「魔法少女みやこ☆マギカ 第四話「全部、あたしに任せとけ」」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「魔法少女みやこ☆マギカ 第四話「全部、あたしに任せとけ」」(2011/07/09 (土) 00:19:50) の最新版変更点
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―――幼い子供の頃は、誰もが想像し、創造する。
無敵のスーパーヒーローや素敵なヒロイン。
或いは…彼らと敵対する、恐ろしい怪物。
子供達にとっては、それらは憧憬の対象であり、尊敬の対象であり、そして恐怖の対象であり。
何よりも、身近に存在する現実であった。
けれど、それは所詮は空想に過ぎないのだと、やがて誰もが悟っていく。
この世にはヒーローもヒロインもTVの中にしかいないし、怪物だっていない。
そうやって、現実と向き合っていくのだ。しかし。
ならば今。
大倉都子の目の前の<現実>とは―――何なのだろう。
正しく、幼き日の空想の産物としか思えない、おぞましい魔女(バケモノ)は―――
「グゲゴグゲゴグゲゲゲゲゲゴ!!!!」
異様な鳴き声―――或いは笑い声?―――を発しながら。
ヌメヌメとじめつく肌を引き摺って。
蛙の魔女が、都子に近づいていく。
「ひ…ひぅっ…!」
怯えながらも、都子は金縛りに遭ったように指すら動かす事ができない。
恐怖。
蛇に睨まれた蛙―――この場合は、蛙に睨まれた人間だが―――という陳腐な表現を、都子は己の身を以って体感
する羽目になった。
(逃げなきゃダメだ、逃げなきゃダメだ、逃げなきゃダメだ、逃げなきゃダメだ)
(助けて、助けて…誰か…)
思考ばかりがグルグル渦巻いて、肝心の足は全く動いてくれない。
蛙の魔女が、その粘着質な唾液に塗れた舌を、都子の眼前で見せ付けるようにブラブラと揺らす。
ペチャリ…
頬を一舐めされて、都子は心底から震え上がった。
足から力が抜けて、立っていられない。へたり込む。
本能的に、理解してしまった。
この魔女は、あたしを一思いに殺さない。
猫が鼠を甚振るように、じっくりと恐怖する様を楽しんで、ゆっくりと殺すんだ。
殺す―――死ぬ―――この世から、消える―――
(ヤダ…そんなの…いや!)
声も出せずに、都子はそれでも助けを求めた。
(助けて…お父さん…お母さん…)
生まれてからずっと自分を育て、守ってくれていた、両親の顔。
(助けて…杏子)
先日出会ったばかりの、厳しくも優しく、都子を案じてくれた魔法少女。
そして。
(輝明…)
大切な、幼馴染。
鈍感で、ズボラで、だけど。
―――ぼくが、ぜったい、守ってあげる―――
都子がいじめられている時には、いつも守ってくれた、輝明。
(輝明…!)
都子は全身から力を振り絞って、硬直した身体を無理矢理に動かしてその名を叫んだ。
「助けて…輝明!」
「―――都子から離れろぉ、このバケモンっ!」
怒声が響き。蛙の魔女の顔が、横手から殴り付けられる。
さして効いてはいないようだったが、驚いたのか大きく跳ねて後方へ飛び退いた。
都子は呆然と、その顔を見上げる。
杏子が来てくれたのかと思ったが、そうじゃないのも分かっていた。
あの声は―――自分が、誰よりもよく知る声だったから。
「遅くなってごめん、都子…怪我はないか」
「てる…あき…」
都子の幼馴染で、想い人の少年。
どれだけ急いで駆け付けたのか、汗塗れの顔に、荒い息。
魔女を手加減抜きでブン殴ったせいで、鉄パイプを握り締めている両手は痺れているようだった。
それでも輝明は、都子が傷つけられていない事を見て取り、安堵して笑ってみせる。
「よかった…何とか、間に合ったか」
「なん、で…あなたが」
「話すと、長いんだけど。お前がどういう事になってんのかは、白いのから大体聞いた」
「白いの…」
間違いない、キュゥべえだ。何故、あいつが輝明を?
