昼は武士たちの苦情処理、夜は街の巡回。激務ではあるが、間違いなくそれが人々を
救っているということが実感できる。大和は今まで、強者と戦って己の武技を磨くこと
しか考えていなかったが、こういう生き方もあるのかと新鮮な感動を覚えていた。
たまに戦地の正成から手紙が届いたり、尊氏や師直とささやかな宴会をしたり。街も
少しずつだが平和を取り戻しているし、大和は充実した日々を送っていた。
そんなある夜。いつものように大和は街の巡回をしていたが、
「! な、何だ!?」
異様な気配を感じ、足を止めた。
どこかで感じたことのある底知れぬ妖気。まるで人ならぬ者、鬼か魔物のよう。そんな
奴が、誰かと戦っている。そいつも並の腕ではなさそうだが、正直言って勝ち目は……
『ん? この感じ……あ、足利さんだっ!』
大和は顔色を変えて駆け出した。
救っているということが実感できる。大和は今まで、強者と戦って己の武技を磨くこと
しか考えていなかったが、こういう生き方もあるのかと新鮮な感動を覚えていた。
たまに戦地の正成から手紙が届いたり、尊氏や師直とささやかな宴会をしたり。街も
少しずつだが平和を取り戻しているし、大和は充実した日々を送っていた。
そんなある夜。いつものように大和は街の巡回をしていたが、
「! な、何だ!?」
異様な気配を感じ、足を止めた。
どこかで感じたことのある底知れぬ妖気。まるで人ならぬ者、鬼か魔物のよう。そんな
奴が、誰かと戦っている。そいつも並の腕ではなさそうだが、正直言って勝ち目は……
『ん? この感じ……あ、足利さんだっ!』
大和は顔色を変えて駆け出した。
『ふふふふっ。ほんのつまみ食いのつもりでしたけど、こうまで美味しいとは』
夜空に、キラキラ光る白刃が舞う。勇によって蹴り折られた尊氏の刀が、月光を受けて
回転しながら舞い上がる。
尊氏は柄だけになった刀を迷わず捨て、正中線を守る形で両掌を縦に連ねて構えた。
その構えを見て、対峙する勇は嬉しそうに言う。
「どうやら、あれからも鍛錬は怠っていないようですね。結構結構」
「なぜ、私を……お前は一体?」
尊氏は覚えている。かつて、山中でたった一度だけ戦ったことのあるこの少女のことを。
「あの時、申しましたでしょう? 私にとっては食欲も性欲も殺傷本能も同じようなもの。
幾度も、幾度も、多くの相手と試してみれば貴方にも解りますわ。戦場で相手を
傷つけることと、閨で相手に快感を与えることは表裏一体……戦いと情交はそっくり
なのだ、と。残念ながら、貴方には傷つける方しか味わわせて差し上げられませんが」
言うが早いか、勇が疾風のように踏み込んできた。尊氏はとっさにかわす。頬を切られて
血が滲んだ。慌てて体を沈める。肩口を衝撃が掠めて内出血を起こした。
それもこれも、全く見えない。突きか蹴りかさえ判らない。殺気から先読みしているだけだ。
蜂の大群のように襲ってくる、錐のように鋭く、斧のように重く、風のように見えぬ攻撃。
「……そこだっ!」
人間の動体視力では捕らえきれない、目視できない勇の攻撃に、尊氏は手を出した。
拳だか脚だかは知らないが、とりあえず「自分を殺そうと飛んでくる何か」に掌を添えて
受け流し、投げ飛ばす。
どうやら脚だったらしく、勇の体が後方に傾いた。が、同時に尊氏の腹を猛烈な衝撃が
襲う。……寺の鐘に縛り付けられ、鐘の代わりに腹を打たれたら、こんな感じだろうか。
「足は二本あるのですよ。成長したかと思いきや、どうやらわたしの買い被りでしたか?
