夏影塚1

東方秋狼記・裏



   その1:僕は、これを見た事がある


 唐突だが、少しだけ時間を戻そうと思う。
 暇を潰しがてら人里をうろうろしていた夏目は今、魔法の森へと向かっていた。
 慣れた様子で案内するのは静流によく似た少女、瑞穂だ。屈託のない笑顔で姉や慧音のことを話す様子はとても微笑ましい。強烈な存在感を放つ静流とは対照的に、とても自然な存在だった。どうして双子がここまで正反対の性格になるのだろうと夏目は首を捻ったが、答えなど出てくるはずもない。それでいて姉妹の仲はものすごく良いらしいのだから余計に不思議なものである。
 夏目はまだ姉妹が一緒にいるところをあまり見ていないのだが、少なくとも彼女の口から出てくる姉の話は意訳すれば「姉はすごい人」という内容に終始している。この世にたった二人の家族ということもあるのかもしれない。
 とはいえ二人の生活はあまりにも違いすぎた。
 姉が各地を走り回っている間、瑞穂は同じくらいの歳の子と遊んでいる。普通に周りの大人に接し、可愛がられて。苦労している静流と比べれば、瑞穂はとても楽しく暮らしているように思えた。
 たしかに静流という少女からはなんというか、品のある凄味のようなものを感じたが、献身的に尽くすようなタイプとはどうしても思えなかった。むしろ王様気質だろう。全てを手に入れようとしているという感じだ。
 そしてそんな人を夏目は知っている。
 こんな日が傾き掛けた時間に魔法の森などという危険地帯に向かっているのは、つまりその人物に会うためなのだ。
 発端は、偶然出会った瑞穂の言葉だった。
「お兄ちゃんによく似た人、わたし会ったことあるよ」
 彼女は突然そう言ったのだ。
 話を聞いて知り合いだと確信した夏目は急遽、瑞穂に連れていってもらう事にしたのだ。妖怪に襲われたらひとたまりもなさそうな瑞穂だが、彼女は妖怪に襲われないための道を知っていた。
 そして人里を出るところで退院した紅染月雲と合流して今に至る。
「あの不思議なお店が香霖堂。面白いものがたくさんあるんですよ?」
 魔法の森のすぐ近くにある怪しい建物を指さして瑞穂は丁寧に説明してくれる。彼女の言葉遣いはほどよく丁寧だ。月雲がいるというのもあるのだろう。なかなかどうして、しっかり者だ。
「あぁ、僕も行ったことがある。不思議な品物があって、参考になるよ」
「月雲先生は彫物師なんだっけか?」
「あぁ、依頼があれば請け負ってるよ。僕も生活費くらいは要るからね」
「でもホントは、月雲先生は絵の方が上手なんですよ」
「そちらは全く売れないがね」
 自嘲気味に苦笑する月雲。
 気難しそうな外見とは対照的に、話してみると彼は物静かだが紳士的な青年だった。まだ二十六歳とは思えないほど落ち着いていて、相手が子どもであろうと真摯に接する事を忘れない。永遠亭でも動けるようになってからは皆に優しく振る舞っていた。
 だが、悪魔憑き、つまりカルネヴァーレになる人間というのは何かしら強い自我の問題や葛藤を抱えていることが多い。そういう制御できない自我が異界に繋がるのだと聞いている。つまり人格者に見える月雲にも制御できないほどの歪みがあるということだ。今は異素である泥蜘蛛を潰されて主導権を取り戻しているが、いずれまた乗っ取られるだろう。
 夏目が月雲を呼んだのは、つまりそれを見極めて制御させるためだった。
「どうして売れないんだ? 絵、上手いんだろ?」
「僕の絵は需要がない、と言えばそこまでだがね。実際、それが答えだと思うよ」
 そう言って月雲は一枚の小さな絵を見せてきた。