「…話したい事や、言わなきゃいけない事はたくさんある。けど、今は…」
輝明は、蛙の魔女を睨み付ける。
「あいつが許せない。都子を襲おうとした、あいつが」
「輝明…」
「都子。お前は逃げるんだ…時間は、俺が稼いでやるから」
「そんな…無茶だよ!」
「大丈夫。俺も逃げ足は速いんだ。とりあえずもう一発殴ってやったら、すぐに逃げる」
鉄パイプを握り直した所で、蛙の魔女が再びにじり寄ってくる。
それに向けて、輝明は叫んだ。
「来いよ、蛙ヅラ。都子をいじめるような奴はな…昔から、俺がブン殴ってやったんだ!」
「…………!」
輝明の言葉に、都子はこんな時だというのに胸が熱くなるのを感じた。
(変わってない…輝明は、昔のまま…)
子供の頃の輝明は、都子がいじめっ子に髪の毛を引っ張られていようものなら、それが自分より大きくて強そうな
相手でも、臆す事なく立ち向かって、都を守ってくれた。
今の輝明もまた―――あの頃、いじめっ子に食ってかかった時のように。
都子の為に、恐ろしい魔女に立ち向かおうと。
「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!」
渾身の力で振り下ろす一撃。
―――輝明は運動神経には自信があるし、腕っ節はかなり強い方だ。
街でいきがった不良に絡まれれば、それが4、5人程度なら無傷で軽く返り討ちにできる。
それでも―――相手は、魔女だ。
魔法少女と対を成す、この世の不条理を体現する存在だ。
どれだけ強かろうとも<人間>では、魔女には敵うはずがない。
そんな事。
輝明だって、分かっていたのに。
蛙の魔女が、右腕を無造作に打ち下ろした。鉄パイプとぶつかり、嫌な音を立てる。
「う…!」
振り翳した鉄パイプは、まるでシャープペンの芯をへし折るようにあっさりとひしゃげて。
蛙の魔女の腕が、輝明の身体を打ち据えた。
悲鳴と共に、自動車に撥ねられたような勢いで吹き飛ばされ、輝明は無様に大地に転がる。
魔女はそれを見届けると、グゲグゲと笑いながら泉へ身を沈めていく。
「げ…げほっ…!」
「て…輝明ィっ!」
都子が血相を変えて倒れた輝明に駆け寄り、その身体を揺さぶる。
手に、べったりと血が付いた。頭を切ったらしく、赤い液体が輝明の顔を染めている。
彼の左手と左脚は、ありえない方向に曲がっていた。
「み…みや、こ…」
口の端から血を流しながら、輝明が途切れがちに言葉を発する。
「逃げろって…言ったのに…こんな所に、いるなよ…」
「バカ…バカ!輝明を…置いていけるわけ、ないでしょ…!」
ボロボロと、都子の瞳から零れ落ちる雫が、輝明の頬を濡らした。
「なんで…どうして、こんな無茶、したのよ…あたしなんかの、為に…」
「昔…言った、ろ…」
「え…?」
「みや…こは…俺が、絶対に守って、やるって…」
「…………!」
―――泣かないで、みやちゃん―――
―――みやちゃんをいじめる奴は、ぼくがやっつけてあげるから―――
―――みやちゃんは、ぼくが、ぜったい、守ってあげる―――
「なんで…よ…」
都子は、ボロボロと泣きながら輝明に縋り付く。
「そんな、子供の頃のことなんて…忘れてると、思ってた、のに…」
「ひどい…な…俺だって…全部、忘れてる…わけじゃ、ないよ…」
輝明は、笑った。この場には似つかわしくない、照れたような笑いだ。
「大好きな…女の子との、思い出を…何もかも忘れてるとか…そりゃ、ないって…」
「…え…」
耳を疑った。あまりの状況に頭がおかしくなったのかと本気で思った。
「い、いま…なん、て…」
「俺は」
はっきりした声で、輝明は言う。
「俺は、都子が好きだ」
「てる、あき」