せっかく、初対面の時と重ね合わせて差し上げましたのに」
そんな勇の言葉を耳に入れる余裕などなく、尊氏は血と胃液と唾液の混合液を
吐き散らしながら吹っ飛び、勇は優雅に降り立った。
が、尊氏も倒れはしない。唇をぬぐいながら、辛うじて自分の足で地に踏みとどまる。
「もう一度聞くぞ……なぜ、私を狙う……幕府の残党……刺客……か?」
息を切らしながらの尊氏の声。ふう、と勇は溜息をつく。
「この状況でそんなことを訊くのですか。貴方らしいというか」
「こ……こ、答えろ!」
「はいはい。では、冥土のお土産としてお聞かせ致しま、っと」
言いながら、勇は尊氏の肩越しに飛んできた矢を掴み取った。尊氏が振り返ると、
後方から馬に乗った師直が、弓を構えて駆けてきていて、
「殿おおぉぉっ! ご無事ですかっ!」
揺れる馬上から二本目の矢を射た。が、またも平然と勇に掴み取られる。
「ふむ。速さも精度もなかなかのものですね。さすがは足利家の執事。が、甘い」
勇は矢を、無造作に投げ返した。それは師直が弓を使って射たものよりも遥かに
鋭く重く速く飛翔し、瞬く間もなく馬上の師直の肩に深々と突き刺さり、そのまま
その威力で師直を突き落としてしまう。
師直は呻きながら肩口を押さえ、落馬した。尊氏が駆け寄って支え起こすが、矢は
半分以上めり込み埋まっており、肉を貫通して骨まで食い込んでいるのは確実だ。
苦痛に脂汗を浮かべながら、師直は矢を掴み、そして強引に引き抜き捨てた。歯を
食い縛って立ち上がり、刀を抜く。
「ぐくっ……と、殿っ、お逃げ下さい。ここは拙者が」
たった一撃で立つこともままならなくなった師直だが、尊氏を庇って勇の前に立つ。
「ふふっ。健気なことですね。ではお望み通り、主君の盾となって死した忠臣という名誉を
差し上げましょう。美味しい尊氏様を喰らうことができず欲求不満に思っていたところ、
丁度よい代用食です」
「何?」
「おっと、これは口が滑りました。忘れてください。もっとも貴方は今、死にますけどね。
……と言いたいところですが、」
勇は、ぺこりと頭を下げた。
「注文してもいないのに、代用食その二が到着したようです。わたしは本当に運がいい」
勇は深々とお辞儀して、地面に左手を着いた。代わりに右足を跳ね上げる。逆回し蹴りの
体勢だ。するとその足に、隕石のように降ってきた何かが激しく衝突した。
それは、衝突の反動……勇の蹴りと自身の蹴りとのぶつかり合い……で弾き返され、
宙で三回転ほどしてから塀の上に降り立った。そして心配そうな声を飛ばす。
「足利さん、高さん、大丈夫っ!? いや、オレが来たからにはもう大丈夫だよ!」
大和だ。塀の上から、びしっ! と勇を指差して叫ぶ。
「そこのお前! お前が何者かは知らないが、足利さんたちは今、後醍醐帝の新政府を
固める為に、平和な世を創る為に毎日頑張ってるんだ! それを邪魔するなら……って」
大和が指差しているのは、真白い肌と血の色の髪、そして真紅の衣を纏った美しい少女。
人ならぬ者の血が混じっていると恐れられる、半魔の少女だ。
「お前は……後醍醐帝を救出に行った時に隠岐で会った……確か護良親王の臣下の?」
「そういう貴方は、楠木様の。今は足利様のお手伝いですか? ご熱心なことですね」
「ちょ、ちょっと待てよ。なんでお前が、足利さんを狙う? 護良親王って、後醍醐帝の
実の息子なんだろ? それがどうして、後醍醐帝の為に働いてる足利さんを」
事態を察して動いたのは、師直だった。肩の痛みをムリヤリ無視して、刀を振るって
勇に襲い掛かる。
勇はそれを大きく跳び退いてかわし、
「おお怖い。さすがに、これほどの猛者が三人がかりとなると分が悪いですね。
仕方がないので退散するとしましょう。では、御機嫌よう」
あっけないほど簡単に、一目散に勇は逃げ出した。脱兎の速さであっと言う間に見えなく
なる。師直は追おうとするがやはり傷が痛み、大和は事態が理解できず、そして尊氏は、
「む、陸奥殿。今のは……嘘、冗談、人違い、そのいずれか?」
「え。いや、間違いないよ」
よっ、と塀から跳び降りた大和が尊氏に言う。
「さっきも言った通り、あいつは護良親王の臣下。後醍醐帝の救出に行くくらいだから、
かなり信頼されてるんだろうな。実際、腕も立つ奴だし。それにしてもどうして、」
「陸奥殿っ!」
勇の追跡を諦めた師直が、大和の肩を思い切り掴んだ。