 それは湖の鉛筆画だった。手のひらサイズながら、湖の絵で遊ぶ妖精の顔まで徹底的に描き込まれている。なるほどこれは需要が無いのも頷ける。なぜなら、人里は昔ながらの和風建築がほとんどで、こんなものを飾っても似合わないのだ。
 夏目の考えが伝わったのか、月雲は納得したような顔で絵をしまった。
「外の世界ではこういう絵も需要がある事がわかっただけでも十分だ」
「別に外の世界じゃなくても、あると思うぜ。需要くらい」
「それは、どういうことかな」
「今の絵に描いてあった洋館みたいなの。そこに売り込むのはどうよ?」
「お兄ちゃん、それは無理だよ。あの館には悪魔が住んでるから」
「悪魔ねぇ……」
 つまりトンデモパワーを持った妖怪みたいなものだろう、と夏目は勝手に結論付けた。
 それではさすがに無理があるな、と言いたいところなのだが、月雲はすでに普通の人間ではない。夏目の知る限りでは、取り憑いた『悪魔』は消せない。力に持っていかれて化け物になるか、支配してトンデモ能力を身に付けるか。そのどちらかだ。
 永琳がどうやって治療したのかはわからないが、月雲は何かしらの力を持っている。
 もうすぐ魔法の森だ。放っておけば見るときもあるだろう。


 魔法の森は見た感じではいかにも童話に出てきそうな場所で、いつも薄暗い。怪しげなキノコだの何だのが自生する少々じめじめした森だ。ここなら魔女の一人や二人住んでいてもおかしくない。
 入り組んだ獣道を、瑞穂は迷うことなくすいすいと進んでいく。行く手を阻む奇怪なシダもツタも、手にした大振りのナイフでバッサバッサと刈り取ってしまう。そのナイフは光を吸収するような禍々しい黒で、暗黒面とかそういうものが垣間見えるような気がしてならない。
「そのナイフすげぇな」
「それほどでもないですよ」
 にこやかに言う瑞穂は子どもらしい可愛さがあるが、褒められても自慢しない謙虚さからは、なんというか大人びた雰囲気も感じる。だが、その傍らでばっさりとシダを刈る手がいろいろと裏切っていた。
「それっ」
 硬いツタが邪魔をしているところも気合い一発で切り開く。見事なナイフ捌きだ。どうやら瑞穂は可憐な見かけによらず、とてもアクティブな性格をしているらしい。
 奥へ進む途中、月雲が不意に尋ねてきた。
「夏目君。ところで聞いていいかな」
「なんすか?」
「正直に答えてくれ。僕は今、どういう状態なんだ。あのお医者様も時間がほしいと言っていてね、教えてくれなかったんだ。目が覚めるまでのことはうっすらと覚えているんだが……」
「そいつは話が早いな、月雲先生」
 夏目はさらりと軽い調子で知っている事を告げた。今は能力が休眠中であること、乗っ取られないようにするには、自分に決着を付ける必要があること。大雑把に言えば、それだけだ。
 こればかりは自分の問題で、夏目や永琳にどうこうできるものでもない。いや、永琳は薬で心の問題を解決できてしまいそうだが、ドラッグは避けたいところ。
「なるほど、理解はできたよ」
「じゃ、あとは納得するだけだ。納得できずに突き放すから放し飼いになるんだぜ?」
 神妙に頷く月雲に夏目は軽い調子で言った。そうだ、納得できればなんとかなる。一番危ないのは拒絶することなのだから。
 その時、口を挟むこともなく黙って前を歩いていた瑞穂が控えめに言った。
「わたしには事情がよくわからないけど……月雲先生は絵描きさんになるのが夢なんですよね。月雲先生は彫り物がすごく上手で里でも有名だけど、わたしが仕事場に遊びに行くといつも、苦しそうに彫ってました。でもわたしは、彫物師で絵描きさんっていうのも、すごく素敵だと思います。夢と現実を別々に考えなくてもいいんじゃないかな、って」