あたしの事が、好き?輝明が?そんな。だって。あの時、お弁当を作ってあげた時。あなたは。
「弁当を持ってきてくれた時さ…あんな事言ったけど…本当は…俺のお嫁さんになってくれって…言いたかった」
「輝明…」
「ごめんな…都子」
無事な右腕を、どうにか持ち上げて。
自分に縋り付く都子の髪を、愛おしげに優しく撫でた。
「俺…バカで鈍感で、都子の事が大好きなのに、お前の気持ちが分からなくて、傷つけて…」
「バカ…!バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ!この鈍感!」
都子は。
これまで流した事がないほどの大粒の涙を振りまきながら、散々に罵り。
「あ、あたしだって…」
輝明の胸に、顔を埋めた。
「あたしだって…輝明が、好き…!大好き…!誰よりも…愛してる…!」
「そっか」
どこかほっとしたように、輝明は息をついた。
「俺もだぜ、都子…世界一、愛してる」
「輝明…あたしだって…世界で一番、あなたが好き…!」
都子にとっても輝明にとっても、夢にまで見たはずのお互いの気持ちを確かめ合う瞬間。
それが、こんな悪夢の中で実現してしまった事は、皮肉としか言いようがない。
「もっと早く…こうして気持ちを伝えてれば…こんな、ろくでもない事には…ならなかったのかもな…」
「うっ…ひっく…えぐっ…」
「泣くなよ…俺の事なんて、放っておいて…いいから…逃げてくれよ、都子…またあの蛙野郎が来たら…今度こそ
もう…助けてやれない…」
輝明は。
今にも命の火が消えそうな、この瞬間に、なお。
自分ではなく、ただ都子の事だけを、考えていた。
「こんな…ボロボロにされて…都子も守れなかった、なんて…カッコ、悪すぎだろ…」
「そんな事ない…そんな事、ないよ…ねえ、一緒に、逃げよう…」
「無茶、言うなよ…もう…左は手も足も、どうにかなっちまって…全然動かないんだ…」
「てる…あきぃ…」
「もういいんだ。もう、いいんだよ…」
満足そうに、穏やかな顔で輝明は言った。
「都子が、そんなにも俺を想ってくれていたってだけで…もう、思い残す事はないよ…」
だから、泣き止んでくれ。そして、精一杯でいいから、どこまでも走って、生きてくれ。
輝明はそう言ったが、都子はもう決めていた。
ここから―――輝明の傍から離れない。
生まれた時から一緒だった輝明。自分をいつも守ってくれた輝明。自分を好きだと言ってくれた輝明。
(あたしって…ほんと、バカ)
魔法に、奇跡になんか頼らなくても―――自分が欲しかったものは、すぐそこにあったのに。
自分の気持ちばかりで、輝明の気持ちにまるで気付いていなかった自分こそ、本物のバカで、鈍感だ。
そんなバカで鈍感な自分に、言ってくれた。
―――世界一、愛してる―――
だから、あたしは…輝明と、最期の時まで一緒にいる。
それが、あたしの、最後に出来る事―――
「違うよ、大倉都子」
声が。
「キミにはまだ、残された道がある」
あの、魔法の使者の、声が。
「まさか忘れてるわけじゃないよね、大倉都子―――キミは無力に嘆くだけのか弱く可愛いお姫様じゃない」
声が、響く。
「キミには、力がある―――自分を、そして愛する者を守る為の力だ」
振り向けば、そこに、いた。
真っ白な姿に、とぼけた笑顔を浮かべて、奇跡を売って歩く者が。
「キュゥべえ…」
「ごめんよ。彼をここに連れて来たのはボクだ。キミと話をさせたかっただけなんだけど、こんな事になるなんて…」
いけしゃあしゃあと、キュゥべえは喋り続ける。
「しかし、永井輝明―――彼は本物だよ。大抵の人間は、愛だの恋だの言った所で、土壇場では自分が可愛いもの
だけど…彼は、本物だった」
その本物を、壊してもいいのかい?
