからも、スタジオ田所の社名は変わっていない。当たり前だよなぁ?
キャッチコピーは
「セル画が命!」。
だが、最近はこれを主張してきた悠次郎は退社しているので、徐々に制作環境は他のアニメ制作会社と同じくデジタル化しつつある。
最終更新:2014年01月08日 22:10