・・・なんであんな夢見たんだろう。
ユージくんがあたしに向かって、結婚しよう、だなんて。
そんなわけで、あたしは朝から妙な気分だった。食事もほとんど喉を通らず、お父さんに心配されてしまったほどだ。
朝はちゃんと食べないとまずい。まして朝練がある日は尚更だ。
けれどどうしても箸が進まずに、結局半分以上残してあたしは家を出ることにした。お父さんの声も実のところあんまり聞こえていなかった。
家の門を出てすぐに、
「おはよう、タマちゃん」
別段示し合わせたわけでもないのに、毎朝必ずここで合流するユージくんと、今日もいつものように鉢合わせた。
それはまったくいつものこと、だったはずなんだけど。
「お、おはようユージくん」
あたしはなぜかどもってしまった。脳裏には、嫌でも夢で見た光景が甦る。
あたしの様子にユージくんは一瞬だけ疑問符を顔に出して見せたけれど、すぐに気を取り直したみたいだった。
やっぱりいつも通りに、並んで学校へと向かう。
・・・けれど、あたしの口数は明らかにいつもより少なかった。というか、まともにユージくんの顔を見られなかった。
ユージくんはそんなあたしを気にしてちらちらとこっちを見ていたけれど、深く突っ込んではこなかった。
・・・練習が始まっても、なんだか気が乗らなかった。
一言で済ませれば、ぼーっとしていたのだ。
流石に他のみんなも気付いたらしく、練習が終わった後の更衣室で、詰め寄られてしまった。
「タマちゃんどうしたの? なんか今日ヘンだよ?」
「そうそう。心ここにあらずって感じだよ?」
先輩達に聞かれても、答えようがなかった。だって他でもない、あたしがよくわかっていないのだ。
あたしが黙っていると、
「タマちゃん・・・ユージくんとなんかあった?」
宮崎さんがずばりと指摘してきたので、あたしは思わずえっと声を上げてしまった。
・・・どうしてわかったんだろう。なんにも言ってないのに。
疑問が顔に出ていたのか、宮崎さんは「やっぱりね」とでも言いたげな表情で、
「だってタマちゃん、ずーっとユージくんの方ばっかり見てたじゃない。先生と打ち合ってた時も」
・・・そうだったろうか。よく憶えてない。
「どゆこと? タマちゃん、ユージくんとどしたの?」
目を輝かせてキリノ先輩が身を乗り出してくる。桑原先輩もだ。
宮崎さんも似たような表情でこっちを見ているし、東さんだけはなにも言ってこなかったけど、聞きたそうな顔をしているのは他の三人と一緒だった。
・・・あたし自身、よくわかっていないのだ。ここは他の人の意見を仰いだ方がいいのかもしれない。
「あの、実は・・・」
夢の内容を話し終えると、みんなはなんだか呆気に取られていた。
意見を聞かせてもらおうと思っていたあたしは、しばらくみんなの様子をうかがっていたけれど、一向に口を開く気配がないので、
「あ、あの、どう思いますか?」
こっちから聞いてみた。
キリノ先輩と桑原先輩が顔を見合わせて、
「どう思うって・・・」
「そりゃ、ねえ?」
「うん。答えは一つしかないと思うんだけど」
なんだか曖昧な返答だった。
どういうことだろう。一つしかないなら、それを教えてほしいのに。
「えーっと、タマちゃん。ちょっと聞きたいんだけど」
宮崎さんが疲れたような表情で言ってくる。その隣ではなぜか東さんが顔を赤くしていた。
「その夢の中で、タマちゃんなんて答えたの? ユージくんの、その・・・プロポーズに」
・・・なんて答えたんだっけ。
いや、確かあたしはなにも言わなかった。というか言えなかった。
顔が真赤になってるのを自覚しつつ、ただ黙って頷いただけだ。
つまり・・・ユージくんの言葉に、応じたのだ。
それを思い出した瞬間、あたしは顔が熱くなるのを理解した。
「うわあ・・・これは」
「実にわかりやすいリアクションだねー」
「あー・・・もういいわ。聞かなくてもわかったから」
あたしの表情ですべてを察したのか、先輩達は急にニヤニヤと頬を緩ませた。宮崎さんはやっぱりどこか呆れたような顔で、東さんもやっぱり顔を赤くしている。
桑原先輩がぽんとあたしの肩を叩き、
「まあ、そのうち現実になるだろうから、その日まで待ってればいいんだよタマちゃん!」
「えー? ユージくんだよ? これはむしろタマちゃんの方から言うべきだっていう天からのお告げじゃない?」
「・・・まあ掻い摘んで言えば、無意識の願望ってところだと思いますけど」
「ゆゆユージくんもタマちゃんも、大胆なんですね・・・」
口々に言ってくるけれど、あたしはろくに返事もできなかった。
練習が終わって、教室に向かう途中で。あたしは先輩達に言われたことを思い返していた。
・・・正直、結婚なんて考えたこともない。しかもそれがユージくんと、だなんて。
それはきっとユージくんも同じだろうし、お互いそういうふうに見たことなんてない、と思う。
確かにあたしとユージくんは小さい頃からずっと一緒にいるし、他の誰よりも親しい間柄なのかもしれないけど・・・それだけに、ユージくんとそういう関係になるっていうのは、考えにくかった。
でも。
じゃあ他の誰かと、と考えると・・・今度はもっとぴんと来なかった。
自分が誰か男の人と並んでいる姿を思い浮かべようとすると、なにをどう頑張ってもそれがユージくんにしかならないのだ。
あたしは考え方を変えることにした。
いわゆる、恋人同士、という肩書きから連想しようとすると違和感が生じるのだ。なにか、他の言葉はないだろうか。
・・・そうしたら、すぐにしっくり来るのが浮かんだ。
夫婦。
そうだ、これなら。今のあたしとユージくんの関係と、そんなに大差ない気がする。
あたしの隣にユージくんがいて、ユージくんの隣にあたしがいる。それはもうとっくに当たり前のことだし、そんな関係に一番適した言葉を当てただけなんじゃないだろうか。
つまり、今まで通り。
なにを変えようと意識する必要もない。これまでと一緒だ。
ようやく納得できたところで、
「そういえば・・・今日、懐かしい夢見ちゃったんだ」
隣を歩いていたユージくんがそんなことを言ってきた。
「夢?」
「うん。いつだったかな・・・椿さんが出てきたから、きっと幼稚園くらいの頃だと思うんだけど」
「お母さんが? どんな夢だったの?」
あたしが聞くと、なんだかユージくんは可笑しそうに、
「俺とタマちゃんで、結婚式ごっこやってる夢。ずっと忘れてたけど、そういえばそんなこともあったなあって」
・・・・・・えっ?
ユージくんの言葉に、あたしは言葉を失っていた。
言われてみれば・・・確かに、そんなことをやったような気がする。
まだあたしのお母さんが生きていた頃。あたしとユージくんで、結婚式の真似事みたいなことを。
その時に・・・ユージくんがあたしに言った言葉が。
(たまちゃん、けっこんしよう)
えっと・・・じゃあ今朝のあれは、単に昔の記憶をなにげなく夢に見ただけ?
別に変な意味も特別な意味もなくて、もちろん願望とかそんなものでもなくて。
「確か、椿さんがやたら喜んでたような・・・うろ憶えなんだけどね」
ユージくんの言葉も耳に入ってこなかった。
あたしはそのまま、ユージくんと別れるまで、一言も発することができなかった。
・・・なんだか、骨折り損をしたような気分だ。
最終更新:2008年04月25日 23:20