 歩みを止めることなくぽつぽつと静かに語る瑞穂の言葉を、月雲は最後まで黙って聞いていたが、やがて困ったようにため息をついて頭を掻いた。まいったな、と言葉が漏れた。子どもらしかった瑞穂の背中が、今は姉以上に大人びて見えた。
「えっと、お姉ちゃんの受け売りです」
 しかし次の瞬間、振り返ってはにかむ彼女からは完全に大人っぽさが消えていた。
 得体が知れないのはやはり双子と言うべきか。
「あ、もうすぐですよ、師匠の家」
「師匠?」
「わたしね、大道芸人を目指してるの。それで、芸を教えてもらいに通ってるんです」
 こんなところに住んでいる芸人とはいかなる変人かと想像の翼を広げていると、開けた場所に出た。
 その中央に建っていたのは、瀟洒な西洋風の家だった。シンプルで小綺麗な印象を受ける外観からは、住人の律儀な性格が窺える。庭には花が植えてあり、洗濯物も干されている。その中に女物の可愛らしい下着を発見し、夏目は目を丸くした。魔女という線も考えたが、いやいや、まさか。
「いいのか……あれは」
「うーん、そろそろ取り込まないとシケっちゃうね」
 すでにロレックスの腕時計は三時を指している。夏だからといって、こんな時間まで出しているのは感心できない。だが、ツッコむべき事は決してそこではないはずだ。間違いない。
「その前に無防備すぎるだろあれは……」
「いや、こんなところに人が来るとは思わないだろうさ」
「言いながら何描いてんスか月雲先生よ」
「二度と来れないかもしれないから、今のうちに記録しておくのさ」
 魂に火がついた月雲はまるで別人のように狂気の目をしていて、止まりそうもない。瑞穂はすでに洗濯物を取り込みに掛かっている。勝手知ったるなんとやらだ。
 夏目は諦めて家に近付いた。白い洗濯物が視界から消えてくれないが、些細なことだと信じてドアをノックする。ドアに掛かった金のプレートには『Alice Margatroid』と書かれている。
 すぐにがちゃりと音がした。少し空いた隙間から、冷気がふわっと噴き出してくる。
「……誰? ノックなんて珍しいわね。人間……?」
 中から出てきたのは、まるで西洋人形のように整いきった金髪の美少女だった。青を基調にしたワンピースはそう、まさに不思議の国のアリス。さらに頭には赤いヘアバンドと、まるで絵本の世界から飛び出してきたような容姿だ。この時点で魔女という発想はかき消えていた。どうしてこんなところに住んでいるのか。何か深い事情でもあるのだろうか。体が弱くて療養とか。
 いやいや、見蕩れている場合ではない。
「えーと俺は」
「あぁ、道に迷ったのね。暑かったでしょ? あがっていきなさい」
「あぁいや、そうじゃなくてな」
「……? 何でもいいわ。冷気が逃げるともったいないから、とりあえず入りなさい」
 どうやら夏目が邪魔で他の二人は見えないらしい。しかし見知らぬ男をこうも平然と家に上げるというのはいかがなものかと夏目が思案していると、扉の奥から可愛らしい人形が出てきた。しかもその人形はふわふわと浮いていて、身振り手振りで何かを語り掛けているではないか。
「な、なんじゃこりゃー!」
「どうしたのお兄ちゃん!?」
 夏目の叫びに気付いて瑞穂が駆け寄ってきた。腕いっぱいに洗濯物を抱えて。
 金髪の少女、プレートを見るにアリス=マーガトロイドは眉を跳ね上げ、得心したように微笑んだ。
「あぁ、瑞穂が連れてきたのね。どうりで迷わないわけだ」
「そんなに迷うのか、ここは」
「この魔法の森には人や妖怪を道に迷わせる光の妖精がいるのよ」
「妖精ねぇ」
「ほら、ちょうどお茶の用意もできたから、あがって」
「おじゃましまーす」
「おい、ちょ……っ」
 瑞穂に押されるままに、夏目は涼しいアリス邸に足を踏み入れたのだった。


