こんばんは。小貫と申します。よろしくお願いします。最初に自己紹介と言うことで、最近やっているプロジェクトの話から始めようと思います。
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<外国から来た子どもたちを集めて開く
マルチカルチャー・キャンプの活動>
この写真は僕が東海大学に来てからずっとやっている、マルチカルチャー・キャンプのものです。僕の場合ブラジルから来た子どもとの接点が多いのですが、ブラジルから来た子どもたちが、ブラジル学校のなかだけで生活が成立してしまって日本の子ども達とまったく接点がなかったりするので、そういう子たちと、その他のいろんな国から来た子どもたちと、日本の子どもたちとを集めて、うちの大学の学生たちと、それからその他のいろんな大学の学生たちが手伝いに来てくれて、2泊3日で遊びましょうというものです。親御さんたちも、学校の先生たちも皆さん一緒に来てください、大学生が子どもたちの面倒を見ている間は、大人は大人で楽しくやりましょう、と、そういうキャンプをやっています。
次の写真は今年の8月にやったものです。その次の写真は9月のキャンプで、「部屋いっぱいに平和の絵を描こう」というのをやった際の写真です。最初のうちはきれいな絵を描いていたのですが、そのうちみんながキャンバスの上でスケートを始めてしまって…。学生は一緒になって遊んでいます。うちの学生たちは遊びの天才ですから、楽しいですよ。
<大学の社会貢献プロジェクト、ブラジル人教育者向け遠隔教育教員養成講座の活動>
次にお話するのは、うちの大学がやっている日本に住むブラジル人のための遠隔教育講座のプロジェクトです。これは、その入学式の写真です。今年(2009年)7月に300人の方が入学して、これから4年間で教員資格を取ってもらいます。ブラジル人向けなので、ポルトガル語で授業をしなきゃいけない。その授業は、もちろんわれわれにはできないので、ブラジルの大学がインターネットを使って通信教育の授業をしてくれます。
私の大学は、年に6回、全国6都市で開くスクーリングの授業を担当しています。スクーリングでは年に4回の「日本学」の授業があって、その授業を構築して、実際に教えるのが僕の仕事です。講座の受講生は全員、ブラジル学校や公立の学校、あるいは地域のボランティア活動でブラジル人の子ども達の教育に携わっている人です。その人たちに、日本の言語や歴史、地理、社会について学んでもらおうというのが「日本学」の授業です。うちの大学は大きな大学なので、付属高校の先生も含めて、社会のあの分野のときはあの先生、法律はあの先生、日本語はあの先生と、いろいろ得意分野のある先生を呼んできて授業を一緒につくっていただいています。
この写真は、神奈川県にあるブラジル学校です。ブラジル学校というのは訪ねてみないと想像できないと思うのですけど、本当に小さなスペースで、日本の学校制度とはまったく外れたシステムのなかで、塾のようにして存在している学校です。もちろん、ポルトガル語で授業をやっています。そういう学校が日本には100校近くありまして、朝鮮学校よりたくさんの学校があります(2009年9月時点の情報)。
塾みたいな扱いですから私学助成がおりなくて、子どもの月謝だけで成り立っています。子どもたちの親御さんには労働者が多くて、経済的に豊かではないので月謝にも限りがある。学校の運営は厳しいし、教育実践にもいろいろ限界があって、改善しなきゃいけないことは山ほどあります。当面日本の政府はまったくノータッチですが、ブラジルの政府がこの問題に取り組もうとしているのが、今お話している教員養成講座なのです。全国の100校の学校を支援するのは不可能に近いですけれど、そこで働いている先生たちは教員資格を持っていない方が多いので、その問題から手をつけようということになりました。
僕の大学がブラジル政府からのアプローチを受け、講座の目的や計画をいろいろ話し合っているうちに、日本学の授業も必要だということになって、また、受講生を通じてブラジル人教育者達のネットワークをつくることも大切だろうということになりました。

これは9月のスクーリング授業の写真です。こういうのを年6回、全国6カ所でやります。このプロジェクトは、うちの大学のボランティア活動なんですよね。資金はブラジルの政府が出してくれて、日本学の授業を作る費用も三井物産のお世話になっていますが、スタッフは、私を含めて大学のいろんなセクションの職員や、いろんな学部や付属高校の先生方がボランティアで駆り出されているわけです。スクーリングの授業は週末開催なので、私なんか週末が年に12回つぶれてしまうのですが、やっていることがすごく面白い。職員の方々にとってもたいへんと思いますが、普段の仕事と全然違う仕事で、みなさん生き生き伸び伸びと関ってくださっているように思います。
しかも、ブラジル人との付き合いというのは、基本的に日本人にとって心地よいんですね。最初のころはよく笑いました。ブラジルの大学とテレビ会議システムを利用して会議を重ねるのですが、時間や締め切りに関する感覚が違いますよね。例えば、お願いしたものが予定通り届かないんですよね、資料にしても、計画案にしても、予算案にしても。資金の送金まで、6カ月ぐらい遅れるんです。そういうときのテレビ会議で、うちの副学長や学長室長までが出席するテレビ会議で「進行が遅れていますね」という話をすると、向こうの先生が「全然心配しないでいいですよ。きっとうまくいきます。日本の方々にとってはよく準備することが大切なことはよく理解しています。でも、私たちはとてもフレキシブルですから」と言われるんです。そういう会議で私はいつも通訳をするのですが、自分の大学の偉い先生達と「フレキシブル」なブラジルの大学の先生との間に立って、一瞬ビビリますよ。なんと訳してよいやら。でも、これを「日本の皆さんは用意周到、でもブラジルは臨機応変ですから安心してください」と訳したら、皆さんとても可笑しかったらしくて…、とても和やかに会議が進みました。それ以来、学長室長は会議開口一番「今日の会議は用意周到の会議ですか、臨機応変の会議ですか」なんてジョークから始めたりしています。プレッシャーの少ない、よく汗をかきよく笑うプロジェクトです。
