・カレン ロバート
寮の部屋の入り口をふさぐようにベッドを配置。
「なんでだろう、誰も部屋に遊びに来てくれない」
新聞に「カレンスタメン濃厚」ってあったのを見て「こくあつ?」
「高校の頃、先生には目をつけられていて…(←目をかけられての間違い)」
日本語も怪しいが、英語の成績は10段階の3。ちなみにカレンの父親は日本語は片言程度のため、母親に通訳してもらっている。
オランダ移籍後初ゴールを決めた際インタビューされたカレンの父親は「英語がうまくなっていた」と息子の成長を喜んだ。
・川口能活
愛知万博の マンモス を イノシシ と思い込んで見たがっていた
西「ビックスワンってどんな意味?」
川口「大きい鶴?」 ※正しくは‘大きい白鳥’
W杯ドイツ大会で使ったスパイクに奥さんの名前を何箇所も書いてハートで囲っていた
SBS静岡放送「FORZA!Jubilo」2005/12/16よりムトーは見た「代表GK」編
レイソル戦の試合前、レイソル小林亮を捕まえて
川口「お前、岩松出身か?」
小林亮「(゚Д゚)ハァ?」
どうやら小林大悟(川口と同じ清水商・富士市出身)の弟と勘違い…
本当は小林慶行の弟。しかも小林亮(82.9/12生)は小林大悟(83.2/19生)より年上…
彼のこのようなポイントのズレはよくあることらしい
写真入りで出てた食事メニューを見て
「鶏肉と魚って一緒に食べても大丈夫?」
数年前のオールスターで、ベンチに座って鼻クソほじっている所をワンショットの大写しでTVに中継された
ジュビロの試合で移動していたバスを降りる際
他の選手が運転手に「お疲れ様でした。」と言ってる中で
川口「ごちそう様でした。」
ttp://www.k-mix.co.jp/oleole_jubilo/ の06年9月18日放送分より。
Jの他会場の結果が書かれたホワイトボードを川口能活と田中誠の2人が眺めながら
川口「明日の試合どこなんだっけ?」
マコ「横浜と福岡と…清水とどこだっけ?」
川口「どこどこ?」
マコ「ああそうだ、京都だ」
川口「ああそうか、三重か」
マコ「ええ?三重にJリーグのチームねーよ」
川口「ああ、そうだそうだ京都だった」
ttp://www.ocn.ne.jp/sports/soccer/magazine/0411.html
「自分では変わってないと思うんですけど、なんかぼくはボケてるみたいで。
人の話をちゃんと聞いてないところがあって、変な受け答えをしちゃうことがあるんですよ。なんとなくボケたことを言っちゃう。
そこでみんなが突っ込んできて、自然に笑いがおきるみたいで。
ねらって笑わせるなんて、ぼくにはできないですよ。
もともと人前で話すのは得意なほうじゃないですし」
95年のJデビュー戦後の取材で
女子アナ「(100点満点で)自己採点は?」
テソ「6点ですかね」←サッカー雑誌方式(10点満点)で
女子アナ「( ゚Д゚)…?」
鹿サポ会誌で中蛸に暴露された04年アジアカップ中のテソ
誰かの部屋からゲームの音がしてうるさい、という話題になっていた時。
俊哉「そ言えば能活の部屋ってどっち側だっけ?」
テソ「 窓 側 」
あと、長期滞在につきDVD持参で来た選手が多数いたらしく、その話題が出ていた時。
テソ「みんなあんなでっかいプレーヤー持って来てんだ~」
代表の移動にて寝ていた本田圭佑(当時名古屋)の横に行き、起きた本田を驚かす。
本田「今日いちばんビックリしたのは飛行機で寝ていて、起きたら隣に川口さんがいたこと。どのタイミングで話しかけたらいいのかわからなかった。それが今日いちばんのサプライズ」
勝利祈願の為訪れた秋葉神社にて。
能活「(肩を叩きながら)シュンイチ~」
森下俊「えぇぇ…(・д・)ポカーン」
注:森下俊選手は新人ではありません。能活がジュビロに来てから2年間ずっと在籍しています。
カマキリを見て「バッタ」と発言
上田康太を呼ぼうとして「上田~。あ、間違えた康太だった」
上田康太を呼ぼうとして「ギュンギュン(注:山崎亮平の通称)~。あ、間違えた康太だった」
前日に会話をしたばかりの武藤マネージャーと翌日会ったときに「お久しぶりです」と挨拶
川口「おー中島、俺、お前のことこれから猫って呼ぶわ。」(注:中島の愛称はにゃんこ)」
中島「(ポカーン)・・・能活さん・・・昨日、『俺、お前のことナカシって呼ぶわ』って言ってませんでした・・・?」
練習中の川口、味方の岡田隆(おかだりゅう)に向かって
「タカシ!」
代表合宿中、GK西川の車の燃費が悪いという話になったとき、
川口「エンジンばらまいて走ってるようなもんじゃん。」
周囲から「エンジンばらまいたら車バラバラなるじゃないっすか。」と突っ込まれていたという。(安田理ブログより)
・北嶋 秀朗
近所の小学生にDQMで対戦を申し込まれ快諾するが、使用モンスターを貶されたため本気に。
後日、約束通り対戦して大人気無く完勝。
集まっていたお母さん達は苦笑。
嫁さんも苦笑。
・工藤浩平
アテネはアメリカの地名だと思っていた。当時チームメイトだった林にギリシャだよ、とつっこまれても、「いやいや、さすがにそれはないっすよ」と言ったらしい。