 涼しい。まるでエアコンが効いているかのようだ。
「たいした事はできないけど、くつろいでいって」
 たくさんの空飛ぶ人形に食器を運ばせながら、にこやかにアリスは言った。
 広い部屋にはさまざまな調度品が雑多に配置されており、棚には本や人形、帽子など、さまざまな雑貨が並べられていた。壁には絵画や鳩時計が掛かり、暖炉まで設置されている。これだけごちゃごちゃしているのに、不思議と綺麗に見えるのはどういう魔法か。
 アリスはこの森に住む魔法使いらしい。人形も彼女が操っているらしいが、どれだけ器用ならそんなことができるのだろうか。考えただけでも目が回りそうだ。
 夏目は動く人形を指さし、向かいに座るアリスに尋ねた。
「もしかして瑞穂に教えてるのって、その人形なのか?」
「まさか。これは人間に扱えるものじゃないわ。教えてるのはもっと簡単な事よ」
「ふぅん。そんなもんか」
 夏目はあっさりと引き下がり、茶菓子に手を付けた。
 あいにく夏目に紅茶の善し悪しは分からないが、手作りのクッキーは夏目が普段食べているものよりも断然美味しい。とは言っても夏目が普段食べるようなクッキーはコンビニで売っているようなものなので、比較するのは失礼というものだ。
 まさに至れり尽くせり。こんなに親切で美人の魔法使いがこの世にいるとは思わなかった。何か忘れている気もするが、今日は来て良かった。竜宮城に招かれた浦島太郎はきっとこんな気分だったのだろう。
 至福に浸る夏目の横では、月雲が無言のまま動き回る人形をスケッチしている。この奇妙な光景を一瞬たりとも逃すものかと目を爛々と輝かせ、目にも止まらぬ速さで鉛筆を動かす姿からは一種のオーラのようなものすら感じる。人形達も心なしか怯えているような素振りを見せている。これもアリスが操っているのか、それとも……
 ぼーっと考えていると、じーっとこちらを見つめるアリスと目が合った。
「あなた、外来人よね。雰囲気がそんな感じ。しかも能力持ちかしら」
「えっ、なんでわかんだよそんな事まで」
「似たようなヤツを知ってるの。顔は全然似てないんだけどね」
「それだッ!」
 雄叫びじみた夏目の叫びに、アリスはびくっと肩を震わせて身を引いた。
 洗濯物や美人や人形やお菓子ですっかり吹き飛ばされていたが、ようやく夏目は自分がここに来た理由を思い出した。
「俺はそいつに会いに来たんだ。そいつってこう、服も心も真っ黒なヤツだろ?」
「そうそう、そんなヤツよ。何考えてるかもわからないし、男か女かも曖昧な。まるで紫みたいだったわ」
「ユカリってのが誰かわかんねぇけど、たぶん間違いない。そいつの名前は」
「カリナ・コクトー」
「ビンゴ! 今どこにいるかわかるか?」
「地底に行くとか言って出ていったわ。ちょうど今朝の話よ」
「え、ちょっとタンマ。ここは地底人なんてのもいるのか?」
「言っておくけど、恐竜帝国とかミケーネ帝国なんてワケわかんない国は無いから。いるのは鬼とか土蜘蛛みたいに、大昔に地上を追われた妖怪たちよ。もちろんゲッター線は効かないわ」
「……そうか」
 何があったのかは聞くまでもなかった。
「地底は地上より危ないって忠告したんだけど、結局行ってしまったわ」
「ま、そうだろうな。それで、どこから地底に行けるんだ?」
「神社の近くとかにわかりやすい穴が開いてるわ。というか、あなたも行く気なのね」
「あいつは無意味な事はしねぇよ。きっと理由があるし、何か重要な事を知ってやがる」
「やけに親しげじゃない。あなた、カリナの友達なの?」
「腐れ縁、もしくは俺のオーナーってとこだ。俺が幻想郷に迷い込む羽目になったのも、元を辿ればあいつのせいだ」
 あの白紙のスペルカードをくれたのは仮名だ。お土産だと言っていたが、騙された。