「貴殿の申されるのが事実とすれば、これは由々しき事態! 直ちにしかるべき処置を
取らねばなりません! さもなくば、いつまた殿が狙われることか!」
「確かに、あいつがまた襲ってくるとなると危険だね。できれば帝に直接相談して」
「それは流石に無理でござろうが、新政府に訴えることならできますぞ。さ、行きましょう」
と二人が歩き出すと、尊氏が立ちはだかるようにして止めた。
「ま、待て師直。これは何かの間違いとか……陸奥殿、本当の本当に、今の娘が
護良親王の臣下なのか?」
「ほんとだってば。あんなバケモノ女が、天下に二人といるはずない。間違えっこないよ」
「殿! 護良親王が殿を危険視していたということは、前々から拙者が申し上げて
おりましたでしょう! ことここに到って、何を戸惑うことがありましょうや!」
「しかし……そんな……」
「今は悩んでいる場合ではありません! さあ陸奥殿、一緒に来て下され!」
「あ、うん。けど高さん、傷の手当は」
「拙者のことなどどうでも良いのですっ!」
大和は、半ば引きずられるようにして師直に連れて行かれた。
残された尊氏は、沈痛な顔で佇んでいる。信じたくないが、しかし事実は事実、むしろ
来るべきものが遂に来たというだけだ、だが来て欲しくなかった今日という日……
「帝……私は……」
夜空に、キラキラ光る白刃が舞う。勇によって蹴り折られた尊氏の刀が、月光を受けて
回転しながら舞い上がる。
尊氏は柄だけになった刀を迷わず捨て、正中線を守る形で両掌を縦に連ねて構えた。
その構えを見て、対峙する勇は嬉しそうに言う。
「どうやら、あれからも鍛錬は怠っていないようですね。結構結構」
「なぜ、私を……お前は一体?」
尊氏は覚えている。かつて、山中でたった一度だけ戦ったことのあるこの少女のことを。
「あの時、申しましたでしょう? 私にとっては食欲も性欲も殺傷本能も同じようなもの。
幾度も、幾度も、多くの相手と試してみれば貴方にも解りますわ。戦場で相手を
傷つけることと、閨で相手に快感を与えることは表裏一体……戦いと情交はそっくり
なのだ、と。残念ながら、貴方には傷つける方しか味わわせて差し上げられませんが」
言うが早いか、勇が疾風のように踏み込んできた。尊氏はとっさにかわす。頬を切られて
血が滲んだ。慌てて体を沈める。肩口を衝撃が掠めて内出血を起こした。
それもこれも、全く見えない。突きか蹴りかさえ判らない。殺気から先読みしているだけだ。
蜂の大群のように襲ってくる、錐のように鋭く、斧のように重く、風のように見えぬ攻撃。
「……そこだっ!」
人間の動体視力では捕らえきれない、目視できない勇の攻撃に、尊氏は手を出した。
拳だか脚だかは知らないが、とりあえず「自分を殺そうと飛んでくる何か」に掌を添えて
受け流し、投げ飛ばす。
どうやら脚だったらしく、勇の体が後方に傾いた。が、同時に尊氏の腹を猛烈な衝撃が
襲う。……寺の鐘に縛り付けられ、鐘の代わりに腹を打たれたら、こんな感じだろうか。
「足は二本あるのですよ。成長したかと思いきや、どうやらわたしの買い被りでしたか?
せっかく、初対面の時と重ね合わせて差し上げましたのに」
そんな勇の言葉を耳に入れる余裕などなく、尊氏は血と胃液と唾液の混合液を
吐き散らしながら吹っ飛び、勇は優雅に降り立った。
が、尊氏も倒れはしない。唇をぬぐいながら、辛うじて自分の足で地に踏みとどまる。
「もう一度聞くぞ……なぜ、私を狙う……幕府の残党……刺客……か?」
息を切らしながらの尊氏の声。ふう、と勇は溜息をつく。
「この状況でそんなことを訊くのですか。貴方らしいというか」
「こ……こ、答えろ!」
「はいはい。では、冥土のお土産としてお聞かせ致しま、っと」
言いながら、勇は尊氏の肩越しに飛んできた矢を掴み取った。尊氏が振り返ると、
後方から馬に乗った師直が、弓を構えて駆けてきていて、
「殿おおぉぉっ! ご無事ですかっ!」
揺れる馬上から二本目の矢を射た。が、またも平然と勇に掴み取られる。
「ふむ。速さも精度もなかなかのものですね。さすがは足利家の執事。が、甘い」
勇は矢を、無造作に投げ返した。それは師直が弓を使って射たものよりも遥かに
鋭く重く速く飛翔し、瞬く間もなく馬上の師直の肩に深々と突き刺さり、そのまま
その威力で師直を突き落としてしまう。
師直は呻きながら肩口を押さえ、落馬した。尊氏が駆け寄って支え起こすが、矢は