「…………」
「―――大倉都子。キミは、どんな願いでその魂(ソウルジェム)を輝かせるんだい?」
さあ。
「この運命に立ち向かう覚悟を決めたのならば」
何もかもが終わってしまう前に。
その小さな唇で。
「今こそ紡ぐんだ。キミだけの魔法少女物語(マギカ)を」
「あたしだけの…物語」
「さあ。魔女ももう、待ってはくれない。時間はもうないよ」
「…あたしは」
都子の、願いは。
「あたしは…輝明を、守りたい」
祈りは。
「あたしを守ってくれた輝明を、今度はあたしが守りたい」
想いは。
「あたしの大好きな輝明を、守りたい」
希望は。
「あたしを愛してくれた輝明を、守りたい」
それは―――愛。
「輝明―――あなたを失くす以外、もう何も恐くない。だから、あなただけはあたしが守る」
「例え、人間を捨ててでも」
都子が立ち上がると同時に、泉から再び蛙の魔女が浮上する。
「時間ギリギリ、だね。大丈夫、契約は一瞬で終わるよ―――」
キュゥべえの長い耳が、触手のように都子の身体に絡まっていく。
それを輝明は、愕然と見上げる他なかった。
「み、都子…!」
「輝明…あたし、魔法少女になる。学校の皆には、ナイショだよ?」
悲しげに、泣きながら笑って。
「ねえ…輝明は、あたしが人間やめても…あたしの事、好きでいてくれるかなぁ?」
「…好きだ。都子がどうなろうとも、俺の気持ちは変わらない…でも…やめろ。俺の為、なんて理由で…魔法少女に
なんか…」
「じゃあ、どうするんだい、輝明」
キュゥべえは、非情な事実を告げる。
「こうしないとキミはおろか、都子まで死ぬよ。こうするしかないんだよ、こうするしか。代案もないのに感情でモノを
言うのはやめてほしいな」
「くっ…!」
事ここに至って、輝明は黙るしかなかった。そうしている間にも、蛙の魔女が、迫る。
「さあ…新たなる魔法少女の誕生だ。どうぞ、御覧あ―――」
「御覧になるかぁ、んなモンッッッ!」
瞬時―――蛙の魔女の巨体が、吹き飛ばされていた。
そして、今まさに都子と契約しようとしていたキュゥべえの耳がたおやかな手で引っ掴まれる。
「キュゥべえよ…テメェ、ちょっとふざけすぎだぜ」
そして、投げ飛ばされる。
「キュウっ!?」
キュゥべえは意外に可愛い悲鳴を上げて、受身を取る。
都子と輝明は突然の事態の急変に、目を丸くする。
彼らの眼前には、彼女が。
鮮烈なまでに赤い、彼女が。
「…ガラじゃねえけどな。ここは一つ、あたしが仕切らせてもらうよ―――!」
一陣の風、烈火の如き紅を纏いて。
緋色の閃光、暗闇を切り裂いて。
真紅の魔法少女が―――
佐倉杏子が、立っていた。
その姿はまさに、死地に降り立った戦乙女(ヴァルキュリア)。
「きょ…杏子」
「危なかったねー、怖かったねー、都子。よしよし」
軽い調子で言ってのけ、都子に抱きつき肩をポンポンと叩く。
「とまあ、冗談はこれくらいにして…」
倒れた輝明。彼に寄り添う都子。そして、キュゥべえ。
彼らの姿を見て、杏子は全てとはいかずとも、大方の事情を察したようだった。
「はん…要するに、大体キュゥべえのせいだな」
杏子に睨まれても、キュゥべえは素知らぬ顔だ。舌打ちして、杏子は蛙の魔女に向き直る。
魔女は既に体勢を整えて、再び襲い掛かろうと、大きく開いた口からボタボタと唾液を零している。
杏子は、怖れない。そして、怯まない。
得物である槍を凛々しく構えて、不敵に笑う。
そして、高らかに言い放った。
「都子―――あんたの願いも祈りも想いも希望も愛も、あたしが穢させない」
「今回だけは自分じゃない、誰かの為に戦ってやる―――だから」