初めてオシムとあったときに「ハウ・オールダー・ユー?(Howoldareyou?)」と
聞かれ、「Yes」と答えてしまった。
ホテルの食事先で「お総菜」と書いてあったのでふと結城が「あの漢字何て読むんだ?」と聞いてみたら「おあいそ」と答えた。
チームメイトと昼飯を賭けた「国名で古今東西リフティング」で一発目で
「北京!」
更にその後、気を取り直して「日本の都道府県名で古今東西リフティング」をやって、しばらく続いたかなーと思いきや工藤が
「ミヤサコ県!」
Jリーグ28のJリーガーの常識問題で「カツオ(鰹)を漢字で書け」という問題が出された時「確か・・魚へんに貝だったと思います・・」と大きく「魚頁」と書いていた。
・久保竜彦
坂田に「ドラゴンは馬鹿だから」って言われてた。
スパサカで加藤が久保のインタビューを行った時、久保の後ろのガラスの向こうが、開始時はとても明るかったのに、後半は真っ暗だった。
「普段はどんなところでお食事なさってるんですか」
久保「うみ・・・・・海で食べる」
試合後のインタビューでは「よかったです」と「まあまあです」しか言わない。
将来の夢はトラックの運転手と農業の兼業。
1996年頃のインタビューにて
「2002年W杯の代表になりたいとかは?」
久保「1999年に世界の終わりが来るのでそんな先の事は…
2時間探して結局奥さんへのオーストラリア土産はカンガルーのTシャツ
スポーツ選手なのに食事が偏ってるのを心配した妻に対して
「お前は身体に良い物を食え。俺はうまいものを食う」
気の合わない人とは喋らない。故に奥さんとは喋らない。
ポーランド戦に向かう空港で、ただ一人ボディーチェックを受ける
・栗原勇蔵
3年前(=2003年ごろ)まで街で売られた喧嘩は全て買っ(ryらしい。
岡チャン「お前喧嘩負けたことないだろ」
勇蔵「ないっスね」
坂田が代表遠征などでいない時は、毎週週刊少年マガジンを買っておいた。なお買い忘れた週は古本屋にまで行った。
栗原「コンディション、、、コンディション、、、うーーん、これなんて読むんすか?」
遠藤彰弘「コンディション作り。だろ?」
栗原「あーー、‘つくり’かーー」
寮生活の頃、部屋へ帰るのが面倒くさい、と坂田の部屋に寝泊まりするようになる。
(坂田の部屋は栗原の部屋より玄関に近かった)
自分で榎本哲の話を振っておきながら「なんでテツの話が出てきたんだ?」
Jに入ってからの思い出の試合が、「ミリノビッチ(ジェフ市原)に肘打ちかまして鼻血を出させた」くらいしかない。
態度がでかい上に武闘派。
チームメートの北野がビビル 柳沢敦は呼び捨て
マリノスの張飛こと松田直樹から「俺の後継者」と言われている。ポジションのことだけではないらしい。
なお松田によると「2004年のチャンピオンシップの際、試合前に気合を入れてくれと言ったところガチで殴られ、軽い脳震盪を起した」とのこと
チームメートだったマルキーニョスを練習中に削って、マルキをキレさす
レッジーナ戦でMFモザルトにエルボー喰らい鼻折られ流血、「ぶっ殺す」と言いながらモザルトを追いかけ回し、挙げ句にベンチを蹴り上げる。蹴り上げたベンチに座っていたのは、よりによってマツの兄弟分である安永聡太郎
ACLのアウェイ城南戦では値千金のゴールを決めた河合にネックブリーカー
ワールドユース韓国戦ではロースタイムにゴールを決めた仲良しの坂田にマウントタックル
浦和FWワシントンをロサンゼルスと呼んだ。ただし実際の試合では(以下ry
代表デビューした最初のプレイでいきなり相手を削って担架で運び出させる
奥大介の娘にだけは頭が上がらない(ちなみに奥の娘の初恋の相手は栗原)
本人曰く、自分のところのチームカラーは紫
(注:栗原はマリノス所属です、念のため)
ロサンゼルスキャンプでバーベキューをやった時、英語で注文した。「カルビ プリーズ」
見知らぬ男性から生きたカニ3杯と伊勢エビ(合計10万円相当)を受け取る。理由は「初代表を祝して」ではなく、「息子と同じ車に乗っていたから」
栗原 勇蔵選手(横浜FM):
ビブスの色が自分だけ違ったのはどうしてか分からない。
山瀬 功治選手(横浜FM):
昨日の練習で違った色のビブスをつけていたのは、フリーマンの役割。
07年Jリーグ選手名鑑より
好きな言葉:ネルソン吉村光示
趣味は特技、特技は趣味
「まぁ守ってる方としては点数入れてくれると嬉しいし、その辺を点入った時に爆発させて、
"クールにしてんじゃねぇよ"みたいな感じで(笑)倒したりしちゃってんのかな」
・古賀正紘
アーセナルに短期留学した時に、選手に片言の英語で話し掛けたのは自分なのに、話し返してくれた選手の言ってることが全くわからず「この人なんか言ってますよ」と言っていた。
・呉屋大翔
ガンバ大阪の内定を受けていたのに、大学卒業の単位が足らず留年の危機に。
大学時代、毎年のように財布を落としてたらしい…
ガンバTV初出演の際、「シュートを撃てば入る」と言い間違え、あわてて「数撃てば入る」と言い直す。
順風満帆を「じゅんぷうまん『ぽ』」と呼んでた...