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Der Freischuts~狩人達の宴~(ハシさま)44-1 - (2007/02/05 (月) 03:14:06) のソース
ハシさま 「か、はぁ」 絞りだしたような息をつき、シグバールは床に腰を下ろした。――やばかった。たった今の攻防。少しで も気を抜けばこちらがやられていた。生き残ったのは奇跡に等しい。シグバールは苦笑する。つくづく自分 は悪運が強いらしい。今も、そしてあの日も。 ――彼がノーバディとなった日。死ぬはずだった自分を、運命の女神さまは大分気に入っているようだ。 「はん、迷惑極まりないな」 そう言って、立ち上がる。疲労が体中から沸き上がったが、無視。今、自分がしなければならないことを 優先させねば。それは、逃亡。一刻も早くここから離れ、反撃の準備を整える。 穴だらけになったドアに向かい、そのドアノブを捻ろうとする。が、既に限界がきていたのか、そのドア はシグバールの指が触れたとたん、崩れ落ちた。構わず部屋の外に出る。かつん、と足に何かが当たった。 先程まで警備にあたっていた兵士のヘルメットだった。ガンアローに撃ち抜かれたソレからは、血と脳髄が 入り交じった液体がこびり付いていた。 「すまん、運が無かったって諦めてくれや」 誰かの遺留品を踏み越え、シグバールは走った。何処へ行こうか。下は無理だ。グール生産工場を爆破し た時に、階段もまた運命を共にしたはず。 「となると、上っきゃねぇなぁ」 記憶が確かなら、十階程上がったところで屋上に辿り着く。とりあえず其処に向かってみるか。それがいい。 敵を見つけるなら、見晴らしがいいのに越したことはない。もっとも、この広い街から人一人を見つける のは困難を極めるが、どうせ階下への道は閉ざされているのだ。 「ま、なるようになるか、ってハナシだな」 そう言ってシグバールは、非常階段に通ずる扉を探しはじめた。エレベーターは襲撃の時、既に破壊している。 しばらく走ったあとで、目当てのものに行き着いたシグバールは、それを蹴破り、暗闇が広がる屋上への道を上りはじめた。 人通りが賑わうストリート。その人込みの中を、ジェシーとキリーは掻き分けていく。二人の表情は晴れ やかだ。今日は門出の日。両親から結婚を反対された彼女たちが、かけおち先に選んだのがこの都市だった。 「人がいっぱいね」 「そうね。目が回ってしまいそう」 「でも、いつか慣れなきゃね。私たちここで暮らしていくんだもの」 「そう、そうね。ああ、ほら人にぶつかるわ。私の手を」 「ありがとう。……ねぇキリー」 「何?」 「本当に、私たち、一緒にいられるのよね?」 「だからここまで来たんじゃない。自分の家族を捨てて」 「わかってる。わかってるわ。でも、不安なのよ。何か大きいものが、私たちを引き裂くんじゃないかって」 「ジェシー。君は、私が守る。どんな奴にだって負けはしない。この身が裂かれても。私が私じゃなくなっても」 「キリー……うれしい、私うれしい」 二人は絡み合いキスを交わそうとする。その背後に大きな落下音。それに気付いたキリーが振り向き、人 影に抱きつかれ首筋に鋭い痛みを感じる。そして顔を元に戻し、ジェシーに熱い接吻をする。熱すぎて、彼 女の唇を引きちぎってしまった。それをゆっくりと咀嚼し、また彼女の肉を求めはじめる。その後ろではた った今落ちてきたグール化した警備員が新たな獲物を追い求めていた。上がる悲鳴、絶叫。キリーに組み倒 され、びくんびくんと痙攣していたジェシーの肉体が、ゆっくりと立ち上がる。ジェシーは眼球から血の涙 を流し、その皮膚はどろどろに腐り落ちていた。グール。 こうして吸血鬼禍は発生し、都市を飲み込む。 リップヴァーンは口元についた血をハンカチで丁寧に拭った。 「不味い。くそ不味です。いったい何を食って生きているんでしょうか」 苦々しげにいいながら、懐から輸血パックを取り出し、ストローを突き刺して吸う。中身はB型フランス 人のものだ。上質なワインの味がすると最後の大隊でも人気食になっている。口直しには最高だ。リップヴ ァーンはしばしその美味に酔い痴れた。 「まあ、あの中にユダヤ人がいなかったことだけでもよしとしますか」 彼女はストローに口をつけたまま下を覗いた。 ―――下は、つまりは街のストリートは、地獄の有様だった。グールとそうでない人間が混じりあいなが ら蠢いている様子は、さながら煉獄のようだ。悲鳴を上げて逃げる二人のカップルを、十数人のグールが組 み敷き、新鮮な肉を食らう。命からがらそのサバトから逃げ出し、警察の造ったバリケードに避難した人々 は、恐怖に体を震わせる。 そして、そのバリケードに迫るグールと警察の壮絶な銃撃戦。漂ってくる火薬の匂いにリップヴァーンは 興奮した。すでに警察の人員は残さず掻き集められ、その疫病を外に出すまいと奮闘している。だが、それ も無駄だ。ほんの数人程度しか感染していなかった疫病は瞬く間に広がり、この一帯は完全にグールの海と 化した今、人間に、ただの人間に何ができる。普通の火器では吸血鬼はおろかグールでさえ倒せない。銃弾 を打ち込んだとしても、グールの動きを止めることはできない。動きを止めたければ、足を粉々に打ち砕く しかないのだ。それを可能にする大火力の装備の搬入はもう少し時間がかかるらしく、警察は手をこまねい ているのが現状だ。もっとも、グールの群れが駆逐されようがリップヴァーンには関係なかった。リップヴァーンの狙いはあのビルの中にいるはずのものだ。 「まだ、その中にいるはずです」 リップヴァーンは物体の遠隔操作を得意とする。その対象は銃弾だけにとどまらない。さらに、彼女は吸 血鬼だ。吸血鬼はもともと他生物の使役をその魔力によって実現できる。人間時代では不可能だった、人間 大の物体の遠隔操作を、今のリップヴァーンは為し得る。既にリップヴァーンは幾体かのグールと視覚をリ ンクさせ、彼女の敵がいたビルの監視を行っていた。一度彼女の敵があらわれれば、街中に多数存在 する“目”がリップヴァーンにそれを教える。 「ふ、ふふ。ふふふふ。あははははは」 グールを増やしたのは、敵をビルから炙り出すためでもある。ストリートに溢れかえったグール達は、人 間達を食らうべく周囲の建物に侵入していた。もちろん、今リップヴァーンが狙いを定めているあのビル にも。ビルに侵入させたグール達で地上からの退路を断ち、その上で空から脱出するときに魔弾で撃つ。一 度捉えれば、今度こそ魔弾で殺す。空中では黒コートはいい的になるだろう。なにせ空中で動ける はずがないのだから。 「さあ、早くおいでなさいな」 リップヴァーンは動かない。自分で距離を詰めようとしない。そんなことは馬鹿げている。彼女は狙撃手だ。 長大な射程を生かし、敵からの反撃を一切受けずに勝利する。それが彼女の戦術。ゆえに、彼女は接近しない。 一定の距離を保ち、敵が死ぬまで魔弾を射ち続ける。 「今度こそ」 リップヴァーンは歌う。いずれ来る悦楽の瞬間――すなわち、彼女の勝利――を夢見ながら、ぼんやりと 陶酔しながら。 頬が引き裂かれる。歪む。歪む。それはまるで、鬼子の嗤い。 「有象無象の区別なく、私の弾丸は許しはしないわ」 そして獲物を待つ。