―――魔法少女みやこ☆マギカ
―――第四話
―――「全部、あたしに任せとけ」
―――幼い子供の頃は、誰もが想像し、創造する。
無敵のスーパーヒーローや素敵なヒロイン。
或いは…彼らと敵対する、恐ろしい怪物。
子供達にとっては、それらは憧憬の対象であり、尊敬の対象であり、そして恐怖の対象であり。
何よりも、身近に存在する現実であった。
けれど、それは所詮は空想に過ぎないのだと、やがて誰もが悟っていく。
この世にはヒーローもヒロインもTVの中にしかいないし、怪物だっていない。
そうやって、現実と向き合っていくのだ。しかし。
ならば今。
大倉都子の目の前の<現実>とは―――何なのだろう。
正しく、幼き日の空想の産物としか思えない、おぞましい魔女(バケモノ)は―――
「グゲゴグゲゴグゲゲゲゲゲゴ!!!!」
異様な鳴き声―――或いは笑い声?―――を発しながら。
ヌメヌメとじめつく肌を引き摺って。
蛙の魔女が、都子に近づいていく。
「ひ…ひぅっ…!」
怯えながらも、都子は金縛りに遭ったように指すら動かす事ができない。
恐怖。
蛇に睨まれた蛙―――この場合は、蛙に睨まれた人間だが―――という陳腐な表現を、都子は己の身を以って体感
する羽目になった。
(逃げなきゃダメだ、逃げなきゃダメだ、逃げなきゃダメだ、逃げなきゃダメだ)
(助けて、助けて…誰か…)
思考ばかりがグルグル渦巻いて、肝心の足は全く動いてくれない。
蛙の魔女が、その粘着質な唾液に塗れた舌を、都子の眼前で見せ付けるようにブラブラと揺らす。
ペチャリ…
頬を一舐めされて、都子は心底から震え上がった。
足から力が抜けて、立っていられない。へたり込む。
本能的に、理解してしまった。
この魔女は、あたしを一思いに殺さない。
猫が鼠を甚振るように、じっくりと恐怖する様を楽しんで、ゆっくりと殺すんだ。
殺す―――死ぬ―――この世から、消える―――
(ヤダ…そんなの…いや!)
声も出せずに、都子はそれでも助けを求めた。
(助けて…お父さん…お母さん…)
生まれてからずっと自分を育て、守ってくれていた、両親の顔。
(助けて…杏子)
先日出会ったばかりの、厳しくも優しく、都子を案じてくれた魔法少女。
そして。
(輝明…)
大切な、幼馴染。
鈍感で、ズボラで、だけど。
―――ぼくが、ぜったい、守ってあげる―――
都子がいじめられている時には、いつも守ってくれた、輝明。
(輝明…!)
都子は全身から力を振り絞って、硬直した身体を無理矢理に動かしてその名を叫んだ。
「助けて…輝明!」
「―――都子から離れろぉ、このバケモンっ!」
怒声が響き。蛙の魔女の顔が、横手から殴り付けられる。
さして効いてはいないようだったが、驚いたのか大きく跳ねて後方へ飛び退いた。
都子は呆然と、その顔を見上げる。
杏子が来てくれたのかと思ったが、そうじゃないのも分かっていた。
あの声は―――自分が、誰よりもよく知る声だったから。
「遅くなってごめん、都子…怪我はないか」
「てる…あき…」
都子の幼馴染で、想い人の少年。
どれだけ急いで駆け付けたのか、汗塗れの顔に、荒い息。
魔女を手加減抜きでブン殴ったせいで、鉄パイプを握り締めている両手は痺れているようだった。
それでも輝明は、都子が傷つけられていない事を見て取り、安堵して笑ってみせる。
「よかった…何とか、間に合ったか」
「なん、で…あなたが」
「話すと、長いんだけど。お前がどういう事になってんのかは、白いのから大体聞いた」
「白いの…」
間違いない、キュゥべえだ。何故、あいつが輝明を?
