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ひとりごと > 20041025

ひとりごと

悲惨な事態になってしまいました。

2004年10月23日(土曜日)の午後6時頃から8時頃にかけて震度6を越える地震が3回も立て続けに新潟県の中越地方を襲いました。

私は現在、東京に転勤できていますが、新潟県中越地区の出身です。報道では中越地区の小千谷市、長岡市について被害状況が多く報じられています。

私の実家は北魚沼郡川口町にあるのですが、こちらにも大きな被害が出ています。

東京で、仲間とボーリングを終えて料金の支払いをしているときのことです。小さな揺れが起きたと思ったら、続いて大きな揺れとなりました。近くの店員の話によると新潟県の中越地区で震度6の地震があったそうです。自分の実家のあるところです。

慌てて実家に電話をしてみますが、全く繋がりません。妹や知り合いにも電話をしてみますが同様に繋がりません。

るーぱぱ宅に寄らせて頂き、テレビで確認していると市街地の状況が報じられています。テレビの状況を見る限りでは震度こそ強いですが、それほど悲惨な状態にはなっていないようです。

実家へ何度か電話してみた結果、一度つながり呼び鈴がなりましたが、誰も出ません。心配が増します。

アパートにもどり、カントクるーぱぱにも協力してもらい、とにかくありったけの携帯電話、固定電話を利用して、知人に連絡をとるために電話をかけ続けました。

弟に電話が繋がり、状況を聞くとテレビで報じているよりずっと酷い状況であることを知ります。弟は最も強い震度を観測した小千谷市のアパートに住んでいました。

弟、曰く 「道路は陥没だらけだし、駅前の池では地震の瞬間、水が1mくらい跳ね上がった。」

弟の子供は実家で母親が預っていたため、その安否を非常に気にしていました。私が代わって確認をとり弟に連絡をすることにしました。

両親は携帯電話を所持していないため、実家の固定電話への連絡手段しかありません。何度か呼び鈴は鳴るのですが、電話に出ません。

妹にも電話をしますが、全く繋がりません。何度か繋がっても「電波の届かないところにいるか電源が入っていません。」とアナウンス。携帯電話を所持していないか壊れたのだろうか。不安が増します。

その後、知人のあきひさに電話が繋がります。彼は地元の消防団に所属しており、災害の救助活動などを行っている最中だったようです。当初、報じられていた死者は3人。

あきひさ、曰く 「おい、悲惨な状態だぞ。テレビで報じられているような状況じゃない。もっと悲惨な状況だ。」

家族の状況が気になります。確認すると、私の家族のいる地区は既に救助活動が済んでおり死者が出たと言う話は聞いてないとのこと。少し安心します。

弟に再び連絡をとり、恐らく子供も家族も無事らしい事を伝えますが、確実な情報でないため非常に心配している様子。

弟、曰く 「明日、心配だから歩いて様子を見に行ってみるよ。」

小千谷市から川口町までは10km程離れていますが、歩けない距離ではないため確認しに行くとのこと。

そうこうしていると、時間も夜中の1時半ころ。これ以上は確認作業も困難なため、カントクるーぱぱには帰って頂くことにしました。これまで、親身になって頂いて非常に感謝しています。

一人になり、シャワーも浴びていないことに気づき、シャワーを浴びて寝ようとします。しかし、深い眠りにつくことができません。朝方の4時頃、電話がなります。

あきひさが状況を伝えるために電話をしてくれました。同じ集落のみやたかと連絡がとれ、私の家族が無事であることを確認し、私へ連絡をしてくれたのです。救助活動で疲れている中、わざわざ連絡をしてくれて非常に感謝です。

朝の7時頃、弟から連絡があり、子供と両親が無事であることを知ります。これで、ようやく落ち着くことが出来ました。

弟から集落は土砂崩れが酷く、また、実家も壁が崩れて酷い状態らしい事を聞きます。

午後になり、妹からも連絡があります。聞くところによると妹も実家へ来ていたらしい。自衛隊がやってきて、実家付近の集落全体が非常に危険な状態にあるとのことで避難勧告が出されたそうです。集落全体が避難することになりました。

10/24(日曜日)は、悲惨な状況であることを知るものの家族が無事であることを知り、安心出来ました。

また、新潟へ帰りたいと思いますが、ニュースで報じられているように新幹線をはじめ新潟県内の中越地区においては交通機関が全滅です。帰る手段がありません。

10/25(月曜日)、会社へ出社します。弟や妹からメールや電話で連絡があります。

聞くところによると、実家のある川口町は東京寄りのトンネルが崩れて通ることが出来ない状態。また、新潟市寄りの道路は土砂崩れで通行止め。

今現在も孤立している状態です。

さっき、家族の避難している小学校がテレビで報道されました。自衛隊のヘリが救援物資を運んでいる様子が見えました。救援物資を受け取る人は知っている顔ばかりです。親戚の叔父さんもいました。本当に交通機関が遮断され、孤立していることを実感します。

昼間にみやたかへ電話をしてみます。繋がりにくい状況の中、何度か電話をすると繋がりました。やはり酷い状況であることを知ります。両親から状況を聞きたかったので、母親に代わってもらいます。

心配なのは、寒さと食糧が不足していないかです。食糧については自衛隊が救援物資を運搬してきてくれたため問題ないそうです。寒さについても、田舎なため各家に 豆炭こたつ 石油ストーブ があり、それを持ち寄ることで暖をとることが出来ているそうです。

田舎であることが幸いしてか、長岡市や小千谷市の避難所よりは生活がしやすい状況となっているようです。

さて、家の状況を聞きます。

母親、曰く 「家はダメ。壁は落ちたし、屋根も無くなった。住めるような状況じゃない。裏山の木が倒れて、家の方へ転がりこんで来ている。」

築年数が経っているためか受けた被害は酷い様子。

実家の地区は、新潟県の中でも非常に地盤の弱いところ。そこへ、夏の大雨、最近の台風直撃、そして今回の大型地震。地盤はダメージを受け続け酷い状態です。

自衛隊の人より、余震以外でも地盤が滑る振動があったとのことで地区内の全住民が避難する事態です。

私の車はその地区へ残されたままです。車庫へ置いておいたため、車庫内の荷物が自動車のリアガラスを直撃。結果、リアガラスが割れ、給油口周辺がへこんでいるそうです。移動ができず、そのまま残されました。

今は、家も車も失ったと言っても過言ではない状態です。

今日、明日と新潟は雨が降る予報。屋根の無い我が家は家具類もダメになってしまうのだろうか。

今後、どうするべきか考えると非常に頭が痛い。

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最終更新:2010年08月25日 16:52