日本人民軍(にほんじんみんぐん 英:Japan People Army 独:Japan Volksarmee)とは、真北の大冒険に登場した架空の民兵組織。
平盛17年、日本はデイン帝国の侵略を受け、国土を奪われ、自衛隊も機能を失った。そこでデインの隣国であるガロインに亡命した北海道青年剣士団団長の天知駿一が設立し、島田真北と中原脩を含む1000人のガロイン亡命日本人が入隊した。
天知と設立を協力した元自衛官100人が将校となり、3ヶ月という非常に短く高密度な基礎を中心とした訓練で、兵士達は鍛えられていった。
そして4月27日、日本上陸作戦を開始する。装備は中国軍からの援助でまかなわれ、5月1日に敦賀に上陸、激戦区大津へと向かい、堅田砲台を陥落し、ついに大津基地へと乗り込んでは陥落し、デイン戦争終結をほぼ決定的にした。
デイン帝国国王アシュナードの息子であるアシュナード2世は、デインの敗戦直前に日本海沖のとある島に島流しにされ、そこで世界政府という謎の組織を立ち上げてしまう。そしてその世界政府の魔の手が日本に伸びていく。
デイン戦争が終結して間もない平盛18年6月、世界政府は旧デインのお下がりのH-55Φで東京を爆撃。それに今後の危機感を覚えた天知は第2期日本人民軍を立ち上げる。
第2期日本人民軍の基地は京急三崎口駅の近くに位置していた。星川弘も入隊し、彼は真北をも超える手榴弾の遠投能力を見せつける。
8月、世界政府は日本本土上陸を断行。それを聞いた天知はすぐに東京、横浜の沿岸に兵を待機させる。ちなみにこのときに使われた移動手段は京急2100形。
世界政府は民間での運用が頓挫した高速客船TSLを軍用に改造し、上陸作戦を展開。しばらくして黒服の魔術師の妖術で真北は戦闘不能にされ、形勢が世界政府に傾く。さらにH-55Φ数機による追い討ち攻撃で日本人民軍は壊滅。真北、中原、星川はともに戦傷してしまった。
平盛22年12月、京都、山科、大津の3駅で相次いで通り魔事件が発生。更にある琵琶湖線の車掌にアシュナード2世による声明文が届けられた。世界政府はフェニックスと名を改め、再び活動を開始したのである。
それからしばらくして、海上自衛軍は護衛艦を太平洋沖に派遣し、フェニックスの本部島を見つけ出すが、その護衛艦は撃沈されてしまう。この後、米中両軍も太平洋沖を調査するが、フェニックス本部島近海で相次いで艦船が消息を絶ってしまう。
それから真北と天知の会談で、第3期日本人民軍を発足することになった。相本由香、高城麗奈が新加入し、後から一関智子、中原誠も入隊した。
今期の作戦は、フェニックス本部島を制圧することであったが、まずは米軍がブラックアイヌ団からろ獲した貨客戦艦ドレッドノートを譲り受け、それに上陸要員となる突撃隊、艦内から突撃隊を援護する後方隊、連絡役の電信隊と、自衛軍から衛生科を乗せ、本部島へと移動する。本部島が近くなったところで突撃隊は上陸用舟艇として漁船に乗り、本部島に上陸するという戦法が採用された。
また、第3期日本人民軍の基地は琵琶湖の沖合の人工島で、後に鬼神島と呼ばれ、鬼神軍の本部が建てられるところに位置し、そこからドレッドノートの停泊する横須賀まではN700のぞみで移動したという。ちなみに名古屋駅は通過。
結果は、天知は戦死し、突撃隊は5割の兵力を失うも、日本人民軍は勝利した。
天知の後任に元アメリカ陸軍師団長のハリー・カークランドが総司令官に就いた。
しかし兵器に関しては未だに諸国からの寄せ集めである。そのうち旧式化してきたら近江鉄道220形のような魔改造を施した兵器でも作るんだろうか。いや、もうできちゃってる。
普段は警備会社という名目で、一部の兵士たちも警備員として働いてる。
構成員は日本人だけにとどまらず、在日外国人も一部所属しているとか。
バトロイ界において日本人民軍だが、メンバーに凡退王子など、凡退に定評のある選手がいることから、「凡退人民軍」と揶揄されている。
ハンター連合に加盟しているため、そうめん連合とは長きにわたって敵対関係にある。一時期ハンター脱退した時代でも、一部の連合会員とは敵対関係にあった。特に今でもそうめん連合からは「ボロクソアーミー」とボロクソ呼ばわりされている。
自衛隊でいう普通科の部隊。
突撃隊の後方に立ち、砲撃や攻撃ヘリで支援を行う部隊。
突撃隊と後方隊との連絡を司り、敵と情報戦を行う部隊。
当然のことながら、彼ら彼女らには個性があり、長所と短所がある。
以下の能力のランキングはいずれも標準兵装のとき。