「…話したい事や、言わなきゃいけない事はたくさんある。けど、今は…」
輝明は、蛙の魔女を睨み付ける。
「あいつが許せない。都子を襲おうとした、あいつが」
「輝明…」
「都子。お前は逃げるんだ…時間は、俺が稼いでやるから」
「そんな…無茶だよ!」
「大丈夫。俺も逃げ足は速いんだ。とりあえずもう一発殴ってやったら、すぐに逃げる」
鉄パイプを握り直した所で、蛙の魔女が再びにじり寄ってくる。
それに向けて、輝明は叫んだ。
「来いよ、蛙ヅラ。都子をいじめるような奴はな…昔から、俺がブン殴ってやったんだ!」
「…………!」
輝明の言葉に、都子はこんな時だというのに胸が熱くなるのを感じた。
(変わってない…輝明は、昔のまま…)
子供の頃の輝明は、都子がいじめっ子に髪の毛を引っ張られていようものなら、それが自分より大きくて強そうな
相手でも、臆す事なく立ち向かって、都子を守ってくれた。
今の輝明もまた―――あの頃、いじめっ子に食ってかかった時のように。
都子の為に、恐ろしい魔女に立ち向かおうと。
「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!」
渾身の力で振り下ろす一撃。
―――輝明は運動神経には自信があるし、腕っ節はかなり強い方だ。
街でいきがった不良に絡まれれば、それが4、5人程度なら無傷で軽く返り討ちにできる。
それでも―――相手は、魔女だ。
魔法少女と対を成す、この世の不条理を体現する存在だ。
どれだけ強かろうとも<人間>では、魔女には敵うはずがない。
そんな事。
輝明だって、分かっていたのに。
蛙の魔女が、右腕を無造作に打ち下ろした。鉄パイプとぶつかり、嫌な音を立てる。
「う…!」
振り翳した鉄パイプは、まるでシャープペンの芯をへし折るようにあっさりとひしゃげて。
蛙の魔女の腕が、輝明の身体を打ち据えた。
悲鳴と共に、自動車に撥ねられたような勢いで吹き飛ばされ、輝明は無様に大地に転がる。
魔女はそれを見届けると、グゲグゲと笑いながら泉へ身を沈めていく。
「げ…げほっ…!」
「て…輝明ィっ!」
都子が血相を変えて倒れた輝明に駆け寄り、その身体を揺さぶる。
手に、べったりと血が付いた。頭を切ったらしく、赤い液体が輝明の顔を染めている。
彼の左手と左脚は、ありえない方向に曲がっていた。
「み…みや、こ…」
口の端から血を流しながら、輝明が途切れがちに言葉を発する。
「逃げろって…言ったのに…こんな所に、いるなよ…」
「バカ…バカ!輝明を…置いていけるわけ、ないでしょ…!」
ボロボロと、都子の瞳から零れ落ちる雫が、輝明の頬を濡らした。
「なんで…どうして、こんな無茶、したのよ…あたしなんかの、為に…」
「昔…言った、ろ…」
「え…?」
「みや…こは…俺が、絶対に守って、やるって…」
「…………!」
―――泣かないで、みやちゃん―――
―――みやちゃんをいじめる奴は、ぼくがやっつけてあげるから―――
―――みやちゃんは、ぼくが、ぜったい、守ってあげる―――
「なんで…よ…」
都子は、ボロボロと泣きながら輝明に縋り付く。
「そんな、子供の頃のことなんて…忘れてると、思ってた、のに…」
「ひどい…な…俺だって…全部、忘れてる…わけじゃ、ないよ…」
輝明は、笑った。この場には似つかわしくない、照れたような笑いだ。
「大好きな…女の子との、思い出を…何もかも忘れてるとか…そりゃ、ないって…」
「…え…」
耳を疑った。あまりの状況に頭がおかしくなったのかと本気で思った。
「い、いま…なん、て…」
「俺は」
はっきりした声で、輝明は言う。
「俺は、都子が好きだ」
「てる、あき」
