夏影塚2

東方秋狼記・裏



   その2:私を呼ぶのは貴方?


 夏目千秋はどんな境界でも踏み越える。
 まるで影のような男だ。幾重に網を張っても、そんなものはお構いなしにすり抜ける。しかしこの男の表情には影がない。陽気に笑ったり怒ったりビビったり、それは相手が妖怪だろうと変わらない。ぱっと見はバカそのものだ。
 恐れるものがない、怖いもの知らず。だから何でもオープンに受け入れる。
 それが夏目に対する、アリス=マーガトロイドの感想だ。
 一晩過ごして翌朝、そう、まだ静流が図書館にいる頃。アリス達は日の出に合わせて地底探索へ出発した。やはり地底に興味があるのは自分だけではなく、彫物師で絵描きの月雲も取材がしたいと付いてきた。
 瑞穂は慧音の見舞いの方を優先したのでここにはいない。彼女はほんわかした外見に似合わず、言い出したら聞かないタイプなので、付いていくなんて言われたらどうしようかと内心ヒヤヒヤだったが。
「すげぇ縦穴だったな。きっとあれが飛行石だぜ」
「僕はあの暴風はどのように吹き上げているのかが気になるんだが」
「あとは、あれだ。あの金髪ポニーの姉ちゃん。いなせで可愛かったよな」
「ああ、なんというか他人のような気がしなかったよ」
 地底への関門。暴風噴き上げ岩舞う大穴を、浮遊する岩を足場にジャンプと自由落下だけで下っていくなどという、およそ人間らしくない芸当で踏破した彼らは、脳天気に感想を言い合っていた。
 今は縦穴の終点にある開けた場所で休憩しているところだ。ティーセットの用意も万全、このアリスに抜かりはない。
「つーか、見たか月雲先生。アリスのスカートが風でさ」
「ああ、もちろん。残念ながら絵は描けなかったが」
「だよなぁ」
「どこ見てたのよあんた達は! というかもっと別の感想はないの!? 余裕なの!?」
 岩や邪魔する妖精や妖怪を撃破してここまで飛行してきたアリスは思わず声を荒げた。こいつらは馬鹿だ。間違いない。
 一晩いろんな話をして過ごしたせいか、アリスは彼らとずいぶん打ち解けていた。
「パンチラを目に焼き付けるのに必死で、余裕なんてとてもとても痛ぇッ」
「まったく……」
 人形に頭を殴られてうずくまる夏目を横目に、アリスは優雅にカップを傾ける。
 こんなバカ共でも、正直に言えば好意を持たれるのは少し嬉しかった。いつも一人でいるが、別に人嫌いというわけじゃない。友達がいなくても平気だが、いらないワケじゃない。ある意味、何事よりも読書を優先するパチュリーに似た感覚なのかもしれない。
 ただ最近思うのだ。人形をもっと完成させるなら、もっと人間を知らなきゃいけないんじゃないか、と。
「ああ、こういう茶もいい」
 月雲がのんびりと紅茶を飲みつつ感慨深げに呟く。取っつきにくい雰囲気を出しているが、なかなか女好きのする細顔だ。長髪を束ねて後ろへ垂らし、雅な和の装いに身を包む様はなんというか、とても絵になる。
 ちなみに陣羽織の下には簡素な鎧を付け、刀を差している。実際に武家の出身らしい。
 武家というと、アリスの頭に浮かぶのは年中無休の庭師だが、あちらの装いは質素で洋風だ。貫禄もない。
「さ、そろそろ行きましょ。上から妖怪が来るとも限らないし」
「妖怪なんていたっけか?」
「あー、まぁいいわ」
 言いかけてやめた。つるべ落としに跳び蹴りをかましていたが、きっと岩と間違えたのだろう。
 ティーセットをトランクにしまい込み、薄暗い洞窟を歩いていくと、橋に差し掛かった。
 そのど真ん中で、弁慶よろしく待ち構えている女が一人。うなじに掛かるくらいの金髪から飛び出して見える耳はエルフのように尖っている。とても不機嫌そうな顔をしていて、ギリギリとハンカチを噛んでいるのがお似合いな感じだ。
 何がそんなに気に食わないのやら。敵意が丸出しだ。怖い怖い。
 ともあれ異国情緒溢れるペルシア風の服装は人形の参考になる。いいセンスだ。
 無遠慮に観察していると、不気味な緑の眼で睨まれた。おかげで人里で買い物をしていると時々浴びる視線の正体がわかった。嫉妬だ。
「なんかこっち見てるぞ」
「あれは橋姫よ。ここの番人みたいなものね」
「なるほど、これは風情がある。お目にかかれて光栄だ」
 いつの間にやら月雲は目にも止まらぬ速さで筆を走らせている。隙さえあれば写真を撮る、どこぞのブン屋に近いものがあるな、とアリスは思った。
「わかってると思うけど、ピクニックじゃないのよ?」