 夏目はどんな境界でも越えてしまう程度の能力を持っている。だが、越境には『目印』が必要という安全装置も付いている。だからもしスペルカードを持っていなければ、幻想郷に迷い込むこともなかった。
 結論を言えば、夏目は迷い込んだのではなく派遣されたのだ。それも酷く回りくどいやり方で。
「つーか自分も来るならだまし討ちみたいなやり方するなっての。ああでも美味いなこのパインケーキ!」
 追加されたケーキを頬ばり、夏目は歓喜の声を上げた。女の子の手作りケーキ、最高だ。実際は人形が作ったとか、そんな些細なことは気にしてはいけない。
「そう? ありがと」
「ところでよ、その神社ってのはどうやって行けばいい? さっさと追い掛けたいんだ」
 アリスは心底呆れた様子で嘆息した。
「今日はやめておきなさい。ただでさえ夜は物騒だし、あなただけじゃあ森から出るのも難しいわよ。地底に至っては全くの別天地。鬼のたむろする世界に準備もせずに行くのは自殺行為だわ」
 夏目は何も言い返せなかった。たしかにそうだ。瑞穂はここに泊まると言っているし、方向感覚の良くない自分が案内人も無しにこの森を出られる自信は限りなくゼロだ。
 すごすごと引き下がる夏目に、アリスは言った。
「明日、私が一緒に行ってあげる。だから今夜はうちに泊まっていくといいわ」
「えっ、いいのか?」
「どうせいつも一人だし。たまには賑やかなのもいいわ。そこの絵描きさんの絵も見てみたいし」
 楽しそうなアリスの言葉に、月雲がぴくりと反応した。
「僕まで世話になっていいのかね……?」
 さっきまでと変わらない静かな声だったが、気難しそうな表情が心なしか緩んでいる。
「一人も二人も三人も一緒よ。それに、あなたも普通の人間じゃなさそうだし。話を聞かせてよ。もしかすると三ヶ月前の異変と繋がってるかも」
「三ヶ月前の異変……? なんだそりゃ」
「僕もよく知らないんだが、各地で妖怪でも人間でもない不死身の怪物が現れた異変さ。あの時は人里の自警団も大わらわでね、さすがに里の外れは危ないからと僕も避難させられたよ。その後は、いきなり空が真っ二つに裂けて終わり。僕にわかるのはそれだけだ。すまないね」
 静かに説明する月雲に、アリスが繋げた。
「人間ならそれ以上知らなくて当然よ。じゃあ、妖怪が知ってる事を簡単に説明するわ。各地で暴れてた怪物が、いきなり霧の湖に集合して、タコのような巨人になった。それを紅魔館と守矢神社の面々が総力を挙げて退治した。以上よ」
「妖怪が、ってことはアリスはもう少し詳しいんだな?」
「そう。にわかには信じがたい話だけど、その怪物の正体は、人間や妖怪の怨念の集合体が外から取り込んだ神話の邪神クトゥルーの姿を借りて具現化したモノだったらしいわ」
「あぁ、その神話なら知ってるぜ。なるほどそれでタコの巨人か」
「模倣品だから幻想のクトゥルーって呼ぶけど、それは怨念の塊だから少し削っても復活するの。だから不死身の怪物ってことになるんだけど、誰もその事がわからなかったからいつまで経っても倒せなかったわ。そこに現れたのが、カリナ・コクトー。どういう理屈かはわからないんだけど、カリナは初見で核を見つけて、それを総攻撃で破壊して解決ってわけ」
「あいつは怨念とか呪いとか、そういうのを解決するのが仕事だからな。しっかし、旅行とか言ってそんな事やってたのか」
 仮名が三ヶ月前に旅行に出ていた事を思い出し、夏目はうんうんと頷いた。おかしいなとは思っていたが、これで合点がいった。
 月雲はまっすぐにアリスの目を見つめて、静かに問い掛けた。
「その異変と僕、どんな繋がりがあると思うのか。それを教えてくれないか?」