<大学での性教育の授業、キスの授業、MDGsの授業>
私は大学でボランティア活動のプロジェクトばかりやっているわけではなくて、先生ですからたくさんの授業を教えています。4年前にこの職につきましたが、国際学科というところなので、国際開発、国際協力について教えるということで雇われました。ただ、正直言って、自分が一番楽しくやっているのは性教育の授業です。もともと自分の専門は性教育だったので、それを大学生に教えるのがすごく面白いですね。性の話を、大学生は染み入るように話を聞いてくれます。
毎回、授業のあとにリフレクションペーパーというのを書いてもらうのですが、「君たちのリフレクションペーパーは、びっくりした、驚いたという言葉ばかり出てくるね」と言っています。今日はこういう話を聞いた、全然知らなかったからびっくりした。こんなことだと思わなかった、びっくりした。そんなことばかり出てきます。
実は、私の授業は、ブラジルのテレビ、新聞でときどき取り上げられることがあります。なぜかというと、学生にブラジルの文化を体験してもらう一瞬技があって、それがおもしろいらしいんです。一つの文化をたった一瞬で感じる瞬間って何だと思いますか。
(会場 「あいさつ」)
そうです。出会った瞬間に、日本の人がこうやっておじぎをするのと、ブラジルの人がいきなり寄ってきてほっぺたにキスをするのと、すごく違うんですよね。そこから始まる人間関係というのは、すごく違うんですよ。出だしからしてインパクトがあるんです。その「ほっぺたにキス」というのを授業でやります。最初のころはそんな授業やっていいのかなと思いました。大学に勤めることになったときに、友だちに言われました。「セクハラでクビにならないように」と。

最初の年は、ほっぺたにキスの授業をやろうかなと言った瞬間に、女の子たちから「やだ~」って言われて、「できない、絶対駄目、無理」って言われて、いきなりあきらめてしまいました。2年目からは用意周到に準備するようになって、しかも臨機応変にやったもんですから、うまくできるようになってきました。うちの学科の3年生の間では、最近女の子同士でキスの挨拶が流行っているほどです。学校のなかでキスしちゃいますよね、会うたびに。私もしてもらいます。
ブラジルから日本に帰ってきたときに、一番つらかったのは誰もキスしてくれないこと。人の身体に触れるチャンスがあまりにもないので、満員電車にでも乗りに行こうかと思うぐらいの社会ですから、学生がほっぺたにキスしてくれるのは自分が描いた理想の生活ですね。でもそれは、実際そうなってみると怖い。怖いっていうか、ほかの先生たち、みんな見てるじゃん、どうしよう、みたいな。そういう日々を体験しています。
国際協力や国際開発の授業では、「MDGs」を教えます。ご存じですか、Millennium Development Goals。世界の国々が2000年にみんなで決めた目標です。2015年までに貧困の問題をこうやって、こうやって、こうやって解決しようよというロードマップです。子どもの健康だとか、お母さんの健康だとか、教育だとか、エイズだとか国際開発のテーマを選んで、そのテーマ一つ一つについて、細かくこれだけの成果を上げよう、あれだけの成果を上げよう、そのステップとしてはこういうところから始めよう、と細かく決めた8つのゴールがあるんですね。それを「MDGs」といいます。それを教えています。
いつも思うのですが、MDGsってすごい。私たちが生きているうちに貧困が無くせるかもしれないっていう壮大な夢なんです。他方、世界のすべての人が貧しくなくなったら、そうしてやってくる新しい社会で、すべての人が今の先進国の人たちみたいに生きるようになったら、それはまた大変なことですよね。そんな世界は維持できない。豊かさの定義次第です。「MDG」って、何をもって豊かとするかという問いだとも思うんです。
自分がブラジルに行ったのは20年ちょっと前ですが、それからのブラジルの社会っていうのはMDGsのなかでいう乳幼児の死亡率を見る見る下げました。ブラジルだけじゃなくて、世界中の国で、その時期、乳幼児の死亡率が急激に下がりました。ただ、その進展を目の当たりにしながら強く感じたのは、生まれてきた赤ちゃんが死ななくなっていくなかで、死なないで生きることになった子どもたちの、人生のクオリティ、「子ども時代」の質がまったく良くなってないじゃないか、ってことでした。
大変な困難を抱えた家庭の子どもたちが、昔は死んでいたのにいまは死ななくなっていくわけです。それも急撃に。その子たちが生きて、では、どんな「子ども時代」を生きるのかというビジョンがなくては、それはいいことなんだろうか。これは、まさに「人間の安全保障」のテーマだと思うんです。
そのときに自分のなかに感じたセンセーションみたいなもの。それを、MDGsの授業をやりながらいつも思うんです。貧困をなくすのなら、その結果たどり着こうという社会の在り方にビジョンを持っていなければいけない。ただ死ななきゃいい。ただ貧困じゃなければいい。豊かになればいいというだけでは、それは新しい滅びの道だと思うんです。
最終更新:2010年05月25日 18:16