「あぁもちろんわかってる。地底探険だろ」
 そんなやり取りをしていると、橋姫がだんだんと剣呑な目つきになっていく。
「あなた達のその余裕……妬ましいわ」
「常に余裕を保つのが都会派の嗜みよ。そこの二人はただの馬鹿だけど」
「何言ってんだアリス。俺はこう見えてツッコミなんだぜ」
「僕も、学はある方だと思っているがね」
 即座に反論を入れてくる二人。たしかに余裕はあるようだ。
 少なくとも夏目は、アリスが思うよりも多くの死線をくぐっている。肝が据わっているのは当然だ。そして月雲は芸術に掛ける心が恐怖を超越しているのだろう。どちらにせよ常人ではない。
「いつか来た人間みたいに賑やかに……! 妬ましいったらありゃしないわ」
「嫉妬狂いの橋姫……これは絵になるのかしら、絵描きさん?」
「そうだな、本音を言えばその怒りの形相を緩めてほしいところではあるが、何、その程度の空想は描いてもいいはずさ」
「ま、絵のモデルは笑ってた方がいいよな。嫉妬はどんな美人も台無しにするって仮名が言ってたぜ」
「……ッ、あんたたち、馬鹿にしてるの……!?」
 ぶわっと妖気が噴き出し、緑色の水玉のようなものが橋姫の周りに現れた。
 怒り心頭で弾幕勝負というわけだ。その動機が嫉妬という、何ともやりがいのない相手だが、仕掛けてくるのなら応えないわけにはいかない。アリスは勝ち気な表情で唇を舐め、トランクを開けた。
 出てくるのは詰め込まれた人形達。その数、八体。
「上等! せいぜい後悔しないように戦う事ね」
 まるで舌なめずりする肉食獣のように不敵な笑みを浮かべるアリス。
 だが、腕試しが大好きなのはアリスだけではなかった。後ろから肩を掴まれる。
「待てよアリス。俺に任せろ」
「は? 何言ってるのよ。飛べないあんたに勝ち目はないわ」
「んなもん、やってみなきゃわかんねぇだろうが」
「じゃあ聞くけど弾幕なんて出せるわけ?」
「そこら辺は根性でカバーしてやるよ」
 眉を吊り上げ至近距離で睨み合っていると、何かが高速で飛来し、髪の毛を数本切り取っていった。
 橋姫の放った弾だと気付いたときには、すでに緑に光る大弾に囲まれていた。
「もういいわ……鬱陶しい。全員まとめて踏みつぶしてあげる……!」
 地の底から響くような、と言ってもすでに地の底なのだが、ともかくそんな声で橋姫は開戦を告げた。
「楽しい楽しい弾幕ごっこと行きたいとこだけど、いきなりのピンチね」
「その割に、口元が笑ってるぜアリス」
「ところで僕まで勘定に入っているのはどういうことかね」
「気に食わないわ、その余裕……ッ」
 ぎりっ、と歯ぎしりする橋姫に、アリスは自分のこめかみを指で叩いて言った。
「弾幕はブレインなのよ。心にティーセットがあれば、よりスマートな思考ができるわ」
「ティーセットねぇ」
「なかなか風流だが」
 三人で顔を見合わせ頷き合うと、蜘蛛の子を散らすように駆け出した。
 まずはこの完全に詰んだ状況を打破するところから始めよう。だがそれが難しい。仲間がいる今、お得意の魔法で周囲を吹き飛ばすわけにもいかない。というか二人はどうやって切り抜けるつもりだろうか。
 ふと疑問に思って目をやると、二人とも迫る弾から逃げてこっちに駆け寄ってきていた。
「なんでこっち来るのよ!?」
「わりぃ、やっぱ無理だった!」
「そもそも僕は弾幕ごっこに興じたことなど無い!」
「だから言ったでしょう!」
 三者三様に悲鳴じみた声を上げる。
 どうしようもない掛け合いをやっているうちに万事休す。過去に魔理沙とチームを組んだこともあったが、本質がワンマンアーミーのアリスには全くの想定外の出来事だ。
 だがそんな様子も楽しそうに見えているのか、橋姫はぎりりと歯噛みする。
「気に食わないわ……!」
 ずんと迫る大弾の緑壁。
 死んでしまえと言いたげに放たれた弾幕。当たれば痛いで済むはずがない。だというのに、すでに空きスペースは三人がやっと入れる程度しか残されていない。
「あんた達なんか、余裕を失くして泣き叫べばいいのよッ!」
 ヒステリックに橋姫が叫んだその時、アリス達の周りで風が渦を巻いた。見れば黒い糸のようなものが洞窟の奥へ奥へと伸びている。その先端はここからでは見えないほどに。そして糸を握るのは、紅染月雲。
「残念ながら、そもそも僕に余裕など無いんだ。泣き叫ぶ余裕すらね……!」
 轟ッ、と風が勢いを増した次の瞬間には、四人とも大竜巻に呑み込まれていた。

    ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 紅染月雲は緑の壁に囲まれ、追い詰められていた。
 背後にはアリスと夏目。その様子から察するに、自分の存在がアリスの行動を制限していることは明らかだった。夏目は考えていることがよくわからない男だが、打開策に窮しているのは間違いなさそうだ。こんな事では付いてきた意味がない。口では取材のためと言ったが、実際は困難な状況に身を置いて心身を鍛えるためだ。そしてもしかしたら、地底に住むという心を読む妖怪、さとりに会えば力を制御するコツがわかるかもしれないと思ったのだ。
 それがどうだ。この現実は。少々身体能力が上がったところで、妖怪相手には太刀打ちできないではないか。
 自分には何ができる。
 食べていくために彫物の才を使った自分は、ここを切り抜けるために何を使う。
 決まっている。黒い鏡から得た力だ。あれから気配すらなくなってしまったが、夏目の話が正しければ自分に繋がったままのはず。そして、使い方は当人にしか知り得ない。
 月雲は預かった黒鏡の破片を覗き込んだ。
 思い出せ。どういう力か、何を視たのかを!
(私を呼ぶのは貴方?)
 応えたのは風だった。
 これだ。確信を持った月雲は深く鋭い息吹で返した。力を貸せ、と。

    ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 古明地さとりは嫌われた妖怪の住む地底でもさらに嫌われ者という極めつけの少女だ。
 その力は他者の心を読むこと。記憶までは読めないが、何かのきっかけで想起すればたちまち読まれてしまう。特に、過去を過去として捉えず、今という時間に生きる妖怪にとっては、首根っこを掴まれ続けている感覚に近いものがある。こればかりは嫌われ者の妖怪たちでもたまらないのだ。
 だが古明地さとりは堂々と居を構え、決して卑屈になったりはしない。狂いもしない。
 最高の精神強度を誇るのが、怨霊も恐れ怯む少女さとりなのだ。
 だから古明地さとりは動じない。周囲に揺り動かされないだけの胆力を持ち心を読める彼女に、生半可なドッキリは通用しない。
 得意技は催眠術と十八番奪い。トラウマ刺激で精神と物理のダブルアタック。
 あぁ、さとり様万歳。まじパねぇっす。
「全て聞こえていますよ。心を読むまでもなく、だだ漏れです」
「おっとこれは失礼しましたー」
「なんというか変な人ですね、あなたは」
「そこは一つ、好奇心旺盛で研究熱心かつ実直勤勉と言っていただきたい所存」
「勤勉な人からそのような言葉はなかなか出てこないものですが」
 結論。ジト目がチャームポイントで度胸の据わりまくった彼女をびっくりさせるには、そう、気配も心も何も読めない遠距離からの狙撃ドッキリしかない。そう、狙撃だ。
 さとりはにま、と笑う。思わずにま、と笑い返す。
「目の前では狙撃も何もあったものじゃありませんね」
 その時、轟ッ、とつむじ風が吹いた。
 狙撃来たぁ!
「きゃぁっ」
 何もしていないが、してやったり。さとりは短く悲鳴を上げた。
 しかしそれは急な風に驚いたのではなく……
「いってぇ……」
「なんなのよ、もう」
「とりあえず、うまくいったみたいだ……」
「きゅぅぅ」
 唐突に現れた賑やかな四人組に押し潰されたからであった。


あとがき

 上手いSSが妬ましい。小学生が妬ましい。パルパルパル……
 というわけで裏ルート夏影塚、地底編です。字数の問題で没になったタイトルがこちら。
『彫物師の異常な能力 または彼は如何にして保留するのを止めて異能を使うようになったか』
 嫉妬は目に見えない緑眼の怪物。くれぐれも食べられないように。




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最終更新:2010年08月29日 15:48
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