半分以上めり込み埋まっており、肉を貫通して骨まで食い込んでいるのは確実だ。
苦痛に脂汗を浮かべながら、師直は矢を掴み、そして強引に引き抜き捨てた。歯を
食い縛って立ち上がり、刀を抜く。
「ぐくっ……と、殿っ、お逃げ下さい。ここは拙者が」
たった一撃で立つこともままならなくなった師直だが、尊氏を庇って勇の前に立つ。
「ふふっ。健気なことですね。ではお望み通り、主君の盾となって死した忠臣という名誉を
差し上げましょう。美味しい尊氏様を喰らうことができず欲求不満に思っていたところ、
丁度よい代用食です」
「何?」
「おっと、これは口が滑りました。忘れてください。もっとも貴方は今、死にますけどね。
……と言いたいところですが、」
勇は、ぺこりと頭を下げた。
「注文してもいないのに、代用食その二が到着したようです。わたしは本当に運がいい」
勇は深々とお辞儀して、地面に左手を着いた。代わりに右足を跳ね上げる。逆回し蹴りの
体勢だ。するとその足に、隕石のように降ってきた何かが激しく衝突した。
それは、衝突の反動……勇の蹴りと自身の蹴りとのぶつかり合い……で弾き返され、
宙で三回転ほどしてから塀の上に降り立った。そして心配そうな声を飛ばす。
「足利さん、高さん、大丈夫っ!? いや、オレが来たからにはもう大丈夫だよ!」
大和だ。塀の上から、びしっ! と勇を指差して叫ぶ。
「そこのお前! お前が何者かは知らないが、足利さんたちは今、後醍醐帝の新政府を
固める為に、平和な世を創る為に毎日頑張ってるんだ! それを邪魔するなら……って」
大和が指差しているのは、真白い肌と血の色の髪、そして真紅の衣を纏った美しい少女。
人ならぬ者の血が混じっていると恐れられる、半魔の少女だ。
「お前は……後醍醐帝を救出に行った時に隠岐で会った……確か護良親王の臣下の?」
「そういう貴方は、楠木様の。今は足利様のお手伝いですか? ご熱心なことですね」
「ちょ、ちょっと待てよ。なんでお前が、足利さんを狙う? 護良親王って、後醍醐帝の
実の息子なんだろ? それがどうして、後醍醐帝の為に働いてる足利さんを」
事態を察して動いたのは、師直だった。肩の痛みをムリヤリ無視して、刀を振るって
勇に襲い掛かる。
勇はそれを大きく跳び退いてかわし、
「おお怖い。さすがに、これほどの猛者が三人がかりとなると分が悪いですね。
仕方がないので退散するとしましょう。では、御機嫌よう」
あっけないほど簡単に、一目散に勇は逃げ出した。脱兎の速さであっと言う間に見えなく
なる。師直は追おうとするがやはり傷が痛み、大和は事態が理解できず、そして尊氏は、
「む、陸奥殿。今のは……嘘、冗談、人違い、そのいずれか?」
「え。いや、間違いないよ」
よっ、と塀から跳び降りた大和が尊氏に言う。
「さっきも言った通り、あいつは護良親王の臣下。後醍醐帝の救出に行くくらいだから、
かなり信頼されてるんだろうな。実際、腕も立つ奴だし。それにしてもどうして、」
「陸奥殿っ!」
勇の追跡を諦めた師直が、大和の肩を思い切り掴んだ。
「貴殿の申されるのが事実とすれば、これは由々しき事態! 直ちにしかるべき処置を
取らねばなりません! さもなくば、いつまた殿が狙われることか!」
「確かに、あいつがまた襲ってくるとなると危険だね。できれば帝に直接相談して」
「それは流石に無理でござろうが、新政府に訴えることならできますぞ。さ、行きましょう」
と二人が歩き出すと、尊氏が立ちはだかるようにして止めた。
「ま、待て師直。これは何かの間違いとか……陸奥殿、本当の本当に、今の娘が
護良親王の臣下なのか?」
「ほんとだってば。あんなバケモノ女が、天下に二人といるはずない。間違えっこないよ」
「殿! 護良親王が殿を危険視していたということは、前々から拙者が申し上げて
おりましたでしょう! ことここに到って、何を戸惑うことがありましょうや!」
「しかし……そんな……」
「今は悩んでいる場合ではありません! さあ陸奥殿、一緒に来て下され!」
「あ、うん。けど高さん、傷の手当は」
「拙者のことなどどうでも良いのですっ!」
大和は、半ば引きずられるようにして師直に連れて行かれた。
残された尊氏は、沈痛な顔で佇んでいる。信じたくないが、しかし事実は事実、むしろ
来るべきものが遂に来たというだけだ、だが来て欲しくなかった今日という日……
「帝……私は……」