「ええ、それが本題ね。カリナは昨晩、その幻想のクトゥルーが予行演習みたいなものだと言ってたわ」
「大怪獣作るのが予行演習とは穏やかじゃねぇな」
「つまり、人為的なものだったということだね?」
「そういうことね。核の破片をもらったけど、明らかな人工物だったわ」
 アリスはポケットから小箱を取り出してテーブルの上に置くと、ゆっくりと開けて見せた。
 入っていたのは鏡の欠片だ。裏側は漆黒で、光を全く反射しないようになっている。
「裏側が見たことのない素材だけど……鏡は御神体として祀られることも多いから、邪神を祀るために使われたのかもしれないわね」
「……いや、それは違う」
 月雲が少々青ざめた顔でかぶりを振った。
「これは、そんなものじゃない……もっと、邪悪な心で作られたものだ。僕は、これを見た事がある……ッ」
 腹の底から絞り出すような言葉に、その場にいた全員が息を呑んだ。月雲は頭を押さえながら、必死で曖昧なはずの記憶をたぐり寄せていく。これだけ涼しいのに脂汗が滲み、首を絞められているように息遣いが狂っていく。
「黒い鏡だ……四辺形がいくつも組合わさった鏡……ッ、何も映らない。あれは、窓だ。覗き込んだ途端、『向こう』からおぞましいものがやって来た……あれは」
「待てっ、落ち着け先生!」
「ああ、大丈夫だ……。少し思い出したよ。僕はこの黒い鏡の向こうに別の世界を見た。そして、夏目君の言うカルネヴァーレになったんだ」
「別の世界ですって?」
 アリスが目を見開く。もしこの場に静流がいたなら鏡聴という術を思い浮かべるだろうが、この場にそれを語れる者はいない。だが、アリスは鏡というものが持つ意義の一つを思い出したようだ。
 鏡は透視能力を持つとされている。つまりこの鏡は映すものではなく、視る物。
「ってことは、これは黒い面が表なのね。何も反射しないのは、これが窓だから……?」
「……異界が見える道具ってのは、相当まずいぜ。こいつを使えば強制的に異界とリンクさせられる。その結果は月雲先生の体験した通りだ」
「怪物になるか、能力者になるか……か」
「ああ。ただ月雲先生は特別だ。普通、一度カルネヴァーレになったら元には戻らねぇんだからな。俺の勘だと、月雲先生は力を制御できる側だ。ただ繋げる方法がめちゃくちゃだったせいで表面だけ乗っ取られた。俺はそう推理するぜ」
「そうだといいんだが……夏目君の説が正しければ、あの多面体を覗き込んだ人間が行き着く先は全て、怪物という事になる」
 あっさりと順応してきた月雲を真剣な目で見据え、夏目は頷いた。
「俺達の世界では今、カルネヴァーレが増える事件が起きてる。もしかすると、その黒い鏡は、俺達の世界でも使われた物かもしれねぇってことだ」
「ちょっと、そっちだけで盛り上がらないでよ。カルネヴァーレって何なの? 私だって情報をあげたんだから、それくらい教えてくれてもいいでしょ?」
 むすっとした顔でアリスが声を上げた。
「あ、悪ぃ悪ぃ。そうだなァ、どこから話したらいいもんかね……」

 結局、途中で頻繁に話が逸れた事もあって、夏目は夜が更けるまで事情を話し続ける羽目になったという。


あとがき

 ようやく幻想入りした空気が復帰。
 夏影塚は裏方サイドの話です。ある意味、こちらが本編かも。
 静流の周囲だけでは不足しがちな説明を補うために、今後もたまに入る予定です。




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最終更新:2010年08月22日 13:09
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