あたしの事が、好き?輝明が?そんな。だって。あの時、お弁当を作ってあげた時。あなたは。
「弁当を持ってきてくれた時さ…あんな事言ったけど…本当は…俺のお嫁さんになってくれって…言いたかった」
「輝明…」
「ごめんな…都子」
無事な右腕を、どうにか持ち上げて。
自分に縋り付く都子の髪を、愛おしげに優しく撫でた。
「俺…バカで鈍感で、都子の事が大好きなのに、お前の気持ちが分からなくて、傷つけて…」
「バカ…!バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ!この鈍感!」
都子は。
これまで流した事がないほどの大粒の涙を振りまきながら、散々に罵り。
「あ、あたしだって…」
輝明の胸に、顔を埋めた。
「あたしだって…輝明が、好き…!大好き…!誰よりも…愛してる…!」
「そっか」
どこかほっとしたように、輝明は息をついた。
「俺もだぜ、都子…世界一、愛してる」
「輝明…あたしだって…世界で一番、あなたが好き…!」
都子にとっても輝明にとっても、夢にまで見たはずのお互いの気持ちを確かめ合う瞬間。
それが、こんな悪夢の中で実現してしまった事は、皮肉としか言いようがない。
「もっと早く…こうして気持ちを伝えてれば…こんな、ろくでもない事には…ならなかったのかもな…」
「うっ…ひっく…えぐっ…」
「泣くなよ…俺の事なんて、放っておいて…いいから…逃げてくれよ、都子…またあの蛙野郎が来たら…今度こそ
もう…助けてやれない…」
輝明は。
今にも命の火が消えそうな、この瞬間に、なお。
自分ではなく、ただ都子の事だけを、考えていた。
「こんな…ボロボロにされて…都子も守れなかった、なんて…カッコ、悪すぎだろ…」
「そんな事ない…そんな事、ないよ…ねえ、一緒に、逃げよう…」
「無茶、言うなよ…もう…左は手も足も、どうにかなっちまって…全然動かないんだ…」
「てる…あきぃ…」
「もういいんだ。もう、いいんだよ…」
満足そうに、穏やかな顔で輝明は言った。
「都子が、そんなにも俺を想ってくれていたってだけで…もう、思い残す事はないよ…」
だから、泣き止んでくれ。そして、精一杯でいいから、どこまでも走って、生きてくれ。
輝明はそう言ったが、都子はもう決めていた。
ここから―――輝明の傍から離れない。
生まれた時から一緒だった輝明。自分をいつも守ってくれた輝明。自分を好きだと言ってくれた輝明。
(あたしって…ほんと、バカ)
魔法に、奇跡になんか頼らなくても―――自分が欲しかったものは、すぐそこにあったのに。
自分の気持ちばかりで、輝明の気持ちにまるで気付いていなかった自分こそ、本物のバカで、鈍感だ。
そんなバカで鈍感な自分に、言ってくれた。
―――世界一、愛してる―――
だから、あたしは…輝明と、最期の時まで一緒にいる。
それが、あたしの、最後に出来る事―――
「違うよ、大倉都子」
声が。
「キミにはまだ、残された道がある」
あの、魔法の使者の、声が。
「まさか忘れてるわけじゃないよね、大倉都子―――キミは無力に嘆くだけのか弱く可愛いお姫様じゃない」
声が、響く。
「キミには、力がある―――自分を、そして愛する者を守る為の力だ」
振り向けば、そこに、いた。
真っ白な姿に、とぼけた笑顔を浮かべて、奇跡を売って歩く者が。
「キュゥべえ…」
「ごめんよ。彼をここに連れて来たのはボクだ。キミと話をさせたかっただけなんだけど、こんな事になるなんて…」
いけしゃあしゃあと、キュゥべえは喋り続ける。
「しかし、永井輝明―――彼は本物だよ。大抵の人間は、愛だの恋だの言った所で、土壇場では自分が可愛いもの
だけど…彼は、本物だった」
その本物を、壊してもいいのかい?
