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「モノノ怪~ヤコとカマイタチ~ 56-1」(2008/04/26 (土) 22:27:32) の最新版変更点
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5
急に薬売りに剣を向けられ女将は小さく悲鳴を上げた。
へたりこんでいるその傍には大きく喉の裂けた主人と中村が身じろぎもせず転がっている。
「さあ。あんたの『真(マコト)』と『理(コトワリ)』を」
「わ、わわ私は何も」
おろおろと女将は言う。薬売りはただ静かに見つめている。
桂木弥子はなんとなく居た堪れなくなった。
ヤコが見る限りこの女将は典型的な「善人」である。
犯罪に憤り世の中の不幸に嘆く、「ごく普通」の一般人だとしか思えない。
そして何よりあんな美味しいご飯を作るのに悪い人間がいるわけがない、とヤコは思う。
一瞬コンソメスープの達人が頭をよぎった気もしたが、ヤコは気にしないことにした。
「たたしかに火事は見ましたけど、本当にそれだけで」
りん。
女将から少し離れたところにある天秤が傾く。物の怪の位置を示す、小さな天秤である。
「ひッ……私が見たときには本当に火が凄くて」
りん。りん。
少し近づいたところに有った天秤が傾く。
「た、助けに入れっていうんですか?む無理だわこんなおばさんが」
りんりんりん。天秤の傾く音は近づくばかりだ。
「仕方ないわ!こんなおばさんに何が出来たって言うんですか―――」
女将が喚いたその瞬間、どこからか声が響いた。
『無理心中ですってよ可哀相―――』
『お母さんも子供まで巻き添えにしなくてもねえ可哀相―――』
『本当に凄い火だったのよカワイソウ―――』
『なんか子供たちの声も聞こえてねえ、熱いようとかお母さんとか言っててねえ、もうカワイソウ―――』
『カワイソウカワイソウカワイソウ―――』
それは倒れた主人と中村の口から女将の声で漏れ出ていた。
「や、ヤコ」
「うん……」
ヤコは叶絵と握っていた手に力を込める。叶絵は目を強くつぶっていた。
「善良」な一般人の声は延々と続く。
「なんなのよ!あたし何もしてないじゃない!」
一つ、また一つと傾き近づいてくる天秤、そして主人と中村の口から漏れる自分の声。
女将はそこから逃れるようによろよろと後ずさった。……背後は襖である。
「酷いわ!―――あんなに」
襖に手をかけ、女将は喚く。
「―――あんなに同情してあげたのに!」
ヤコは見た。
襖を開けると同時に崩れ落ちる女将、そしてその向こうには光る目のようなものが三対と闇が渦巻いていた。
「薬売りさん、さっきから不思議だったんですけど」
再び襖を一閃して閉め、静かに佇んでいる薬売りにヤコは問いかけた。
「なぜこのモノノケはかまいたち……兄弟達なんでしょう」
薬売りはヤコに目を向ける。しっかりと目をつぶっていた叶絵もヤコを見た。
「や、ヤコ何言ってんの」
「だって、火事でお母さんと子供が三人亡くなったんでしょ?
心中事件で、でもお母さんは最後は子供を助けようとして覆いかぶさってたって安藤さんの新聞で読みました。
モノノケって、よく分からないけど亡くなった人達のなんらかの想いが高じて成るものなんでしょ?
だったら……何でお母さんじゃなくて子供たちなんでしょうか?
話を聞く限りお母さんの方が色々な想いがありそうなのに、
―――子供たちの方が想いが強いのはなんでなんだろう」
「ほう?」
薬売りは興味を持ったのかヤコに向き直る。そして握っていた退魔の剣を示した。
「まだこの退魔の剣は『形』しか得ていない。
あと『真(マコト)』と『理(コトワリ)』が揃わねば退魔の剣は抜けぬ。
『真』とは事の有様、『理』とは心の有様。
ヤコさん―――あんたは『真』を示せるようだ」
「そんな大層なものじゃないけど」
こちらを真っ直ぐ見据えている薬売りから視線を外してヤコは考える。
勿論ヤコは母親になったことなどないので想像しか出来ないけれど、
少なくとも母親というのは子供を大切に思うものだということくらい知っている。
ヤコの母親はヤコをとても愛してくれているし、
母親がヤコを思う気持ちというのは、きっとヤコが母親を思う気持ちより大きいのだと思う。
勿論中にはそうではない母親も居るのだろうけれど、
子供たち覆いかぶさっていたというならば子供たちを大切に思っていないはずは無い。
なのにその母親よりも子供たちの方が強い思いを抱くような何かがあるというならば。
「きっと前提から違うんだ……」
ヤコは考える。
今まで会った全ての人、全ての事件、全ての想い、そういうものがヤコの中に蓄積されている筈だ。
それを全て出すべく、ヤコはひたすら考える。
「前提……火事?これは間違えようがないし……原因、心中?心中事件が間違い……?」
かたり、と僅かに退魔の剣の狛犬もどきが動いたことをヤコは気がつかない。
「心中じゃないんだ、本当は……子供たちの想いが強く残っているなら―――原因は子供たちなんだ」
外の風のうねりが一層増していることにヤコは気がつかない。
「幼い子供たちが原因で火事が起きたなら……心中じゃない、事故なんだ」
僅かに動いている退魔の剣とヤコを見比べていた薬売りは薄く笑った。
そして剣を襖へと突き出す。
「それがお前の、『真』か」
かちん。
退魔の剣の狛犬もどきが再び歯を合わせた。
〈続く〉
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