「…………」
「―――大倉都子。キミは、どんな願いでその魂(ソウルジェム)を輝かせるんだい?」
さあ。
「この運命に立ち向かう覚悟を決めたのならば」
何もかもが終わってしまう前に。
その小さな唇で。
「今こそ紡ぐんだ。キミだけの魔法少女物語(マギカ)を」
「あたしだけの…物語」
「さあ。魔女ももう、待ってはくれない。時間はもうないよ」
「…あたしは」
都子の、願いは。
「あたしは…輝明を、守りたい」
祈りは。
「あたしを守ってくれた輝明を、今度はあたしが守りたい」
想いは。
「あたしの大好きな輝明を、守りたい」
希望は。
「あたしを愛してくれた輝明を、守りたい」
それは―――愛。
「輝明―――あなたを失くす以外、もう何も恐くない。だから、あなただけはあたしが守る」
「例え、人間を捨ててでも」
都子が立ち上がると同時に、泉から再び蛙の魔女が浮上する。
「時間ギリギリ、だね。大丈夫、契約は一瞬で終わるよ―――」
キュゥべえの長い耳が、触手のように都子の身体に絡まっていく。
それを輝明は、愕然と見上げる他なかった。
「み、都子…!」
「輝明…あたし、魔法少女になる。学校の皆には、ナイショだよ?」
悲しげに、泣きながら笑って。
「ねえ…輝明は、あたしが人間やめても…あたしの事、好きでいてくれるかなぁ?」
「…好きだ。都子がどうなろうとも、俺の気持ちは変わらない…でも…やめろ。俺の為、なんて理由で…魔法少女に
なんか…」
「じゃあ、どうするんだい、輝明」
キュゥべえは、非情な事実を告げる。
「こうしないとキミはおろか、都子まで死ぬよ。こうするしかないんだよ、こうするしか。代案もないのに感情でモノを
言うのはやめてほしいな」
「くっ…!」
事ここに至って、輝明は黙るしかなかった。そうしている間にも、蛙の魔女が、迫る。
「さあ…新たなる魔法少女の誕生だ。どうぞ、御覧あ―――」
「御覧になるかぁ、んなモンッッッ!」
瞬時―――蛙の魔女の巨体が、吹き飛ばされていた。
そして、今まさに都子と契約しようとしていたキュゥべえの耳がたおやかな手で引っ掴まれる。
「キュゥべえよ…テメェ、ちょっとふざけすぎだぜ」
そして、投げ飛ばされる。
「キュウっ!?」
キュゥべえは意外に可愛い悲鳴を上げて、受身を取る。
都子と輝明は突然の事態の急変に、目を丸くする。
彼らの眼前には、彼女が。
鮮烈なまでに赤い、彼女が。
「…ガラじゃねえけどな。ここは一つ、あたしが仕切らせてもらうよ―――!」
一陣の風、烈火の如き紅を纏いて。
緋色の閃光、暗闇を切り裂いて。
真紅の魔法少女が―――
佐倉杏子が、立っていた。
その姿はまさに、死地に降り立った戦乙女(ヴァルキュリア)。
「きょ…杏子」
「危なかったねー、怖かったねー、都子。よしよし」
軽い調子で言ってのけ、都子に抱きつき肩をポンポンと叩く。
「とまあ、冗談はこれくらいにして…」
倒れた輝明。彼に寄り添う都子。そして、キュゥべえ。
彼らの姿を見て、杏子は全てとはいかずとも、大方の事情を察したようだった。
「はん…要するに、大体キュゥべえのせいだな」
杏子に睨まれても、キュゥべえは素知らぬ顔だ。舌打ちして、杏子は蛙の魔女に向き直る。
魔女は既に体勢を整えて、再び襲い掛かろうと、大きく開いた口からボタボタと唾液を零している。
杏子は、怖れない。そして、怯まない。
得物である槍を凛々しく構えて、不敵に笑う。
そして、高らかに言い放った。
「都子―――あんたの願いも祈りも想いも希望も愛も、あたしが穢させない」
「今回だけは自分じゃない、誰かの為に戦ってやる―――だから」
―――魔法少女みやこ☆マギカ
―――第四話
―――「全部、あたしに任せとけ」
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